連載コラム『光の国からシンは来る?』第15回
1966年に放送され、2021年現在まで人々に愛され続けてきた特撮テレビドラマ『空想特撮シリーズ ウルトラマン』(以下『ウルトラマン』)を基に描いた「空想特撮映画」こと『シン・ウルトラマン』。
2022年5月13日に劇場公開を迎えた本作ですが、ついに同年の11月18日、Amazon Prime Videoでの独占配信を迎えました。
本記事では、SNSをはじめネット上で見受けられる、『シン・ウルトラマン』を観た人々の賛否両論の感想について改めて注目。
「愛が詰め込まれた映画」と高評価が反転したかのような否定的な意見から見えてくる、映画が持つ「ヒント」としての役割を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『シン・ウルトラマン』の作品情報
【日本公開】
2022年(日本映画)
【監督】
樋口真嗣
【脚本・総監修】
庵野秀明
【製作】
塚越隆行、市川南
【音楽】
鷺巣詩郎
【キャスト】
斎藤工、長澤まさみ、有岡大貴、早見あかり、田中哲司、西島秀俊、山本耕史、岩松了、長塚圭史、嶋田久作、益岡徹、山崎一、和田聰宏
映画『シン・ウルトラマン』を賛否両論の感想から考察・解説!
「ただのファンムービー」という感想から見えるもの
2022年5月13日に劇場公開を迎え、同年11月18日にAmazon Prime Videoでの独占配信を迎えた映画『シン・ウルトラマン』。映画の鑑賞方法が増えたことで、SNSはじめネットでは本作を観た人々の感想がより増え続けています。
そこでは、作品への高評価や肯定的な意見が見られる一方で、中には否定的な意見、あるいはハッキリと「つまらない」「面白くない」と断言する感想も。「賛否両論」という様相のネット上での『シン・ウルトラマン』の評価ですが、本作への否定的な意見の中で最も印象的だったのは、「ただのファンムービー」という意味合いの言葉です。
「オタクが金をかけて作ったファンムービー」「オタクしか喜ばない映画」……「庵野秀明と樋口真嗣のタッグをはじめ、製作陣のウルトラマンへの愛が詰まった映画」という高評価がそのまま反転してしまったかのような感想です。
それらの感想は、『シン・ウルトラマン』の脚本・総監修を務めた庵野秀明が「DAICON FILM」の自主制作映画『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(1983)にてウルトラマン役を演じ、同作はまさしく「ファンムービー」であったからこそ、よりイメージがしやすく言語化のされやすい「否」だったのかもしれません。
「あなたの好きなウルトラマン」を思い出すために
しかしながら上記の通り、その「否」は同時に「製作陣のウルトラマンへの愛が詰まった映画」という「賛」にも反転することを忘れてはいけません。
そもそも「愛」という現象とは、人・物を問わず特定のある対象へ、それ以外の一切よりも多くの感情を向けられることでもあるはずです。そこには向けられる感情の量・質における「偏り」が必ずと言っていいほど生じ、愛の一つのあり様を表現した「偏愛」は、その証となる言葉といえます。
またウルトラマンという存在も「偏愛」されていることも、ある質問によって証明することができます。それは「あなたが好きなウルトラマンは?」という問いです。
1966年の『ウルトラマン』から始まった、これまでのシリーズ作品のどれかを観たことがあるという方にこの問いを投げかけた時、その答えと理由は十人十色。一人一人が違うものとなるはずです。
子どもの頃リアルタイムでテレビ放送されていて観ていた、あのウルトラマン。リアルタイムでは観れなかったけれど今では一番好きな、あのウルトラマン。「このウルトラマンが好きなんだよ」と語る親が観せてくれた、あのウルトラマン。子どもに付き合って一緒に観るうちに感動してしまった、あのウルトラマン。リブート版として作られた映画で初めて観た、あのウルトラマン……。
その時代や場所、何より出会い方によって、人々の心の中に「あなたが好きなウルトラマン」が数え切れないほど存在する。それは同時に、これまで様々な作品の中で描かれ続けてきたウルトラマンが、数十年にわたって蓄積されてきた無数の、しかしどれも形が違う「偏愛」によって構成されているということでもあります。
『シン・ウルトラマン』はなぜ、特撮テレビドラマ『ウルトラマン』や他シリーズ作品のオマージュというありったけの偏愛が詰め込まれ、「製作陣のウルトラマンへの愛が詰まった映画」と「ただのファンムービー」という賛否両論を生み出す映画となったのか。
そこには、本作が「ウルトラマンへの愛」を調べるための試験紙となることで、映画を観た人々が自己の内にある「自分が好きなウルトラマン」という偏愛……人それぞれの「ウルトラマン」の原点を気づいてもらいたい、という意図があったのかもしれません。
まとめ/「人の間」で生まれ、愛されるアイデンティティ
『シン・ウルトラマン』作中では、人間と同じかそれ以上に人間という群の可能性を信じ、その上で自己は人間とどう関係するべきなのかを探り続けていた「ウルトラマン」ことリピア。
彼が「ウルトラマン」としての自己を見出したのも、神永との出会いに始まる多くの人間や外星人との関係性によるものであり、ウルトラマンはリピアにとって「人の間」に在るがゆえに生まれた自己といえます。
人々の心の中に「自分の好きなウルトラマン」が存在し、人々は「自分の好きなウルトラマン」を愛し続ける……それもまた、『ウルトラマン』とそのシリーズ作品が持つアイデンティティの一側面=「人の間」で生まれた自己といえるかもしれません。
そして『シン・ウルトラマン』は、作中でリピアが禍特対の人々に託したUSBメモリのように、あくまでも「答え」ではなく、映画を観た人々がそれぞれの「偏愛」の原点に立ち返るための「ヒント」となる作品なのでしょう。