恋愛感情を持たない、でもそれが私。そう思っていても周りに理解されないヒロインの進む道
『ドライブ・マイ・カー』(2021)で注目を集め、日本アカデミー賞新人俳優賞など数々の賞を受賞した三浦透子を主演に迎え、“恋愛感情を持たない”という新たなヒロイン像で恋愛に対する固定概念を覆す新たな映画を打ち出しました。
単独初主演となった三浦透子は、主題歌も担当し、バンド・羊文学の塩塚モエカが楽曲を提供しました。
チェリストになる夢を諦めて実家にもどってきた蘇畑佳純(三浦透子)。
30歳になっても恋人のいない佳純を母は心配し、ことあるごとに結婚をすすめようとします。
“恋愛感情がない、性欲もない。でもそれが私で、寂しいとも思わない”そう思っていても、理解されないなか、なんとか前に進んでいこうとする姿を描きます。
映画『そばかす』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【監督】
玉田真也
【企画・原作・脚本】
アサダアツシ
【キャスト】
三浦透子、前田敦子、伊藤万理華、伊島空、前原滉、前原瑞樹、浅野千鶴、北村匠海、田島令子、坂井真紀、三宅弘城
【作品情報】
監督を務めたのは、『あの日々の話』(2019)で初監督を務め、『僕の好きな女の子』(2020)の玉田真也。脚本は、『his 〜恋するつもりなんてなかった〜』(2019)などのアサダアツシが手掛けました。
佳純役には、『ドライブ・マイ・カー』(2021)で注目を集め、本作が単独主演となった三浦透子。共演には、『もっと超越したところへ。』(2022)の前田敦子、『サマーフィルムにのって』(2021)の伊藤万理華、『彼女来来』(2021)の前原滉など。
映画『そばかす』のあらすじとネタバレ
蘇畑佳純(三浦透子)は、佳純は、音大に進んだけれど挫折し、音楽をやめ海辺の地方都市にある実家に戻ってきました。
コールセンターに勤めている佳純は、同僚に誘われていったご飯会が合コンで戸惑いを感じています。同僚と一人の男性がいい感じの雰囲気になり、もう一人の男性は佳純にアプローチしてきますが、どう反応していいのか佳純はわかりません。
帰宅した佳純の様子を探るように母(坂井真紀)は質問し、実家に来ていた結婚し妊娠中の妹(伊藤万理華)は、祖母(田島令子)と喧嘩をしています。
30にもなって恋人の気配もなく、結婚する気もない佳純を心配し、口を開けば結婚の話ばかりする母に佳純はうんざりしています。
佳純を心配するあまり母は、佳純に代わって婚活相談に出向き、佳純を騙して見合いさせます。相手の木暮翔(伊島空)と話してみると、木暮は「正直恋愛とか結婚とかどうでもよくて、今は仕事を頑張りたい」と言います。
自分と同じだと感じた佳純は嬉しくなって、「私も恋愛とか結婚とかどうでもいいって思っています」と言い、お互いに親近感を感じます。更に驚くことに、木暮は以前佳純が訪れたことのあるラーメン屋で働いていたのです。
驚きの偶然に、佳純と木暮は仲良くなり度々出かけるようになります。木暮が食べたいラーメン屋が閉店してしまうということで、木暮に誘われ佳純は千葉までラーメンを食べに行き、一泊します。
別に部屋をとっていた2人でしたが、夜に木暮が佳純の部屋にやってきて飲まないかと誘います。佳純の部屋で飲むという木暮に最初佳純は戸惑いますが、部屋に入れます。
明日も早いし、そろそろ部屋に戻ったほうがいいのではないかと佳純がいうと、木暮は佳純の隣に座ってもいいかと言い、佳純の隣に座るとキスをしようとします。
佳純は驚いて避けます。木暮は突然キスしようとしたことを謝り、佳純のことが好きだと告白します。「友達だよね?」と驚く佳純でしたが、最初は友達だと思っていたけど一緒にいるうちに好きになったと木暮は言います。
友達から好きな人に変化するということが佳純には分からず、佳純は自分は誰に対しても恋愛感情がないと木暮に告げます。しかし、木暮は男として見れないならそう言えばいいと言います。
佳純は必死でわかってもらおうとし、「部屋に入れたから誤解を与えてしまったのかな、ごめん」と言いますが、木暮は怒り「馬鹿にするなよ」と言って部屋を出ていってしまいます。
映画『そばかす』感想と評価
ここ数年でLGBTQに対する意識は、少しづつ変化してきました。その変化は映画においても無関係ではなく、LGBTQを描く映画が増えてきました。
一方で、人気のあるジャンルとして消費されているという側面もあります。また、レズビアン(L)、ゲイ(G)、トランスジェンダー(T)を描く映画は増えてきましたが、バイセクシャル(B)やクィア(Q)に属する多様な性的マイノリティに関しては、あまり描かれず、認知もあまり広がっていない状況です。
本作の主人公・佳純(三浦透子)は、恋愛感情・性欲をもたないと言います。そのような性的マイノリティをAセク、Aロマンティックといい、クィア(Q)に属します。
木暮(伊藤空)に告白された佳純は、「誰に対しても恋愛感情を持ったことがない」と打ち明けますが、木暮は理解するどころか、「馬鹿にするな」と怒ります。
佳純が必死に伝えようとしたことは、告白を断るためにでっち上げた嘘としか思われなかったのです。
その背景には、恋愛感情は誰もが持っているものという固定概念があるのでしょう。恋愛感情は形もなく、本来決定づけることが難しい概念であるというのにです。
そのような固定概念が蔓延る社会で、佳純のような人々が存在することは許されなかった。理解できないことは、その人の物差しで理解できるものに置き換えられてしまいます。
佳純の同級生である八代(前原滉)は、佳純に自分がゲイであるとカミングアウトします。驚かず、すんなりと受け入れた佳純に八代は「皆が蘇畑みたいだったらこっちに帰ってこなくてよかったのにな」と呟きます。
詳しくは語りませんが、LGBTQに関する認識が変わってきたとはいえ、未だに不寛容な現代社会がそこに表れています。
更に八代は、「恋愛は生きている上で逃れられないもの」と言います。本当にそうなのか、自分らしい道はないのかと模索する佳純の背中を押したのは、真帆(前田敦子)の存在でした。
「シンデレラ」の物語に男性にとって都合が良いこんな話はおかしいと怒る真帆の姿に佳純は「真帆ちゃんが正しい」と自分のことをカミングアウトします。
真帆は、佳純を受け入れ、佳純の思うシンデレラをデジタル紙芝居に描くのはどうかと提案します。佳純が描く新しいシンデレラは、そのまま佳純が生きていこうとする道でもありました。
自分自身を肯定し、自分はこうだと宣言する勇気を得た佳純でしたが、いざ紙芝居を子供と親、そして選挙に立候補した真帆の父の前で披露した際に、周囲の反応に怖いと感じ途中で止めてしまいます。
子供たちからはなぜ止めてしまうのかという声が上がっていましたが、大人の反応は違いました。
真帆の父親は、多様性というのはきちんとした価値観を知った上で、学ぶべきだ。子供の頃から普通とは違う価値観を植え付けるのはいかがなものか、と言います。
真帆の父親の考えは、表面上多様性を受け入れているよう装っていますが、佳純の考え方を普通ではない=異質なものと決めつけています。
多様性とは逆行する保守的な固定概念でしかありませんが、それが現代社会の大多数なのです。
誰もが大多数を前にし、否定されても私はこうだと貫ける強さを持っているわけではありません。
怖いと感じる佳純の感情は素直な人間らしい弱さです。だからこそ、カッとなるとなりふり構わず自分の意見をぶつけにいく真帆の姿に佳純は勇気づけられるのです。
感情が昂り、家族の前でも自分が恋愛感情がないと告げ、それが私で、そのことを寂しいとも思っていないと告げます。
翌日どこか気まずさが流れる朝食で、父親は明るい調子で仕事をやめて何か自分のやりたいことをしようと思うと宣言します。突然の父の宣言に家族は皆吹き出し和やかな空気が流れます。
劇的な変化は描かれていないように思える本作ですが、佳純が踏み出した一歩はとても大きく、希望に満ちた物なのです。
ありのままの自分を伝えようとすること、それを受け入れてくる人がいること、それは佳純だけでなく、佳純と同じ気持ちを抱えている誰かにとっても大きな一歩と言えます。
終盤で出てきた北村匠海演じる天藤の存在も大きな希望として映ります。
前半、お見合いで知り合った木暮がお見合いに乗り気ではなく、結婚とかどうでもいいと言っていたことに共感し、自分と同じだと嬉しく感じます。しかし、佳純が思う同志と木暮の思う同志は違っていました。
木暮にとって佳純は気の合う存在で、最初は親愛の情を抱いていたのかもしれません。それが共に時間を過ごすうちに恋心に変わっていったのでしょう。
恋愛感情を持ち、異性愛者である木暮にとっては、ごく自然な男女の成り行きに思えても、佳純にとってはそうではありません。
恋愛感情を持たない佳純は、次第に恋心に変化していくという感覚が分からないのです。よって自分が勘違いさせたのではと、自分を責めてしまうのです。
天藤に映画に誘われた佳純は、なぜ自分のことを誘ったのかと尋ねます。「自意識過剰かもしれないけれど、恋愛とかそういうの無理なんです」という佳純に天藤は、佳純が作ったシンデレラを見て、嬉しかったと言います。
「自分と同じことを考えている人がどこかにいる、それだけでいいやと思えた」
その天藤の言葉から、天藤も佳純と同じく恋愛や結婚に対して同じことを考えている同志だということが分かります。
王道のボーイ・ミーツ・ガールのような出会いが、恋愛感情がないという佳純の言葉によって瓦解された上で、天藤と佳純という恋愛感情を持たぬ者同志の新たなボーイ・ミーツ・ガールの形が提示されていくのです。
そして天藤の言葉は、そっくりそのまま映画自体が、同じ気持ちを抱えている誰かのための映画だと気付かされます。
同じことを感じている人がいる、一人じゃないと知ることは、小さな一歩のようで大きく、その先にある希望を予感させるのです。
まとめ
映画『そばかす』は、メ~テレと、制作会社ダブがタッグを組み、“へたくそだけど私らしく生きる”新たなヒロイン像を打ち出す(not) HEROINE moviesの第三弾として制作されました。
第一弾として『わたし達はおとな』(2022)、第二弾として『よだかの片想い』(2022)が制作され、それぞれ新鋭の女優陣が新たなヒロイン像を打ち出してきました。
恋愛感情を持たないAセク、Aロマンティックの登場人物を描いた本作は、LGBTQ映画としても画期的であり、30代の女性の生き方を描く映画としても共感できる物語になっています。
誰もが恋愛して当然だという固定概念が、かえって誰かを生きづらくさせているということに無自覚であったことを本作を通して感じた人もいるのではないでしょうか。
今年公開された『ミューズは溺れない』(2022)の主人公も皆が好きな人がいて当然の空気の中、その感情がわからないことに悩んでいました。
思春期で、自身の性自認に気づく人も多いですが、必ずしもそれが絶対ではない可能性もあります。
『ミューズは溺れない』において、主人公を好きだという同性の同級生もレズビアンとして明言はせず、主人公の恋愛感情のわからなさもAセク、Aロマンティクとは明言していません。そのような思春期の揺らぎを揺らぎのまま描く姿勢は、新たな潮流といえるでしょう。