殺し屋たちに下された“最後の審判”の行方を物語る・・・
今回ご紹介する映画『ヒットマンズ・レクイエム』は、各国際映画祭や第90回アカデミー賞で多数の賞を受賞した『スリー・ビルボード』(2017)のマーティン・マクドナー監督作品です。
マクドナー監督の映画『イニシェリン島の精霊』(2023)で共演した、コリン・ファレルとブレンダン・グリーソンが15年前に初共演した作品です。
ロンドンで一仕事を終えた2人の殺し屋は、ボスからの命令でベルギーの古都ブリュージュに潜伏します。しかし、ブリュージュに行かせたのには理由がありました……。
殺し屋たちの義理や人情を皮肉やユーモアを交ぜながら描き、国際的な観光地ブリュージュならではの“勘違い”と“偶然”を織り交ぜたクライムドラマです。
CONTENTS
映画『ヒットマンズ・レクイエム』の作品情報
【公開】
2008年(イギリス、アメリカ合作映画)
【原題】
In Bruges
【監督・脚本】
マーティン・マクドナー
【キャスト】
コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、レイフ・ファインズ、クレマンス・ポエジー、ジェレミー・レニエ
【作品概要】
『ダンボ』(2019)、『アフター・ヤン』(2022)のコリン・ファレルが、本作のレイ役でゴールデン・グローブ主演男優賞を受賞しました。
共演に『トロイ』(2004)、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(2005)などの話題作に幅広く出演し活躍するブレンダン・グリーソンが、ベテランの殺し屋ケンを演じます。
また、『シンドラーのリスト』(1993)でアカデミー助演男優賞を受賞し、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(2005)からヴォルデモート卿を演じている、レイフ・ファインズがハリー役を演じます。
映画『ヒットマンズ・レクイエム』のあらすじとネタバレ
新米の殺し屋レイと先輩のケンはロンドンで一仕事終えると、ボスの命令でベルギーの古都ブリュージュに行き、2週間の潜伏を指示され訪れます。
しかし、レイにとってブリュージュは退屈な街で、到着して早々愚痴や文句ばかりを言います。古都の歴史や街並みに興味のあるレイは少し観光気分です。
しかし、クリスマスシーズンにぶつかり、別々の部屋が取れずツインルームになってしまい、レイの不満は募るばかりです。
駄々をこねるレイにケンは「言いたくはないが・・・」と、レイの弱みを持ち出し命令に従わせました。
2人は常に一緒に行動しなくてはならず、観光するのも2人一緒です。ケンは楽しんでいますが、レイはずっと不満を言い、名所めぐりも楽しめません。
ブリュージュのシンボル的な“鐘楼”を見学に行った2人ですが、レイは外で待つと言って残ります。
入場料を小銭で払おうとするケンでしたが、足りずにまけてほしいと言いますが、受付のスタッフは断固拒否し、ケンは渋々紙幣で支払いました。
それでも展望から望む街並みに感動するケンでした。ケンは広場でウロウロするレイをみつけ、狙撃するまね事をします。
レイはアメリカ人観光客の家族から、“鐘楼”には上ったか聞かれて適当な返事をします。家族は豊満な体型だったため、レイは階段が狭いからやめておけと忠告します。
体型をバカにされたと思ったアメリカ人は激怒しますが、見学を終えて戻ってきたケンからも、同じことを言われ憤慨しながらも入っていきます。
ブリュージュに来る前にレイは仕事でミスを犯していました。そのためブリュージュで身を潜めるよう命令されたと思いますが、ケンは他にも何か仕事があるのかもしれないと考えます。
その晩、ホテルの部屋で2人きりになると、ケンは読書をしながら、ハリーからの連絡を待ちますが、レイの不満が炸裂します。
結局、レイはライトアップされた街を観に行こうとケンを誘います。歴史的な建造物が好きなケンは、彼の提案にのって街に出かけました。
偶然、街の由緒ある教会の近くで映画撮影の現場に遭遇したレイは、俳優の“小人”がいるのに気がつき、興味津々で見学をはじめます。
そして映画関係者のクロエと目が合い、心を奪われます。レイは関係者のふりをして侵入し、彼女に積極的にアタックし翌日のディナーデートの約束を取り付けました。
一方、ケンは先にホテルへと戻り、ハリーからの伝言を受け取ります。待機していなかったことに怒りをあらわにし、翌日は必ず部屋で待機するよう脅迫にも近い伝言でした。
しかし、レイはクロエとデートをする約束をしてしまったため、ケンは日中は美術館に付き合うことを条件に、電話番を引き受けました。
翌日、ケンが選んだ名所は“聖血礼拝堂”です。ケンとの約束とはいえレイは居心地悪そうに、落ち着きません。
ケンは聖血礼拝堂には十字軍が持ち帰ったと言われる、キリストの血が祀られていると説明しますが、レイは興味を示すどころか、礼拝堂を出ていきました。
レイの初仕事だった暗殺は教会の司教でした。懺悔室で告白するふりをして発砲し、礼拝堂に逃げる司教に追い打ちをかけたとき、祈りを捧げる幼い少年に流れ弾が当たり、殺してしまいました。
映画『ヒットマンズ・レクイエム』の感想と評価
現代版の「死都ブリュージュ」
映画『ヒットマンズ・レクイエム』の舞台となった、ブリュージュは13世紀から14世紀にかけて、毛織物の交易で繁栄したベルギーの都市です。
ところが交易に使われていた運河が、15世紀後半に起きた自然災害の土砂によって、運航ができなくなり以降ブリュージュは衰退してしまいます。
そのブリュージュは19世紀の小説家、ジョルジュ・ローデンバックの小説「死都ブリュージュ」によって、多くの世界遺産やユネスコ無形文化遺産に登録される都市となり、観光地として息を吹き返し再び脚光を浴び始めます。
ローデンバックが書いた「死都ブリュージュ」は最愛の妻を亡くし失意の中、陸の孤島と言われていたブリュージュで隠棲生活をしている男の物語です。
小説には衰退しているブリュージュの静寂や幻想的な街並み、歴史ある建造物の描写が多く描かれていて、読者の興味を引いて行きました。
殺し屋のレイが子供を誤って殺し失意の中、逃亡したブリュージュは観光地として活気を取り戻した美しい街ですが、レイには小説の主人公が見ていた景色と同じに見えたことでしょう。
ローデンバックは小説のはしがきで、ブリュージュという都市を「人々の精神状態と結ばりあい、忠告し、行為を思いとどまらせ、決心させる主要人物」のように扱っていると書きます。
小説には主人公が苦悩する中で出会う女性とのなれそめ、死者への冒涜、自殺を試みる行為や主人公に忠告し、思いとどまるよう説得するなど、本作にもみられたシーンがあります。
人の精神状態をブリュージュの街に重ねた小説「死都ブリュージュ」だとしたら、歴史の移り変わりで再生した、現代のブリューシュに重ねたのが本作で、原題を“In Bruges”とした理由と繋がるでしょう。
国民性をブラックユーモアで知る
映画『ヒットマンズ・レクイエム』では、国籍の違う人物が登場するシーンがいくつかあります。それらを国の国民性をブラックユーモアを交えて登場させています。
ベルギー人の場合
ベルギーでは南部と北部で言語が違うことや、隣接する国の違いで国民性も異なります。ブリュージュは北部にあたり、ドイツに近いところから「勤勉でかたぶつ」ともいわれているようです。
確かにホテルの女主人、“鐘楼”で働くスタッフは融通の利かない、“かたぶつ”のように見えました。金銭に関してはシビアで真面目という面がわかります。
アメリカ人の場合
鐘楼に上ろうとしていたアメリカ観光客は、肥満体でレイとケンは上るのをやめるよう忠告しますが、無視して上り心臓発作を起こします。アメリカが肥満大国だと揶揄しています。
小人のジミーが差別されてきたにもかかわらず、差別的な発言をしたりするのは、差別社会では差別には差別で対抗し、虚栄するそんな思考にならざるをえなかったからでしょう。
ジミーはアメリカ人であることで、アイルランド人のレイとケンに「嫌わないで」と言います。アメリカに渡ったアイルランド移民が、差別されていたことを知っているからです。
カナダ人の場合
カナダ人は煙草の副流煙による害に敏感です。カナダは法律で喫煙に関する禁止事項を強化しているくらいです。
カナダでは99%飲食店は禁煙なので、そもそもレストランで喫煙している人が「信じられない」のです。
レイは白人というだけで彼らをアメリカ人と決めつけ、ベトナム戦争やジョンレノンの暗殺を持ち出し、暴言を吐きますがカナダ人の彼らにわかるはずもありません。
アイルランド人の場合
レイを見ていると人懐っこくて、おしゃべりなことがわかりますが、ケンを見ると非常に我慢強い性格ともとれます。
ケンも同様ですが、ハリーからは子沢山で日本人と思しきナニーも雇っているところから、正義感や責任感が強く情に厚い面もあり、信念を曲げない芯の強さがあるとわかります。
ケンの黒人の妻が白人に殺害され、その報復をしたのもハリーでした。ケンもハリーも殺し屋でありながら、博愛主義者だったからでしょう。
まとめ
映画『ヒットマンズ・レクイエム』は新米の殺し屋が初仕事で、幼い子供を誤って射殺してしまったことから、相棒の手によって“始末”させられそうになる顛末を描いた物語でした。
ブリュージュを舞台にした小説「死都ブリュージュ」では、亡くなった愛妻によく似ているが、中身は真逆な性格の踊り子を好きになります。彼女が亡き妻を冒涜したことで主人公に殺害されて終わります。
死ななくてもいいはずのケンは情けを懸けて死に、自分で決めたルールの末にハリーも死にますが、死にたいくらいに苦悩したレイが生き残る、そんな皮肉が最後に待ち受けました。
ケンが「レイにはまだ未来に希望がある」というくだりは、ブリュージュの歴史と重ね合わせ、レイが瀕死の状態の中で「生きたい」「償いたい」と思わせるまで変わります。
誰が見てもおとぎの国のような美しい古都ブリュージュでも、その時の精神状態によっては全く逆に感じてしまうこともあり・・・悩み苦しんでいるのはレイには無茶なことです。
そんな彼に共感を求めたり、自分が決めたルールを破っただけで、抹殺しようとするハリーの自己中心ぶりは、「死都ブリュージュ」の主人公の自己中心とも重なります。
また、悪人なら殺してもよいという理論にも違和感があり、ケンとハリーの死はその報いであり、“自業自得”だったと見ることができます。
レイはブリュージュが“地獄”だとひらめきますが、実は審判を受ける“煉獄”ではないでしょうか? 本当の地獄は生き長らえたあとで待っています。
レイに生きる望みが残ったのは、命を奪った報いは生きながらにして受けることを意味しているからです。