映画『JOURNEY』は2023年10月21日(土)より池袋シネマ・ロサにて限定劇場公開!
武蔵野美術大学の卒業制作作品として、当時21歳の霧生笙吾監督が初めて手がけた長編SF映画『JOURNEY』(2023)。
本作はSKIP国際Dシネマ映画祭2022にて、才能ある次世代映画作家に贈られる「SKIPアワード賞」を獲得しました。
霧生監督は映画監督を志すきっかけとなった作品にスタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』(1968)やリドリー・スコット『ブレードランナー』(1982)を挙げており、本作はその流れに沿うような「哲学としてのSF映画」として仕上がっています。
今回は映画『JOURNEY』の見どころを、「人生」と「旅」という視点からご紹介させていただきます。
CONTENTS
映画『JOURNEY』の作品情報
【日本公開】
2023年(日本映画)
【監督・脚本・製作】
霧生笙吾
【キャスト】
宮﨑良太、伊藤梢、森山翔悟、みやたに、山村ひびき、廣田直己
【作品概要】
肉体から意識を解放することが可能となった近未来で、生きることの意味という普遍的な問いと真正面から向き合った哲学的SF映画。霧生笙吾監督は武蔵野美術大学造形学部・映像学科の卒業制作として本作を手がけた。
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022・国内コンペティション長編部門にてワールド・プレミア上映され、SKIPシティアワードを獲得した。
映画『JOURNEY』のあらすじ
肉体を精神から切り離すことが技術が普及した近未来。
幼いころに夢見た宇宙での仕事に就くことができず、地球で清掃員の仕事に就いていた慶次は、新たな宇宙開発事業の人員募集に応募します。
一方、慶次の妻・静は心を病み、肉体から精神を解放することだけを唯一の希望と見出しながら、慶次と共に日々を過ごしていました。
そんな中、月に渡り音信不通となっていた父から慶次にある便りが届き……。
映画『JOURNEY』の感想と評価
人生は「旅」なのか?
「人生」はしばしば「旅」に例えられ、俳人・松尾芭蕉も代表となる俳諧『おくのほそ道』の中で「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」と記しています。
「月日」と「年月」そのものが永遠に旅を続ける「旅人」であると例えたこの一節は、多くの者の人生観に影響を与える言葉として、長く語り継がれてきました。
本人によって目的地が定まっている旅もあれば、目的地もなくふらふらと彷徨う「放浪」と表すべき旅もあり、中には目的地はあるのにたどり着けない旅もある、人の一生。
十人十色で誰にも辿り着く先を完全には把握できない「人生」という旅路は、今から数百年後の想像し得ない文明となった未来でも、きっと今と同じように存在しているはずです。
タイトル「journey」の意味
また英語で「旅」を意味する言葉のうち、一般的に使われる単語は大きく4つに分けられます。
短期間の旅を意味する「trip」、中・長期間の旅を意味する「travel」、船旅を意味する「voyage」、そして長期間の旅や乗り物を使った旅を意味する「journey」。
映画『JOURNEY』では、近未来を舞台に宇宙に憧れる清掃員の慶次や、心を病み精神の解放に希望を見出す静、そして永遠に生きるアンドロイドの物語が展開されます。
それぞれの「人生」という「旅」を描いた本作ですが、なぜ本作は「旅」を意味する4つの言葉から「journey」を選んだのでしょうか。
実は「journey」という言葉は他の単語とは異なり、「目的地への到着ではなく、その過程に焦点を当てている」という特性があります。
本作では「journey」の意味する通り、意図的に「人生」の終点ではなく過程に物語の焦点が当てられており、各登場人物の「なぜその目的地を目指すのか」が深い心理描写とともに描写されているのです。
また「乗り物での旅」を意味することもある「journey」からは、本作で描かれている各々の人生は肉体という乗り物に乗った「旅」でもあり、その「旅」の終点は肉体の終わりでもあるとも解釈できるでしょう。
映画が描く人類の「旅」の行く先
ほぼすべての生物は「繁殖」を目的と、その一生を無意識のうちに種の繁栄のために捧げています。我々人類もその例に漏れず、人類の繁栄と維持を目的に多くの文明が生じました。
その代償として、繁殖を目的とした結婚や出産を選択しない人間への風当たりはいつの時代も強くありましたが、現在の人類社会は「種」としての人類の意味を再考する時期へ到達したともされています。
本作では、肉体と精神を切り離す技術が一般にまで普及した近未来が描かれており、今よりも何歩も進んだ「人類」の意味を問う作品となっています。
肉体から解き放たれた精神は朽ちることなく永遠に存在し続け、肉体的な死の概念からは解き放たれた存在となります。
しかしながら、精神のみの人間が、他者との接触を持てない代わりに外部からの「メンテナンス」を必要としないのであれば、種としての人類の目的地であったはずの「繁栄」や「維持」は達成どころか、その意味自体を失うことになります。
本作の主人公・慶次は宇宙開発の仕事の面接で、しきりと「意味」や「目的」を問われます。
それは「種」としての目的地を再考すべき時期に差しかかった人類へのメッセージそのものであり、今までも、そしてこれからも歩み続ける人類の「旅」の先に一石を投じるような言葉でした。
まとめ
人間の持つ主体性は「肉体」に宿るものなのか、それとも「精神」に宿るものなのか。
精神が電脳化されインターネットと接続可能になった世界を描いた『イノセンス』(1995)などのSF映画でもこの問いが描かれてきましたが、不可能とされていた技術が実現可能となり始める昨今において、この答えが必要となる時が近づいているとされています。
映画『JOURNEY』の描く未来では、その決断を各人に委ねており「偉い人や頭の良い人が決めてくれる」という「傍観」の姿勢は許されていません。
2020年以降の新型コロナウイルス流行による騒動では、ワクチンをはじめとした多くの事柄が最終的には各人の判断に委ねられていました。
「その時」が来た時、自分たちはどのような判断を下すのか。本作はそんな想像が膨らむような哲学性に満ちた、良質なSF映画となっていました。