連載コラム『光の国からシンは来る?』第9回
庵野秀明と樋口真嗣がタッグを組み製作し、大ヒットを記録した映画『シン・ゴジラ』(2016)。
この『シン・ゴジラ』の成功を受け、庵野秀明監督は「シン」シリーズとして複数の作品を発表しました。
今回は2022年5月13日(金)に劇場公開された『シン・ウルトラマン』(2022)から、「シン」シリーズの前作『シン・ゴジラ』(2016)とのテイストの違いを比較検証していこうと思います。
CONTENTS
映画『シン・ウルトラマン』の作品情報
【日本公開】
2022年(日本映画)
【監督】
樋口真嗣
【企画・脚本】
庵野秀明
【製作】
塚越隆行、市川南
【作品概要】
鷺巣詩郎
【キャスト】
斎藤工、長澤まさみ、有岡大貴、早見あかり、田中哲司、西島秀俊、山本耕史、岩松了、長塚圭史、嶋田久作、益岡徹、山崎一、和田聰宏
【作品概要】
1966年にTBS・円谷プロダクションによって制作された特撮テレビドラマ『ウルトラマン』を、『のぼうの城』(2012)の樋口真嗣と「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明が共同でリブートした作品。
ドラマ『昼顔』で俳優として注目され、『blank13』(2018)などで監督としても活躍の場を広げた斎藤工が主演を務めたことでも話題となりました。
人類を脅かす「驚異」の対象の違い
『シン・ウルトラマン』と『シン・ゴジラ』という庵野秀明と樋口真嗣がタッグを組んだ両作では、作品のテイストや演出技法など多くの点が類似し、その類似点こそが作品の魅力ともなっています。
しかし「物語」にフォーカスを当てた時、2つの作品には似て非なる大きなポイントが存在するのです。
両作には地球を脅かす未知の生命体が登場し、政府関係者は地球を守るために未知の生命体と対峙することを余儀なくされます。
このように物語を大枠で見ると異なる点はありませんが、地球を脅かす「未知の生命体」に2つの作品のコンセプトを大きく分けることになる違いがありました。
「ゴジラ」で描かれた「自然災害」の恐怖
『シン・ゴジラ』の劇中において、ゴジラは学者によって「不可能」と断定された、現代科学では解明し得ない異常とも言える進化を繰り返しながら日本を蹂躙。
日本政府総力での武力行使も意に介さず、ゴジラは破壊を繰り返し、物語中盤では東京中心部に凄まじい被害をもたらすことになりました。
人知を遥かに越え予測困難な「怪獣」による被害は「自然災害」のメタファーとも言われており、作中におけるゴジラは行動を停止した後にも解明されない謎を多く残し、またいつ大きな被害をもたらすかが誰にも分からない「自然災害」の驚異を体現したかのような顛末を迎えます。
「未知の超進化生命体」であるゴジラには人間による説得や駆け引きが一切通じず、人間社会やそこに暮らす個人も一切合切意に介さない「破壊」の振る舞いは、理解が及ばない「自然災害」としての恐怖を完全に再現していました。
【ネタバレ注意】「知的生命体」がもたらす侵略と破壊
映画『シン・ウルトラマン』の序盤ではネロンガ・ガボラなど、一定の行動原理をもとに現れ人類に被害をもたらす「自然災害」としての「禍威獣(怪獣)」が多数登場。
この部分のみを切り取ると『シン・ゴジラ』と同様、『シン・ウルトラマン』で「未知の生命体」を通じて描かれているのは「自然災害」としての恐怖に思えますが、物語の中盤に差し掛かると様相が一変します。
物語の中盤、人間の言葉でコミュニケーション可能な「外星人」ことザラブが出現。日本国政府と友好的な関係を築き上げますが、その裏で人類絶滅の計画を練っていることが発覚。
さらにネロンガ・ガボラなどの「禍威獣」の出現、そしてザラブの出現も「外星人第0号」ことメフィラスによる計画の一部であったことが明らかとなり、地球を舞台にさまざまな思惑が交差していくとになります。
己の行動原理に従い行動していた禍威獣と異なり、ザラブやメフィラスは意図的に人々の思想を操作し、人類の滅亡や従属に向けた策略を実行に移しており、そこには強い「悪意」や「欲望」が存在しています。
多くの人が犠牲となる兵器を用いて「侵略」や「破壊」を行う、思考力や意思を持つ「知的生命体」だからこその恐怖が『シン・ウルトラマン』では描かれていました。
共通する人間の「罪(sin)」と償い
シリーズの全ての作品の題名に付く「シン」の意味について言及された庵野秀明は、その意味について「見る人それぞれの答えを感じてもらいたい」と回答しています。
リブートの意味を持つ「新」や、ゴジラを恐怖の対象として復活させた「真」の意味など、各作品における「シン」の意味はさまざまな場所で考察や議論が繰り返されています。
『シン・ゴジラ』ではゴジラは「自然災害」のメタファーとして登場する一方で、その存在は原子力による核兵器と放射能災害を生み出した人類の「罪(sin)」を裁く「神(シン)」と捉えることもできました。
同様に『シン・ウルトラマン』の終盤では、ウルトラマンと同じ「光の星」の民であり、地球の新たな監視者/裁定者に選ばれたゾーフィが出現。人類の行動を危険と捉え「廃棄処分」という名の人類滅亡の判定を下します。
その行動は「罪(sin)」を裁く「神(シン)」そのものであり、両作は「罪(sin)」と「神(シン)」の意味でもつながったシリーズなのだと言えます。
両作ともに「神」による裁きは人類が知恵や行動を合わせることで解決を果たしており、「罪」を作るのは人間でありながらも、作った「罪」を償えるのもまた人間のみであると言う庵野秀明のメッセージとコンセプトを感じさせてくれました。
まとめ
アニメ映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズの完結作となった『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)や、「仮面ライダー生誕50周年」として企画されている『シン・仮面ライダー』(2023)など作品の垣根を越えて広がり続ける「シン」シリーズ。
人類の「罪(sin)」や人間の知恵を遥かに越えた「神(シン)」の存在を登場させ、過去の作品をさらに奥深くリブートさせる庵野秀明の手腕とセンスが光るこのシリーズで次にどんな作品やメッセージを見せてくれるのか。
映画を観るドキドキやワクワク、そして映画鑑賞後の考察に対する楽しみが止まらない「映画」としての魅力が詰まった「シン」シリーズは、映画公開前の想像と期待を遥かに上回る異色の映画シリーズであると断言できます。