サスペンスの神様の鼓動52
製鉄所で働く2人の男が、ある事件に関わったことから、日常の崩壊が始まるサスペンス映画『夜を走る』。
大杉漣の最後の主演作となった『教誨師』(2018)の監督、佐向大が9年かけて練り上げた本作は、虚構と現実が入り乱れる「ぶっ壊れた日本」を描いた、かなり不思議な作品です。
主役である冴えない40歳の男、秋本を演じる足立智充は『万引き家族』(2018)『孤狼の血LEVEL2』(2021)など、数多くの話題作に出演しています。
秋本の職場の後輩である谷口を、2016年の『真田丸』、2020年の『麒麟がくる』と、大河ドラマ二作品にに出演し、存在感を見せつけた玉置玲央。
秋本の上司を『クローズZERO』(2007)の牧瀬役で、強烈なインパクトを残した高橋努が演じる他、玉井らん、川瀬陽太、宇野祥平、松重豊など、実力派俳優が多数出演しています。
現代日本のリアルな空気を漂わせながらも、観客を振り回す展開が印象的な、本作の魅力をご紹介します。
CONTENTS
映画『夜を走る』のあらすじ
郊外の製鉄所で働く秋本。秋本は、真面目な性格ながら不器用さが災いし、仕事で結果を残すことが出来ません。
上司である本郷に、目の敵にされている秋本は、毎日本郷からパワハラを受け、精神的に追い込まれていました。
そんな秋本を心配している、職場の後輩の谷口は、秋本をよく飲みに誘っていました。谷口は社交的な性格で結婚もしていますが、家庭は冷え切っており、妻の美咲も不倫をしています。
家庭に居場所が無い谷口も、矢口加奈という女性と不倫をしていました。ある時、製鉄所に営業で訪れた若い女性、橋本理沙を気に入った本郷は、理沙を連れて工場内を案内します。
その際に、営業から会社に戻った秋本を「何もしないで毎日ドライブしている人」と紹介します。その夜、居酒屋で飲んでいた秋本と谷口は、帰り道に理沙と偶然再会します。
谷口の強引な誘いにより、3人で飲み直すことになりますが、理沙はそれまで本郷と飲んでおり「仕事の話と聞いていたのに、ありえない」と愚痴をこぼします。
その際に、谷口が「秋本は、40年間彼女がいない」という話をします。
理沙に「優しそうなのにもったいない」と言われた秋本は、理沙の連絡先を聞こうとしますが、理沙に「スマホの充電が無くなった」と断られます。
数時間後、酔っぱらって、まともに歩けなくなった理沙を家に送る為、秋本は会社に車を取りに行きます。
その間に、谷口が理沙へ強引にキスをした為、理沙は怒り始めます。秋本が車に乗って迎えに行くと、理沙は谷口から離れた場所で寝ていました。
まともに歩けない理沙を、秋本は支えようとしますが「触るんじゃねぇよ!気持ち悪いんだよ!」と拒絶されます。
さらに、車に乗った理沙が、スマホを操作し始めたのを見た秋本が「あれ?スマホ」と言ったのに対し、理沙が眉間にしわを寄せて「はぁ?」と言ってきたことで、頭に血が上った秋本は、理沙の顔面を殴ります。
驚いた谷口が、秋本を理沙から離した際、理沙が持っていた、ひび割れたスマホには、電源は入っていませんでした。
サスペンスを構築する要素①「突然失踪した理沙の行方」
ある事件をキッカケに、2人の男の日常が崩壊していく、映画『夜を走る』。
本作は序盤と中盤、そして後半で、作風が大きく変化していくという、独特の構成となっています。
営業の成果が出せず、遠い目で車を運転する、秋本から始まる序盤では、コロナ以降の日本の姿が描かれています。
秋本と谷口の姿を通して、先も見えない、何とも言えない不安感を覚える、無気力とも言える「日本の今の空気」が作品に反映されており、かなりリアルな日常が描かれています。
ですが、秋本が酔っぱらった理沙の顔面を殴って以降、本作はサスペンス色が強くなります。
「秋本と谷口が、理沙をどうしたか?」の部分は、観客に語られることはなく、ただ秋本と谷口の様子から「何かがあったんだ」ということは、感じ取ることが出来る演出となっています。
その後、理沙が失踪したことが判明しますが「秋本と谷口がどう関り、何をしたか?」は不明のまま、物語は進行していきます。
序盤では、不安な日常を生きる、秋本と谷口に共感さえ覚えていましたが、理沙の失踪を境に急に2人は観客を突き放してきます。
そして、ここから『夜を走る』は、先の展開が一切読めない作品となっていきます。
サスペンスを構築する要素②「美濃俣の登場により陥る混沌」
理沙の失踪に関して「秋本と谷口が、どう関わったか?」は何も明かされないまま、物語が進む『夜を走る』。
職場の上司である本郷が、理沙殺害の容疑で逮捕され「ここから、事件の真実を追求する展開となるか?」と思ったら、本作は思いもよらない方向に話が進みます。
宇野祥平演じる、美濃俣有孔という、とてつもない怪しい男が突然現れるのですが、この美濃俣が主催する「ニューライフスタイル研究所」に、秋本が入会してから、本作は夢とも現実とも分からない、独特の世界に突入します。
序盤の秋本は、終始何かに思い悩んだ表情を見せ、暗い性格ながらも真面目な男でした。
ですが、中盤以降は、人が変わったように、恐怖を感じるレベルで明るくなり、理沙の事件など忘れているように見えます。
これも全て、美濃俣のセミナーを受けた結果なのですが、そもそも「ニューライフスタイル研究所」に辿り着くキッカケは、秋本が持ち帰った理沙のスマホに、着信があったことからです。
秋本が理沙を殴った夜、理沙のスマホが壊れていることを、谷口が確認しています。
それでは、理沙のスマホに着信があったのは何故?となりますし、その結果出会った、美濃俣とは何者なんでしょうか?
理沙の事件を、全て本郷に押し付けた秋本が耐えられなくなり、自分の脳内に作り出した妄想とも取れますが、その後に、フィリピンバーの従業員ジーナをセミナーに連れて行っているので、やはり現実なんでしょう。
ただ、ジーナをセミナーに参加させたのも、秋本が作り出した妄想の可能性があり、とにかく美濃俣の登場により、本作は混沌とした作風に変化していきます。
序盤のリアルな雰囲気と、作風が大きく変わるのが面白いですね。
サスペンスを構築する要素③「理沙殺害の真実は?」
秋本が美濃俣と出会って以降、「虚構」のような世界を生きる秋本と、理沙の事件で警察にも疑われ「現実」を生きる谷口と、二つの物語が進行していきます。
秋本は変わってしまいましたが、そもそも序盤を思い返すと、谷口は冷え切った家族や、不倫をしている場面など、会社以外の場面はありますが、秋本に関しては会社外での様子は、詳しく語られていません。
谷口との会話で、秋本は「実家暮らし」ということは分かりますが、趣味も無く友人もいないらしく、谷口と比べると、その存在自体が、そもそも「虚構」のように感じます。
では、谷口は何故、秋本を助けようとしたのでしょうか?
本作で事件に関して、明確に語られることはありませんが、意識が残っている理沙と、最後に接触したのは谷口でした。
その前に谷口は、理沙に強引にキスをしているので、生きていると都合が悪いこともあり、最終的に理沙を殺したのは、谷口であると考えられます。
秋本を利用して事件の隠ぺいを図った谷口は、その罪を本郷に被らせて、自分は日常を生きるのでしょう。
ただ谷口は、一連の真実を、妻である美咲にすら隠して生きていくことになります。また、美咲も自分が不倫していることを、谷口に隠し通して日常を過ごしています。
本作は、谷口が美咲と娘と一緒に、ドライブに出かける場面で終わります。
谷口の家族は「現実」ですが、それぞれが隠し事をしており、家族を演じている「虚構」にも見えるという、かなり怖いラストシーンとなっています。
映画『夜を走る』まとめ
コロナ以降の、病的な日本の空気を反映させた『夜を走る』ですが、本当に不思議な作風です。
リアルな空気を感じる前半と、夢か現実か分からなくなる中盤、そして後半は前半とは同じ映画と思えないぐらい、コメディ色が強くなります。
「助け合い」を掲げながら、意にそぐわない人物は強引に排除する「ニューライフスタイル研究所」の場面であったり、美濃俣を撃とうとした秋本が、銃を落としてしまい、ごまかす為に急に踊り出す場面など、皮肉的だったり悲劇的だったりします。
特にタイトルにもなっている、秋本が夜の公園を走り出す場面では、既に理解不能になっている秋本が、何をやらかすか分からない恐怖すらあり、笑える場面でありながら、妙に迫力があり、よく分からないけど感情を揺さぶられました。
コロナ以降、先が見えない不安と、無気力な空気が漂っているように思える現代の日本。
この日本で「虚構」なのか「現実」なのか分からない日々を送ることは、本当に幸せなのでしょうか?
『夜を走る』は、本当に不思議な作品で、思いがけない展開に振り回された感覚になりましたが、最後はそんな問題定義を突き付けられたように感じました。