連載コラム『仮面の男の名はシン』第8回
『シン・ゴジラ』『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『シン・ウルトラマン』に続く新たな“シン”映画『シン・仮面ライダー』。
原作・石ノ森章太郎の特撮テレビドラマ『仮面ライダー』(1971〜1973)及び関連作品群を基に、庵野秀明が監督・脚本を手がけた作品です。
本記事では、映画『シン・仮面ライダー』の“賛否両論”な感想・評価とその要因についてクローズアップ。
アクションシーンの評価から受け取れる“続編”への期待の高まり、そして「シン・シリーズ史上“最濃”の情報量の映画」という評価が思い出させるシン・シリーズ最大のテーマとシリーズ第1作の“あのセリフ”を考察・解説します。
CONTENTS
映画『シン・仮面ライダー』の作品情報
【公開】
2023年(日本映画)
【原作】
石ノ森章太郎
【脚本・監督】
庵野秀明
【キャスト】
池松壮亮、浜辺美波、柄本佑、西野七瀬、本郷奏多、塚本晋也、手塚とおる、松尾スズキ、仲村トオル、安田顕、市川実日子、松坂桃李、大森南朋、竹野内豊、斎藤工、森山未來
【作品概要】
1971年4月に第1作目『仮面ライダー』の放送が開始され、今年2021年で50周年を迎える「仮面ライダー」シリーズの生誕50周年作品として企画された映画作品。
脚本・監督は『シン・ゴジラ』(2016)と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)にて総監督を、『シン・ウルトラマン』(2022)にて脚本・総監修を務めた庵野秀明。
主人公の本郷猛/仮面ライダーを池松壮亮、ヒロイン・緑川ルリ子を浜辺美波、一文字隼人/仮面ライダー第2号を柄本佑が演じる。
映画『シン・仮面ライダー』賛否両論の理由を考察・解説!
シン・シリーズ史上“最濃”の情報量への困惑
2023年3月の劇場公開以来、シン・シリーズの前作にあたる『シン・ウルトラマン』(2022)以上にネット上での感想・評価は“賛否両論”となっている『シン・仮面ライダー』。
その“否”の理由の一つと見られるのが、「物語が分かりにくい」「あまりにも設定・物語が凝縮され過ぎていて、映画についていけない」というものでした。
実際、シリーズ前作『シン・ウルトラマン』の“元ネタ”となったテレビドラマ『ウルトラマン』のエピソードは、ネロンガ、ガボラ、ザラブ星人、メフィラス星人、ゼットンがそれぞれ登場した最終回を含む計5話であり、映画はそれらを再構成する形で物語を描いていました。
対して『シン・仮面ライダー』の“元ネタ”となったテレビドラマ『仮面ライダー』のエピソードは、蜘蛛男、蝙蝠男、さそり男、かまきり男、死神カメレオン、蜂女、ドクガンダー(チョウオーグの元ネタの一つ、前後編)、そしてショッカーライダー(前中後編)の計11話(名称のみの登場だったコブラオーグの“元ネタ”コブラ男は除く)。
さらに石ノ森漫画版や「仮面ライダー第0号」の“元ネタ”とされる平山亨の短編小説における設定・エピソード、石ノ森章太郎原作の他テレビドラマ作品の設定も盛り込まれたことから、『シン・仮面ライダー』はシン・シリーズにおいて最も情報量の密度が高い作品なのかもしれません。
“魂(プラーナ)”で理解し体感できる“熱量”
また『シン・仮面ライダー』は121分という尺へと収める上で、あえてカットをせざる得なくなった設定・描写なども生まれ、それを補完するための物語として「仮面ライダー第0号」緑川イチロー/チョウオーグの視点でSHOCKER
を描いたスピンオフ漫画が作られたことも否定できないでしょう。
しかしながら、「シン・シリーズ史上“最濃”の情報量」「スピンオフ漫画での回収をせざるを得ないほどの情報量」という評価は、同時に『シン・仮面ライダー』が「シン・シリーズ史上、監督・脚本を務めた庵野秀明の“原作”への愛が最も満ち満ちた作品」であることの証明でもあります。
そして『シン・仮面ライダー』を観た多くの方が、その膨大で密度の高い情報量に戸惑いを隠せなかった一方で、たとえテレビドラマ版や関連作品群を事前に観ていなかったとしても“魂(プラーナ)”で理解できてしまう作品の圧倒的な“熱量”を体感できたであろうことは、決して否定できないはずです。
“さらなる激闘を”という続編への期待
また“設定・物語”という観点とは別に、ネット上で見受けられた“否”の評価の中には「アクションシーンが物足りなかった」というものもありました。
映画序盤、本郷/仮面ライダーとクモオーグ配下の戦闘員たちとのショッキングな戦闘シーンが、そしてテレビドラマ『仮面ライダー』の第1話「怪奇蜘蛛男」へのオマージュが最大限に込められたクモオーグ戦が描かれた『シン・仮面ライダー』。
しかしながら、クモオーグ戦後は“原作”設定と映画オリジナル設定を織り交ぜたオーグとの戦闘が中心となったこと、前述でも触れたように作中で登場するオーグの数が多かったことは、結果として「映画本編内におけるアクションシーンが短く/少なく感じられた」という評価を生んだ要因の一部なのかもしれません。
その一方で、映画作中における各戦闘シーンは本郷ならびに一文字/仮面ライダー第2号の心身の在り様を描く表現でもあったこと……シン・シリーズの「人々の心を育んできた名作/名キャラクターの魅力の再考と再発信」というテーマに基づく「仮面ライダーは誰のために、何のために戦い続けるのか?」への答えを模索する表現であったことは否定できません。
また「アクションシーンが物足りなかった」という評価は、言い換えれば「もっとアクションシーンを観たい!」という期待……ひいては「今後あるかもしれない続編では、仮面ライダーたちとオーグによる“さらなる激闘”を観たい!」という期待の表れとも捉えられるのです。
まとめ/庵野秀明の“好き”に立ち向かう
「シン・シリーズ史上“最濃”の情報量」「スピンオフ漫画での回収をせざるを得ないほどの情報量」という特徴ゆえの“賛否両論”の評価から見えてくる「シン・シリーズ史上、監督・脚本を務めた庵野秀明の“原作”への愛が最も満ち満ちた作品」としての『シン・仮面ライダー』。
本作のそうした特徴は、シン・シリーズのテーマが「人々の心を育んできた名作/名キャラクターの魅力の再考と再発信」のみならず、「庵野秀明をはじめとする製作陣が“原作愛”の一つの形を提示することで生まれる、原作を愛してきた人々による自身の“愛”の再考」でもあることを改めて実感させられます。
「私は好きにした、君らも好きにしろ」……シン・シリーズ第1作『シン・ゴジラ』(2016)の時点で“予告”していた通り、シン・シリーズの核を担う庵野秀明の“好き”の追求は『シン・仮面ライダー』で一つの頂点に至ったのかもしれません。
そして、映画を通じて庵野秀明の“好き”を見せつけられたことで、人々が自身の“好き”と向き合おうとしている過程こそが、『シン・仮面ライダー』の“賛否両論”という愛に満ち満ちた現状なのでしょう。
ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。