19世紀のイギリスとイタリアを舞台に、自由に生きようとした令嬢の運命と真実の愛とは・・・
今回ご紹介する映画『ある貴婦人の肖像』は、ヘンリー・ジェイムズの小説『ある婦人の肖像』が原作です。「真実の愛に出会うと鏡が愛を照らし返す」という、キーワードとなる言葉、自由に生きたいと願う上流階級の令嬢を巡る、3人の求愛から真実の愛を問う物語。
1872年英国のガーデンコートを舞台に、両親を亡くしたアメリカ生まれのイザベルが、親戚で裕福なタチェット家に身を寄せています。
美しく利発なイザベルは周囲から常に目を引き、愛されて暮らしていました。貴族の求婚者、アメリカ時代の恋人が海を超え追いかけてくるほどです。
しかし、古い慣わしで夫に従うだけの結婚を嫌うイザベルは、将来の自由を奪われるくらいなら、一生独身でも構わないとタチェット家を出る決心をします。
CONTENTS
映画『ある貴婦人の肖像』の作品情報
(C) 1993 JAN CHAPMAN PRODUCTIONS & CIBY 2000
【公開】
1997年(イギリス映画)
【原題】
The Portrait of a Lady
【監督】
ジェーン・カンピオン
【原作】
ヘンリー・ジェームズ
【脚本】
ローラ・ジョーンズ
【キャスト】
ニコール・キッドマン、ジョン・マルコヴィッチ、バーバラ・ハーシー、マーティン・ドノヴァン、シェリー・ウィンタース、リチャード・E・グラント、メアリー=ルイーズ・パーカー、シェリー・デュヴァル、クリスチャン・ベイル、ヴィゴ・モーテンセン、ヴァレンティナ・チェルヴィ、ジョン・ギールグッド、ロジャー・アシュトン=グリフィス
【作品概要】
監督は映画『ピアノ・レッスン』で、女性監督としてカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した、ジェーン・カンピオンです。監督は2021年に12年ぶりの長編映画『パワー・オブ・ザ・ドック』が、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞しました。
イザベル役には『ムーラン・ルージュ』(2001)で、ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞、『めぐりあう時間たち』(2002)でアカデミー賞主演女優賞した、ニコール・キッドマンが務めます。
イザベルの人生に大きくかかわる人物役として、『クリムト』(2006)、『チェンジリング』(2008)のジョン・マルコヴィッチ、『ワールド・アパート』(1988)でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞したバーバラ・ハーシーが演じます。
映画『ある貴婦人の肖像』のあらすじとネタバレ
(C) 1993 JAN CHAPMAN PRODUCTIONS & CIBY 2000
現代の若い女性たちが、“恋の始まり”について議論します。胸がときめく瞬間はキスの時で、相手の顔が近づき「キスされる」と感じた時が、一番素晴らしいと感激を語ります。
結末が悲しい時もあるけど、全ては“キス”から始まる・・・だから、自分がいかに神秘的で、底の深い女かアピールすることも大事。
また、人と人は運命で結ばれているけど、真実を映す汚れのない鏡をみつければ、真実の愛に出会った時、鏡が愛を照らし返すからと・・・・・・。その真実を映す鏡とは・・・?
1872年、英国ガーデンコートで暮らすイザベル・アーチャーは、木陰に隠れて涙を流します。そして、後を追ってきたウォーバートン卿から求婚されますが、屋敷に逃げ帰ってしまいます。
彼女はアメリカで両親を亡くし、母方の叔父タチェット氏に引き取られました。イザベルはタチェット氏にウォーバートンから、求婚されたと話しますが断りたいと言います。
その理由は「生きるということをもっと知りたい」というものでした。ウォーバートンだけではなく、容姿だけで求婚されることにうんざりし、結婚によって自分の将来の自由を閉ざされるのを嫌っていました。
自由な生き方を求めてイザベルは、叔母のタチェット夫人にロンドンに行くと告げ、旅支度を始めます。タチェット夫人は親代わりである以上、アドバイスは聞くべきだと、息子ラルフを同伴するよう言います。
イザベルは渋々従弟のラルフを従えてロンドンに行き、アメリカ時代の親友ヘンリエッタと再会します。ヘンリエッタは船から「話したいことがある」と手紙を出していました。
ところがイザベルはそのことを聞こうとしません。ヘンリエッタは業を煮やし、アメリカ時代に付き合っていた、キャスパー・グッドウッドが船で一緒だったと話します。
ヘンリエッタはイザベルを追って渡航していると思い、キャスパーにけしかけたと話します。イザベルはそのことを怪訝に思います。
ラルフはロンドンで使っていない屋敷があると、イザベルを案内します。そこで彼はウォーバートンの求婚を断ったのか聞きます。
イザベルは結婚してしまえば、“運命を逃してしまうから”と言い、リスクがあろうとも生きることを選んだと話します。
ラルフは非の打ちどころがない男を袖にした、イザベルの行く末を見ることができると、嬉しそうに言いました。
イザベルは下宿先で荷物を整頓していると、さっそくキャスパーが訪ねてきます。彼はアメリカにいたころ彼女とつきあい、結婚を迫っていましたが、一方的に別れを告げイギリスへ渡っていました。
キャスパーは自分をその気にさせておいて、離れて行ったことに納得できずにいました。イザベルはほっといてほしいと言えば、キャスパーは「何年?」と聞き、彼女は彼女で「1、2年」と答えます。
しかし、結局未練がましいキャスパーを部屋から追い出そうとし、彼は愛おし気にイザベルのあごを持ち上げ、親指で頬をなでて出ていきます。
イザベルはキャスパーの行為に、動揺すると同時にときめきを覚え、3人の男から求愛されている自分に陶酔するのでした。
翌朝、イザベルはヘンリエッタにおせっかいはやめるように言います。ヘンリエッタは他の友人はイタリアで3人の男性から求婚されたといい、ヨーロッパ人と結婚したら絶交するとまで言います。
イザベルは彼女は結婚していないし、自分もするつもりはないと反論しますが、ヘンリエッタはイザベルに危なっかしさを感じ、「流されないで」と忠告しました。
そこにラルフが深刻な顔をして現れると、タチェット氏が危篤だとイザベルに伝えます。イザベルが旅支度に部屋へ戻ると、ヘンリエッタはラルフに彼女の行動は危ないと言います。
そして、キャスパーのことを話します。イザベルにはキャスパーのように、一途に思ってくれる人と結婚しないと危ないと感じ、彼をけしかけ連れてきたのでした。
ラルフとイザベルは再びガーデンコートの屋敷に帰ります。
映画『ある貴婦人の肖像』の感想と評価
(C) 1993 JAN CHAPMAN PRODUCTIONS & CIBY 2000
経験値のない“純情”と軽薄な“夢”
『ある貴婦人の肖像』を観て、思い出した日本映画があります。それは『鬼龍院花子の生涯』でした。
この作品に登場する“花子”は愚かゆえに、鬼龍院家と敵対関係のヤクザに恋をし父親を死に追いやります。その後、鬼龍院家は衰退し、花子は男に捨てられ遊女へと身を落とした作品でした。
ある意味、イザベルも花子と同じような純粋さと愚かさがあると感じました。例えばオズモンドの姉ジェミニが、イザベルを「本当になんの疑いもなかったの?」と、呆れたのと同じ気持ちです。
イザベルは1870年初めまで、アメリカの文化で育っていました。ちょうど女性にも参政権が与えられ、高等教育も受けられ始めたころです。ですから、頭の中で女性が飛躍している未来をイメージしていたことがわかります。
しかし、イザベルはその頃に両親を亡くし突然、封建的な文化が残るイギリスに渡ります。彼女の考えや理想は具体的とはいえなかったでしょう。
説得力のない彼女の考え方は、社交界の人間には可愛らしく、無邪気なものにしか見えなかったのだと察します。
謙虚さや感謝を忘れた彼女は、善良で経験豊かな人の意見に耳を傾けなかったことで、虚栄と悪知恵の働く人間にそそのかされていくのです。
彼女が学業優秀で特技があれば、迷う必要もなく自立できます。ラストシーンにみるイザベル姿から、意地とプライドだけでは何もできず、結局は“男性からの援助”がなければ生きていけない、女性の弱さが象徴されていました。
パンジーの真心の愛と運命は・・・
マダム・マールは実の娘の幸福のためにイザベルを利用し、オズモンドを接近させますが、オズモンドは自分の趣味と贅沢のために、マダム・マールと結託します。
マダム・マールの素性は謎に満ちていますが、ピアノの腕前から良家の出身だったのではと想像できます。
しかし、若かりしマダム・マールもまたイザベル同様に、独自の解釈で芸術を語るオズモンドの口車によって、人生を狂わされた女性でした。
オズモンドは自分がコレクターとして認められたいという、承認欲求が満たされるためなら、妻や愛人、娘でさえも犠牲にできる非道さがありました。
例えばイザベルの男の子が生きていれば、パンジーへの財産はどうなるでしょう?それはオズモンドに残る財産もないともいえます。
イザベルの息子がどのようにして亡くなったのかは不明ですが、彼女はそれ以降、オズモンドに怯え、言いなりになることが増えていったのでしょう。
また、修道院で15歳まで育ったパンジーは、父親の何に怯えていたのか?恫喝など言葉による虐待があったとしても、そこまで服従できるものなのか考えると、オズモンドの先妻の死が関係しているのか?そこまで想像させてしまいます。
パンジーにとって父親に従うとことは、自分の身や愛する人への気持ちも守ります。その真の愛に向う姿勢はラルフと同じです。
修道院に戻されても前向きだったことから、彼女はそのことで貞淑が守られ、エドワードへの愛を貫けると思っているからです。
パンジーがマダム・マールを実母だと、知っているのかどうかも定かでありません。パンジーの素振りから、実母よりもイザベルの方が力になってくれると考えていたという見方もできます。
彼女も寂しさの中で、辛く苦しい人生がありました。その中で自分に正直に生きる術や処世術を培ったのでしょう。
まとめ
(C) 1993 JAN CHAPMAN PRODUCTIONS & CIBY 2000
映画『ある貴婦人の肖像』は、世間知らずで上流階級の令嬢だった、イザベルが多額の財産を手にしたことで、悪だくみをする男女によって不幸な結婚生活へと陥り、運命に翻弄される姿を描いた物語でした。
イザベルには彼女が不幸になることで、悲しむ男性が3人います。そのことで彼女は徐々に真実の愛に気づいていきます。
彼女は愚かさも露呈していましたが、純粋であるということが、人から愛され続けられる術であるとも教えてくれました。
この作品は運命の出会いは変えられないのか・・・?そんなジレンマがつきまとう物語でもあります。
イザベルが「生きるということを知りたい」と願った、運命の賭けは酸いも甘いも知っている大人からは、取るに足らぬ甘い決心でした。
逆にマダム・マールとオズモンドは経験値の高さから、汚れた邪心に満ちイザベルの無垢さに残酷でした。
女性が飛躍し始めたアメリカで育ったイザベルでしたが、男性社会で封建的なヨーロッパでは、意志の強さと志の高さがなければ、無力であると知らしめられます。
ラストシーンのタチェット邸の前で、佇むイザベルの姿は彼女の未来をどう見るか?そんなことを問いかけます。