アウシュヴィッツ生還者の息子が父の半生について描いた衝撃の実話を映画化
映画『アウシュヴィッツの生還者』では、アウシュヴィッツから生還したハリーがアメリカに渡り、ボクサーとして活躍する一方で、生き別れた恋人・レアを探します。
そんなハリーの元に、どうやってアウシュヴィッツを生き抜いたのかと記者が取材にやってきます。
ハリーはレアに自分の生存を知らせるために、「アウシュヴィッツを生き抜いたのは、賭けボクシングで同胞のユダヤ人に勝ち続けたからだ」と取材に答えます。
果たしてハリーはレアと再会することができるのでしょうか。
『レインマン』(1989)でアカデミー賞監督賞、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したバリー・レヴィンソンが監督を務め、音楽は『レインマン』(1989)、『DUNE デューン 砂の惑星』(2021)でアカデミー賞を2度受賞したハンス・ジマーが手がけた本作。
主人公のハリー・ハフトは、『インフェルノ』(2016)のベン・フォスターが務めました。
映画『アウシュヴィッツの生還者』の作品情報
【日本公開】
2023年(カナダ、ハンガリー、アメリカ合作映画)
【原題】
THE SURVIVOR
【監督】
バリー・レヴィンソン
【脚本】
ジャスティン・ジョエル・ギルマー
【キャスト】
ベン・フォスター、ヴィッキー・クリープス、ビリー・マグヌッセン、ピーター・サースガード、ダル・ズーゾフスキー、ジョン・レグイザモ、ダニー・デヴィート
【作品概要】
アウシュヴィッツを生還し、アメリカに渡りボクサーとして活躍したハリー・ハフトの半生を息子が書き上げた実話をもとに、『レインマン』(1989)のバリー・レヴィンソン監督が映画化。
選択せざるを得なかった、アウシュヴィッツを生き抜いたハリーの衝撃の半生を、『インフェルノ』(2016)のベン・フォスターが見事に演じます。
収容所にいた頃のハリーを演じるため28キロもの減量に挑み、痩せた肉体に宿る筋肉で生きるために戦わざるを得なかった男の過酷さを生々しく映し出します。
共演には、『ファントム・スレッド』(2017)のヴィッキー・クリープスや『アラジン』(2019)でアンダース王子を演じたビリー・マグヌッセン、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019)のピーター・サースガード、『ダンボ』(2019)のダニー・デヴィートらが顔を揃えます。
映画『アウシュヴィッツの生還者』のあらすじとネタバレ
1949年、ニューヨーク市のコニーアイランド。
ナチスのアウシュヴィッツ収容所から生還したハリー・ハフト(ベン・フォスター)は、ボクサーとして活躍していました。
ハリーがボクシングで活躍しようとするには、理由がありました。それは生き別れた恋人のレアを探すためです。自分の活躍が新聞に載れば生きていることがレアに伝わるはずだと信じていました。
ニューヨークにはハリーのようにアウシュヴィッツを生き抜いた人々や、戦時中に逃れてやってきたユダヤ人が多くおり、移民センターで生き別れになった家族や知人を探していました。
ハリーも移民センターに通い詰め、レアの行方を探しますが、何の情報を得られません。痺れを切らし、感情を爆発させるハリーに、従業員のミリアム(ヴィッキー・クリープス)が「力になりたい」と励まします。
戦時中のフラッシュバックに悩まされ、思うように試合に勝てないでいるハリーでしたが、レアに生存を知らせるため、格上のロッキー・マルシアに勝負を挑もうとします。
その頃、ハリーにエモリー・アンダーソン(ピーター・サースガード)と名乗る記者から、「君の人生に興味がある」と取材を申し込まれます。
しかし、同席していた兄に「誰に何を聞かれても絶対話すな」と言われます。それでもレアに知らせたい、そうすることでマルシアにも注目されると思ったハリーは取材を受けることにします。
「俺が生き延びたのは、同胞であるユダヤ人相手にボクシングで勝ち続けたからだ」と話し始めます。
ハリーは、収容所でナチス親衛隊中尉シュナイダー(ビリー・マグヌッセン)の命で賭けボクシングの選手をするように言われます。ハリーに選択肢はなく、リングに上がると同胞のユダヤ人と戦わされます。
ハリーは仕方なく同胞と戦い勝利します。すると試合に負けたユダヤ人を親衛隊は銃殺します。ショックを受けるハリーにシュナイダーは、ガス室か銃殺か選べと脅します。
そうしてハリーは死ぬか生きるかのボクシングを続け、生き延びてきました。その当時はそうする他なかったとはいえ、その事実が新聞に載るとハリーは裏切り者としてユダヤ人から敵視されるようになります。
兄はなぜ話したのかとハリーを問い詰めると、レアに生存を知らせたかったと言います。兄は、ハリーに前に進むように言い、自分は同じ体験をした歌手と結婚することを伝えます。
記事の影響でマルシアとの対戦が決まったハリーの元に、同じくポーランド人であるマルシアのトレーナーのチャーリー・ゴールドマン(ダニー・デヴィート)がやってきます。
相手にならないと試合をやめるようハリーに言いますが、耳を貸さないハリーに見かねてチャーリーは力を貸し、2日間だけ強化訓練をします。
練習の合間にレアの捜索を手伝ってくれるミリアムにハリーは少しずつ心を開き始め、ミリアムも戦争により婚約者を亡くしたことを知ります。少しずつ近しくなったミリアムにハリーは、対戦を見にきてくれるように言います。
映画『アウシュヴィッツの生還者』の感想と評価
アウシュヴィッツに関する映画は数多く作られ続けています。それは語るべき話があり、後世へと語り継がれていかなければならない、2度と繰り返してはいけないからです。
本作は、生き残ったことによる苦悩、戦争が終結しても癒えることのない傷の深さを描き出します。
ハリー・ハフトは、ナチス親衛隊中尉シュナイダーによって、賭けボクシングを強いられ生き残るためには同胞に勝ち続けるしかありませんでした。他に選択肢はなかったのです。
親衛隊らにとっては単なる遊びでどちらが勝とうがどうでもよく、負けたら殺すだけ、次にリングに立つやつを探せば良いだけなのです。
シュナイダーはハリーに対し、別にユダヤ人を憎んでいるわけではい、選択の結果でハンマーを持つ権力を行使する側になっただけだと言います。自分の身を案じて逃げればよかった、選択肢はあったはずだとまで言います。
しかし、経験深いユダヤ教徒であってもハリーは自身をポーランド人であると思っていました。ハリーが突然迫害された日のことをミリアムに話す場面があります。
ハリーの姉が子供を出産した2時間後、突如ドイツ人がやってきて姉の子を奪い、車の荷台に投げたと言います。
ハリーの家族は、敬虔なユダヤ教徒でありましたが、誰も生まれてたった2時間の赤子がなぜ命を奪われなければならないのか、理解ができなかったと言います。
なぜこのような目に遭わなければならないのか、ハリーは悩み、答えてくれない神に絶望し、その後同胞の命を奪って生き延びた自分は神の祝福に値しないと思うようになります。
その背景には、親友の死がありました。ある日リングに上がったハリーが戦う相手は親友だったのです。親友は「お前に殺されるなら本望だ。ドイツ人に殺されたくない」と言い、殴ってくれと頼みますが、ハリーは親友を手にかけることなどできるはずがありません。
試合をしたくないと悩むハリーでしたが、他の選択肢なく親友を殴ります。親友は最後はユダヤ教の死の祈りを唱えてほしいと頼まれたハリーは、祈りを唱えながら膝で親友の首を圧迫し殺します。
他に選択肢があったはずだ、自分は親友を手にかけたと悔やむハリーに、ミリアムはそうするしかなかった、あなたのせいではないと言いますが、ハリーの罪悪感は一生消えるものではないでしょう。
数々の死を目にしてきたからこそ、生き延びたことに対する罪悪感、自身の選択に対する罪悪感はいつまでも生き残った者につきまといます。
当時はそうせざるを得なかったとはいえ、ハリーがボクシングで勝ち続けてきた一方で、ハリーに負けたことにより命を奪われたユダヤ人もいるのです。
同胞の命を奪って生き延びたハリーを裏切り者だと思う者が出るのも仕方のないことであり、そのことを一番分かっていたのはハリー自身でしょう。
そして、兄も裏切り者となることを分かっていたからこそ、記者のインタビューを受けることを止めるようハリーに言ったのです。
兄はハリーに助けられ生き延びることができたということもあり、ハリーに対する罪悪感のような複雑な思いを抱えつつも、兄は英語を覚え新しい地に慣れようとしています。
一方でハリーは英語を話せても読むことができず、ニューヨークという地にうまく馴染めていません。兄はニューヨークのユダヤ人コミュニティで似た境遇の女性と結婚し、前に進もうとしています。
ハリーはいつまでも過去の恋人であるレアに固執し、過去の闇に囚われ上手く前に進めないでいます。このようなハリーと兄の対照的な姿は、当時のアメリカに逃れてきたユダヤ人の多くが経験した苦悩であったでしょう。
ミリアムはアメリカ在住のユダヤ人であり、第二次世界大戦後のアメリカに渡ったユダヤ系移民とは違います。しかし、移民センターで働き、数々のユダヤ移民の経験に耳を傾け彼らの役に立ちたいと強く思う女性です。
ハリーに対しても話を聞くことはできる、と共に向き合っていこうとします。そんなミリアムと共に生きていこうと決意したハリーでしたが、ミリアムにも全ては語らず一人で抱えようとするハリーは、自分のような思いをしてほしくないという思いから、息子のアランに対しても自身の経験は話さないつもりでした。
自身の苦しみを話そうとすることは、すなわちその苦しみと向き合うことでもあり、そう簡単にできることではありません。傷が深ければ深いほど大きな苦しみがつきまといます。
そんなハリーが息子に自身の体験について話すことの意味を、私たちは改めて考えなければいけません。ミリアムの元に帰ってきたハリーは冗談を言った後、ミリアムの手を握ります。
共に生きていくことは手を取り合うことであり、その普遍的な温もりが希望であること、その希望を奪うのが戦争であることを強く感じさせます。
まとめ
アウシュビッツを生き抜いた男の壮絶な真実と、その後の苦悩を描いた映画『アウシュヴィッツの生還者』。
本作はアウシュビッツでの壮絶な日々をモノクロで映し出し、その後のアメリカでの日々をカラーで映し出しています。そのような演出によって陰鬱で悍ましいナチスの残虐さ、死の香りが蔓延る収容所の異様な様子が際立ちます。
リングに立ち、同胞を殴り続けるハリーに、ナチスの親衛隊らは「ユダヤの野獣」と叫び、盛り上がります。その間で嬉しそうにしているシュナイダー。
シュナイダーはハリーを特別扱いしているつもりで、ハリーに親友と戦わせた後「お前に親友は俺だけでいい」と言います。ハリー自身はシュナイダーのペットでしかないと感じていました。よく躾けられた犬だと思っていたのです。
収容所でのハリーに対する同胞の目は厳しく、裏切り者を非難するような目で見られていました。それでも生きるためリングに立ち続けました。
しかしハリーは、ソ連軍がやってくるためドイツ軍が収容所の囚人を強制的に移動ださた「死の行列」の際に逃げ出します。ハリーを追ってきたシュナイダーに、殴りかかり銃を奪います。
「よくしてやっただろ」というシュナイダーにハリーは銃を打ち込みます。ハリーとシュナイダーの関係はシュナイダーが一方的に友人だと言っていますが、服従させる側と服従せざるを得ない立場であり、友人関係になることはあり得なかったはずです。
ハリーとシュナイダーの異様な関係は、『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』(2022)にも通じるところがあるのではないでしょうか。
収容所で行われていた凄惨な出来事を描くだけでなく、その後の癒えぬ傷を負いながらも新たな地で生きていこうとするハリーの姿には一筋の光が感じられることでしょう。