サスペンスの神様の鼓動57
心の傷を癒す目的で、田舎町に2週間滞在することにした女性ハーパー。彼女が遭遇する、同じ顔の男たちの恐怖を描いたサスペンススリラーが映画『MEN 同じ顔の男たち』です。
『ザ・ビーチ』(2000)の原作者としても知られるアレックス・ガーランドが監督と脚本を手がけた本作は、アートのような美しさと不可解な恐怖が交差する「悪夢」のような作風に仕上がっています。
主人公のハーパー役には『ロスト・ドーターX』(2021)で第94回アカデミー賞・助演女優賞にノミネートされた実力派女優ジェシー・バックリー。
また「007」シリーズのビル・タナー役で知られるロリー・キニアが、ハーパーの前に次々に現れる男たちを“一人多役”で演じ分けるという怪演を見せています。
『MEN 同じ顔の男たち』はクライマックスを含め、非常に解釈が難しい作品なのですが、今回は「アダムとイブ」「楽園」などのキーワードから本作を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『MEN 同じ顔の男たち』のあらすじとネタバレ
イギリスの田舎町に、2週間の休暇に訪れたハーパー。
彼女は、夫ジェームズが飛び降り自殺をする瞬間を目撃してしまったことから、心に傷を抱えていました。そして気分転換のため、夢にまで見ていた豪華なカントリーハウスで休暇を過ごすことを決めたのです。
ハーパーは、カントリーハウスの庭に生えていた、リンゴを一つもぎ取りかじります。カントリーハウスの管理人ジェフリーは、その様子を窓から見ていましたが、明るくハーパーを出迎えます。
冗談好きのジェフリーを、ハーパーは「田舎っぽい変わった人」と感じます。
カントリーハウスで一息つき、友人のライリーとチャットで連絡を取り合った後に、ハーパーは散歩に出かけます。
散歩の途中、大きなトンネルに遭遇したハーパーは、トンネル内に自分の声を反響させて遊びます。ですが、その声に反応するように、トンネルの反対側の出口に、不気味な男の影が現れます。
男の影は、ハーパーを目指して走ってきたため、ハーパーもトンネルから逃げ出します。男の影を振り切ったハーパーは、草原の写真を撮影しますが、そこに人影があることに気付きます。
その人影は、先ほどハーパーを追いかけて来たと思われる、全裸の男でした。
カントリーハウスに戻り、パソコンで仕事をしていたハーパーは、庭に全裸の男が侵入して来たことに気付きます。警察を呼んだことで男は連行されましたが、ハーパーはショックを受けたままでした。
気分を変えるために、近くの小さな教会を訪れたハーパー。ハーパーは、教会内でジェームズの死を思い出し、泣き叫びます。
サスペンスを構築する要素①「ジェームズを喪った過去」
田舎町に休暇のために訪れたハーパーが遭遇する、理不尽な恐怖を描いた『MEN 同じ顔の男たち』。
本作の序盤では、ハーパーが田舎町に休暇へ訪れた理由が語られていきます。
ハーパーは、夫であるジェームズを飛び降り自殺で失ったことが理由で、休暇に訪れました。しかも、ジェームズが落ちていく瞬間をハーパーは目の当たりにしており、本作の冒頭はスローモーションで落下していくジェームズと、それを見つめるハーパーという、なかなかショッキングな場面から始まります。
本作は全編を通して、ジェームズが飛び降り自殺をするまでの経緯が、少しずつ語られていくのですが、ハーパーはジェームズから暴力を受けていました。
ですがハーパーも性格が強く、ジェームズに反撃をし、謝罪しようとするジェームズを受け入れることなく、部屋から追い出します。その直後、ジェームズが飛び降りた姿を目撃したのです。
女性に暴力を振るう行為は、あってはならないことです。ただ、ハーパーは一方的にジェームズを拒絶し、話し合おうともしません。
この一連の場面は、ハーパーのやや一方的ともいえる性格が伝わる展開になっています。
サスペンスを構築する要素②「同じ顔の男たちの意味は?」
ハーパーが休暇に訪れた田舎町は、同じ顔の男が何人も存在する不気味な街で、それが『MEN 同じ顔の男たち』という作品の最大の特徴になっています。
それでは、何故皆の顔が同じなのか?そこに明確な説明はありません。
同じ顔の男たちはぞれぞれ職業も性格も違い、全員が非常に人間味あふれるため、映画を観ている方の中には「同じ顔」という奇妙な事態にも次第に馴染んでしまう方もいるかもしれません。しかし本作は、のちに「馴染む」など言葉に出せないほどの展開を見せていくのも見どころです。
ここからは完全に憶測なのですが、この田舎町の男たちは「ハーパーの目線を通して同じ顔に見えただけ」ではないでしょうか?
最初にジェフリーと会った際の印象を、ハーパーは友人のライリーに対し「いかにも田舎町にいそうな変わった人」と語っています。つまり、ハーパーには「田舎町の男への偏見」があり、その偏見が全員を同じ顔に見せていたのかもしれません。
一方でこの街に住む男たちは、ジェフリーを除き、ほとんどが女性を軽視し差別的ですらあります。
ハーパーと田舎町の男たち。お互いが抱く偏見が、絶対に分かり合えない壁を作っている。「同じ顔の男」という表現には、そういった意味があるのではないでしょうか。
サスペンスを構築する要素③「おぞましいラスト20分を考察」
ハーパーが出会う「同じ顔の男」が「偏見」を表現しているとして、最も奇妙で難解なのがラスト20分の展開です。
ハーパーが洞窟で偶然出会った全裸の男のお腹から別の男が現れ、その男の体の中からまた別の男が現れて……が繰り返される演出は、映像的にもハチャメチャに気持ち悪い上に、何が起こっているか全く理解ができない恐怖があります。
そのような事態が起こった要因について、作中で明確な答えは描かれていないのですが、ヒントになるのは突然現れた全裸の男です。
全裸の男は、本作のクライマックスで頭に「草冠」をしているのですが、これは旧約聖書の冒頭にある「創世記」で描かれている、最初の人類にして最初の男性アダムを表現しているのでしょう。
本作の冒頭、カントリーハウスに到着したハーパーが庭のリンゴを食べた時に、ジェフリーは「禁断の果実だ」と冗談を言います。
「禁断の果実」を、アダムとイブが食べてしまったことで、羞恥心が芽生え、楽園から追放されてしまいます。この瞬間に、人類から明確な男女の概念が芽生えたと言えます。
これをふまえての、クライマックスの展開の考察ですが、「全裸の男から、街に住む男が次々に現れる」という表現は、アダムとイブによって男女の概念が生まれたのち、時代とともに男性が女性を蔑視するようになった、おぞましい流れを表現しているのではないでしょうか?
そして、最終的に現れたのは、亡くなった夫のジェームズ。ジェームズは「愛が欲しかった」と言います。ハーパーがジェームズに与えることができなったものは、愛だったのです。
男性が女性に一方的に愛を求める、いわゆる「男らしさ/女らしさ」の概念からすると、逆のパターンのように感じます。そして、次の場面では朝になり、自身を訪ねて来たライリーに、ハーパーは笑顔を見せます。
なお同場面では、ジェフリーがハーパーを襲うのに使った車は、大破されたまま残っています。クライマックスの展開は、ハーパーの心の傷が原因で見えた、幻覚や悪夢だった可能性が高いですが、全てがそうではないのでしょう。
どこまでが現実だったのか、そもそもこの街の男はどうなったのか?説明されていない部分に不気味さを感じる作品でした。
映画『MEN 同じ顔の男たち』まとめ
本作は、美しい映像が特徴的で、まさに「楽園」を表現しているかのようです。そして、何人もの同じ顔の男を一人で演じきったロリー・キニアの表現力も見どころです。
またハーパーも、恐怖におののくだけではなく、これまでのホラー映画のヒロイン像から脱却したような「強さ」が印象的な女性です。
監督のアレックス・ガーランドは「男性も女性も大きな差はない」と語っており、「男性らしく女性らしく」という時に有害な固定観念が問題と語っています。
つまり「田舎町の男」という固定概念で男たちを見ていたハーパーや、女性蔑視的な概念を持っていた男たちを通して、固定観念の有害さを描いているわけですね。それぞれ、お互いがモンスターに見えていた可能性もあります。
ただ、クライマックスの20分は、人によって解釈が確実に違うでしょう。
2021年は、男社会のおぞましさを描いた作品が多かったのですが、「男性らしく女性らしく」という概念に踏み込んだ本作は、さらに違う問題定義を込めた映画だと感じます。