祈りの先にあるのは希望?絶望?
狂乱の儀式が明かす祈祷師一族の因果……
今回ご紹介する映画『女神の継承』は、韓国映画『チェイサー』(2008)、『哭声 コクソン』(2016)のナ・ホンジン監督が構想した原案をもとに、脚本を手掛けたタイのバンジョン・ピサンタナクーン監督がメガフォンを取りました。
タイ東北部の村の祈祷師一族を取材するという、ドキュメンタリー撮影の設定で描かれた、タイと韓国による合同モキュメンタリー映画です。
祈祷師の一族であるニムがその役割や信仰対象の女神について取材を受けますが、姉のノイの夫が亡くなり、葬儀へ行くと姪のミンの様子が少しおかしく、しだいに原因不明の体調不良に見舞われます。
取材クルーは祈祷師の世代交代の兆しが撮れると、ノイの一家も取材対象にしますが、やがてミンは人格が変わったように、凶暴な言動や奇行を繰り返すようになり、ニムに助けを求めるのですが……。
映画『女神の継承』の作品情報
(C)2021 SHOWBOX AND NORTHERN CROSS ALL RIGHTS RESERVED.
【公開】
2022年(タイ・韓国合作映画)
【原題】
The Medium
【監督・脚本】
バンジョン・ピサンタナクーン
【原案】
ナ・ホンジン
【キャスト】
ナリルヤ・グルモンコルペチ、サワニー・ウトーンマ、シラニ・ヤンキッティカン、ヤサカ・チャイソーン
【作品概要】
本作はナ・ホンジン監督が、『哭声 コクソン』でファン・ジョンミンが怪演した祈祷師の物語を続編に考え、構想し始めたことがきっかけに制作されました。
その構想は『心霊写真』(2004)で長編デビューした、バンジョン・ピサンタナクーン監督に受け継がれ、タイ東北部イサーン地方を舞台にし脚本が書かれました。
ニム役をタイの舞台演劇で活躍する実力派女優サワニー・ウトーンマが演じ、ミン役は一般のオーディションで監督のイメージに合ったというナリルヤ・グルモンコルペチが演じます。
映画『女神の継承』のあらすじとネタバレ
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タイ東北部のイサーン地方では、自然を超越した「ピー」と呼ばれる精霊の存在が信じられています。
2018年、現地の人々が崇拝している守護神「バヤン」の精霊に取り憑かれたという霊媒師ニムの日常生活を記録するため、タイのドキュメンタリー・クルーがやってきます。
バヤンはニムの先祖が宿るという神であり、“よりしろ”と呼ばれる霊媒師として、何世代にもわたり一族の女性に宿ってきました。
先代はニムの祖母にあたる人でした。次の継承者は叔母で、その次はニムの姉であるノイでした。ところがノイはそれを拒み家を出ていってしまったため、 バヤンの精霊はニムに憑き彼女が後継者となりました。
ニムは縫製の仕事をしながら、霊媒師として周辺の人たちの悩みや病を癒す存在として、慎ましく暮らしています。
取材中、ノイの夫であるウィローが亡くなり、葬儀に向かうニムはウィローの一族ヤサンティア家では、男性は不幸な死を遂げていると話します。
ウィローの祖父は労働者から石を投げられ死に、父は経営していた工場が傾き、保険金目当てで工場に放火し逮捕されたのちに服毒自殺。さらにウィローの息子マックは、バイク事故で亡くなっていました。
ノイに残されたのは霊媒を信じていない、娘ミンの一人。またニムにはマニという兄もいて、妻と葬式を仕切っていました。葬儀は仏教式で執り行われますが、ノイはキリスト教に改宗していたので神父も参列しました。
ノイとウィローは晩婚で、彼女は義理の母親が経営していた“犬肉”の販売を継いでいます。しかし、“犬食”は禁止されていたため、ニムはそのことを不可解に思っています。
ウィローの死因は癌でしたが、亡くなっているのを発見したのは娘のミンです。ニムがミンにショックだったろうと慰めますが、彼女は“別に”と全く動揺していませんでした。
葬儀が終わり手伝ってくれた人たちを労う席で、ミンはニムにノイからの使いを頼みにきます。その時、ミンはニムの右腕に触れ、その感触にニムは違和感を感じます。
そして、マニが男性仲間とカードで遊んでいるところに、突然ミンが来て男性から“商売女”と言われたと激怒し、言いがかりをつけ暴れ出します。
その様子を見ていたニムはますます、ミンのことが気がかりになり、監視し始めると深夜に突然現れた、盲目の老婆と無言で対峙し、ニムが呼びかけても反応しません。
翌日、村で盲目の老婆が遺体で発見され、運ばれていく様子をみつめるミンの姿があり、ニムの姿に気がつくと、足早に去っていきます。
あとを追ったニムは家の戸の前で、何者かと話しているようなミンの姿を見て、ある疑惑を感じ始め、ノイの家へ向かいミンの部屋を物色します。
するとクローゼットの中から「ウコン」と呼ばれる“魔除け”の飾りが出てきて、ニムはどういうことか理解できるだろうと、ノイに詰め寄りました。
そこにミンが帰宅し、ニムは“悪夢”に悩まされているのかと聞きますが、彼女は部屋からニムたちを追い出します。
映画『女神の継承』の感想と評価
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五戒を破らせ“カルマ”を生ませた復讐
仏教には釈迦が説いた“五戒”と呼ばれる戒律があります。不殺生戒(ふせっしょうかい)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、不邪淫戒(ふじゃいんかい)、不妄語戒(ふもうごかい)、不飲酒戒(ふおんじゅかい)の5つです。
これは仏教徒に対して自らにいましめを与え、穏やかな生活習慣を営ませるために説いた教えです。
むやみな殺生を行わない、他人のものを盗まない、不貞な性行為を行わない、嘘をついて騙さない、飲酒をしてはいけない。という戒めになります。
しかし、破ったら罰があたるというものではなく、人間として最低限の戒めを守れなければ、破った分だけ自らにも同じ苦しみが返ってくる、因果応報を諭していました。
ヤサンティア家は昔、人々をむやみに殺害し、近代に近づくと犬肉を販売し食していました。先代は保険会社を騙して保険金を得ようとします。
カンボジアに近いイサーン地域には、カンボジア人が犬を食肉としていた文化がありました。ノイの義母はカンボジアからの難民だったのでしょう。
殺生が最も重い罪に当たり、人や動物の悪霊が多く恨みは非常に強くなったと推察できます。怨念はヤサンティア家を滅ぼすために、その他の罪も重ねさせていきました。
ノイは女神を拒みニムを騙して巫女に仕立て、犬肉の販売を受け継ぎます。ミンとマックは近親相姦をし、飲まなかった酒を飲むようになり、多くの男性と不貞を繰り返します。
戒律を破るのはたやすく、守ることは難しいことですが、ノイはその戒律さえも疎ましく思い、キリスト教に改宗したように感じます。
タイの東北部に伝わる“悪霊”と呼ばれる精霊
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タイには仏教とバラモン教を信仰する人のほかに、東北部には古代から伝わる“ピー信仰”と呼ばれる、精霊を信じて祀る習慣もあります。
ピー(精霊)には自然霊と家系に継承される先祖霊があります。自然霊は樹木や水、穀物などの精霊で、先祖霊とは生前の功績により善良な霊にもなり、悪霊にもなりうる精霊を指します。
ニムの家系はバヤンという善良な精霊によって、守護霊として崇められてきましたが、ノイの嫁いだヤサンティア家は先祖が人々を斬殺し、犬を殺生してきたため、精霊として崇められない悪霊に憑かれてしまいます。
タイの東北部ではこうした悪霊に憑かれた人は、その家族(親族)ごと忌み嫌われ、その土地で暮らせなくなるといわれていて、そういった事例も多く残され映画の題材にもなっています。
本作でミンが生肉を食べたり、祈祷者の弟子が人の肝を喰らうシーンがありますが、それは主に女性に憑く最も恐れられている悪霊の“ピー・ポープ”だと推察できます。
しかし、ミンに憑いている悪霊は多いとされてて、惨死者の霊ピー・ダーイホーンや難産で死んでしまった女性の悪霊、ピー・プラーイなどが憑いたと考えられます。
イサーン地方ではこのように人や家に起きる災難は、その概念にあった精霊もしくは悪霊が起こしていると捉えられてきました。
そのためその地域ごとに“祭祀者”が存在し、ピーの特性によって専門的に儀式を行える、祭祀のランクもあります。
複数の悪霊に憑かれたミンは、“よりしろ”の役割であるニムと、“除霊師”のサンティの2人そろって救うことができるはずでした。
しかし、ニムは本物の“よりしろ”ではなかったことで死に至り、サンティは負けてしまったとみれ、ミンに憑いた悪霊はヤサンティア家を没落させ、一族を葬る結果となりました。
まとめ
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映画『女神の継承』は、実際にある儀式や手法をアレンジし、イーサン地方の自然や風土が醸し出す、神秘的な雰囲気を活かした作品です。
原案者のナ・ホンジン監督は祈祷師のリアルさよりも、神秘性を残し考察に向かわせ、観客によって解釈が広がっていければいいとアドバイスしたと言います。
その中でもニム役のサワニー・ウトーンマは、祈祷師の役割や動作などをよく研究し、その立場に近づき最後のシーンに関しては、彼女の即興です。祈祷師ではない彼女の素が出たことで、物語に信憑性を持たせました。
ミン役は女性としては肉体的にハードな役柄を演じるため、多くのアドバイスやリハーサルを重ね大役を果たしました。
本作はタイの東北部に伝わる精霊ピーを通じて、人の業“カルマ”とは目に見えない“何者か”の仕業ではなく、人が重ねてきた悪因が生んだ結果だと訴えています。
悪霊や悪魔と呼ばれるものがいるとしたら、加害者を直接苦しめるよりも、その家族や子供に危害を加えることで、その苦しみが倍増することを知っています。
本作は愛する家族や子供が犠牲になり、その愛する者によって加害者が報復される・・・怨念の根の深さを知らしめた映画でした。