ナチス宣伝大臣ゲッベルズの秘書ブルンヒルデ・ポムゼル103歳。彼女の発言と顔に深々と刻まれた皺は、20世紀最大の戦争の記憶を呼び起こします。
ドキュメンタリー映画『ゲッベルスと私』は、「何も知らなかった、私に罪はない」と語る彼女独白の真の意味を現代に問いかけます。
映画『ゲッベルスと私』の作品情報
【公開】
2018年 (オーストリア映画)
【原題】
A German Life
【監督】
クリスティアン・クレーネスフ,ロリアン・ヴァイゲンザマー,オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー
【キャスト】
ブルンヒルデ・ポムゼム
【作品概要】
終戦から69年の沈黙を破り、ゲッベルスの秘書がカメラの前で真実を語ります。
若きポムゼルは、第二次世界大戦中1942年から終戦までの3年間、ナチスの宣伝大臣ユーゼフ・ゲッベルズの秘書として働いた戦争の生き証人です。
テレビのドキュメンタリー制作のリサーチで、本作品の監督クリスティアン・クレーネスとフロリアン・ヴァイゲンザマーが彼女の存在を知り、2013年の2回に分け総30時間をかけて103歳のポムゼムのインタビューを収録。
“ホロコーストについては何も知らなかった”と語るポムゼムの独白は、20世紀最大の戦争とナチズム(全体主義)の下で抑圧された人々の人生を浮き彫りにします。
映画『ゲッベルズと私』のあらすじとネタバレ
暗闇に女性の横顔…。
圧倒的に印象に残る、深く刻まれた皺の顔、首、手。103歳のポムゼル、ナチスの宣伝大臣ゲッベルスの記憶を辿っています。
暫く沈黙が続きため息の後、漸く重かった口が開きます。
「ゲッベルスは見た目のいい人だった。最高級の布地で作った上等な服を着て爪も良く手入れされていた」元秘書として彼女は元上司のゲッベルスの話を続けます。
彼は足を少し引きずっている姿は気の毒であったが、それを吹き飛ばすだけのものを持っていて、オフィスは豪華で家具の揃ったエリートの世界のような仕事場で満足していたことを思い出します。
「ゲッベルスがオフィスに到着しても5人の秘書たちの前には現れず、子ども達がお昼に迎えに来て、『ハイル・ヒトラー』と子ども達が帰り際に挨拶して帰ったわ」とほとんどあったことがないことを強調しながら話しました。
仕事ぶりは人から信頼されていたと自分について語ります。言われたことを忠実にやってきたことを語るカジノ女ですが、一方ソ連軍にレイプされたドイツ人女性の水増しされた記事があったことを認め、「抵抗する勇気がなかった。私は臆病だった」と語ります。
現代の人は、自分たちなら逃れることができたというけれど、絶対できないとすぐに断言します。
「体制に逆らうには命がけで最悪のことを覚悟する必要がある。そのような実例は幾つもあった。ゲッベルズと一緒に働いたのではない。あの人はボスの次に頂点にいた偉い人」
―ゲッベルスの演説が鳴り響きます。「勇気を持て、危険な人生を送れ!」
普段のゲッベルスは紳士的で大人しい人物なのに、演説し始めると大声でがなり立て会場を熱狂させた。あの豹変ぶりは誰も勝てる人はいないとポムゼルは回想します。
ポムゼルは幼少の自分を振り返ります。
「第一次世界大戦が終わって父が帰ってきた。お行儀が悪いとすぐに殴られ、絨毯叩きでお尻も叩かれたことがあった」
ドイツの当時子どもの躾けはとても厳しく、子どものうちからごまかしたり、ウソをついたり他人になすりつけたりすることを覚えてしまうと振り返ります。
ポムゼルは、頻繁にもし自分があの時代にいたらユダヤ人を助けたはずだと言われると語ります。
「当時は国(ドイツ)中がガラスのドームに閉じ込められていた。私達自身が巨大な強制収容所にいたのよ」
反ナチス運動の『白バラ』活動家で1943年2月に反戦チラシを配布した反逆罪で処刑された、ショル兄妹の裁判記録を取り扱ったことを回想します。
「その書類を受け取り、絶対見るなといわれた。私を信頼してくれている以上、裏切ったりしない」と断言し、その金庫を開けなかった忠誠心を誇りに思うことを語りました。
自分の仕事の話を始めます。午前中はユダヤ人のゴルトベルク博士のもとで働き、午後はナチ党員のブライの下でタイピングをしていました。
「喜んでやったわ。お金のためよ!」
ゴルベルト博士の仕事が減っていくのも分かっており、いい仕事を斡旋してもらうことを条件に、なけなしのお金を叩いてナチスに入党したことも告白します。
31歳の時ブライの紹介で地元の放送局で秘書として働き、保険会社に勤める友人の2倍の給料をもらっていたことを嬉しそうに話し始めました。
更にナチ党の宣伝省に入ることになり、「私の運命だった」と話します。
あの激動の時代に運命を操作できる人はいないと強く断言します。
〜ユダヤ人女性エヴァとラジオ局のパーソナリティーユリウスの記憶
ヒトラーが台頭してくると、エヴァに人生はとても困難になっていたと話します。
コーヒーやビール代は仲間DEエヴァの文を出していたし、赤毛で綺麗な目をしていたエヴァは放送局の男性記者にで人気があったのに、ユダヤ人とわかると批判されたと納得しない様子で語ります。
「少し混じっている程度よと答えたけど、エヴァは生粋のユダヤ人だったわ。」
更に人気のパーソナリティーのユリウスが、強制収容所に収容されたことを知ります。
ユリウスが同性愛者だったからと教えられて、ショックを受けました。ポムゼルは、当時強制収容所は政府に逆らったり、喧嘩をしたりした人が矯正のために入る施設だと思っていたことを伝えます。
「ユリウスはいい人だった」と、彼女は納得していなかったようでした。
「ユダヤ人を送り込めば、彼らも1つになれる。」とナチ党にいうことを、忽然と消えたユダヤ人のことを人口が減少したスデーテン地方に移されたと信じていたと明かします。
情報が制限されていたのに、みんな私たちが知っていたと思っているとポムゼルは話を続けます。
「私たちは知らなかった、とうとう最後まで…」
『ゲッベルズと私』の感想と評価
映画冒頭の横顔が脳裏に焼き付いて離れない
暗闇みに浮かび上がった深々と刻まれた皺、顔もさることながら手も首も、カメラはずっとクローズ・アップしたままです。
フレームの左に横顔、右に横顔、また左そしてカメラは下から女性の首そして下顎を映し出します。
その皺は魚の鱗の如く、彼女の心を70年間も守り続けた証のように感じられます。
彼女は103才の女性ポムゼル。長い沈黙を破り言葉を話し出すと、一人の女性になりました。
物語が進行するにつれ、彼女は言葉が増え、ある時は饒舌にある時は理知的に話を進めます。
それでも物語の節目節目にふと彼女の感情が刹那流れる時があります。
その時に必ず口走るのは、苦悩に満ちた話の後に、「何も知らなかったの、後で知ったのよ」という一言。
この言葉こそ日々に同じようなことがあって、見過ごして見ないふり知らないふりをしている今を生きる私たちに、最大の警鐘を鳴らしているように思われます。
実際ポムゼルは終戦から60年経って、やっとユダヤ人の友人エヴァの行方を捜し始めます。
やっとというのは語弊があるかもしれません。
この映画の中でもエヴァのことを何回も回想して話すシークエンスがあるからです。
「無意識に自分の心に蓋をし続けるしか生きる術がなかった。」と、何度もポムゼルは心のうちを吐露していますが、そのことは正にエヴァのことではないでしょうか。
自分で知っていた、気づいていたと認めることは、当時死を意味することだと映画の中で語っているように、この映画の最後まで彼女のクローズアップされたこの皺が彼女の生きた人生そのものを物語っていると感じます。
また本作品は、当時世界各国で制作されたアーカイブ映像が数多く挿入されています。
ナチスを滑稽に描く米軍制作のプロパガンダ映画、ヒトラーを揶揄するポーランド映画、そして何よりもホロコーストのありのままを実録した映像。
それらは真っ直ぐに戦争という愚行を人間は何度も繰り返してきたことを語り、2度と愚かな過ちを繰り返してはならないという強いメッセージを訴えています。
まとめ
ポムゼルは、ミュンヘン国際映画祭で初めて完成されたこの映画を見た時に、次のように語っています。
「この歳になり、自分の人生の間違いにも改めて気づかせてくれた。若い人に観てもらって、歴史を学んでほしい。自分の語ったことは過去の過ちであり、未来への警告だから。この映画は、個人の責任とモラリティーについて考えるきっかけにしてほしい。」
目の前の小さいことから、何気なく見過ごしたり、知らないふりをしてきたことが、だんだん多くの人と共有し当たり前になったいく時、それが無意識になって無関心になっていく…。
この映画は政治や社会のみならず、個人の責任についても語っています。
『ゲッベルスと私』の邦題の“私”には、そんな意味を込めているかもしれません。
“私”として映画を観に行って観ませんか。