『僕の名前はルシアン』は、渋谷・ユーロスペースにて、2023年9月29日(金)〜10月12日(木)上映!
2009年に「MEN’S NON-NO」モデルグランプリを受賞、モデルデビューし、役者として『東京喰種 トーキョーグール』(2017)、『るろうに剣心 最終章 The Final』(2021)、『カラダ探し』(2022)など活躍する柳俊太郎初主演作。
「Vogue」などのファッション誌を中心に活躍し、写真家で映像作家の大山千賀子が、実際の事件にインスピレーションをうけ、誰もが心の片隅に持っている“孤独”を描き出しました。
孤独な少女・あかねは、インターネットで「ルシアン」と名乗る人物と知り合いになります。「僕と新しい世界へ行きませんか?」。ルシアンに心を開きその存在を必要とし始めるあかねでしたが、ルシアンの正体は連続殺人鬼だったのです……。
映画『僕の名前はルシアン』の作品情報
【日本公開】
2023年(日本映画)
【監督、脚本】
大山千賀子
【音楽】
篠崎正嗣
【プロデューサー】
追分史郎、高木征太郎
【キャスト】
柳俊太郎、福永里朱、大鶴義丹、菜葉菜、恒吉梨絵、木下ほうか、ウダタカキ、酒向芳、風間晋之助、丸山昇平、田邉和也、結城貴史、大島葉子、定岡正二
【作品概要】
監督を務めたのは、『Vogue』などのファッション誌を中心に活躍し、資生堂の企業文化誌『花椿』に掲載された犬の未発表写真が第35回朝日広告賞でグランプリを受賞した大山千賀子。
モデルとして活躍し、『ヴァージン「ふかくこの性を愛すべし」』(2015)で映画デビューした柳俊太郎主演作。
その他のキャストは、『ホテルアイリス』(2022)、『夕方のおともだち』(2022)の菜葉菜や、『渇水』(2023)の大鶴義丹、『沈黙 サイレンス』(2017)の大島葉子らが顔をそろえます。
映画『僕の名前はルシアン』のあらすじ
裕福な家、仕事だけの父親、自身の外見と世間体を気にする母親、要領良く生きる姉。
自分を出来損ないだと思い、孤独を感じているあかねは、ネットの掲示板で「ルシアン」と名乗る少年と知り合います。
「僕と新しい世界へ行きませんか?」
自分と似ているというルシアンに、あかねは興味を持ち始めます。
その頃、川で裸の手首を切られた遺体が見つかります。更に同様の遺体が見つかり、同一犯と見て捜査をしますが、遺体に暴行の形跡はなく、犯行の動機もわからず捜査は難航していきます。
映画『僕の名前はルシアン』の感想と評価
本作は10年ほど前に撮影されたものであり、スマートフォンやSNSが広い世代に普及している現代とは少し違う部分もあるかもしれません。しかし孤独な心を抱えた若者の姿は10年から変わっていないのではないでしょうか。
孤独な心を抱え、愛を求めるあかねは、一度自殺未遂をし、その後施設に入れられたと言います。その施設で一緒だったのがマキでした。
あかねは、施設を退院後、思いがけないところでマキと再開しマキと飲み明かします。しかし、その後街中で再びマキに会った際にマキに「いつまで夢の中で生きているの?ずっと言えなかったけど大嫌いだった」と言われてしまいます。
あかねは裕福な家庭に生まれ、学校も行かず仕事にもついていません。一方マキには両親がいません。生きるためマキは、性風俗のお店で働いています。
そんなマキにとってあかねは恵まれた境遇で、自身のわがままでふらふらとしているように見えたのかもしれません。
あかねはあかねで、親の期待に応えられないこと、会話もない世間体ばかりの家族に孤独を感じていました。愛を求めていたのです。
あかねの姉も、あかねからすると要領良く親の期待に応えているようにみえていましたが、鬱屈したものを抱えている部分もありました。だからこそあかねになりすまして、ルシアンとメッセージのやり取りをしたのでしょう。
誰もがそれぞれに鬱屈や、不安、孤独を感じ、愛に飢えていました。そんな人々が愛を求めたり、身近な人には言えない悩みを誰かに聞いて欲しくてネットで繋がろうとします。
そのような人々の弱さをある意味利用しているとも言えるのが、ルシアンです。ルシアンは、女性の自殺を手伝うことで欲求を満たそうとする異常性愛者です。
あかねは、ルシアンが異常性愛者であること、すなわち連日報道されている裸の遺体の犯人であることは、何となく分かっていました。それでもルシアンに会うことを決めました。
それはルシアンが自分が求めてくれるものを与えてくれると信じていたからです。
本気で新しい世界に行きたかったのではなく、ただ誰かに愛して欲しかった、たとえそれで命を奪われることになっても構わないほどにあかねは愛を求めていました。
自分は世界に必要とされていない、出来損ない、生きていても意味がない。そんな思いからあかねは生きることに対する執着は希薄になっていたのでしょう。
そのような若者が抱える虚しさと、愛への飢えは、現代も変わることなく、若者の心に巣食っているのではないでしょうか。
そんな若者に居場所を与えてくれるのも、ネットやSNSですが、一方でネットやSNSに依存することで若者を盲目にしてしまったり、その心を利用する人もいます。
ルシアンは何度も「愛している」を繰り返します。自身の隣で息絶えた女性に愛していると言い続けるルシアンの愛は、本当に愛なのでしょうか。
そうすることでしか「愛」を感じられない、歪な愛の形ともとれますし、エゴスティックで異常な欲求ともとれる、はかることのできない「愛」がそこにはあるように思います。
そんな「愛」を信じたのがあかねだったのです。生と死のはざまを彷徨うあかねは「愛」を得られたのでしょうか。
まとめ
柳俊太郎が美しきサイコパスを演じた映画『僕の名前はルシアン』。
必死で愛を求めるあかねや若者の息苦しさ、誰にぶつけたらいいのかわからない様々な感情が渦巻く本作は、病質的な雰囲気と幻想的な雰囲気が入り混じった独特の空気を醸し出します。
重苦しい不穏な音楽が流れたかと思えば、今度はややポップな音楽になったり。ふらふらと現実と夢の世界を行き来し、生と死のはざまで生きているようなあかねの存在そのものが、映画全体に息づいています。
ダークな雰囲気を纏い異常性も垣間見せる柳俊太郎の存在感も見事です。仕事をしている時も、ネットで誰かとやりとりしている時も、その表情に生気は感じられません。
そんなルシアンが感情を見せるのが、自殺を手伝い、息絶えるその瞬間なのです。ルシアンの異常な愛の姿がそこにはあります。
また、主演作となる本作では、今までに見たことのない新たな柳俊太郎の役者としての顔を垣間見ることができるでしょう。鏡の自分に向かって独白する姿は、ルシアンの抱える鬱屈が浮き彫りになっています。
ルシアンは、工場で働いていますが、同僚の女性から揶揄われています。女性は無口なルシアンを抵抗しない、自分の言うことを聞くと思っているかのようにルシアンに対し、恋人がいないなら自分と性行為もできるだろうと挑発したりします。
そんなルシアンは、女性の手首に切り傷を見つけて態度を一変させます。ルシアンは、愛に飢えている女性が自分を信じきって亡くなっていく姿に、一種のエクスタシーのようなものを感じているのかもしれません。
ルシアンの行為は、決して許されるものではありません。
しかし、本作で描かれている息苦しさと愛を求めて喘ぐ若者たちの姿は、現代もなお雑踏の中で感じる息苦しさやSNSなどで吐露されている様々な苦しさと重なるところがあります。
本作が持つ重苦しさは、現代の状況とも重なるところがあり観客にまとわりつくような重苦しさが漂っています。