若き日の父と出会うタイムスリップの旅
『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)の堤真一が主演を務める感動のヒューマンドラマ。
浅田次郎の出世作を原作に、『花戦さ』(2017)の篠原哲雄監督が映画化しました。
大沢たかお、岡本綾、常盤貴子が共演し、人と人の縁の物語を紡ぎます。
父と仲違いしていた主人公がタイムスリップして出会ったのは過去の若き父でした。その出会いによってふたりの心はどんな変化を迎えたのでしょうか。
心揺さぶられる名作の魅力についてご紹介します。
CONTENTS
映画『地下鉄(メトロ)に乗って』の作品情報
【公開】
2006年(日本映画)
【原作】
浅田次郎
【脚本】
石黒尚美
【監督】
篠原哲雄
【編集】
キム・サンミン
【出演】
堤真一、岡本綾、常盤貴子、大沢たかお、田中泯、笹野高史、北条隆博、吉行和子
【作品概要】
『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)の堤真一演じる主人公・真次が地下鉄に乗ってタイムスリップし、若き日の父親と出会って本当の父の姿を知る姿を描く感動のヒューマンドラマ。
原作は『鉄道員』で直木賞を受賞した浅田次郎の同名小説。『花戦さ』(2017)の篠原哲雄監督が監督を務めます。
真次の父・佐吉に大沢たかおが扮し、若き頃から晩年までを見事に演じ分けています。共演は岡本綾、常盤貴子、吉行和子ほか。
東京メトロの全面協力のもと、博物館にしか残っていない車両や本物の駅で撮影されました。
映画『地下鉄(メトロ)に乗って』のあらすじとネタバレ
衣料品営業マンの長谷部真次は、仕事帰りの地下鉄の永田町駅で父が倒れたと弟から連絡を受けます。
その後、真次は偶然中学時代の恩師の野平と永田町のホームで再会します。その日は若くして亡くなった兄の昭一の命日でした。
野平は東京オリンピックの開かれた39年のあの日を忘れられないと話します。兄が亡くなったあの日。気難しく威圧的な父が兄の眠る霊安室にやって来た時、兄の死は父のせいだと真次は責め、野平の目の前で父に殴られました。
ホームで野平と別れた後、亡き兄によく似た人が通り過ぎ、真次は思わず後を追って地上へ出ます。
すると、そこは兄が死んだ昭和39年の東京・新中野の街でした。
映画『地下鉄(メトロ)に乗って』の感想と評価
横暴な父の胸の内にあった真実
熱いヒューマンドラマで知られる浅田次郎の同名小説を映画化した『地下鉄(メトロ)に乗って』。
真次の父・佐吉は大きな会社を経営するやり手で、家族に対して抑圧的で横暴な父親でした。若き頃の兄はそんな父とケンカして家を飛び出し、交通事故で亡くなってしまいます。その日を境に、真次と佐吉の断絶は決定的なものとなってしまいました。
何年もたってから、真次は地下鉄に乗るたびにタイムスリップするという不思議な体験を繰り返すようになります。それは若き日の父と出会う旅でもありました。
特に印象的なのは、初めて電車に乗ったという出征直前の父との出会いのシーンです。出征祝のたすきをかけたまだあどけなさを残す佐吉は、どこに送られるのか、生きて帰れるのかと抱えきれない不安に押しつぶされそうになっていました。
真次は若き父に、「無事に必ず帰って来れる」と力強く語り掛けます。心を開いた佐吉は、千人針をくれた母への愛情と、彼女と家庭を作り子どもを育てる夢を語りました。
これから命を失うかもしれないという時に、まだ見ぬ未来の家族との幸せな生活を夢見ながら戦地へと向かう父。その姿を見た真次の胸の内は想像して余りあります。自分の存在こそが父の夢そのものだったと知った真次の心は大きく揺れ動きます。
その後、死んだ兄・昭一の父は佐吉ではなく、母が当時恋していた東京帝大の学生だったことがわかります。おそらくその学生は命を落としたのでしょう。母を愛していた佐吉は、すべてを知った上で彼女も昭一も受け入れていたのでした。
母が愛していた帝大生への消しきれない嫉妬心、そして自分とは違って優秀だった彼への引け目もあって、素直に家族への愛情を表せない佐吉。それでも、賢い昭一の能力を活かしてやりたいという思いは真実でした。しかし威圧的に帝大に進学するように強制したことで昭一の心は離れ、悲劇を招いてしまいます。
すべての真実を知った真次は、初めて父の深い愛情を知ります。真次が病室を訪れたとき、もう父は目を覚ましませんでした。父と子は目を見て分かり合うことは叶いませんでしたが、真次の心は救われます。
親に愛されているという実感が子どもにとっていかに大切なものなのか痛いほど伝わってくる一作です。
ラストになって、佐吉が商売を始めたきっかけが絹の上等な下着を入れたトランクを持ったスーツ姿の男、すなわち真次に出会ったことだったことが明かされます。
実は息子が父を導いていたというそんな不思議なエピソードが最後に心を温めてくれます。
ふたりの人物の無償の愛
本作には真次と佐吉という断絶していた父と子を結び付ける人物がふたり登場します。
ひとりは、真次を過去の世界に導く中学時代の恩師の野平です。永田町の駅で野平と数年ぶりに再会した真次は、その後何度もタイムスリップを経験します。
若い昭一が亡くなった日、父の佐吉と真次の悲しい仲違いを目の前で目撃した野村は、おそらくはずっと胸を痛めたまま亡くなったのでしょう。死んだ後も教え子の心が救われずにいるのを見て、たまらず駅で待っていたに違いありません。
最後、真次が佐吉を見舞ったと聞いた野平はやっと役目を終えました。もう決して真次の前に現れることはないでしょう。
「地下鉄はいいよ。思った場所に自在に連れて行ってくれる。」という野平の言葉が胸に沁みます。真次はいくつもの過去を訪れることが叶い、野平もまた地下鉄に乗って真次のもとにやって来ることができたのです。
もうひとり真次に無償の愛を捧げる人物は、真次の愛人のみち子です。
彼女は芯が強く、真次に佐吉と似ていると面と向かっていいます。そう言われて憤慨して、「俺は家族を捨てていない」と反論する真次は確かに佐吉そっくりと言えます。今ならいろいろな意味で問題有りの言葉ですね。時代を感じさせるセリフです。
その後、なぜかみち子は真次と一緒にタイムスリップするようになります。そこには衝撃の理由がありました。みち子の父は佐吉だったのです。真次とみち子は腹違いの兄妹でした。
佐吉は真次たちの母を心から愛していましたが、それ故にほかの男を愛していた妻を前に苦悩していたに違いありません。自分だけを愛してくれる利発でかわいいお時に安らぎを覚えたのも無理もないことでした。
みち子が自分の父が佐吉であることをもともと知っていたのかどうかははっきり描かれません。真実を知ったみち子は、両親が自分の生まれてくることを心から喜んでいる姿を見て確かな幸福を実感します。
しかし、彼女が選んだのは真次の幸せでした。みち子は自分をお腹に身ごもっている母を抱きしめたまま一緒に階段を転げ落ちます。母を流産させることで、みち子は自身の存在をこの世からを消したのです。
真次もみち子も、兄妹同士と知ったからといって簡単に思いを消せるはずもありません。さらに苦悩は深まったことでしょう。みち子はこれ以上互いを苦しめることがない確実な方法を選びました。
野村の温かな思いやり、そして真次の幸せだけを願い自らの命を封じ込めたみち子の深い愛によって、真次は新たな人生へと踏み出すことができたのです。
まとめ
父と子の和解と再生を描くヒューマンドラマ『地下鉄(メトロ)に乗って』。父への憎しみを強く抱いていた主人公・真次は、現代と戦中戦後の世界を何度もタイムスリップしてさまざまな時代の父と出会い、必死に全力で愛に生きてきた父の真実の姿を知ります。
父を嫌っていた真次が誰より父にそっくりな性格であることも涙を誘います。彼は実はそのことをずっと知っていたからこそ、深く苦悩していたのかもしれません。
父を許すことは、彼自身を許すことでもありました。自分が父としたかったキャッチボールを自分の息子とするようになり、母や弟に優しくできるようになった姿を見ると、真次が重い鎧を下ろして解放されたことが伝わって来て胸打たれます。
両親のこれまでの人生についてあまり深く聞いたことがない人の方がきっと多いのではないでしょうか。この作品を観終えたら、両親から昔の話をじっくり聞いてみたくなるかもしれません。