映画『ちいさな独裁者』は、偶然にもナチス将校の軍服を手に入れた名もなき一兵卒が、瞬く間にヒトラーをも想起させる怪物という“独裁者”になり、変貌を遂げていく姿を描き出した実話映画です。
『RED レッド』などでハリウッドで活躍中のロベルト・シュヴェンケ監督が、ドイツ敗戦直前の混乱期に起こった実話を映画化したサスペンス。2017年サンセバスチャン国際映画祭撮影賞受賞しました。
キャストには、『まともな男』のマックス・フーバッヒャー、『僕とカミンスキーの旅』のミラン・ペシェル、『陽だまりハウスでマラソンを』のフレデリック・ラウ、『顔のないヒトラーたち』のアレクサンダー・フェーリング。
巧妙な嘘で成り上がり、独裁者と化した兵士をリアルに描写し、人間の醜さや愚かさ、弱さを容赦なく描き出しています。
CONTENTS
映画『ちいさな独裁者』の作品情報
【公開】
2019年(ドイツ・フランス・ポーランド合作映画)
【原題】
Der Hauptmann
【脚本・監督】
ロベルト・シュベンケ
【キャスト】
マックス・フーバッヒャー、ミラン・ペシェル、フレデリック・ラウ、ベルント・ヘルシャー、ワルデマー・コブス、アレクサンダー・フェーリング、ブリッタ・ハンメルシュタイン、ザムエル・フィンツィ
【作品概要】
『RED/レッド』(2010)や『ダイバージェント』(2014)シリーズなどハリウッドで活躍するロベルト・シュベンケ監督が母国ドイツで撮影を行い、第2次世界大戦末期に起きた実話をもとに描いたサスペンスドラマです。
出演は『まともな男』(2015)のマックス・フーバッヒャー、『ヴィクトリア』(2015)のフレデリック・ラウ、『顔のないヒトラーたち』(2014)のアレクサンダー・フェーリングの名優たちの共演です。
映画『ちいさな独裁者』のあらすじとネタバレ
1945年、薄暗い荒野に1人の男が走っていきます。
後を追う軍用車の兵達は、銃口を構え「何処いきやがった、ブタ野郎!」と叫んでいます。
泥だらけの兵士ヴィリー・ヘロルトは、命からがら部隊を脱走し林へと逃げ込みました。
追いかける兵達の声が林の中に響く中、ヘロルトは巨木の根元の穴に入り込み、息を潜めて彼らの声が消えるのを待ちます。
彼らが去ってしまったことを確認し、当て所なく無人地帯を彷徨います。途中道端で、同じように行き倒れた脱走兵に会い、彼を人のいない小屋に運びました。
2人は、夜近くの農家に侵入し食料を略奪します。暗がりの部屋の中に、首を吊るされた脱走兵が見え、その横に「略奪者は、処刑に処す」と書かれた看板が掲げてあります。
ベットで眠りから覚めた主人と家族がやってきて、もう1人の脱走兵を銃殺している間に、ヘロルトは逃げます。
極度の飢えに苦しみながら、ヘロルトは道端に打ち捨てられた軍用車両を見つけます。中に入るとスーツケースがあり、ヘロルトはナチス将校の勲章が散りばめられた軍服を発見し、あまりの寒さにその軍服を身に纏い、靴も履き替えます。
そこに突如現れた生真面目な上等兵フライタークは、立派な軍服姿のヘロルトに敬礼し「部隊から逸れました。大尉、お供させてください」と言いながら、フライタークはヘロルトを大尉と思い込み、軍用車を運転します。
小さな村の酒場に入り込み大尉に成りすましたヘロルトは、ご馳走の代わりに店主の求めに応じ略奪者を射殺しました。
あくる日、ヘロルトは農家に立ち寄ると、粗暴な兵士キピンスキーとその手下達が好き放題に振舞っていました。
「私は総統の命令の下で、後方の動静を調べている。私の部隊に入れ」とヘロルトは架空の任務をでっち上げ、キピンスキーらを配下に収めます。
ヘロルトは、彼らの軍隊手帳に「特殊部隊H」と記入し、さらに道中出会った兵士たちを、言葉巧みに騙して服従させていきます。
脱走兵を取り締まる検問所で、ヘロルトはかつて逃走中に自分を追い回したユンカー大尉と鉢合わせします。
「一度会ったヤツの顔は、忘れない」とユンカー大尉はヘロルトに意味深な言葉を残しますが、彼はヘロルト親衛隊を荒野に建つ粗末な収容所に連れて行きます。
警備隊長のシュッテがヘロルト親衛隊に挨拶をして、収容所の実情を説明します。
「脱走兵や略奪者がどんどん増えて、司法局に裁判が終わるまで保護するように言われています。食事も我々と同じようにですよ。すぐに始末すべきですよ、総統にとりなしを!」とシュッテは苛立ちを募らせて、ヘロルトに訴えます。
ヘロルトは「“略奪者は、処刑に処す”だ」と、司法部と繋がりのあるハイゼン所長の反対を押し切り、シュッテの工作もありゲシュタポの全権委任をヘロルトは取り付けました。
ヘロルトは、即決裁判による囚人たちの処刑を実行に移します。
映画『ちいさな独裁者』の感想と評価
本作冒頭、モノクロのような荒野を逃げ惑う1人の男が映し出され、後方に銃口を向けた兵士たちの姿が現れ、男に怒声を上げています。
ここで聞こえているのは、走り続ける足音と荒い息のみ。逃げる者は巨木の根元の穴に入り込み、息を潜めて隠れると、そのすぐ上の地面に1人の兵が仁王立ちをします。
初めから作品を鑑賞していると、緊張に押しつぶされそうになりつつ、隠れている男の呼吸に同化していくような感覚を持ち、その後のストーリーに導かれていきます。
一気に映画を見る者を作品に導入させる巧みな演出です。
逃げていた兵士である主人公ヴィリー・ヘロルトは、実在の人物であり、本作は彼の実話に基づいています。
実在したヴィリー・ヘロルトとは
ヘロルトは1925年にドイツ東部のケムリッツの小さい町で生まれ、煙突掃除の見習い工として働いた後、1943年に徴兵されました。
ドイツ国防軍の空挺兵としてイタリアで従軍していましたが、後にドイツに配属されます。
1945年終戦の数週間前に部隊から逸れて、無人地帯を彷徨い、映画同様に軍用車の軍服を見つけ大尉に成りすまし、大量虐殺の処刑を実行する“ちいさな独裁者”としての狂気の世界へ向かっていきます。
ここ数年ヒトラー関係の映画が目白押しの中、なぜドイツ軍内部の名も無き1人の脱走兵の映画が今公開されたのか、その流れを辿ります。
『ヒトラーと戦った22日間』
参考映像:『ヒトラーと戦った22日間』(2018)
第2次世界大戦下にナチスが建設したアウシュビッツと並ぶ絶滅収容所ソビボルで起こった脱出劇を、実話に基づき描いた作品です。
国籍や貧富に関係なく、ユダヤ人たちがガス室で大量殺りくされていったソビボル絶滅収容所から、密かに脱走を計画するグループがあり、1943年9月、ソ連の軍人アレクサンドル・ペソ連の軍人ペチェルスキーの統率能力とカリスマ性によって、収容者全員脱出を目指す壮大な反乱計画が本格的に動き出しました。
ロシアで初めて扱ったホロコーストでありながら、約110万人が犠牲となったナチス・ドイツ最大の「殺人工場」ポーランドのアウシュビッツ絶滅収容所の歴史に事実が隠され、反乱から75年その真実が全世界に明かされました。
『ヒトラーを欺いた黄色い星』
参考映像:『ヒトラーを欺いた黄色い星』(2018)
ナチス政権下のベルリンで終戦まで生き延びた約1500人のユダヤ人の実話を、実際の生還者の証言を交えながら映画化しました。
1943年6月19日、ナチスの宣伝相ゲッベルスは、首都ベルリンからユダヤ人を一掃したと宣言しましたが、実際は約7000人のユダヤ人がベルリン各地に潜伏しており、そのうち約1500人が終戦まで生き延びました。
ベルリンに潜伏している数人の若者たちが、実際に極限状態の中でどのようにして住居や食料を確保し、ゲシュタポや密告者の監視の目をすり抜けたのか、歴史の知られざる真実を描き出します。
『ゲッベルスと私』
参考映像:『ゲッベルスと私』(2018)
前述の2作品は、ホロコーストの犠牲になった側からつまり被害者側からの真実であり、映像化したものでしたが、『ゲッベルスと私』はドイツのホロコーストを行った側、加害者の立場で映像化しました。
ナチス政権の国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルが、終戦から沈黙を破り、103歳にして初めてインタビューに応じたドキュメンタリーです。
1942年から終戦までの3年間、ゲッベルスの秘書としてナチス宣伝省で働いた彼女は「あの時代にナチスに反旗を翻せた人はいない」と胸を張り、「ホロコーストについては知らなかった」と淡々と語りました。
彼女の独白を通し、20世紀最大の戦争における人道の危機や抑圧された全体主義下のドイツ、恐怖の中でその時代を生きた人々の姿が深く余韻を残します。
ドイツ国内で一般の人々も本当に知らないふりをしなければ生きていけない状況だったことが映画から、強く深いメッセージを感じることができます。
しかしながら観るものは心の中の矛盾を持ちつつ、道徳的にも理論的にも不安定で虚しさが残ってしまう。
つまり自分は「そんなことはあり得ない」と思っている立場にいることに気づきます。
まとめ
ナチスをモチーフにした映画の並ぶ中で、本作『ちいさな独裁者』では、観客が主観的な立場に立たされます。
映画の冒頭から、既に観るもの自身が脱走兵ヘロルトとなり、生きるために軍用車から軍服に袖を通す自分を見つめることになるでしょう。
因みにこのヘロルトは、当時19歳の“ちいさな独裁者”でした。
ロベルト・シュベンケ監督は、単なる道徳的な反応を超えて、主人公の彼の視点から世界を体験する必要があると強く訴えています。
彼は、この物語を外側でなく内側から語り、観客に主人公の心理状態と一体化させることを意識して映像化しました。
また、ロベルト・シュベンケ監督はこう述べます。
“彼らは私たちだ。私たちは彼らだ。過去は現在なのだ”
本作品のラスト・シーンでは、この言葉を具現化した監督のメッセージが色濃く描いたシークエンスが映し出されます。
今なおドイツのみならず、各国の現代社会に潜む“ちいさな独裁者の呼吸(息遣い)”を、観客たちに同調させた後で客観的に突きつけているのです。
この映画で、“一歩踏み込み一体化する自己の本性”を見つめ直してみませんか。