連載コラム『仮面の男の名はシン』第3回
『シン・ゴジラ』『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『シン・ウルトラマン』に続く新たな“シン”映画『シン・仮面ライダー』。
原作・石ノ森章太郎の特撮テレビドラマ『仮面ライダー』(1971〜1973)及び関連作品群を基に、庵野秀明が監督・脚本を手がけた作品です。
本記事では、ついに2023年3月に劇場公開を迎えた『シン・仮面ライダー』の内容をネタバレ有りあらすじとともにご紹介。
様々な“原作”を基に形作られた本作のストーリー、映画ラストにて「仮面ライダー」本郷猛・一文字隼人が見出した“幸せ”の真意について解説いたします。
CONTENTS
映画『シン・仮面ライダー』の作品情報
【公開】
2023年(日本映画)
【原作】
石ノ森章太郎
【脚本・監督】
庵野秀明
【キャスト】
池松壮亮、浜辺美波、柄本佑、西野七瀬、塚本晋也、手塚とおる、松尾スズキ、森山未來
【作品概要】
1971年4月に第1作目『仮面ライダー』の放送が開始され、今年2021年で50周年を迎える「仮面ライダー」シリーズの生誕50周年作品として企画された映画作品。
脚本・監督は『シン・ゴジラ』(2016)と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)にて総監督を、『シン・ウルトラマン』にて脚本・総監修を務めた庵野秀明。
主人公の本郷猛/仮面ライダーを池松壮亮、ヒロイン・緑川ルリ子を浜辺美波、一文字隼人/仮面ライダー第2号を柄本佑が演じる。
映画『シン・仮面ライダー』のあらすじとネタバレ
バイク「サイクロン号」を駆る青年・本郷猛は、自身を謎の組織から逃がしたルリ子を後ろに乗せ、2台のトレーラートラックからの逃走している最中でした。
山道を走り続けた果てに、トラックもサイクロン号も谷へ転落。ルリ子はかろうじて無事でしたが、二人を追っていた組織の上級構成員にして「人外融合型オーグメント」ことクモオーグとその手下たちに捕らえられます。
そこに同じく無事であった本郷が現れ「第1バッタオーグ」へと変身。人間離れした恐るべき身体能力でクモオーグの手下たちを惨殺したのちにルリ子を救出し、彼女とともに山中のセーフハウスへと向かいました。
ためらいなく手下たちを殺めることができてしまった自身に動揺する本郷の前に、ルリ子の父であり本郷の恩師・緑川弘博士が姿を見せます。そして、本郷が“変身”できるようになった経緯を明かしました。
本郷は秘密結社「SHOCKER」で緑川が進めていた「昆虫合成型オーグメンテーションプロジェクト」の最高傑作である第1バッタオーグへと改造されたこと。
本郷の第1バッタオーグへの“変身”は、「プラーナ」という“生命のエネルギー”そのものといえる未知のエネルギーを利用した制御システムによって行われていること。
とある過去から“強い力”を欲していた本郷を、緑川自らが実験体として組織に推薦したこと。そして、プラーナシステムによる人間のオーグメントへの“アップデート”を個人のエゴの達成に利用するSHOCKERの壊滅に協力させるために、組織から本郷を逃したこと……。
説明を聞き終えた本郷に、ルリ子はバイク乗りにとっての必需品であり、“ヒーロー”を象徴する色を宿した赤いマフラーを彼の首へと巻きました。
そこに、セーフハウスを見つけ出したクモオーグが急襲。“裏切り者”の一人である緑川博士を殺害後、気絶させたルリ子を拉致しました。
「ルリ子を頼む」という緑川博士に託された願いを守るべく、サイクロン号でたちまちクモオーグたちに追いつく本郷。そして自らを「仮面ライダー」と名乗り、オーグメントとなった者として人間を殺めることを自らの幸福と謳うクモオーグを打ち倒しました。
組織の情報漏洩防止技術により泡と化し消えたクモオーグの末期を後にし、別のセーフハウスへと向かう本郷とルリ子。そこで二人は、政府の男、情報機関の男の二人組と接触します。
ルリ子と男たちの会話から、本郷はSHOCKERの創設経緯を知られます。
組織を創設したのは日本のとある大富豪であり、創設者は自身が用意した莫大な資金のもと、世界最高の人工知能「アイ」の創造を立案。アイは「外世界観測用自律型人工知能」として人型ロボット「ジェイ」、そのバージョンアップ版「ケイ」を生み出し、さらなる世界の情報収集を開始しました。
のちに創設者は「人類を幸福に導け」という命令をアイとケイに託して自殺。そしてアイは、「いわゆる“最大多数の最大幸福”は人類の幸福ではない」「最も深く絶望した人間を救済する活動の継続こそが、人類の幸福へとつながる」と演算の果てに見出し、その結果を基に生み出されたのがSHOCKERだったのです。
ルリ子や緑川博士同様にSHOCKER壊滅のため暗躍していた男たちは、情報提供と本郷とルリ子の警護と引き換えに、オーグメントたちの討伐をはじめとするSHOCKERの排除を依頼。二人もその契約に応じました。
男たちの情報提供により、組織の生化学主幹研究者でもあるコウモリオーグの拠点を知ったルリ子は、マスクを装着し戦うことに覚悟を決めかねていた本郷をセーフハウスに残し、たった一人で拠点へと侵入します。
コウモリオーグに降伏勧告をするも、感染者の心身を意のままに操る「バットヴィルース」によってコウモリオーグの支配下に置かれてしまうルリ子。一方、警察官として他者を助けようとした果てに、その命を奪われ殉職した父を目の当たりにした過去の記憶と向き合った本郷は、彼女の元へと向かいます。
バットヴィルースにより、命令一つでルリ子を死なせることもできると脅すコウモリオーグ。しかし、ヴィルースの感染を防ぐようプラーナシステムのプログラムを事前に書き換えていたことで、本郷同様にプラーナシステムで生かされているルリ子は感染した“フリ”をしていただけでした。
自慢のバットヴィルースが効かないと分かるや否や、仮面ライダーの跳躍力ですら届かない空中へと逃亡するコウモリオーグ。しかし、変形したサイクロン号に乗ることでコウモリオーグよりはるか上空へと飛ぶことのできた本郷は、必殺の一撃を放ちました。
コウモリオーグの戦闘後、政府の男と情報機関の男が指揮する特殊部隊が、猛毒の化学兵器を能力とするオーグメント・サソリオーグの討伐に成功。その上で、本郷とルリ子にハチオーグの討伐を新たに依頼しました。
“他者の支配”という自己の幸福を実現すべく、新たな奴隷制度に基づく世界支配システムの構築を計画していたハチオーグは、そのテストモデルとして一つの街の全住民を洗脳し、自らの支配下に置いていました。
かつては“ヒロミ”というコードネームを持ち、ルリ子とは友だちに近い関係性にあったというハチオーグ。ルリ子は本郷とともにハチオーグの拠点に真正面から乗り込み説得を試みますが、ハチオーグは自身の洗脳下にある街の住民たちに二人を襲わせようとしたため、本郷は急ぎルリ子と撤退しました。
一時の休息、そして再戦の準備の中で、ルリ子は自身が人工子宮によって生み出された生体電算機であること、組織に残り「チョウオーグ」へと改造された異母兄・イチローを止めるのも組織壊滅の目的の一つであることを本郷に明かします。
また、「この体では腹が減らないらしい」と口にした本郷。それに対してルリ子は、父・緑川博士が開発したプラーナシステムの本質を明かします。
映画『シン・仮面ライダー』の感想と評価
テレビドラマ・石ノ森漫画・小説を融合!
映画公開に至るまで、多くの人々が抱き続けていたであろう「『シン・仮面ライダー』は果たしてどのような物語となるのか?」という疑問。
『シン・仮面ライダー』の前日譚にして同作に登場する最大の敵、そしてSHOCKERについて描いたスピンオフ漫画作品として、映画公開に先駆けて連載が開始された『真の安らぎはこの世になく シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』は、その疑問の答えを考察する上で不可欠だったといえます。
そして公開された映画では、「ベルトの風車ダイナモに風圧を受けることで“変身”ができる」というテレビドラマ『仮面ライダー』における仮面ライダー“旧1号”の設定の基に、生命を構成する未知のエネルギー「プラーナ」による身体強化システムという、“変身”に関する映画オリジナルの設定を導入。
サンスクリット語で「呼吸」「息吹」を意味し、インド哲学では人間を構成する要素の一つである「風」の元素、そして生命力そのものとされるプラーナには、映画を観終えてその語の意味を調べた方の多くがニヤリとしたのではないでしょうか。
そしてストーリーは、テレビドラマ版の設定や初期エピソードをなぞらえつつも、「当初は洗脳状態にあった一文字隼人/仮面ライダー第2号」「11体という大人数で本郷を襲った大量発生相型変異バッタオーグ」などの石ノ森章太郎による漫画版設定をオマージュした展開も登場。
さらにはコラム第2回でも言及した、テレビドラマ版の企画を手がけた平山亨がかつて執筆した短編小説『二人ライダー・秘話』で描かれた「仮面ライダー第0号」も、「本郷猛/仮面ライダーの“if”としての、緑川博士の息子・イチロー/チョウオーグ」として登場。
そして物語のラストは、「本郷は戦いにより肉体を失うも、その意志を継いだ一文字は本郷の心とともに“一人”ではなくなった戦いへと身を投じてゆく」という石ノ森漫画版の設定に基づく結末で締めくくられました。
一文字欠けた“幸せ”を再び見つけ出す
「“辛い”と“幸せ”は近いもの」「“辛い”に一文字足すことで“幸せ”になる」「あなたが辛いことで誰かが幸せになる」……。
映画序盤でのクモオーグ戦後、改造に伴う脳へのプログラム移植により他者にためらいなく暴力を振るい、その命を殺められるようになってしまった自身の変化を改めて実感し、「辛い」と心情を吐露した本郷に対してルリ子が答えたセリフ。
その言葉は同時に、「“幸せ”から1文字が欠ければ、たちまち“辛い”になる」……自身の母というたった一人、自身の人生に欠かすことのできないたった一片を喪失したことで、願っていたはずの本来の幸せを見失ってしまい、人工知能アイが導き出した“幸福の機構”に囚われた彼女の異母兄・イチローの姿とつながります。
また「自身の父を人間の理不尽な暴力により失った」というイチローと似た境遇を持つ本郷が、手にした“強い力”を自身のエゴを貫くためではなく、他者の願いを守ることに用いたのも、他者の大切な一片を奪って自らの欠けた“幸せ”を補完しようとも、結局は他者が自身の身代わりに“辛い”を抱えることになると理解したためなのでしょう。
幸せが欠けてしまったことを受け入れた上で、他者にとっての幸せの一片を救うために戦い続けた本郷。そして映画の結末にて、イチローとの決戦の果てに肉体を失い、魂のみの存在となった彼の幸せの一片となったのは、他でもない一文字隼人/仮面ライダー第2号でした。
“一文字”の名の通り、本郷の幸せを形作る一片……亡き緑川博士やルリ子など、幸せを願った他者のため、たった一人で“辛い”を背負いながら戦い続けていた本郷の孤独を理解し、ともに戦ってくれる“もう一人”となった一文字。また彼にとっても、自身の幸せを形作る一片が本郷であることは言わずもがなでしょう。
映画を締めくくった「俺たちはもう一人じゃない、いつも二人だ」というセリフ。それは、“ダブルライダー”となった本郷と一文字が決して“辛い”だけではなく、彼らもまた戦いの中で自分たちにとっての“幸せ”を見出すことができたという証なのかもしれません。
まとめ/他者を見失わずに“宿命”と戦う
仮面ライダーというヒーローが抱える孤独と悲しみ、そして仮面ライダーとなった人間・本郷と一文字がそれとどう向き合い、その果てにどんな幸せを見出したのかを、テレビドラマ・石ノ森漫画・小説など様々な“原作”へのリスペクトとともに再考した『シン・仮面ライダー』。
自らが抱える孤独と悲しみを乗り越え、その上で自身にとっての幸せとは何かを見出す……それは、映画作中で本郷の悲しき過去を知った立花が彼に伝えた言葉の通り、「仮面ライダーとなった人間」のみならず、全ての人が背負っている課題でもあります。
そしてその課題は、自己とは存在の異なる他者……「人」という字の二画目を形作る“もう一片”となってくれる者がいなくては成り立たないということも、人でなくなったが故により一層の孤独に襲われたオーグメントたち、或いは魂のみとなっても続く本郷とルリ子、ルリ子とイチロー、そして本郷と一文字の関係性がそれぞれに見出した“幸せ”が語っているといえます。
1971年から52年もの時が経った現代社会を生きる人々に、仮面ライダーの背中を通じて伝えられる、他者の存在を見失うことなく自らの課題と戦う……言うなれば“宿命”と戦うことの意味。それが、『シン・仮面ライダー』のキャッチコピーが語る「変えたくないモノ」の一つなのかもしれません。
ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。