連載コラム『光の国からシンは来る?』第10回
1966年に放送され2021年現在まで人々に愛され続けてきた特撮テレビドラマ『空想特撮シリーズ ウルトラマン』(以下『ウルトラマン』)をリブートした「空想特撮映画」こと『シン・ウルトラマン』。
2022年5月13日(金)に劇場公開を迎えたのち、同年11月18日からはAmazon Prime Videoでの独占配信が開始されました。
本記事では、予告編での初登場時点から山本耕史の怪演によって強烈な存在感を放ち、「メフィラス構文」でも話題となった「外星人第0号」ことメフィラスをピックアップ。
メフィラスの策略の根幹にある、同じく特報・予告編に登場していた書籍『野生の思考』とは対極の論理。そして本作が主人公・神永とウルトラマン自身を通じて模索しようとした、ウルトラマンという物語が長年抱える「ある問題」について考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『シン・ウルトラマン』の作品情報
【日本公開】
2022年(日本映画)
【監督】
樋口真嗣
【企画・脚本】
庵野秀明
【製作】
塚越隆行、市川南
【音楽】
鷺巣詩郎
【キャスト】
斎藤工、長澤まさみ、有岡大貴、早見あかり、田中哲司、西島秀俊、山本耕史、岩松了、長塚圭史、嶋田久作、益岡徹、山崎一、和田聰宏
映画『シン・ウルトラマン』メフィラス考察・解説
「悪質宇宙人」としてのメフィラスは健在
外星人ザラブとの一件後、禍特対の分析官・浅見弘子(長澤まさみ)を巨大化させて街中で暴れさせるというデモンストレーションを行なったのち、禍特対の面々の前に出現した「特命全権大使」にして「外星人第0号」のメフィラス(山本耕史)。
やがて、主人公・神永新二(斎藤工)がウルトラマンの姿へと変身する際に用いる「ベーターシステム」の原理が利用されている生体の巨大化装置「ベーターボックス」を活用した「人類の巨大化による対敵性外星人からの自衛計画」を日本政府に提案します。
メフィラス星人が初登場したテレビドラマ『ウルトラマン』の第33話「禁じられた言葉」にて描かれたフジ隊員の巨大化シーンのオマージュはもちろん、「悪質宇宙人」ことメフィラス星人の慇懃無礼さは『シン・ウルトラマン』でも健在。
特に「メフィラス構文」としても有名になった、地球の言語を流暢に話しながら「私の好きな言葉です」とその言語を褒める様は、無知の人々が持つ文化への賞賛を足がかりにその心へ取り入ろうとする「詐欺師」の話術といえます。
『野生の思考』の対極にあるメフィラスの策略
立て続けの禍威獣の出現は、地球に放置されていた生物兵器をウルトラマンをおびき出すための罠」として使用した結果であり、ザラブの一件も「ウルトラマンを含む外星人の脅威を人類に提示するため」という狙いのもと、禍威獣同様に「現地調達」した一部に過ぎなかったとのちに語るメフィラス。
そして自身の真の目的が、「暴力でも知恵でも、外星人には無条件に従うしかない」と人類に知らしめることであり、人類はベーターシステムによって強力無比な兵器に転用できる有効資源であるがゆえに、他の知的生命体に荒らされる前に、地球を独占管理しようと考えたためであったと「ウルトラマン」こと神永に明かしたのです。
「絶対的な屈服による支配」とも評すべき、メフィラスの策略。それは『シン・ウルトラマン』特報・予告編にも登場したクロード・レヴィ=ストロース著『野生の思考』の対極ともいえる論理に基づいて練られた策略といえます。
植民地主義と「依存」の侵略の正当化
「構造主義の生みの親」とされるレヴィ=ストロースの代表的な著作『野生の思考』は、当時のヨーロッパ圏における自民族・西洋中心主義への自己批判をした上で、当時のヨーロッパ圏では「未開人」と称されていた人々からも見出すことができた普遍的な思考「野生の思考」の存在を提唱しました。
「野生の思考」とは、効率性や概念に重きを置くヨーロッパ圏の「科学的思考」とは別に独立した形で存在する人類の普遍的思考であり、トーテミズム(人間集団がある特定の動植物=トーテムと特別な関係を持つと捉える信仰)にも見受けられるように、自己と他者/自然物との「関係」を具体的な「記号」を用い「象徴」として表現することで、現象/事物を認識しようとする思考を指しています。
テレビドラマ『ウルトラマン』の場合も、「ウルトラマン」という記号を「地球の人類の平和のために戦う地球外生命体」という象徴として据えた上で、「他者」であるウルトラマンとの関係性を通じて人類が自分たちの課題の再考・解決を目指そうとする=「自己」の在り方を認識するという構造で物語で捉えることができます。
その構造が最も色濃く現れているのが、ウルトラマンが敗れた怪獣ゼットンを人類の力で打倒する最終回「さらばウルトラマン」であり、だからこそ『シン・ウルトラマン』の最後にも「ウルトラマンと人類の“自立”した関係性」を提示するための記号として往年の最強怪獣・ゼットンが登場したのでしょう。
対して『シン・ウルトラマン』のメフィラスは圧倒的な科学技術を提供し、一見すれば自衛を通じて地球人類の「自立」を促しているように振舞います。しかし実際は超技術を通じて地球人類を自身へ「依存」=「服従」させ、他の外星人との地球の人的資源争奪戦が勃発する前に地球を自身の母星にとっての「属星」にすることが真の目的でした。
そしてその目的や手段を「地球にとってベストな選択」と評するメフィラスから透けて見えるのは、レヴィ=ストロースが自己批判したヨーロッパ圏における自民族・西洋中心主義とも深くつながっている、かつての19世紀後半における欧米列強の植民地主義。
「植民者は被植民者より優れており、植民地支配は被支配国の近代化に不可欠な経済・政治の発展につながるため、被植民者にとっても利益になる」「文明の劣った植民地に近代文明を伝来することが、先進国としての責務」……そうした侵略の正当化の論理が、メフィラスの策略の根幹にあるのです。
まとめ/「真実と正義と美の化身」への依存
居酒屋での場面にてメフィラスは、自身の策略が完遂へと向かった要因にはウルトラマンの存在があり、「人類のウルトラマンという力への依存」が日本政府との密約を実現させたことにも言及します。
「人類のウルトラマンという力への依存」という問題は、『ウルトラマン』の第37話「小さな英雄」などをはじめ、ウルトラマンが登場するすべての多くの物語で触れられてきたものでもあります。
「他者のために自身を犠牲にした、興味深い人間」である神永新二と融合したウルトラマンもまた、神永や多くの地球上の書物を通じて、メフィラスに指摘される前からその問題に気づいていたと考えることができます。そしてその上で、「侵略の正当化」のためだけにメフィラスが利用した人類とウルトラマンの「依存」の関係性を否定し、「人類の自立ありき」という本来あるべき関係性への到達に向け模索を続けます。
その模索の果てに辿り着いた結果こそが『シン・ウルトラマン』終盤での対ゼットン戦の展開であり、人類と対等な関係性であろうとしたウルトラマンの答えでもあります。
また何よりも忘れてはならないのは、本作における人類とウルトラマンの対等な関係性の模索と提示は、「関係性の依存」が蔓延する現代日本の社会を生きる人々、そして長年のシリーズ継続を通じ「ウルトラマンの神格化」という対等とは程遠い関係性を築いてきたウルトラマンを知る人々への問いでもあるということです。
なぜ『シン・ウルトラマン』は、「真実と正義と美の化身」としてのウルトラマンを徹底的に映像化しようとしたのか。そこには、映画作中にてウルトラマンへの依存からの「再」脱却を描きたかったからという理由も含まれていたのかもしれません。
次回の『光の国からシンは来る?』もお楽しみに!
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。
2021年にはポッドキャスト番組「こんじゅりのシネマストリーマー」にサブMCとして出演(@youzo_kawai)。