映画『RUN/ラン』は2021年6月18日(金)よりTOHOシネマズ日本橋ほかにて全国ロードショー公開!
2018年公開の映画『Search/サーチ』にて、ユニークな脚本とギミック満載の演出をみせたアニーシュ・チャガンティ監督の長編2作目となる映画『RUN/ラン』。
最も身近な存在であるはずの母親に囚われた少女が、孤立無援の極限サバイバルを繰り広げる本作は、全編にわたって手に汗握るスリリングな心理戦が展開され、サスペンス・サイコスリラーとして高い完成度を誇っています。
本記事では「娘編」と称して、『RUN/ラン』に込められたテーマや技巧を凝らした演出から作品を、毒親の支配から逃れようとする娘クロエの視点で紐解いていきます。
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映画『RUN/ラン』の作品情報
【日本公開】
2021年(アメリカ映画)
【原題】
RUN
【監督】
アニーシュ・チャガンティ
【キャスト】
サラ・ポールソン、キーラ・アレン、サラ・ソーン、パット・ヒーリー
【作品概要】
主演にして母ダイアンを演じたのはサラ・ポールソン。『ミスター・ガラス』(2019)『カッコーの巣の上で』(1975)に出演したほか、「アメリカン・ホラー・ストーリー」に登場した看護師を描くNetflixのドラマシリーズ「ラチェット」で主人公のミルドレッド・ラチェットを演じるなど、現代サイコホラーを代表する女優の一人として活躍しています。
娘クロエ役に抜擢されたのは、プライベートでも車椅子を使用している新人女優キーラ・アレン。劇中でも車椅子を巧みに操作し、時には床や屋根の上を這い生き抜こうとするアレンの熱演が、緻密なサイコロジカル・サスペンスの演出に迫真性をもたらしています。
映画『RUN/ラン』のあらすじ
とある郊外の一軒家で暮らすクロエは、生まれつき慢性の病気を患い、車椅子生活を余儀なくされていました。しかし常に前向きで好奇心旺盛な彼女は、地元の大学への進学を望み、寮生活による自立を目指していました。
そんなある日、クロエは自分の体調や食事を管理し、進学の夢も後押ししてくれている母親ダイアンに不信感を抱き始めます。ダイアン名義で処方された緑色のカプセル薬を、新しい薬と称してクロエに差し出してきたためです。
やがてクロエは懸命な調査によって、それは決して人間が服用してはならない薬であった事を突き止めます。
なぜ最愛の娘に嘘をつき、危険な薬を飲ませるのか。そこには恐ろしい真実が隠されていました。
耐えきれなくなったクロエはついに母親の隔離から逃げようと試みますが、その行く手には想像を絶する試練と新たな衝撃の真実が待ち受けていて……。
映画『RUN/ラン』の感想と評価
「バリアフリー」はサスペンスへと通じる
「身体に不自由を抱えた主人公が、手に汗握るサスペンスを繰り広げる」というシチュエーションから連想されるのは、サスペンスの神様ことヒッチコックの名作『裏窓』(1954)でしょう。
このようなシチュエーションでは、今そこで犯罪が起こっているのに、止めることのできないじれったさや助けを呼ぼうにも思うように外部と連絡のとれないもどかしさが、不安と緊張を生み出し、主人公の姿を通して観客に共有されます。
ただ実際に車イス生活を送っている俳優が、同様のシチュエーションを演じるという点では、ヒッチコック版よりもクリストファー・リーヴ主演が務めた1988年のリメイク版の方が本作に近いと言えます。
また、身体の不自由が作品の「サスペンス」を生み出す重要な要素となっている映画としては、『クワイエットプレイス』(2018)とも類似していると考えられます。そして不自由を乗り越えようとする主人公の姿が、展開する物語の推進力と密接に影響しているのが、そうした映画の普遍的で最大の見どころでもあります。
映画『RUN/ラン』についても、実際のリハビリでも効果的な治療のひとつとして考えられている「激しい感情の発露」が、物語における重要なポイントとなっています。しかしその「激しい感情」は、観る者が予想だにしない思わぬ方向で発露することになるのです。
映画『RUN/ラン』は現代の「ラプンツェル」!?
危険な薬を与えられていたことに加え、クロエがダイアンから受けた精神的虐待の中で最も熾烈なのは、彼女を学校に通わせなかったという点でしょう。
学校に通うという行為は、勉学や基礎教養を身につけるだけでなく、同世代の人間がいる空間で過ごすことにより、どのような形であれど社会性を身につけていく行為でもあります。そして社会性を身につけさせないというのは、子育てにおいて最も残酷な精神的虐待のひとつであると言えます。
また学校という空間だけでなく、スマートフォン及びインターネットが手軽に使える環境を子どもに与えないことも、ネット社会に至った現代では虐待にあたるのではないでしょうか。
それがある程度の危険を孕んでいることに注意を促す必要は確かにありますが、現代社会における外の世界へと繋がる「窓口」を、子供の手の届く範囲に“敢えて”設けさせないことは、十分虐待にあたると言えます。そして外の世界と分断された子どもには、それが虐待であるということすら気付かないという悪循環をも生み出しているのです。
外の世界から断絶された家での暮らしを余儀なくされているクロエの姿は、次第に支配的な親の呪縛に気付きはじめる過程を含めて『ブリグズビー・ベア』(2017)の主人公ジェームズを連想させます。
また劇中、ダイアンとふたりで町を見に行った映画のタイトル『Break Out(脱出)』が示唆したその後の展開通り、自由を求めて外の世界へと脱出しようとするその展開は、アニメ映画『塔の上のラプンツェル』(2010)でより知名度が高まったグリム童話「ラプンツェル」を思い出させます。
そして親の庇護から逃れることに対する一抹の罪悪感、献身的な親に抱く後ろめたさというクロエの心理も、育ての親である魔女に対するラプンツェルの心理と共通と重なるのです。
チョコレートとクレヨンの「紫」が意味するもの
紫という色は「高貴な個性」など、個性としてのアイデンティティの発露を意味しています。またスピリチュアルなイメージとしては「精神的奉仕」という意味もあり、母親ダイアンにとって娘に対する献身、娘クロエにとっての生きていく上で頼るべき母親の存在のすべてを表していると言えます。
血糖値を理由に母親が管理していたチョコレートの包み紙は、紫色。母親ダイアンにとって自分のアイデンティティの一部である娘をコントロールすることを意味し、クロエがそれをこっそり持ち出すのは、彼女は既に独立した存在であることを暗示しています。
彼女が求めるチョコレートとは、自立したいクロエの意思と彼女は母親の管理されたモノであるという両面を象徴しているのです。
また劇中にて、母親の支配から脱出するためのキーアイテムとなるクレヨンも紫色。そうして繰り返し「紫色」というモチーフを出すことで、クロエが母親から独立する過程をなぞっています。
まとめ
毒親からの脱出を描いた本作は、その王道とも言える物語のプロットを、各キャラクター像の描きこみによってより強靭なものにしています。
支配的な母親ダイアンの元で育ったクロエは、無意識下においても親の顔色を窺うようになります。それは「母親のなす事は全て自分の為にやっていることだ」と言い聞かせられた結果、行き届いた洗脳がそうさせるのです。
たとえ母親の呪縛から逃れることが出来たとしても、人格形成される年頃に親によって歪められた自分の一部は、その後もクロエに深い影を落とし続ける。それがどのような形で劇中で描かれるのかは、映画を観ることで明らかになります。
映画『RUN/ラン』は2021年6月18日(金)よりTOHOシネマズ日本橋ほかにて全国ロードショー公開!