ありのままの私たちで、生きる
17歳から18歳へとさしかかる年頃の3人の少女、ミンミ、ロッコ、エマ。
性、恋、将来への漠然とした不安。様々な悩みを抱え、大人になりきれない自分の不完全さを人にぶつけてしまう不器用さもありのままに映し出すみずみずしい青春映画。
カミングアウトに主題を置いたり、シスジェンダーのみで構成されたりせず、それぞれのセクシャルを名前付せず、そうあるものとして描くクィアムービーであり、まさに現代に作られるべきして作られた新たなガールズムービーです。
シニカルだけれど寂しがり屋でつい人を傷つけてしまうミンミと、男の子と一緒にいても何も感じないことに自分は普通と違うのではないかと悩むロッコ。
同じ学校に通う親友同士の2人は、スムージースタンドのアルバイトをしながら互いの悩みや性について話しています。
そんな時、誕生パーティーに誘われたロッコは、理想の相手を求めて気乗りしないミンミを付き添いにパーティーに参加します。
そこでミンミは大事な試合を前にプレッシャーでトリプルルッツが跳べなくなってしまったフィギュアスケーターのエマと運命の出会いを果たします。
それぞれ思い悩みながらもぶつかって、足掻こうとするエネルギッシュな3人の姿にパワーをもらえるエンパワームービーです。
映画『ガール・ピクチャー』の作品情報
【日本公開】
2023年(フィンランド映画)
【原題】
Tytot tytot tytot
【監督】
アッリ・ハーパサロ
【脚本】
イロナ・アハティ、ダニエラ・ハクリネン
【キャスト】
アーム・ミロノフ、エレオノーラ・カウハネン、リンネア・レイノ
【作品概要】
監督を務めたのはフィンランドの女性監督アッリ・ハーパサロ。
デビュー作『Love and Fury』(2016)で自分の主張を見出していく女性作家の姿を描き、2作目『Force of Habit』(2019)では、7人の脚本家と共にジェンダーバイアスと構造的な権力の誤用について描きました。3作目となる本作においても3人の少女の物語を描き出しました。
ミンミ役を務めたのは、12歳から役者として活動し、『エデン』(2020)に続き本作が主演2作目の長編映画となったアーム・ミロノフ。ロッコ役には、舞台やミュージカルを中心に活動し、本作が映画デビューとなったエレオノーラ・カウハネン。
エマ役のリンネア・レイノは、フィギュアスケーターの役のため3ヶ月の訓練を経てのぞんだといいます。
映画『ガール・ピクチャー』のあらすじとネタバレ
最初の金曜日
親友同士のミンミ(アーム・ミロノフ)とロッコ(エレオノーラ・カウハネン)。
クールでシニカルなミンミは、高校の体育に積極的に参加しようとせず、クラスメートと衝突し思わず暴力を振るってしまいます。そんなミンミをクラスメートは異常扱いしています。
そんなミンミにロッコは明るく冗談を言います。私に期待するのが間違っている、多々ボールを追いかけてゴールすることに夢中になるなんてわからないとミンミはこぼします。
2人は学校の後スムージースタンドのバイトに向かいます。バイト中も性のことや悩みなどあけすけに話す2人。よく店にやってくる青年がロッコに良かったら今度ご飯でも……と誘いますが、ロッコは曖昧な態度で青年は無理ならいいと去ってしまいます。
そんなロッコの態度をからかい、私なら目線で相手に思っていることを伝えられるというミンミでしたが、スムージーを買いに来た同じ高校のエマ(リンネア・レイノ)に悪ふざけだと思われ、「頭おかしいのではないの、私のことを知らないのに馬鹿にしないで」と怒られてしまいます。
エマと共にいたクラスメートが2人を誕生日パーティーに誘います。ミンミは気乗りしない様子です。
そんなミンミにロッコは、男の子といても何も感じない、もっと深く関わりたいと言います。セックスに夢を見過ぎている、経験をしていないだけだと言います。だからこそパーティーで素敵な出会いを探したいとロッコにいいます。
渋々パーティーに向かったロッコは会場の隅で一人でいるエマを見つけ話しかけます。「あなたのことが一番気になる」とミンミはいい、2人は急接近していきます。パーティ会場を抜け出し2人でクラブに向かい2人はキスを交わします。
一方ロッコは男子とうまく話そうとして性的な話をしてしまい、相手に引かれてしまいます。落ち込んでバスルームに隠れていると男女が入ってきて性行為に及ぼうとするも男子の失言で女子は怒り出ていってしまいます。
ロッコはぎこちなく私でよければ…といいますが結局うまくいかないままその日を終えます。
2回目の金曜日
恋人同士になったミンミとエマ。ミンミはロッコに「深く関わるってこういうことだと思う」と惚気るほど親密になっていった2人でしたが、エマは大会を前にトリプルルッツを跳べなくなりスランプに陥っていました。
ミンミと共にいたい気持ちと練習へのプレッシャーを前に葛藤するエマは14年間で初めて練習を遅刻してしまいます。
ミンミは離れて暮らす母のもとへ義理の弟の誕生会に参加するため向かいますが、母親が約束を忘れ家には誰もいません。母に対する寂しさをうまく伝えられず傷ついていました。
ロッコは先週の失敗をミンミに話すと、自分のしてほしいことを相手に伝えなきゃとアドバイスされます。遊び人のシピのパーティーに参加したロッコは、シピとベッドインし、その際にアドバイス通りに自分の要望を伝えます。
すると、「マニュアルに従わされて気持ちが萎えた」と言われてしまいます。
映画『ガール・ピクチャー』の感想と評価
等身大の3人の女の子を描いた映画『ガール・ピクチャー』。
原題の『Tytot tytot tytot』は直訳すると“女の子 女の子 女の子”という意味で、フィンランドで女の子が何かしたときに嗜めたり、恥ずかしい思いをさせるときに使う言い回しだといいます。
こらこら女の子たち…というようなニュアンスです。アッリ・ハーパサロ監督はそのようなマイナスイメージのある言葉に新たなポジティブなニュアンスを与えたいと思って、本作のタイトルに選んだそうです。
本作は女の子たちの物語であり、カミングアウトに主題を置いたりはせず、同性が好きだと自認しているミンミや、自身のセクシャリティが定まっていなくて葛藤するロッコなど、レズビアンやAセクシャルなどの単語を使わずにそうあるものとしてありのままに映し出しています。
2010年代には、『君の名前で僕を呼んで』(2017)をはじめとしてカミングアウトすることに対する葛藤を描く映画が多く描かれていました。
その背景には、セクシャルマイノリティに対する認知が広まっているとは言えない現状がありました。セクシャルマイノリティに関する認知を広げるためには、まず同性愛者やトランスジェンダーなどLGBTQなど名前を与える必要があったのです。
ハリウッドの#ME TOOをはじめとした運動も、“声を上げること”から始まりました。抑圧されてきた声を世間に突きつけることで問題視されていない問題に目を向けさせる必要があったのです。
しかし、本作はそのような流れから更に進み、カミングアウトを主題におくのではなく当たり前に存在していることを前提に描き出します。また、女の子たちをありのままに描くと同時に男の子に対しても、殊更にクズな存在として描くこともなくありのままに描き出します。
本作はクィアムービーであると同時に等身大の十代の不完全さを全てを包み込むような優しさをもって映し出します。
エマとミンミの恋愛に対しても同性愛であることの障壁を描くのではなく、家族との関係により怒りをうまくコントロールできない姿や、スランプに陥った姿など思春期らしい悩みと恋愛関係をもって描きます。
まさに現代を象徴するような“新しさ”がある映画ですが、王道の青春映画らしさも随所に散りばめられています。新しさと普遍的なものが融合し、思春期真っ只中の世代にも、かつてそのような経験をした世代にも刺さるエモーショナルで愛おしい映画です。
まとめ
性、恋愛の悩みや将来への不安をエモーショナルな映像と音楽で彩る王道の青春映画の要素が盛り込まれた本作は、3つの金曜日を描き、最後の翌日を描くという点も注目です。
何かが起こる予感のする10代の金曜日。出会い、葛藤、最後の金曜日で大きな衝突を経て次の土曜日でとても大きな変化はないけれど、少しの勇気と優しさが観客の背中をも押してくれるようなエンディングへと向かっていきます。
特に印象的なのは、「キスもセックスもしたくないかも」というロッコのセリフです。ロッコは自分が男の子といても何も感じないことに普通とは違うのではないかと悩んでいます。
それは性行為において快楽を得られないことでもあり、そもそもその行為を自分がしたいと思っているのかというところにも繋がっているのかもしれません。
ミンミのアドバイスを経て数人の男の子と経験してみるも、なかなかうまくいきません。そんなロッコが、今はしなくてもいいんだというところに辿り着くのです。ロッコは性的欲求や恋愛感情を持たないAセクなのかもしれませんが、そのことを劇中で明確にはしません。
必ずしも焦って答えを出そうとする必要はないと、ロッコが間違えたりうまくいかなかった経験も肯定し、そのままでいいと伝えてくれる本作の姿勢に救われる人もいるのではないでしょうか。
そのような姿勢は『ミューズは溺れない』(2022)にも通ずるところがあります。少しずつ認知が広がり、ありのままの日常を映し出すクィアムービーが今後作られていくのかもしれません。