『ナイトメア・アリー(原題)』は、2021年12月17日(金)全米公開決定
2017年に公開され、アカデミー賞4部門を受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』以降、自身の監督作がないギレルモ・デル・トロ。
しかし2021年9月、待望の最新作の予告が公開され世界中の映画ファンの話題となりました。そのタイトルは『ナイトメア・アリー』。
まだ秘密のベールに包まれたデル・トロ監督最新作。
「今までの作品と何か違う」「いや、監督らしい映像だ」と一般ファンから映画界全体を巻き込む話題を提供しました。
日本公開が待望されるこの作品、予告映像と現時点で入手できる情報から、今世界でもっとも注目され作品の見どころを考察予想させていただきます。
CONTENTS
映画『ナイトメア・アリー(原題)』の作品情報
【全米公開】
2021年(アメリカ映画)
【原題】
Nightmare Alley
【製作・監督・脚本】
ギレルモ・デル・トロ
【原作】
ウィリアム・リンゼイ・グレシャム
【出演】
ブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェット、ウィレム・デフォー、トニ・コレット、リチャード・ジェンキンス、ロン・パールマン、ルーニー・マーラ、デヴィッド・ストラザーン
【作品概要】
『デビルズ・バックボーン』(2001)のようなホラーミステリー、『パンズ・ラビリンス』(2007)のようなダークファンタジー、怪獣vs巨大ロボット映画『パシフィック・リム』(2013)を監督しているギレルモ・デル・トロの最新作。
原作はウィリアム・リンゼイ・グレシャムの同名小説。過去にタイロン・パワー主演の映画、『悪魔の往く町』(1947)として映画化された作品です。
主演は『アリー/スター誕生』(2018)のブラッドリー・クーパー、共演は『オーシャンズ8』(2018)で存在感を見せたケイト・ブランシェット。
デル・トロ作品の常連ロン・パールマンに、『永遠の門 ゴッホの見た未来』(2019)でアカデミー主演男優賞にノミネートのウィレム・デフォーら、豪華キャスト出演のダークスリラーです。
映画『ナイトメア・アリー』のあらすじ
カーニバルの見世物小屋を取り仕切る男、クレム・ホートリー(ウィレム・デフォー)の元で働き始めた男、スタントン・カーライルことスタン(ブラッドリー・クーパー)。
下働きから始めたスタンは、やがてカーニバルの芸人仲間からメンタリストのテクニックを学び、人を操る術を身に付けます。人気者となった彼は一座を離れ、身分を偽って活動を始め富と名声を獲得します。
言葉巧みに人の心につけ入り、さらなる成功を追い求める彼は、ある日リリス・リッター博士と名乗る女(ケイト・ブランシェット)に出会います。彼女の才能を見抜いたスタンは手を組むことにしました。
冷徹で計算高い2人は、巧みに仕組んだ悪事を成し遂げ大金を得ようと試みます。しかしリッター博士は、スタンの想像以上に危険な人物だったのです…。
『ナイトメア・アリー』予告編から考察
原作は1946年に出版された犯罪小説。予告を見ると描かれた舞台は1930~40年代でしょうか。見世物小屋で働く貧しい人々と上流階級の人々。電飾で明るく飾られながらも、禍々しいオブジェに彩られたカーニバルが対比的に登場します。
フィルムノワールを思わせる映像は、従来のデル・トロ監督作品とは異なります。しかし「見世物小屋」という妖しくも魅力的な存在が、見る者の心をワクワクさせます。
巡回カーニバルとは、ある日突然現れる非日常的空間です。それが現れた時に奇妙な出来事が起きる、というレイ・ブラットベリの小説は、『何かが道をやってくる』(1983)として映画化されました。
ドイツの村に現れた、巡回カーニバルの見世物として”眠り男チェザーレ”が登場する、ドイツ表現主義サイレント映画の代表作といえば『カリガリ博士』(1920)。本作の見世物小屋のオブジェに、表現主義的な奇怪なものが登場するのはオマージュでしょうか。
難しい話はさておき、カーニバルとは映画監督たちの想像力を刺激する奇妙な空間。監督がこの設定に魅せられて本作を手掛けたのは間違いありません。
インタビューに対し、「カーニバルは世界の縮図と呼べる、小宇宙のようなものだ」、とデル・トロ監督は話しています。
ヤバい見世物小屋から上流階級の世界へ
デル・トロ監督は映画の時代の、きわどい見世物小屋の世界を詳しく説明してくれました。それは”geek show”と呼ばれるもので、geekは”キワモノ芸のサーカス芸人”を呼ぶ言葉から、後に”社会に適応できない者”、やがて”オタク”を差す言葉に転じていきます。
当時の”geek show”では”半獣半人”などと宣伝された芸人が、鶏の首や蛇の頭を観客の前で喰いちぎる見世物でした。「残酷な内容につき州によって禁止されたが、小規模のいかがわしい巡回カーニバルはこれを続けた」と説明する監督。
カーニバルの観客も、見世物小屋のいかがわしい看板や口上を信じた訳ではありません。「観客はそれが芸に過ぎないと知っており、パフォーマーも観客が望む芸を提供する、互いに非日常を楽しむ空間が成立していた」と言葉を続けています。
恐らくモンスターの出ない(デル・トロ映画の常連モンスター俳優、ダグ・ジョーンズはクレジットされてません)本作は、アメリカではR指定。もしかすると…ウィレム・デフォーと楽しい仲間たちが、トンデモない芸を見せてくれるのかもしれません。
一方で自分たちの芸に誇りを持っていた見世物小屋芸人には、非日常の空間で演じることに生きがいを感じる者もいました。自分のプライベートと芸は全く別物、非日常の嘘を楽しみ披露するのはカーニバルだけです。
しかし人を惑わす怪しげな芸を身に付けたブラッドリー・クーパーは、それを日常の世界で上流階級の人々を相手に披露し、成功する野心に目覚めます。
“半獣半人”などと蔑まれるいかがわしいカーニバル芸人と、上流階級に取り入り霊媒師?メンタリスト?として成功するスマートな男。どちらが誇り高く、どちらが軽蔑すべき存在でしょうか。
ここには『シェイプ・オブ・ウォーター』と同じく、心優しい野獣と邪悪な心を持つ人間の、どちらが真に人間的存在と言えるのか、というテーマが存在しています。
魔性の女はケイト・ブランシェット?それとも…
「映画監督となった私は2つのジャンルに挑みたかった。それは、ノワールとホラーです」と語るデル・トロ監督。
彼はかつて独特の雰囲気を持つ『クリムゾン・ピーク』(2015)を監督しています。それは『アッシャー家の惨劇』(1960)のような、館と血縁の因縁が絡む犯罪映画でした。
「このゴシックロマンスとでも呼ぶべき作品が、観客にはホラーだと思われてしまった」、と当時を振り返る監督。興行的にも振るわず、観客からは期待外れと受け取られる苦い経験となります。
そして今回、フィルムノワールの香り漂う犯罪映画『ナイトメア・アレイ』を完成させた監督。予告を見てこれが単なるホラー映画と思う人はいないでしょう。
「不思議にも本作を製作してみるとノワール映画の要素、ブラインドのかかった窓、ナレーション、雨に濡れた路を歩く深く帽子を被った男…には一切近づきませんでした」、と話している監督。
また彼は、古典的フィルムノワールのお約束を意図して逆転させたとも話しています。予告を見ると明らかにファム・ファタール(魔性の女)は、ケイト・ブランシェットだと思えます。
意外にもそうではなさそうです。監督は笑いながら、「この映画にはファム・ファタールではなく、3人の強い女性と1人のオム・ファタール(魔性の男)が登場する」と説明しています。
物語の核心に触れたと思える発言…これは真実でしょうか?予告で描かれた先には、想像を超えた展開が待っているのかもしれません。監督の口が思わず滑ったのか、それともフェイクを語ったのでしょうか…。
まとめ
ギレルモ・デル・トロが描く、見世物小屋芸人の世界。彼らはきっと『ヘルボーイ』(2004)や『シェイプ・オブ・ウォーター』の半魚人同様、心優しき存在として登場するのでしょう。
しかしその世界を飛び出し、上流階級の人々を相手に悪事を働こうと企てるブラッドリー・クーパー。カーニバル一座では悪賢く立ち回った男は、外の世界で手強い女に出会います。
さて。芸人、ピエロたちが仲間の世界に属していた男が、社会に姿を現した時に暴動が起きる映画と言えば『ジョーカー』(2019)ですが、本作と何か類似を感じませんか?
『ジョーカー』のホアキン・フェニックスは、結果としてゴッサム・シティの秩序を揺るがします。しかし本作のブラッドリー・クーパーは、あくまで私利私欲を追求する悪人のようです。
きっとその姿は、カーニバル一座に残った見世物小屋芸人の姿と対比させられるのでしょう。本作の舞台はおそらく第2次大戦以前の、大恐慌以降の超格差社会のアメリカ。
そして上流社会で貪欲に成功を追い求めるオム・ファタール(魔性の男)こそ、ブラッドリー・クーパー。予告に見世物小屋を仕切る男、ウィレム・デフォーの口上が響きます。「彼は人間なのか、それとも獣なのか」。
『ナイトメア・アレイ』はギレルモ・デル・トロによる、格差社会映画『ジョーカー』への回答のようです。同時に従来の彼の作品同様、虐げられる者=”怪物”への愛が存在していると見ました。
それをフィルムノワールを意識した映像で見せる作品だと予想しました。日本公開に向け、これから続々情報が公開されるデル・トロ監督最新作、これからも目が離せません。