連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」第21回
過去に世界を席巻した、悪名高い映画まで紹介する「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」。第21回は伝説のドキュメンタリー(?)映画『世界残酷物語』。
世界各地の奇習・風習を記録した映画。しかしヤラセにしか見えない映像や、どう考えても根拠に欠ける主張も登場。その怪しさが人を引き付け、世界的大ヒットを記録します。
この成功から同様の作品が誕生します。それらは”モンド映画”(本作の原題”Mondo cane”に由来)や”ショックメンタリー”とも呼ばれた、時代を代表する映画ジャンルに育ちました。
映画の歴史の裏面である、低俗・悪趣味映画について語る時に欠かせない作品が復活しました。
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CONTENTS
映画『世界残酷物語』の作品情報
【製作】
1962年(イタリア映画)
【原題】
Mondo cane
【監督】
グァルティエロ・ヤコペッティ、パオロ・カヴァラ、フランコ・プロスペリ
【脚本】
グァルティエロ・ヤコペッティ、パオロ・カヴァラ
【撮影】
アントニオ・クリマーティ、ベニート・フラッタリ
【作品概要】
全世界に衝撃を与えた”残酷シリーズ”の第1作であり、”モンド映画”のジャンルを確立した異色ドキュメンタリー映画。
ヤコペッティ監督の名を映画史に刻んだ本作は、悪趣味映画を愛する者の古典であり、当時の風俗と時代の空気を今に教えてくれる貴重な作品です。
堅苦しく考えず、珍妙な部分を探して楽しむ事も可能な作品です。ただし油断していると、突然衝撃的な場面が襲ってくるのでご注意を。
リズ・オルトラーニが手掛けた主題曲「モア」は、1964年のアカデミー歌曲賞にノミネートされ、今も記憶される名曲として知られています。
映画『世界残酷物語』のあらすじとネタバレ
人間の都合により様々な扱いを受ける犬。画面には人間に引きずられ、野犬収容所の檻に放り込まれる怯えた犬の姿が登場します。
本作の原題”Mondo cane”は、英題の”A Dog’s World”と同様「犬の世界」の意味を持っています。
タイトルの後にナレーションが流れます。この映画の中の出来事は全て事実である。ショッキングであっても、それはこの世界で現実に起きているのである。
それを客観的に伝えるのが、我々ジャーナリストの使命である。と宣言して映画は始まります。
サイレント映画時代に活躍した俳優ルドルフ・ヴァレンティノ。彼の故郷イタリア、カステッラネータの住民は、1926年に若くして死んだスターを偲び集まります。
近親婚の多い当地では、偉大な銀幕俳優に似た容姿の若者が多数います。第2のヴァレンティノを探す映画業界のスカウトは、若者たちの中から、未来のスターを発見できるのか。
同じくアメリカのNY。イタリア人俳優ロッサノ・ブラッツィ(『裸足の伯爵夫人』(1954)や『旅情』(1955)などに出演)はデパートを訪れます。
するとサイン目当ての夫人たちが殺到、彼女たちは彼の衣服を脱がせます。なぜかその光景をバッチリ捉えているカメラ。
一方ニューギニアの東、トロブリアンド諸島のキリウィナ島。豊かな自然の恵みのお陰で、人々は働く必要はありません。
この島の女性たちに人気のスポーツは”男狩り”。捕まった男性は、女性たちの健全かつ自然な欲求に応えねばなりません。
フランスのリヴィエラ、コート・ダジュールでは停泊する米海軍巡洋艦の水兵を、ビキニ姿の女性が挑発しています。
そんな光景が繰り広げられる一方で、次に登場したのは子豚に自分の母乳を与える、ニューギニアのチンブー族の女性。
彼女は豚を育てるために、自分の子を殺されました。山岳地帯に住む彼らは、飢餓と隣り合わせの生活をしており、過去には人肉を食べていたそうです。
彼らは5年ごとに行われる祭に集まります。その3日間の祝祭で大切に育てた豚を撲殺し、腹一杯食べるとまた飢えの生活に戻ります。
焼かれれ解体された豚の肉は人々に、そして飼い犬にも振る舞われます。それは単に、酋長の飼い犬との理由かもしれません。
ロサンゼルス郊外のパサデナのペット墓地に集まる多くの人々。
犬だけでなくネズミ、鳥なども埋葬され、ジェリー・ルイスなどハリウッドの著名人のペットが埋葬されています。
人間たちの哀しみは、彼らが同伴するペットたちには、全く理解できないでしょう。
台湾の台北の料理店では、犬たちが食べられています。客が籠の中の犬を選んで注文すれば、店主は手際よく解体し料理にしてくれます。
犬料理は中国全土で人気で、様々な犬種が食べられますが、一番人気はチャウチャウです。
ローマではイースターが近づくと、何百ものヒヨコに様々な色が塗られます。オーブンに入れられ乾かされるカラーヒヨコたち。
選別を済ますと、イースターエッグに閉じ込められ販売されますが、ヒヨコの70%は卵の中で死ぬと言います。
フランスのストラスブールはフォアグラの産地。50万羽以上のガチョウが飼育されています。
肝臓を肥大化させるために、機械でエサを飲み込まさせられるガチョウたち。
かつて彼らの足は動けないよう固定されていましたが、今は狭いケージに押し込められています。
東京から200マイル離れた農場では、神戸牛と呼ばれる牛を育てるため多くの人が牛をマッサージを施し、菊正宗と書かれた木箱から日本製ビールを取り出し飲ませていました。
この最上級の牛肉は、東京とNYの3つか4つのレストランでしか食べることができません。
ビスマルク諸島のタバールでは、最も美しい娘たちがフォアグラ農場のガチョウのように閉じ込められ、大量のタピオカが与え120㎏以上になるまで太らされます。
こうして太った女性は、島の独裁者の配偶者になります。120㎏以上の複数の妻と合計27人の子を持つ、偉大な独裁者自身は34㎏しかありません。
ロサンゼルスのスポーツジムでは、太り過ぎた未亡人がダイエットに励みます。無論目当ては再婚相手の獲得です。
多くの人々が住む香港では、ワニ、カエル、ヘビ、トカゲと、あらゆる種類の動物が食材として売られていました。
一方NYの洗練されたレストランでは、高級食材として様々な虫などが提供されています。常連客は上流階級の者ばかり。
ここでは軽い朝食でも20ドルはかかります。様々な虫を食する正装した男女たち。
シンガポールに住むマレーシア人にはヘビが国民食です。市場では選んだヘビをその場でさばいて持ち帰ることも、調理して食べることも可能です。
イタリアのアブルッツォ州の小さな村コックロでは、聖ドメニコ像に生きた蛇を巻き付けて練り歩く、奇祭「蛇祭り」が行われます。
同じくイタリアのカラブリア州ノチェーラテリネーゼでは、聖金曜日に伝統的な苦行を行う人々がいました。
それはガラス片の入ったコルクで自らの体を叩き、傷付ける行為です。警察と司教は危険な行為を止めさせようとしますが、人々は従いません。
何世紀にも渡って行われているこの儀式、バテッティの起源は不明ですが、キリスト教信者の鞭打ち同様に信者を高揚させる行為です。
オーストラリアのシドニーで行進する、セーバーズガール協会所属のライフセイバーの女性たち。
砂浜に集まった彼女たちの海難救助のデモンストレーションで、溺者役の男性を救助します。
実に興味深いのは、口移しで息を吹き込む心肺蘇生法で、施された男性には有益な体験でした。
波間に白い蝶の群れが死骸となり、列になって浮いています。これは海を渡る際に核実験場となったビキニ環礁から発する、放射能で殺されたものです。
島に棲息する鳥も放射能の影響で生態を変えざるを得なくなりました。同様に汚れた海を嫌い、木の上で暮らし始めたハゼ科の魚。
ビキニ環礁に暮らす海鳥の卵の多くから、ヒナが誕生することはありません。
産卵のため砂浜に上がったウミガメの方向感覚は、放射能の影響で狂っていました。
その結果、ウミガメは内陸へと進み海に帰ることができません。いつの間にかひっくり返ったウミガメは、やがて力尽き息絶えます。
何百ものウミガメが毎日死に、その骸が残されます。骨格を巣にするようになる海鳥たち。
同じ海でもマレーシアには、人々が亡き人を水葬にする海底墓地があり、無数の骸骨が眠っています。その結果サメは人肉の味を覚え、人を襲うようになりました。
サメのヒレは中国人に媚薬として珍重されています。漁師たちはサメを捕獲しヒレを取って乾燥させます。危険な漁で多くの漁師が手足を失います。
それでもサメ漁に出る漁師たち。しかしある日、1人の少年がサメの餌食となったことで、彼らの怒りは爆発しました。
漁師たちは復讐のため、捕らえたサメの口に毒のあるウニを詰め込み、海に放します。サメは海中で1週間はもがき苦しみ、そして死ぬのです。
映画『世界残酷物語』の感想と評価
参考映像:『世界残酷物語』主題曲「モア」(2014)
トンデモない映画です。本作を高く評価している方も、これを学術的ドキュメンタリー映画だ、映画が冒頭で語るジャーナリストの使命を果たした作品だと、信じる方はどこにもいません。
しかし本作はカンヌ国際映画祭に出品、イタリア映画界最高のダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、プロダクション賞を受賞します。
そして主題曲「モア」のアカデミー賞にノミネートされます。この曲は昭和の時代には商業施設やテーマパークなど、あらゆる場所で流れていたと記憶している方も多いでしょう。
“モンド映画”というジャンルを生んだ伝説の作品です。これ以降登場するより俗悪・商業的な作品よりも、作家性が強く出た原点にして傑作だと、多くの信者を持つ作品です。
ネタ映画としてこき下ろして楽しむ人もいれば、グァルティエロ・ヤコペッティ監督をまるで神格化するような意見を持つ人もいます。
作品のインパクトが大きすぎて、実体が見えなくなっているのではないでしょうか。
この悪魔的作品には本当の被害者、正しく言えば犠牲者がいます。それは”人体測定”を披露した芸術家のイヴ・クライン。
かれは自分のパフォーマンスがこのように利用されるとは知らず、撮影を承諾しました。そして試写を見て扱われ方を知って、深いショックを受けます。
そして試写から数日後の1962年6月6日、心臓麻痺で死去します。同じ年に結婚したばかりの35歳でした。
しかし映画を見ると、”人体測定”はむしろ、大人しいくだりに見えるから恐ろしいです。
問題が多過ぎる映画『世界残酷物語』。ここではより深く知るために、意外に知られていないヤコペッティ監督自身について、詳しく解説しましょう。
アンチ・ドキュメンタリー映画製作への挑戦
1919年に生まれたグァルティエロ・ヤコペッティ。消防士だった彼は、第2次世界大戦中はファシズムへの抵抗運動に参加します。戦後はリベラルなジャーナリスト、芸能記者として活動します。
まだセレブに対して控え目な報道が主流の当時、彼は大胆な内容の記事と写真を雑誌に発表します。それが猥褻物の流布とされ、彼は逮捕されました。
映画界でも活動を始めた彼は『世界の夜』(1959)、『ヨーロッパの夜』(1960)といったナイトクラブのショーなどを記録した性風俗ドキュメンタリー映画、”夜モノ映画”の脚本を手掛けます。
その後彼は、パオロ・カヴァラとフランコ・プロスペリに、今までにないスタイルのドキュメンタリー映画を作るアイデアをもちかけます。
現実を切り取るのではなく、主題こそを現実として取り上げる映画。彼はこれを”アンチ・ドキュメンタリー”と説明しました。そして誕生した作品が『世界残酷物語』。
技術の関係で、現実に発生した出来事を映像に記録することが難しい時代です。事件を映像で再現するのは”捏造”とも言えますが、当時は必要な行為でもありました。
例えばレニ・リーフェンシュタールのベルリンオリンピック記録映画『オリンピア』(1938)は、記録映画でありながら再現して撮影したシーンが存在します。
ニュース映画も同様に、作られた映像や内容に合う過去の映像を編集で加えるのは当たり前の行為。ヤコペッティの主張は、それをより発展させた映画を作ることでした。
当時評価されていたドキュメンタリー映画の手法が、”ダイレクト・シネマ”です。
観客にカメラを意識させない映像を、最低限の編集できるだけ時間順に並べ、ナレーションを極力排し事実をそのまま伝えるものでした。
この時期フランスで主流になりつつあったドキュメンタリー映画の手法が”シネマ・ヴェリテ”。
技術の進歩で手持ち撮影や同時録音が簡易化された結果、これらを駆使して臨場感ある映像で組み立てます。
同時にインタビューを多用し、人間のありのままを伝える手法です。このスタイルはヌーヴェル・ヴァーグ映画にも、大きな影響を与えました。
ヤコペッティはそれらと異なる、作家の主張したいテーマを力強く訴える、必要なら再現映像利用し壮大な音楽で観客の感情に訴える、そんな映画を作ろうとしたのです。
複雑なヤコペッティ監督の人物像
参考映像:ベリンダ・リー主演作『娼婦ローズマリーの真相』(1959)
同時に彼は芸能記者として活躍、ポルノや”夜モノ映画”製作に関わった人物です。
当時世界はアジア・アフリカの植民地独立に沸き、アメリカでは公民権運動が激しさを増していました。
現在の体制に飽き足らない学生は、共産主義・社会主義に憧れ学生運動に身を投じます。従来の西洋の価値観は崩れようとしていました。
しかし世論が大きく動くときは、現在と同様に社会の二極化が起きます。保守・反動と言われる従来の文明・宗教的価値観などに傾倒する者も数多くいました。
当時日本は、1960年安保闘争が大きな社会現象になっていました。しかし全国民がそれに参加した訳ではありません。
その動きに反発する”逆コース”と呼ばれる、戦前への回帰趣味も起きていました。
映画『明治天皇と日露大戦争』(1957)は日本映画史上空前の大ヒット、日本人の5人に1人は見たと言われる空前の観客動員数を記録します。
セクスプロイテーション映画に関わり、ジャーナリストとして商業的感覚を持っていたヤコペッティ。自分の”アンチ・ドキュメンタリー”の成功を確信していたでしょう。
『世界残酷物語』を見た人は、映像に圧倒されつつ映画製作者の”知的”で皮肉に富んだ、世界を斜めに構えて見つめる視点を感じます。
しかしこの”知的”な人物は、西洋文明やキリスト教の価値観の絶対的優位性を信じ、女性を性的対象とすることに、何のためらいも見せません。
本作を見て一番気持ち悪く感じるのは、この製作者の姿勢ではないでしょうか。ヤコペッティはそれを正直に、包み隠さず見せてくれます。
おかげでこの時代の保守白人層が疑問すら抱かず、体験的に身に付けていた価値観を実感することが出来ます。これは貴重な経験になるでしょう。
ヤコペッティのプライベートに目を移します。彼は1960年12月、イギリスの女優ベリンダ・リーとの婚約を発表します。
当時グラマー女優として、欧州各国の映画に出演し人気だったベリンダ・リー。デビュー後セクシー系の役での仕事が増えても、割り切って出演していた人物です。
1957年に彼女は、前夫のある身でありながら、イタリアの名門貴族の当主フィリッポ・オルシーニと深い関係になります。
そしてベリンダ・リーは彼を尋ねてイタリアを訪問した直後に、睡眠薬を過剰摂取しました。
その3日後、オルシーニは手首を切り自殺未遂を図ります。カトリック信者の自殺を禁じているイタリアでは、この事件は大きなスキャンダルとして報じられました。
ヤコペッティも1955年に関係を持った女性が未成年だったとの理由で逮捕され、弁護士のアドバイスで罪を軽減するために彼女と結婚します。
この問題の女性との婚姻関係を無効にしようと動いたヤコペッティと、スキャンダルの後に夫と別れたベリンダ・リーは婚約します。
ところがその直後に香港で、11歳未満の3人の少女に猥褻行為を働いたと起訴されるヤコペッティ。
問題の多い2人は、さまざまな面で似合いのカップルでした。しかし2人は1961年3月にカリフォルニアで交通事故に遭遇し、ベリンダ・リーは25歳で死去、ヤコペッティも負傷します。
既に準備はされていたとはいえ、『世界残酷物語』はヤコペッティがこのような状況にある時に作られた作品でした。
ベリンダ・リーの遺産の大部分は、イタリア国立映画実験センターに寄贈されました。
ヤコペッティは自作の『世界女族物語』(1963)を、ベリンダ・リーに捧げています。そして例の女性との婚姻関係が無効になった後、彼は誰とも結婚していません。
彼は2011年8月17日、91歳で亡くなります。本人の希望でベリンダ・リーの隣に埋葬されました。
余りにも複雑で問題が多い、実に人間的なヤコペッティ監督の実像に触れると、ゲテモノ映画で片付けがちな『世界残酷物語』の印象が変わるでしょう。
まとめ
映画史に輝く究極のキワモノ映画『世界残酷物語』。この映画が描いた個々の珍妙な部分は広く知られているので、ここではヤコペッティ監督について掘り下げてみました。
当然ながらこの映画、公開時から何かおかしいと観客に受け取られています。特に日本人の場合、”東京温泉”のくだりを見れば言わずもがな、です。
しかし人々の、いかがわしいものを見たい気持ちを刺激し、集まった観客を圧倒的な映像と音楽の力で魅了し、興行的大成功を収めました。
そんな映画を体験できるのは貴重です。どうか眉につばを付けた上でご覧下さい。
今見ると一番衝撃的なのは、ビスマルク諸島のタバールでのタピオカの使用方法です。タピオカを愛する女性たちに、教えてあげるべきでしょうか。
次回の「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」は…
次回第22回は、ヤコペッティ監督の確立したモンド映画の世界が、さらに加速する!『続・世界残酷物語』を紹介します。お楽しみに。
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