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Entry 2019/07/19
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映画『カニバ』佐川一政の実弟・純さんインタビュー|パリ人肉事件38年目を経た“佐川兄弟”の現在

  • Writer :
  • 河合のび

映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』は2019年7月12日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかロードショー!

1981年。日本人留学生としてフランス・パリに訪れ、そこで知り合い友人となったオランダ人女性を射殺。そして、女性の遺体の一部、すなわち“人肉”を食した。

通称「パリ人肉事件」を起こした張本人・佐川一政カニバリズム(人肉食行為、或いは人肉食嗜好)を知る者ならば誰もがその名を知るであろう彼が、現在は寝たきり生活を送っていると知る者は数少ないでしょう。

事件から38年。“人間”佐川一政の現在を映し出したドキュメンタリー『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』が2019年7月12日(金)より、ついに劇場公開を迎えました。


©︎Cinemarche

今回、本作の劇場公開を記念し、佐川一政の実弟にして、寝たきりとなった兄の介護を続けてきた佐川純さんへのインタビューを行いました。

事件から38年を経た佐川一政の近況をはじめ、事件直後の純さんやご家族の様子、本作の取材を経て見えてきた佐川兄弟の共通点と二人の絆など、貴重なお話を伺いました

寝たきりとなった兄・一政


(C)Norte Productions, S.E.L

──はじめに、映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』の撮影が始まる直前までのご兄弟の生活、そして現在のご兄弟の生活についてお聞かせ願えませんか。

佐川純(以下、):兄貴は2013年に脳梗塞で倒れ病院に搬送されましたが、それまで僕と兄貴は別々に暮らしていました。ですが、翌年退院したものの脳梗塞の後遺症が強く残る兄貴を介護するために、僕は彼が暮らしていたアパートの空き部屋を借りることにしました。

本作の撮影が行われた2015年頃の兄貴は、介護ベッドで生活をしていたものの、調子の良い時には辛うじて一人で歩けるという状態でした。けれども、時が経つにつれて悪化してゆき、要介護レベルも当初の3から最終的には5へと上がっていきました。

食べ物が、どんどん食べられなくなっていったんです。特に「飲み込む」という行為ができなくなり、2018年の緊急入院の原因となった誤嚥性肺炎はその結果でもあります。

兄貴は現在胃瘻によって栄養摂取を行っていますが、管にどうしても溜まってしまう痰を定期的に吸引するために現在も入院しています。あくまで、寝たきり生活の原因である脳梗塞や糖尿病が悪化したわけではありません。


©︎Cinemarche

──自身が介護を要する身になったことへの一政さんの心情を、純さんはお聞きしたことがありますか。

:兄貴自身はまだ作家活動を続けたい、絵も描きたいと考えていたんですが、彼は脳梗塞の後遺症によって空間把握処理が上手くできなくなりました。つまり、文字を書くにしても絵を描くにしても、望んだ場所に描画することができないわけです。

「以前はできたことができなくなった」というもどかしさは感じているでしょう。兄貴本人の口から直接聞かされたことはありませんが。そのもどかしさの辛さは、僕も分からなくはないです。

本作の撮影時、兄貴はヴァレナ監督とルーシァン監督からのインタビューに意気揚々と答えていました。そのように振舞っていたのは、自身の手によるものではないものの、創作に関わることができたからでしょう。

特に本作は、色々と深い所までツッコんでいるじゃないですか(笑)。だからこそしっかり答えようと、兄貴なりに気を張っていたのかもしれません。

またインタビュー時に、脳梗塞の後遺症もありどうしても説明が欠けがちな兄貴の言葉を、通訳の方がしっかり補足を加えた上で両監督に伝えてくれたのは、兄貴としても僕としても非常に助かりました。

絵から始まった佐川兄弟の創作


©︎Cinemarche

──兄・一政さんの創作活動について触れましたが、純さんもまた、一政さんと同じく絵を描き続けてこられたとお聞きしました。

:兄も僕も、幼少の頃からともに絵を描いていました。小学校に入学する以前から絵画の先生の元で絵を習っていましたし、その後も兄弟はずっと絵を描き続けました。

僕は2000年に25年間勤めてきた広告代理店を退職しましたが、それもまた、25年間頭から消えることのなかった「絵描きになりたい」という夢を諦め切れなかったためです。

特に僕は人物画を描くのが好きなんですが、安くはないモデル料などの事情により、退職金のあった当時はともかく現在は中々描くことができていないのが現状です。それでも、人物がを描きたいとは今でも思っています。

──兄である一政さんを描かれたことはありますか。

:スケッチや水彩で描いたことは何度かあるんですが、油彩画で本格的に描いたことはないですね。両親二人は油彩画でも描いたことがあるんですが、兄弟を描くというのはどこか気恥ずかしさを感じてしまいます(笑)。

ただ今思うと、寝たきりになる前の、元気な兄貴の姿を描いておくべきだったかもしれません。

事件直後の佐川家と兄との再会


(C)Norte Productions, S.E.L

──例の事件が発覚した直後の純さんやご家族の様子についてお聞かせ願えませんか。

:事件が発覚した日、僕は両親と食事をしていました。何を食べていたかまでは流石に覚えていませんが(笑)。すると、祖母から電話がかかってきて「“佐川”という日本人がフランスで大変な事件を起こした」という話を聞かされたんです。

すぐにテレビを点けると、例の事件がすでに報道されていました。けれども両親は「これはウソだ」と全く信じないわけです。特に母の方は頑としてそう決めつけていましたから。そうやって家族で揉めている間にも、マスコミからの電話が殺到しつつありました。

僕は広告代理店に勤めていたこともあり、そのような事態に際してのマスコミへの対処法をある程度把握していました。特に「個々の媒体に対応し続けたらキリがない」とよく聞かされていたため、実家の広いリビングに20数社の媒体を一挙に集め、一度の会見でマスコミ取材を済ませようとしました。

母は「ウソだ」と言い続けていたものの、事件のショックによって何をするか予想できない精神状態にありました。一方で父も、僕に「とにかく母を見守っておけ。こんなことは絶対ウソだから」とだけ伝えました。

やがて、父はフランス・パリ行きの手続きを済ませ、母と僕はマスコミから逃れるために福岡にいる知人の元へと向かいました。その後のことは、やっぱり、大変と言ったら大変でしたね。

福岡に滞在していた時、街を歩いている僕を見かけた友人たちに「肩が怒っている」と言われたことがありました。つまり、「マスコミに見つけられるのではないか」という強い緊張が体に表れていたわけです。また母も、マスコミを撒き続けるため、福岡ではホテルを転々とする生活を強いられました。


©︎Cinemarche

──事件後、純さんが兄・一政さんと再会されたのはいつ頃でしょうか。

:事件から一年半ほど経った頃、兄貴はフランスから帰国しました。それ以前に両親はフランスへと渡って兄と面会していましたが、僕はその間一度も会うことはありませんでした。ですから、帰国したことでようやく兄と再会しました。

兄貴が帰国する前、父はフランスにて兄貴の今後の身柄に関する手続きを行ったのちに日本へ戻ったんですが、恰幅の良かったはずの体が痩せ細ってしまうほどに疲れ果てていました。

僕はその頃から咳が止まらなくなり、二・三ヶ月後には喘息と診断されました。父もやがて脳梗塞を起こし、母も精神を病んでしまいました。唯一救いがあったとすれば、勤めていた会社が事件後も僕を受け入れてくれたことです。

──一政さんと再会した際にはどのような会話を交わされましたか。

:そんなこと、覚えていないですよ(笑)。

ただ、兄貴が帰国し実家に戻ってくると聞いて、僕は彼お気に入りのヌイグルミを実家の玄関に飾っておいたんです。

すると、実家に戻ってきた兄貴は、玄関を開けた瞬間にそのヌイグルミに抱きつきました。そのことだけは、よく覚えています。

“佐川一政”である兄との対話


(C)Norte Productions, S.E.L

──事件から38年が経過し、映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』の撮影を経た現在、一政さんとは事件について、或いは彼のカニバリズムという欲望についてお話をすることはありますか。

:時には、どうしても、そういう話題になることもあります。「あの時、なんでそうなっちゃったの?」といった具合に。

入院している現在でも、兄貴は時々、自分の手や腕を噛んだりするんです。今の彼は胃瘻手術によって口で食事をすることができませんから、「食べたい」という欲望に堪えかねてそうしているのかもしれません。

そんな姿を見かけた際に、「今も、食べたいと思っているの?」と兄貴に尋ねたりすることはあります。ちなみにそう尋ねた時、兄貴は「思わなくはないよ。食べたいには、食べたい」とだけ答えました。それに対し、僕は「やめた方が良いよ」とだけ返しました(笑)。

兄貴が「人を食べたい」と思い始めたのは、幼少の頃だったと本人から聞かされたことがあります。ですが、僕は兄貴のそのような欲望に全然気づかなくて、あの事件が起きたことでようやく知ることができたんです。

例の事件以降、兄貴は兄貴なりに、家族に迷惑をかけてしまったと感じているからこそ、その欲望を抑えてきたんでしょう。無論、あのような事件は二度と起こしてほしくないのは当然のことですが。

ただ、幼少の頃からそのような欲望を抱いてきた兄貴が、現在もその欲望を抱き続けているのはしょうがないことなのかなとも感じています。それが、本作のテーマの一つでもありますし、僕は僕で、兄貴とはまた異なる性癖を抱えながら生きてきたわけですから。

昔は事件のせいもあって兄弟仲が悪い時期もありましたが、二人とも年を取ってしまいましたから、もう過去のことはどうでもいいとも感じつつあります。

秘密を告白し合った佐川兄弟


©︎Cinemarche

──本作では、一政さんが幼少の頃から抱いてきたカニバリズムという性癖とともに、純さんもまた幼少の頃から抱いてきたある性癖についても触れています。純さんがご自身の性癖を意識するようになったのはいつ頃からでしょうか。

:3歳ぐらいの時です。自分の性癖を意識し始めた時の出来事は、ハッキリと覚えがあります。

寝間着姿で寝ていたら、腕の一部に異物感がある。そこを確かめてみると、輪ゴムが嵌められていたんです。その締め付けられる感覚は決して不快ではなく、寧ろ気持ち良かったんです。

当時は性的な事象などを知るはずもなく、ただ「気持ち良い」とだけ感じていました。その感覚はいつまでも消えず、やがて物心がついた時に読んだとある雑誌で、僕は縛られた女性の絵を見つけました。そこで、「ああ、これなのかな」と勘違いしてしまったわけです。

「僕は、そういうモノが好きなんじゃないか」と勘違いしたまま成長した僕は、それを確かめるためにSMクラブに赴いたりしました。ですが、僕はそこで何の気持ち良さも感じなかったんです。自分の勘違いに気づかされた時、「じゃあ、“コレ”は何なんだろう?」と首を傾げてしまいました。

自身が求めている感覚の正体は、今でもハッキリとは分からないんです。専門家は「自虐」「自傷」という言葉で評するかもしれませんが、それらは単に精神的な病によって副次的に引き起こされる行為でしかありません。僕が続けている行為は手段であり、その先にある、性的な快楽が重要なわけですから。

そして、そういった自身の性癖が幼少の頃から始まったものであること、それが兄貴の性癖と必ずしも異なるものではないということを、本作での取材中に気づかされたんです。


(C)Norte Productions, S.E.L

僕は自身の発見について、取材を続けてきたヴァレナ監督とルーシァン監督に言わなくてはいけないと思い、そのことを打ち明けました。すると両監督は「よく言ってくれた。もしよければ、明日はそのことについて取材させてほしい」と告げ、翌日私の性癖に関する話を聞いてくれたんです。

その結果、本作は佐川一政についての映画ではなく、佐川兄弟についての映画となったんです。

自身の性癖を兄貴に告白することにしたのも、僕の提案でした。そして、僕が兄貴の性癖を全く知らなかったように、兄貴もまた僕の性癖を全く知らなかったことが分かりました。

僕たち兄弟は同じ屋根の下、同じ部屋で勉強をしていたんですから、察しそうなものじゃないですか。でもお互いに全く知らなかったんですから、不思議なものです(笑)。

佐川一政という“人間”を再考するきっかけに


(C)Norte Productions, S.E.L

──今後、映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』はより多くの方々が観ることになります。そのことについて、純さんはどう感じていますか。

:本作についてはより多くの方々に観ていただきたいですし、その存在はもっと知られた方が良いと思っています。

流石に本作だけでは、“佐川一政”という人間の本質を全て理解することはできませんが、本作が“兄・佐川一政”を描いているという点では、兄貴のことを少しは理解してもらえるのではと感じています。

本作では幼少期の兄弟を記録した8ミリフィルムが流れますが、そこは僕が気に入っている場面でもあります。あの8ミリフィルムの映像を通して、本作が描こうとしたテーマについて納得してくれる方はいらっしゃると思います。

ただ、あくまで弟である僕が納得できたというだけで、一般のお客さんはそこまで納得できないんじゃないかなとも感じています(笑)。でも、それはそれで良いんじゃないでしょうか。納得してくれる方もいれば、そうでもない方もいる。作品への批判もあって良いはずです。

そして本作が、佐川一政という“人間”について再考するきっかけになってくれたらと願っています。

佐川純プロフィール


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1950年生まれ。慶応義塾大学卒業後、画家を目指し東京デザイナー学院に入学。

同校卒業後、大手広告代理店に就職。25年間勤め続けました。

2000年50歳の時に退職。その後油彩画家として活動を始めます。

また趣味は、オーケストラでチェロを弾くこと。

映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』の作品情報

【日本公開】
2019年(フランス・アメリカ合作映画)

【原題】
Caniba

【監督・撮影・編集・製作】
ヴェレナ・パラヴェル、ルーシァン・キャステーヌ=テイラー

【キャスト】
佐川一政、佐川純、里見瑤子

【作品概要】
1981年、フランス・パリにて発覚した通称「パリ人肉事件」の容疑者・佐川一政。カニバリズムを知る者ならば誰もその名を知る彼の現在を追うドキュメンタリー。

2013年に脳梗塞で倒れて以来、実弟・純に介護されながら暮らす彼に、スタッフが2015年6月から約1カ月間にわたって密着して撮影・制作されました。

幼少期の佐川兄弟を記録した8ミリフィルム、一政自らが事件を題材に描いた漫画、一政が里見瑶子とともに出演したアダルトビデオの映像なども紹介しながら、一政が幼い頃から抱き続けてきたカニバリズムの願望、兄が知らなかった弟・純の願望、そして兄弟の奇妙な関係性を映し出していきます。

監督は、『リヴァイアサン』(2014年)で知られるヴェレナ・パラヴェルとルーシァン・キャステーヌ=テイラー。

本作は各国の映画祭で途中退席者が続出したとされながらも、本作は第74回ベネチア国際映画祭でオリゾンティ部門審査員特別賞を受賞しています。

映画『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』のあらすじ


(C)Norte Productions, S.E.L

1981年、フランス・パリにて発覚した通称「パリ人肉事件」。

その容疑者としてフランス当局に逮捕された佐川一政は、その2年後に心神喪失と診断されたことで不起訴となり、日本に帰国しました。

それから、38年後。帰国後は文筆業をはじめ様々な活動を続けてきた彼は、2013年に脳梗塞で倒れ、入院。その後遺症によって歩行が困難となり、実弟・佐川純に介護される生活を送っていました。

インタビューの中、当時の事件を回顧する佐川一政。幼少の頃から抱き続けてきた欲望にして性癖である、彼にとってのカニバリズムが少しずつ明かされる中、映画は純の“幼少の頃から抱き続けてきた性癖”についても触れてゆきます…。



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