失恋で揺れ動く若い男性心理と、新たな恋の予感を描いたウォン・カーウァイ出世作!
今回は群像ラブストーリー『恋する惑星』をご紹介します。
多国籍感満載でエキゾチックな香港を舞台に、歯の浮くような甘いセリフや思わせぶりな仕草……刹那的かつ、永遠の恋に憧れる男女の恋をスタイリッシュに映し出し、ウォン・カーウァイ監督の名を一躍世界に知らしめた作品です。
物語の舞台の中心は、香港・九龍の雑居ビル「重慶大厦」のファストフード店。
5年付き合った彼女にふられ、未練たらたらの刑事モウと、CAの恋人にふられた認識番号633の警官の新たな出会いをした2組の恋の行方を、オムニバス風に描きます。
映画『恋する惑星』の作品情報
【公開】
1994年(香港映画)
【原題】
重慶森林(英題:Chungking Express)
【監督・脚本】
ウォン・カーウァイ
【キャスト】
トニー・レオン、フェイ・ウォン、ブリジット・リン、金城武、ヴァレリー・チョウ
【作品概要】
ウォン・カーウァイ監督は初監督作品『いますぐ抱きしめたい』(1988)が、第42回カンヌ国際映画祭にて新人監督賞にノミネート。本作をはじめ、『天使の涙』(1995)や 『ブエノスアイレス』(1997)で、ラブストーリーをスタイリッシュな映像美で描く監督として世界的に名を馳せました。
『恋する惑星』は第14回香港電影金像奨で最優秀作品賞・最優秀監督賞に、トニー・レオンは最優秀主演男優賞を受賞。以後トニー・レオンはウォン・カーウァイ監督作品に多数出演し、その都度話題作となり、『HERO』(2002)、「インファナル・アフェア」シリーズで人気を高めます。
また日本では知名度のなかった金城武を人気俳優としてのし上げ、のちに金城は『LOVERS』(2004)、「レッド・クリフ」シリーズなどの大作に抜擢されました。
映画『恋する惑星』のあらすじとネタバレ
4月28日の夜、認識番号223号のモウ刑事は、事件の捜査中だった犯人を雑居ビルの建ち並ぶ雑踏の中で取り逃がし、謎の金髪の女とすれ違います。彼は「彼女との距離は0.1ミリ。57時間後、僕は彼女に恋をした」と回想します。
モウは5年付き合った恋人のメイにフラれますが、その日はエイプリルフールだったので「嘘」だと思い込もうとします。彼女から伝言メッセージがあるか、何度も確認しますがモウは現実をつきつけられます。
4月29日の夜、九龍の雑居ビル「重慶大厦」。麻薬密売のディーラーをしている金髪の女は、インド系移民をブローカーとして何人か雇います。
家電やぬいぐるみ、あらゆるものに麻薬を隠し、ブローカーを観光客にみせかけ、売人との取引のため空港に向かいます。しかし、女がチケットカウンターで手続きをしていると、雇ったブローカーたちいは麻薬を隠した荷物ごと、どこかに消えてしまいます。
女は元締めをするバーのオーナーのところに行きますが、彼は賞味期限が「5月1日」の缶詰を彼女に残し消えます。「その日までに逃げたブローカーたちを探せ」という意味です。女はインド人街に戻り、ブローカーたちを探しますが見つかりません。
4月30日の夜。彼女は隠し持っていた拳銃を持ち出し、ブローカーたちを紹介したインド人の娘を誘拐し、居場所を教えるよう脅します。
しかし、隠れ家に向かう彼女の背後から、他のインド人が彼女に銃を向けます。それに気づいた女は銃で応戦し、何人かを撃ち殺したのち逃げました。
一方、モウはメイの好物だったパイナップル缶を買い集めます。賞味期限が5月1日までのものを30個です。
彼は半年間、追い続けていた事件の犯人を逮捕しました。そのことをメイに伝えたくても彼女と連絡は取れません。恋愛にも賞味期限があり、彼女への未練も5月1日までに断ち切るつもりで、彼はパイナップルを全て平らげました。
失恋を認めざるを得ないモウは、だれかれ構わず知り合いに電話をかけ、一緒に飲む相手を探しますが、相手になってくれる人はいませんでした。
モウはしかたなく1人でバーに入って酒を飲み、失恋の寂しさを紛らし始めました。そこにあの金髪の女が入店してきます。モウは彼女を見ると仲良くなろうと必死に話しかけますが、一晩中走り回っていた彼女は疲れ切って、モウと会話をする気分ではありません。
やがて店は閉店時間になり、「休みたい」という彼女とホテルに入ります。女はすぐに眠りについてしまい、モウは軽食を食べながら古い映画を2本観ます。
夜明けを迎えモウは、眠る女の靴を脱がせ帰ろうとしますが、汚れたハイヒールを見て随分歩き回ったのだと理解し、汚れを落としてあげてからそっと部屋を出ました。女は本当に寝ていたのか、それともある時点から起きていたのか、モウが部屋を出るとスッと起き上がりました。
57時間後。5月1日はモウの誕生日であり、彼は「朝の6時に生まれた」と回想します。そして、グランドで体中の水分を減らすため、全力疾走で走り続けます。涙が出ないように……。
モウはメイからの連絡はないと諦めがつき、ポケベルをグランドのベンチに置いて去ろうとします。ところが突然ベルが鳴り、急いで伝言サービスに電話をします。
「702号室の女性から“お誕生日おめでとう”」……金髪の女からのメッセージを、モウは自身が生まれた6時に聞きます。その日がモウの誕生日と知らない彼女の伝言は、彼にとって忘れ得ぬ奇跡の記念になりました。
その頃、金髪の女は彼女を裏切ったバーの元締めを射殺します。女は金髪のカツラを脱ぎ捨て、降りしきる雨の中どこかへ去っていきました。
モウは清々しい気持ちで行きつけのファストフード店へ行きます。店主は「新入りのフェイと付き合ったらどうか」と勧めましたが、彼が指さす方には男性の店員がいて、モウは「趣味はない」と言って店を去ろうとします。
その時モウは、本物のフェイとぶつかりそうになります。彼は「その時、2人の距離は0.1ミリ。6時間後、彼女は別の男に恋をした」と回想するのでした。
映画『恋する惑星』の感想と評価
1970年〜1990年代初期までの香港映画は黄金時代で、ブルース・リーやジャッキー・チェン、チョウ・ユンファ、アンディ・ラウなどの名優も生み出しました。ところが1990年代半ばに、香港はイギリスから中国に返還されることが決まります。
1997年に返還を控え、中国当局の検閲を危惧した香港映画界は、映画制作を抑えるようになりました。1993年の製作本数が242本に対し、1997年は通貨危機の影響も働き、96本までに減少してしまいました。
その中で、1994年にウォン・カーウァイ監督が『恋する惑星』で世界的に認められ、中国返還後も数々の名作を制作しました。
「寸止め」の美学を描いた恋愛物語
すでに香港は中国を身近に感じつつ、自由な観光地として人気の高い都市でしたが、この映画の舞台となった、九龍にある雑居ビル「重慶大厦」の入り組んだ造りもまた名所となりました。
本作は2人の青年の失恋から始まり、それぞれが新しい恋愛へと切り替えていくストーリーです。「ワクワク、ドキドキ、キュンキュン」がラブストーリーの定義と思って本作を観ると、ちょっと理解しにくくて物足りない、そんなストーリー展開だと思うでしょう。
その要因は恋人たちの別れと出会いの“狭間”という、微妙な部分を描いていて、「これから何か起きそう!」「何か展開があるだろう!」と期待させるところで終わってしまうからでしょう。
つまり本作は“寸止め”の美学といえる物語で、その先の男女に起きる出来事を、鑑賞者に委ね想像させるところが、見どころといえます。
そして挿入歌で使用された、デニス・ブラウン『Things in Life』、ママス&パパス『夢のカリフォルニア』、ダイナ・ワシントン『縁は異なもの』が彼らの心情を表しています。
本作はあまり取り上げられない、恋愛の出会いと別れの狭間を丁寧に描いています。それは鑑賞後に視聴者の恋愛観を映し出すことでしょう。
ところでカーウァイ監督は、本作を3つのエピソードで構成するつもりでした。3つ目のエピソードは割愛されましたが、それは脚本がアレンジされたのち『天使の涙』(1995)として制作され、同作にもモウ役で金城武が登場します。
ところが『天使の涙』に登場するモウは刑事ではなく、子供の頃に「賞味期限切れのパイナップル」を食べ、口がきけなくなった青年の役です。
『恋する惑星』のシチュエーションを多く取り入れて、1つの作品になった『天使の涙』は、ある意味では『恋する惑星』の姉妹編ともいえる映画です。
モウとフェイ、2人の行方は
それではモウとフェイには、どんなアフターストーリーが想像できるでしょうか?
モウは刑事ですから、銃殺されたマスターの捜査をすると想像したら、金髪女と違う形で再会する可能性があります。彼女は金髪のかつらをかぶり、サングラスを外すことがなかったので、モウは彼女の素顔を知りませんが、女はモウの顔を知っています。
犯人とも知らずに再会した彼女に恋をするモウ……これだけでもその後のラブストーリーが1つできます。
そして2つ目のエピソードにて、フェイが紙ナフキンへ新たに書いた行先ですが、皆さんは「彼女の行きたい場所」がどこだと想像しますか?
その場所を設定することで、2つ目のラブストーリーが生まれていきます。
フェイは663号に恋愛感情を抱きながら、自分が憧れてやまない“カリフォルニア”への夢を捨てきれません。彼女は当初、その夢を叶えるために貯金をしていましたが、あの晩に進路を変更したのです。つまり、663号が憧れ夢中になるようなCAを目指し、本気で振り向かせたいと考えたのではないでしょうか?
そんなフェイが「行きたい」場所……こう考えるだけでも、幾通りものラブストーリーができ、ときめきが生まれてきます。
まとめ
『恋する惑星』は起承転結形式ではなく、まるでラブソングのような物語でした。
歌詞は約4分間の中で切り取られた場面が表現され、リスナーの想像の中でラブストーリーが生まれます。それと同じように観ることで、想像力が掻き立てられ、各々の世界に浸ることができる映画です。また挿入歌の効果も大切な要素でした。
『夢のカリフォルニア』は明るい曲調ですが、歌詞そのものは「恋人と口げんかで別れ、行くはずだったカリフォルニアに行けず、寒い冬を過ごしている」という内容の歌です。
『縁は異なもの』は、「昨日まで孤独で希望を持てずにいた主人公に、愛を告白してくれる人物が現れ、人生が一変した」という内容の歌です。またエンドロールで流れるのは、フェイ役のフェイ・ウォンが自ら歌う『夢中人』(クランベリーズ『ドリームス』のカバー曲)であり、そのまま663号との出会いを歌っています。
返還目前の成熟した側面と、ノスタルジックな雰囲気を残す香港と、挿入歌の効果でこの映画は成立していました。
なおデニス・ブラウン『Things in Life』は、「変化し続ける世界にあって、良いことも悪いこともあるが、互いに信頼関係を築き、理解し合える人生でありたい」という内容の歌です。
それを深読みすると、『恋する惑星』は、恋愛する前の男女のように、これから迎える中国当局との見通せない関係をも加味した映画なのです。