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Entry 2021/09/21
Update

映画『戦場のピアニスト』ネタバレあらすじ結末と感想解説。実話を家族のその後を気遣って弾く“最後の曲”

  • Writer :
  • 秋國まゆ

ホロコーストを生き延びたピアニストの姿を描いたヒューマンドラマ『戦場のピアニスト』。

ロマン・ポランスキーが脚本・監督を務めた、2002年製作のフランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作の戦争ドラマ映画『戦場のピアニスト』。

ナチス・ドイツ侵攻下のポーランドで生きた、実在のユダヤ系ポーランド人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの回想録を映画化した物語とは、具体的にどんな内容だったのでしょうか。

国家社会主義ドイツ労働者党を率いるドイツ国が、ユダヤ人などに対して組織的に行った、絶滅・大量虐殺政策「ホロコースト」を生き延びたピアニストの姿を描いた、ヒューマンドラマ映画『戦場のピアニスト』のネタバレあらすじと作品情報をご紹介いたします。

映画『戦場のピアニスト』の作品情報


(C)2002 STUDIOCANAL – HERITAGE FILMS – STUDIO BABELSBERG – RUN TEAM Ltd

【公開】
2003年(フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作映画)

【原作】
ウワディスワフ・シュピルマンの回想録

【脚本・監督】
ロマン・ポランスキー

【キャスト】
エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマン、エミリア・フォックス、ミハウ・ジェブロフスキー、エド・ストッパード、モーリン・リップマン、フランク・フィンレイ、ジェシカ・ケイト・マイヤー、ジュリア・レイナー、ワーニャ・ミュエス、トーマス・ラヴィンスキー、ヨアヒム・パウル・アスベック、ポペック、ルース・プラット、ロナン・ヴィバート、ヴァレンタイン・ペルカ

【作品概要】
『フランティック』(1988)や『ナインズゲート』(1999)、『ウィークエンド・チャンピオン~モンテカルロ1971~』(2013)などを手掛けた、ロマン・ポランスキーが脚本・監督を務めたフランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作の戦争ドラマ作品です。

原作は、ユダヤ系ポーランド人ピアニストのウワディスワフ・シュピルマンの回想録で、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品でもあります。

主演を務めるのは、『キング・コング』(2005)や『プレデターズ』(2010)、『エア・ストライク』(2018)などに出演するエイドリアン・ブロディです。

映画『戦場のピアニスト』のあらすじとネタバレ


(C)2002 STUDIOCANAL – HERITAGE FILMS – STUDIO BABELSBERG – RUN TEAM Ltd

1939年、ポーランド・ワルシャワ。ユダヤ系ポーランド人ウワディスワフ・シュピルマン(ウワディク)は、ピアニストとして活躍していました。

しかしその年の9月、第二次世界戦が勃発し、ナチス・ドイツ軍はポーランドに侵攻を開始。シュピルマンがスタジオでレコーディングしていたラジオ放送局が、突如襲来したナチス・ドイツ空軍の爆撃によって被害を受けてしまいました。

何とかスタジオを脱出したシュピルマンは、ポーランド人の友人ユーレクの妹ドロタと出会い、以降僅かばかりですが、自身のファンである彼女と友好関係を築いていきます。

その後、帰宅したシュピルマンは、イギリスのBBC放送で「イギリスとフランスがナチス・ドイツ軍に宣戦布告したから、もうポーランドは孤立していない」と聞き、第二次世界大戦が早期に集結すると信じて家族と共に喜びました。

しかし、ワルシャワは侵攻してきたナチス・ドイツ軍によって占領されてしまい、国家社会主義ドイツ労働者党の組織「親衛隊(SS)」やナチ体制下のドイツの警察組織「秩序警察」の過激な弾圧によって、ワルシャワで暮らすユダヤ人の生活は悪化していきます。

ユダヤ人が持てる現金は各家庭2,000ズロチ(日本円で約57,600円)以下に制限されるだけでなく、ユダヤ人の各家庭を回り金になる物は全てナチス・ドイツ軍が没収。

喫茶店もワルシャワ内の公園も、ユダヤ人は立ち入ることすら許されません。さらに1939年12月1日以降、ワルシャワに住む12歳以上のユダヤ人は全員、外出時にユダヤ教あるいはユダヤ人の象徴であるダビデの星が印刷された腕章をつけることが義務付けられていきました。

腕章をつけたユダヤ人は、街中ですれ違うSSに頭を下げなければ暴力を振るわれ、道路と舗道の間の溝しか歩くことを許されなかったりして、街中を自由に歩くことも出来ません。

そして1940年、ワルシャワ地区の長官フィッシャーの命令により、ワルシャワ地区やワルシャワ市内に住むユダヤ人は36万人全員、10月31日までにユダヤ人隔離居住区「ワルシャワ・ゲットー」に移り住むことを義務付けられてしまいます。

1940年10月31日、シュピルマンは沿道に駆けつけたドロタと別れの挨拶をし、家族や他のユダヤ人たちと一緒に、ワルシャワ・ゲットーに引っ越しました。

しかし、他の街と完全に隔離されてしまっているワルシャワ・ゲットー内での生活は、飢餓やSSによる迫害に苦しみ、日々死の恐怖に脅かされていました。

そんな日々の中、ユダヤ人たちの間では、「ドイツ人のために働いているという“雇用証明書”がない者は、東部の労働収容所へ送られる」という噂が出回っていました。

シュピルマンは知り合いの伝手を頼り、家族の中で唯一雇用証明書が取得できなかった父親の雇用証明書を入手することが出来ました。

1942年8月16日。シュピルマンの努力も虚しく、シュピルマンとその家族、選別されたユダヤ人の負傷者・女子供・老人は、ナチス・ドイツ軍への労働奉仕のため、絶滅収容所(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所・ヘウムノ強制収容所・ベウジェツ強制収容所・ルブリン強制収容所・ソビボル強制収容所・トレブリンカ強制収容所の6つの強制収容所を指す言葉)行きの家畜用列車に乗せられてしまいます。

ところがシュピルマンだけ、知り合いのユダヤ人ゲットー警察署長ヘラーの機転で救われ、その場を逃れることが出来たのです。

家族は皆絶滅収容所行の家畜用列車に乗せられ、1人残されたシュピルマンは自分と同じように移送されず、労働力として残された成人男性たちに交じり、ゲットー内で強制労働を課せられました。

以下、『戦場のピアニスト』ネタバレ・結末の記載がございます。『戦場のピアニスト』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。


(C)2002 STUDIOCANAL – HERITAGE FILMS – STUDIO BABELSBERG – RUN TEAM Ltd

しかし、そのゲットー内で課せられた強制労働も、いつ見張りの兵士に殺されるか分からない死の恐怖が付き纏います。

それは見張りの兵士に呼ばれてしまった者は、その場で腹這いになるよう強要された挙句、1人ずつ射殺されることもあるからです。

そんなある日、シュピルマンは強制労働中、知り合いの元軍人マヨレクと再会を果たします。シュピルマンはマヨレクから、ナチスによるユダヤ人抹殺計画を聞いて衝撃を受けました。

「毎日大勢のユダヤ人を乗せた列車が、ワルシャワからトレブリンカ駅へ行き、空になって戻ってくる。食料は運ばれていない」

「民間人はトレブリンカ駅へ近づけない。つまりナチスは、俺たちユダヤ人を絶滅させる気なんだ」

さらにシュピルマンは、マヨレクから「生き残ったユダヤ人の若者が集まって、ナチスに抗うための蜂起の準備をしている」と聞き、「自分もその手伝いがしたい」と言いました。

ピアニストであるシュピルマンは、慣れない肉体労働やドイツ人警察官による仕置きの暴力に耐えきれなくて倒れてしまいましたが、一緒に働く仲間の配慮で、倉庫番の仕事に回されることになりました。

ドイツ人警察官はシュピルマンたちユダヤ人を招集し、「強制労働を課した者もいずれ移送されるという噂が現実になることはない。そんなことは決してしないという我々たちの善意を示すため、選ばれた1人のユダヤ人には、毎日街に3キロのポテトとパンを1人1つずつ支給されるように調達する仕事を与える」と言います。

食料調達の仕事に選ばれたのはマヨレクで、倉庫番のシュピルマンが彼と一緒に、他のユダヤ人に食料を配給する仕事をすることになりました。

蜂起への協力を志願したシュピルマンは、倉庫番の立場を利用して、毎晩仕事終わりに通るゲットーへの武器の持ち込みを手伝います。

そしてシュピルマンは、マヨレクに協力を頼み、市場で見かけた古い友人の歌手ヤニナとその夫アンジェイに匿ってもらおうと思い、ゲットーの外への脱出を決心しました。

無事ゲットーの外へ脱出できたシュピルマンは、ヤニナたちと再会し、彼らが入っている反ナチス地下活動組織に匿われることになりました。

1943年4月19日。ゲットーの内と外を隔てる壁のすぐ近くの建物の一室に身を潜めることになったシュピルマンは、部屋の窓からゲットー内にいるユダヤ人とナチス・ドイツ軍による激しい交戦を目の当たりにします。

1943年5月16日。1ヶ月近く続いた蜂起は鎮圧され、ゲットー内にいた大半のユダヤ人が射殺されるか、放火された火で燃やされて死ぬという結果に終わってしまいました。

さらに、ヤニナがナチス・ドイツ軍に捕まってしまい、アンジェイは逃亡。1人残されてしまったシュピルマンは、ヤニナが捕まるまでに持ってきてくれていた食料で冬まで食いつなぐことが出来ましたが、隣人に自分の存在を気づかれてしまいます。

隠れ家から逃げることになったシュピルマンは、アンジェイから緊急時用にと渡されたメモに記された住所の家を訪ねることにしました。

シュピルマンが訪ねた家は、ドロタと彼女の夫ミルカ・ジキェヴィッチが暮らす家でした。

ドロタと再会したシュピルマンは、彼女からユーレクが死んだことを聞かされます。翌朝、シュピルマンはドロタが弾くチェロの演奏を聞いて、久しぶりに耳にした音楽に聞き惚れていました。

その後、ミルカに匿われることになったシュピルマンは、ドイツ当局が利用する病院や都市防衛警察署がすぐ近くにある、ドイツ陣営の真ん中の建物の一室に身を潜めることになりました。

その部屋には、シュピルマンがこれまで生き延びるために、触れることも見ることもできなかったピアノが置いてありました。

絶対に音を立てるなとミルカに言われていましたが、シュピルマンは久しぶりに見るピアノに居ても立っても居られず、ピアノを弾いてしまいます。

それでもナチス・ドイツ軍に知られることなく、隠れ家で過ごしていたある日。元ワルシャワ放送の技術者である地下運動家シャワスが、ミルカの代わりに食料の運搬を買って出てくれたのですが、資金不足で食料の運搬が滞り、そのせいでシュピルマンは内臓疾患で危うく死にかけました。

ドロタの実家がある郊外に避難することにしたドロタとミルカは、医者を呼んでシュピルマンを助けたのち、床に臥せる彼に別れを告げます。

食料の運搬をしていたシャワスは、資金難に陥ったからか金の亡者となり、勝手にシュピルマンの名前を使って寄付金を募り、私腹を肥やしていました。

1944年8月1日、ポーランド人の反ナチス地下活動組織は、ワルシャワ蜂起を起こし、シュピルマンは今回も部屋の窓からこっそり、ポーランド人とナチス・ドイツ軍の激しい交戦を見守ることしか出来ませんでした。

しかしそのワルシャワ蜂起も、しばらくしてナチス・ドイツ軍に鎮圧されてしまい、蜂起を起こした報復として、ワルシャワは戦車による完膚なきまでの破壊を受けます。

戦車や装甲車による砲撃と、ナチス・ドイツ軍によるポーランド人狩りから逃げ惑うシュピルマンは、廃墟と化した街で完全に孤立無援となってしまうのです。

それからシュピルマンは、廃墟と化した病院に身を潜め、そこに残されていた食料を食べ水を飲み生き延びてきましたが、それも数日後には底を尽きてしまいます。

しばらくしてナチス・ドイツ軍による放火が始まり、シュピルマンがいた病院も放火されてしまい、彼は気力を振り絞って病院から脱出。

壁を乗り越え、もう誰もいない廃墟の街に避難し、一軒家を回って食料を探した結果、シュピルマンはピクルスの缶詰を発見しました。

そこへナチス・ドイツ軍がやって来たため、シュピルマンは缶詰を持って屋根裏部屋に身を隠し、ナチス・ドイツ軍が立ち去るのを待ちます。


(C)2002 STUDIOCANAL – HERITAGE FILMS – STUDIO BABELSBERG – RUN TEAM Ltd

その日の夜。シュピルマンは1階に降り、何とか缶詰を開けようと悪戦苦闘していると、そこへ突如現れたナチス・ドイツ陸軍将校、ヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉に見つかってしまいました。

ホーゼンフェルトはシュピルマンに、ここで何をしているのか、職業は何かなど彼の素性を尋ねます。

するとホーゼンフェルトは、シュピルマンの職業がピアニストと知ると、廃墟の1階の居室に置かれたピアノで何か弾いてみるよう命じたのです。

ホーゼンフェルトに命じられ、シュピルマンが恐る恐る弾いた曲は、フレデリック・ショパンが作曲した最初のバラードであり、初期の代表作『バラード第1番ト短調 作品23』でした。

シュピルマンが弾く曲に聞き惚れ、彼の見事なピアノの腕前に感服するホーゼンフェルト。彼はシュピルマンがユダヤ人と知っても、特に何もすることなく、その場を立ち去っていきました。

しかし翌日、ホーゼンフェルトはシュピルマンが隠れ家とする廃墟に軍の拠点を設け、周囲には内緒で、屋根裏部屋にいる彼に食料を包んだ袋を手渡すのです。

ホーゼンフェルトがシュピルマンに渡した袋の中には、シュピルマンが久しぶりに見るライ麦パンとジャム、そして缶切りが添えられていました。

それから数日後、ポーランドへ侵攻したソ連軍が迫ってきたため、ホーゼンフェルトは他のナチス・ドイツ軍の兵士たちと共に撤退することになりました。

ホーゼンフェルトはシュピルマンに、食料と自身が着ていたオーバーコートを渡し、最後に彼とこんな会話を交わします。

「戦争が終わったら何をする?」「またラジオ放送局でピアノを弾くつもりです」

「名前を教えてくれ、必ず放送を聴く」「シュピルマンです」「シュピルマン、ピアニストらしい名だ」

ホーゼンフェルトが軍を率いて撤退した後、廃墟の街を拡声器でポーランドの国歌を放送する1台のトラックが通りました。

それを聞いたシュピルマンは廃墟から飛び出し、次いで現れたポーランド軍に歩み寄りますが、ナチス・ドイツ軍のオーバーコートを着ていたため、ポーランド軍に勘違いされて銃撃されてしまいます。

シュピルマンは自身がポーランド人であること、寒かったから敵軍のオーバーコートを着ていたことを必死に訴え、何とかポーランド軍の兵士たちの誤解を解くことが出来ました。

強制収容所から解放されたシュピルマンの同僚であるバイオリニストは、ソ連軍に捕らえられたナチス・ドイツ軍に罵倒しながら近づくと、「音楽家」という単語を聞き取ったホーゼンフェルトが彼に声を掛けてきます。

「もしや知らないか?ピアニストのシュピルマンを」「ああ、よく知っているとも」

「私は彼を助けた。伝えてくれ、私を救って欲しいと」「お前の名前は?」

しかしそこで、監視のソ連軍の兵士によって遮られてしまい、バイオリニストはホーゼンフェルトの名前を聞き取ることができませんでした。

終戦後、再びラジオ放送局でピアノを弾くことが出来たシュピルマンの元に、バイオリニストが訪ねてきました。

バイオリニストはシュピルマンを郊外に連れて行き、そこで捕まったドイツ兵たちを鉄条網越しに罵倒したことと、「シュピルマンを助けた」と言うドイツ兵がいたこと、そのドイツ兵の名前を聞き取れなかったことを話します。

後日、シュピルマンがオーケストラと共に、ショパンの管弦楽とピアノによる協奏曲的作品、『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22』を披露しているところで、物語は幕を閉じました。

映画『戦場のピアニスト』の感想と評価


(C)2002 STUDIOCANAL – HERITAGE FILMS – STUDIO BABELSBERG – RUN TEAM Ltd

ナチス・ドイツに迫害されるユダヤ人

第二次世界大戦が勃発し、ナチス・ドイツ軍に占領されてしまったポーランド。そこで暮らすユダヤ人は、ナチス・ドイツ軍から迫害される地獄の日々を送る羽目になります。

これまで、あらゆる作品でナチス・ドイツ軍によるユダヤ人への迫害・大量虐殺が描かれてきましたが、本作はユダヤ人が再び自由を手にするまでの間、彼らがいかにして地獄のような苦しみを味わい続けてきたかをより重くリアルに描かれていました。

各家庭で所有していい金が制限されたことで、徐々に食料が自由に買えなくなっていき、飢餓に苦しむ日々。街では飢餓に苦しみ、死んだユダヤ人の遺体が転がったまま放置されています。

それに加え、ユダヤ人は住む場所も決められていました。隔離された居住区から街に出れたとしても、ナチス・ドイツ兵に暴力を振るわれてしまい、外を自由に歩くこともままなりません。

地獄のような日々を耐え忍んだとしても、待っているのは凄惨な死か強制労働かしかないなんてあまりにも酷すぎますし、自由を奪われ迫害され殺されてしまうユダヤ人の姿は、思わず画面から目を背けてしまいたくなるほど辛く悲しいです。

中でもシュピルマンは、家族と離れてしまっただけでなく、自分の知らないところで友人が死んでしまい、助けてくれた他の友人もナチス・ドイツ軍に捕まり、1人街に取り残されてしまいます

ナチス・ドイツ軍に見つからないように生き延びるだけでも大変なのに、その上で孤独とも戦わなければならないなんて、シュピルマンが不憫で仕方ありません。

シュピルマンを助けた協力者たち


(C)2002 STUDIOCANAL – HERITAGE FILMS – STUDIO BABELSBERG – RUN TEAM Ltd

ナチス・ドイツ軍からの迫害を何とか耐え凌ぎ、ゲットーの外へ脱出して以降、シュピルマンはさまざまな人たちに助けられながら、逃亡生活を送っていきます。

古い友人の歌手ヤニナとその夫アンジェイ。2人は隠れ家と食料を提供してくれましたが、ヤニナが捕まってしまったことで、アンジェイが逃亡してしまい、1人取り残されてしまったシュピルマンは隣人に存在を知られてしまって、危うくナチス・ドイツ軍に捕まってしまうところでした。

友人の妹ドロタとその夫ミルカ、2人は隠れ家と食料を提供してくれただけでなく、内臓疾患で死にかけたシュピルマンを助けてくれました。

この4人の協力者の存在があっただけでも、シュピルマンの傷ついた心を癒し、安住の地を手にいれたことへの喜びを感じられたことでしょう。

ただもう1人、シュピルマンを助けてくれた人がいます。それは物語の終盤、本当に孤独と飢餓に苦しみ、生きているのが不思議なくらい衰弱したシュピルマンを救ってくれたドイツ陸軍将校のヴィルム・ホーゼンフェルト陸軍大尉です。

ホーゼンフェルトはドイツ人、シュピルマンはユダヤ系ポーランド人と敵同士の2人。ところがホーゼンフェルトは、シュピルマンの素性を知ってもなお、罵倒したり迫害したりしません。

むしろホーゼンフェルトは周囲には内緒で、シュピルマンに食料を与え続けてくれただけでなく、寒さに震える彼に自身のオーバーコートを与えました。

ホーゼンフェルトとシュピルマンの奇跡的な出会い、これがあったからこそ、シュピルマンは終戦後もピアニストとして生きていくことが出来ました

まとめ


(C)2002 STUDIOCANAL – HERITAGE FILMS – STUDIO BABELSBERG – RUN TEAM Ltd

ナチス・ドイツ占領下のポーランドを舞台に、地獄のような日々を生き抜こうと奮闘するユダヤ人と、ユダヤ系ポーランド人のピアニストの姿を描いた、フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作の感動のヒューマンドラマでした。

エンドロール前の映像では、シュピルマンを助けてくれたホーゼンフェルトが1952年、ソ連の戦犯捕虜収容所で死亡したこと。

ホーゼンフェルトのおかげで生き延びることが出来たシュピルマンが、終戦後もワルシャワで暮らし、2000年7月6日に88歳で他界したことがテロップで流れています。

もしあの時、シュピルマンの同僚のバイオリニストが、ホーゼンフェルトの名前をちゃんと聞き取っていれば、ホーゼンフェルトは助かることが出来たのかもしれません。

そうすればホーゼンフェルトとシュピルマンが無事再会し、シュピルマンのピアノ演奏をホーゼンフェルトが鑑賞する姿が見られたのではないでしょうか。そんな2人の今後が見たかった人も多いことでしょう。

ホロコーストを生き抜くユダヤ系ポーランド人のピアニストと、ドイツ陸軍将校の出会いが感動を生むヒューマンドラマ映画が観たい人に、とてもオススメな作品です。






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