連載コラム「シネマダイバー推薦のNetflix映画おすすめ」第126回
命が宿った木製の操り人形ピノッキオが「人間」になろうと奮闘する、愛と冒険、そして悲哀の物語を描いたアニメーション映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』。
『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロが、ストップモーション・アニメーションの名匠マーク・グスタフソンとともに名作児童小説を映像化しました。
ディズニーが1940年に手がけたアニメーション映画『ピノキオ』に2022年のロバート・ゼメキスによる実写映画『ピノキオ』、“本当は怖い童話”テイストで描かれた『ほんとうのピノッキオ』(2019)など、幾度も映像化されている『ピノッキオの冒険』。
本記事ではネタバレを含むあらすじを紹介しつつ、コオロギのクリケットの体色が「青色」である理由、ピノッキオが「あるもの」を描き続ける理由などを考察・解説していきます。
【連載コラム】「Netflix映画おすすめ」記事一覧はこちら
CONTENTS
映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』の作品情報
【配信】
2022年(アメリカ映画)
【原題】
Guillermo del Toro’s Pinocchio
【原作】
カルロ・コッローディ
【監督】
ギレルモ・デル・トロ、マーク・グスタフソン
【脚本】
ギレルモ・デル・トロ、パトリック・マクヘイル
【キャスト】
ユアン・マクレガー、クリストフ・ヴァルツ、グレゴリー・マン、バーン・ゴーマン、ジョン・タトゥーロ、ロン・パールマン、フィン・ヴォルフハルト(フィン・ウルフハード)、ケイト・ブランシェット、ティム・ブレイク・ネルソン、クリストフ・ワルツ、ティルダ・スウィントン
【作品概要】
『シェイプ・オブ・ウォーター』のギレルモ・デル・トロが、ストップモーション・アニメーションの名匠マーク・グスタフソンとともにカルロ・コッローディの名作童話小説を映像化したアニメーション作品。
ピノッキオ役には新人グレゴリー・マンが抜擢され、コオロギのセバスチャン・J・クリケット役を『トレインスポッティング』(1996)のユアン・マクレガー、ゼペットじいさん役を「ハリー・ポッター」シリーズで知られるデヴィッド・ブラッドリーが演じる。
そのほかにも『ドクター・ストレンジ』(2017)のティルダ・スウィントン、『イングロリアス・バスターズ』(2009)のクリストフ・ヴァルツ、『ゴーストバスターズ アフターライフ』(2021)のフィン・ヴォルフハルト、『オーシャンズ8』(2018)のケイト・ブランシェット、『ドント・ルック・アップ』(2021)のロン・パールマンなどが出演する。
映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』のあらすじとネタバレ
1930年代のイタリア。職人として教会の十字架像の修復を続けていたゼペットは、10歳になる息子カルロと二人で仲睦まじく日々を過ごしていました。
しかし、二人が暮らす町とは別の町の爆撃を終えた戦闘機が、その荷を軽くするために偶然教会へ爆弾を落としていったことで、巻き込まれたカルロは幼くして亡くなってしまいました。
カルロが遺した松ぼっくりを地面に埋め、そこに墓標を建てるゼペット。悲しみに暮れ、仕事も手につかず酒に溺れる日々が続く中で松の木は成長していきました。
作家を自称する「物言うコオロギ」のセバスチャン・J・クリケットは、自身の回顧録を書き記すのふさわしい場所として、樹洞(木のウロ)がある松の木を自身の住処にしようとします。
松の木の前で息子カルロの死を嘆くゼペットを気の毒に思うクリケット。ところが「呪われた松で息子を取り戻す」と言い出したゼペットは、雷雨の中で突如松の木を切り始めます。
切り倒した松の木の丸太を家へ持ち帰ったゼペットは、男の子の姿を模した人形を乱暴に作り上げます。そして決して出来の良くない人形をあらかた作り終えると「明日仕上げる」と作業を中断し、そのまま寝てしまいます。
すると、作業机に放置された男の子の人形の前に、本来は滅多に人前に現れないはずの木の精霊が出現します。
「松の木の少年よ」「日の出とともに立ち上がり歩き始めなさい」「彼の息子となり日々を光で満たしなさい」「寂しくないように」……ゼペットを憐れんだ木の精霊は、彼に再び幸せをもたらすよう、人形に借りものの命を吹き込み「ピノッキオ」と命名します。
また松の木の「家主」と言い張るクリケットに、「ピノッキオを見守りいい子に導くという役目を果たしたら、どんな願いも一つ叶える」と告げる木の精霊。本の出版や名声・財産を欲したクリケットは、その役目を引き受けることにします。
翌朝、ゼペットは目を覚ましますが、作業机の置いていたはずの人形がありません。するとそこに、ぎこちなく、しかしひとりでに動き「ピノッキオ」と名乗る人形が現れます。
何にでも興味を示し、好き放題に動き、自身を「パパ」と呼ぶピノッキオに「お前は息子じゃない」と拒絶しながらも、強く出ることのできないゼペット。彼は教会の礼拝へ行くため、自宅で待つようピノッキオに命じますが、教会にも興味を持ったピノッキオは従うことなく、そのまま教会へと向かってしまいます。
教会にたどり着いたピノッキオは、「悪魔」と人々に蔑まされます。ゼペットはピノッキオをかばいますが、神父にまで「その穢れたものを持って出て行け」と言われた彼は教会を後にしました。
その日の晩、「誇り高きイタリア市民」を称するファシスト党の党員ポデスタは、父の意向に従う自身の息子キャンドルウィックを引き合いに出した上で、誰の言うことにも従わないピノッキオを学校へ通わせるようゼペットに命じます。
ゼペットが眠った後、ピノッキオは彼の亡くなった息子カルロについてクリケットに尋ねます。カルロの「死」をいまいち理解できないピノッキオに、クリケットは「子供の死は父親にとって重荷になる」「重荷とは人が背負う痛みであり、つらくても投げ出せない」と教えます。
十字架像の修復の仕事も再開したゼペットは、かつてカルロに贈った歴史の教科書をピノッキオに渡し、学校に通うことを提案。ピノッキオも「僕、カルロみたいになる」「自慢の息子になる」と答え、学校へと向かいます。
ところがピノッキオの前に、旅回りのカーニバル一座を率いる興行師ヴォルペと、彼の従者を務める猿のスパッツァトゥーラが現れます。スパッツァトゥーラによる操り人形ショーを主な演目とするヴォルペは、偶然訪れた町で暮らしている「生きている人形」の噂を嗅ぎつけたのです。
「輝くスターにしてやる」と訴えるヴォルペに当初は「学校に行く」と拒んだものの、ホットチョコなどのお菓子やゲームにアッサリ釣られてしまうピノッキオ。クリケットの忠告も届かず、彼はよくも分からずにヴォルペの契約書にサインしてしまいます。
ポデスタから「ピノッキオは学校に来ていない」と聞かされたゼペットは、ピノッキオを探すうちにカーニバル一座のテントへと行き着きます。そこにはステージ上で歌い踊り、「生きている人形」という見世物として子どもたちを喜ばせるピノッキオの姿がありました。
カルロの本を道端に放置し、学校にも行かなかったピノッキオに起こるゼペット。ピノッキオは言い訳をしますが、嘘をつくたびに木でできた鼻が伸び続けてしまいます。
そこにピノッキオを取り戻しにきたヴォルペも現れ、ヴォルペとゼペットはピノッキオの体を引っ張り合います。そのはずみで道路へ放り出されたピノッキオは、ポデスタが運転するトラックに轢かれてしまいます。
……冥界では、ピノッキオが眠る棺桶を青色のウサギたちが担ぎ運んでいました。ところがピノッキオは目を覚ましてしまったため、ウサギたちは自分たちの「ボス」の元に行くようピノッキオに促します。
ウサギたちの「ボス」は死の精霊であり、ピノッキオに命を吹き込んだ木の精霊の姉妹でした。
「お前は本当の意味では死ねない」「カルロのような本物の少年になれないということ」「人生に意味を与えるただ一つのもの」「それは儚さだ」……そう語りながら青色の砂が入った砂時計を見せた死の精霊は、ピノッキオはいくら死んでも本当には死ねないため何度も蘇るが、砂時計の砂が落ち切るまでは元の世界には戻れないと説明します。
砂時計の砂が落ち切り、元の世界へ送り返されるピノッキオ。息子の蘇生をゼペットは喜びますが、契約書を見せるヴォルペはピノッキオを自身のショーに出すか、違約金1000万リラを払うかを選べと詰め寄ります。
ポデスタまでも「この子は死なない、理想的な兵士」「少年兵として戦いを学び、本物のイタリアの少年になれ」と言い出す中、その場を後にする親子。ゼペットは戦争に行くのに乗り気なピノッキオに「戦争は楽しくない、よくないもの」と諭しながらも、人々を戦争に行かせる法律には従わなくてはならないと語ります。
やがて、結果的に父を苦境に追い詰めてしまったピノッキオに、ゼペットは「どうしてカルロのようになってくれない」「お前はとんでもない重荷だ」と思わず口にしてしまいます。
夜の寝室。ゼペットが眠った後、「パパが“重荷”と言った時、パパの鼻は伸びなかった」「重荷になりたくない」と呟くピノッキオ。
「父親も絶望することがあるんだよ」「一時の感情に任せて言ってしまうことも」「やがて気づく」「本気じゃないってことを」……クリケットは優しく教えてあげますが、ピノッキオは「ショーに出続ければ、パパを助けられるし戦争に行くのも避けられる」と考え、クリケットを置いて家を飛び出してしまいます。
映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』の感想と評価
『ピノッキオの冒険』と“地続き”のイタリア
イタリアの作家カルロ・コッローディが『あやつり人形の物語』として1881〜1882年に週刊誌で連載執筆した作品が改題され、のちに1883年に書籍が出版されたという経緯を持つ『ピノッキオの冒険』。
児童小説ながらも、その内容は非常に当時の社会・政治風刺に満ちていたことは、ピノッキオというキャラクターの知名度を飛躍的に上げたディズニー・アニメーション映画『ピノキオ』(1940)ですらも抜き切れなかった原作の「毒」の匂いからも窺うことができます。
18世紀に起こったイタリア統一運動の成果として1861年にイタリア王国が建国されたものの、第一次世界大戦まで統合が難航した「未回収のイタリア」、国外から流入してきた産業文明による国内産業の急速な変化など、当時のイタリアを「人々が力に従わされ、縛られる地」として見つめていたコッローディ。
ピノッキオが周囲の人々の言うことを聞かないのも、彼を通じて「子どもらしい子ども」と同時に、「従われることも縛られることも拒む自由な人間の姿」を描いたためであり、そうしたコッローディが「操られることを拒む操り人形」に込めた意図は、『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』でも反映されています。
コッローディが『ピノッキオの冒険』を執筆した18世紀後半のイタリアが抱えていた国際情勢上の問題が遠因となり、「講和での敗戦国」とまで言われ「損なわれた勝利」を得た第一次世界大戦、そしてムッソリーニらが掲げたファシズムの国内での支持をもたらした……。
映画の時代設定「ファシズムが支配する1930年代のイタリア」は、コッローディが風刺によって描こうとした18世紀後半のイタリアと「地続き」のイタリアであり、映画は原作の意図を汲んだ上で「どれだけ時代が経とうとも、子どもたち、ひいては人間を従わせ、縛ろうとするものは常に存在する」と伝えようとしたといえます。
“青色”のコオロギ・クリケットは“死”を教える
「ピノッキオを見守りいい子に導くという役目を果たしたら、どんな願いも一つ叶える」という木の精霊との約束のもと、過ちに対する忠告も含め、ピノッキオに多くの事柄を教えてゆくコオロギのクリケット。
彼の体色は「青色」で描かれていますが、映画では同じく「青色」で彩られたキャラクターが複数登場します。それは、冥界で死者の眠る棺桶を運ぶウサギたち、そして木の精霊と死の精霊の姉妹です。
「この世のものでないもの」「死を知るもの」を象徴するキャラクターたちと同じ青色を持つクリケット。彼もまた「死を知るもの」を象徴するキャラクターであるのは、ピノッキオに初めてカルロの死、そして「死」とは何かを教えた存在であることはもちろん、映画ラストで描かれた冥界でのウサギたちとの仲の良さ……「死後のクリケットは冥界で働き始め、ウサギたちは同僚となった」という想像すらもできてしまう関係性からも窺えます。
クリケットの死後、ピノッキオは彼の亡骸をマッチ箱に入れ、自身の胸の位置にある樹洞へと安置した上で、日々を過ごすようになりました。
「死を知るもの」であるクリケットを胸という「心」を連想させる部位へとしまい、日々を過ごす……それは、決して死を忘れぬよう心の内に死を抱き続ける行為であり、キリスト教に関する宗教芸術でモチーフとして描かれてきた「メメント・モリ(mement mori)」をなぞらえた行為と捉えることができます。
同じ「木製」であるイエス・キリストの十字架像に興味を持ち、作中ではキリスト同様に十字架に磔にされる姿が描かれていたピノッキオ。そもそも「何度も死ぬが、死ぬことができず元の世界へ戻る」という設定自体も、当時イタリア国内で強権化が進んでいたキリスト教会への批判も含まれた原作小説、何よりもイエスの復活の物語をなぞらえた設定といえます。
自己犠牲の果てに命を落としたことで初めて「本物の人間」となったが、再び手にしてしまった永遠の命によって、愛する者たち全員の死を看取り、やがて「冒険」へと旅立つ……その悲哀を拭い切れない結末も、映画の「愚者が聖者へと至る物語」あるいは「生まれながらの罰とともに生きる愚者の物語」としての側面を観る者に感じさせます。
まとめ/ピノッキオはなぜ「太陽」を描くのか
参考映像(映画メイキング):
『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ:手彫りの映画、その舞台裏』
ヴォルペの契約書にサインする場面、父ゼペットを金銭的に助けるべく家を去る際に置き手紙を書く場面にて、ピノッキオは「太陽」の絵を描いています。この二つの場面を比較すると、ピノッキオは太陽の絵を「自分自身」または「自分がしたいこと」と認識しているのではと想像することができます。
ピノッキオにとって「自分自身」「自分がしたいこと」を意味する太陽。彼がそう考える理由は、借りものの命を木彫りの人形に吹き込んだ木の精霊が作中で語っています。
「松の木の少年よ」「日の出とともに立ち上がり歩き始めなさい」「彼(ゼペット)の息子となり日々を光で満たしなさい」「寂しくないように」……世界を光で満たす太陽とともに、太陽と同じようにゼペットの人生を光で満たすために生まれたピノッキオが、太陽に「自分自身」「自分がしたいこと」という二つの意味を見出すのは自然なことといえます。
そもそも、ピノッキオの肉体は「松の木」で形作られています。太陽の光によってもたらされる光合成なくしては生きられなかった松の木であったピノッキオは、無意識ではあるものの「太陽がなくては命は生きていけない」ということを誰よりも理解していたのかもしれません。
【連載コラム】「Netflix映画おすすめ」記事一覧はこちら
ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。