「物語の本質」を女優と小説家の姿を通し描く
今回ご紹介する映画『小説家の映画』は、『逃げた女』(2021)、『イントロダクション』(2022)でベルリン国際映画祭の銀熊賞を受賞した、韓国映画界の名匠ホン・サンス監督がメガホンを取り、第72回ベルリン国際映画祭(2022)でも銀熊賞を受賞した作品です。
長らく新作を出していない著名な小説家ジュニは、ある日、音信不通になっていた後輩を探すため、ソウルから離れた河南市の街を訪ねます。
他に目的のないジュニは後輩の勧めで街の観光名所へ行きます。ジュニはそこで古い知人と再会し、フラッと立ち寄った公園で偶然、元人気女優のギルスと知り合い、彼女に興味を抱いたジュニは、彼女を主演にした短編映画を制作したいと思いつきます。
映画『小説家の映画』の作品情報
【公開】
2023年(韓国映画)
【原題】
The Novelist’s Film
【監督・脚本】
ホン・サンス
【キャスト】
イ・ヘヨン、キム・ミニ、ソ・ヨンファ、パク・ミソ、クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ、ハ・ソングク、キ・ジュボン、イ・ユンミ、キム・シハ
【作品概要】
ホン・サンス監督の『あなたの顔の前に』(2022)でも主演を務めたイ・ヘヨンが、小説家ジュニ役を演じます。
女優ギルス役には、ホン・サンス監督とは公私ともにパートナーであり、『夜の浜辺でひとり』(2017)でヒロインを演じ、第67回ベルリン国際映画祭で韓国人俳優で初となる主演女優賞を受賞したキム・ミニが演じます。
共演にホン・サンス作品では常連のクォン・ヘヒョ、キ・ジュボン、ソ・ヨンファなどが、主人公の過去に絡む人物を演じます。
映画『小説家の映画』のあらすじとネタバレ
書店で店主と“先生”と呼ばれる人物が口論をし、“先生”は苛立ちと怒りを店主にぶつけていました。そして、ほどなくして1人の女性が店から出てきました。
小説家のキム・ジュニは著名な小説家ですが、数年の間、新刊を出せずにいました。彼女は思い立ってある所へ出かけます。
ジュニはソウルから離れた閑静な街の書店を訪ね、店先の椅子に座り電子タバコを燻らせていました。
しばらくすると店の中から若い女性店員が出てきて、店の中へ促そうとしますが、ジュニの顔を見て小説家のキム・ジュニだと気がつきます。
ジュニがタバコを吸い終わったら入るというと、店員は中へと戻って行きますが、しばらくすると店長と思しき女性が出てきます。
店長はジュニの顔を見ると“信じられない”という表情で、どうしてここがわかったのか聞きます。書店の店主はかつて執筆仲間だったジュニの後輩でした。
ジュニは“伝手”を使って教えてもらったと話しますが、“後輩”は信頼しているわずかな人にしか教えていないのにと、困惑気味な表情を浮かべました。
後輩はなぜわざわざ調べてまで訪ねて来たのか聞きますが、ジュニは急に思いだし会いたくなったからだと詳細は言いません。
ジュニがなぜ姿をくらますようにソウルを去ったのか聞くと、後輩は「いろんな人間関係が面倒になった」と言います。そして、執筆活動は辞め、読みたい本だけを読み、店には好きな本を置いて日々を送っていると話します。
後輩はジュニを店の中に招き入れ、店員女性の淹れたコーヒーを飲みながら雑談します。店員の女性はジュニを尊敬する作家だと感激します。彼女は俳優を目指していたが諦め、今は手話の勉強中だと話します。
“手話”に興味を示したジュニは即興で手話を教えてもらい、手話という視覚的な会話の成立に感動して、何度も繰り返し教わり新たな発見に無邪気になります。
ジュニは後輩に街の名所“ユニオンタワー”を案内され、そこで彼女と別れました。街を一望できるタワーで望遠鏡を覗いていると、ジュニに声をかける女性が現れます。
見覚えのなさそうなジュニでしたが以前、仕事の関係で知り合った、映画監督のヒョジンの妻ヤンジュでした。
ヒョジンはジュニの小説を映画化する企画をしたものの、スポンサーの反対意見に逆らえず、立ち消えさせていてばつの悪い関係にありました。
ヒョジン夫妻は休暇を利用し、ドライブの途中でユニオンタワーに立ち寄ったと言います。3人はとりとめのない会話を交わします。
ヤンジュは夫の作風に変化があり“清らかさ”が出てきたと話し、ヒョジンはジュニが数年前に出した小説を読んだと絶賛します。
夫妻はジュニに“カリスマ性”のある小説家だと讃えますが、ジュニは“カリスマ性”という言葉に少し怪訝そうでした。
ヒョジンは携帯用の望遠鏡を遠くまでよく見えるからと貸します。ジュニがその望遠鏡で外を眺めると、小春日和のうららかな公園を行き交う人を見ると、その様子に誘われるように、3人は公園を散策しようとタワーを後にしました。
『小説家の映画』の感想と評価
映画『小説家の映画』は一部のシーンを除き全編モノクロで、登場人物たちによる会話劇です。
モノクロから生み出される光と影で物語を表現するという趣旨ではなく、ホン・サンス監督のこだわりで、カラーで撮影されたものをモノクロに変換させたものです。
カラーで撮りわざわざモノクロに変換したのには、ホン・サンス監督の狙いがありました。
鑑賞後に素直に感じたことは、一体何を見せられていたのだろう・・・という戸惑いです。実は監督自身が感じている、極めて個人的な意向を映画にしたものかもと思ったからです。
本作についてホン・サンス監督は、物語を聴覚、視覚、嗅覚、味覚そして色彩の順で、映像から感じとることが狙いだと語ります。
聴覚で視覚を刺激し、記憶で嗅覚を感じる
物語の冒頭は、店主と“先生”と呼ばれる人物の言い争う声から始まります。顔も状況も画面に出てこないので、誰がどんな理由で争っているのか、想像力を駆り立てられます。
あの冒頭シーンは、ジュニの音信不通だった後輩の居場所を共通の知人から、偶然知った直後なのだと想像させます。居場所を知る限られた人物があの飲み会の主催者だったのでしょう。
後輩の所在は内緒だったのに、ひょんなことでしゃべってしまい、飲み会に行きづらくなりドタキャンしてしまったと推測できます。
作家仲間の間でジュニは面倒くさい存在で、彼女と絡んだ人間は周囲から消えていったのではないでしょうか。
後輩もその一人でジュニと音信不通にし、共通認識のある限られた人とだけで繋がり、ときどき飲み会なども行っていたのだとわかります。
また、登場人物たちが、“春が訪れはじめた、うららかな日”と語るので、モノクロの風景であるにも関わらず、暖かな日差しを感じ始めます。
このように言葉の説明を聞いただけで、人はあらゆる想像ができることがわかるでしょう。
ギルスが革ジャンを着てウォーキングをし、汗のにおいを気にするシーンがあったのは、映像からは匂いがしないので、想像するしかありません。
鑑賞者はキム・ミニが有名な女優であり、役柄も有名女優役だったので、“良い匂いがしそう”だと想像してしまいます。
また、公園の中のトイレに行く2人のシーンでは、「臭そうなトイレだな」とも感じたので、嗅覚は臭いの記憶や勝手な想像から、映像でも伝えられるということです。
味覚に関しては身近なものなら伝わりやすいですが、登場した食べ物はビビンパ、韓国ラーメン、お土産のトッポギ、マッコリと韓国料理の王道であり、韓国料理を知らない人には伝わりにくく、むしろどんな味がするのか興味を持たせます。
知らない物への興味を食べ物で表しているように感じたり、有名人でも一般の食堂で一般的な物を食べる、そんな当たり前のことが伝わります。
物語は記憶と想像が作り出すもの
詩人は「物語には力がないとダメだ」と語りましたが、その力を示すものが“言葉”だとしたら、詩人らしい発想です。しかし、言葉は時として大げさ(誇張)な表現になりすぎます。
ジュニは誇張される表現に飽き飽きし、言葉に頼りすぎることに抵抗を感じているので、言葉で説明されなくても伝わる何かを欲していたのでしょう。手話でのシーンがそのことを物語っています。
ギルスとの出会いは女優ではなく素顔の彼女から、実生活を映画のアイデアとして思い浮かべ、過去に叶わなかった小説の映画化へのリベンジにつながったのでしょう。
素の自分を愛することができたとき、あらゆる呪縛から解放されるのか・・・小説家としてジュニはあのあとどうなったのか?物語として様々な展開が想像できます。
ジュニはある女優の実生活を映すのではなく、“実生活を演じる女優”というようなコンセプト映画を撮ります。
しかし、完成作品を観賞したギルスの表情はどことなく、意表を突かれ女優として見せてはならない、素が出ていると焦っているように見えました。
あくまでこの映画を観た人の数だけ解釈が変わり、正解ではないことを付け加えますが、あながち間違いではないのではと感じたのが、ラストシーン(エンドロール)で流れる完成した映画とみられる映像です。
モノクロで流れる映像から後半はカラー映像に切り替わり、風景や植物の色の情報が伝えられます。さらに夫から「愛してます」と言われ、はにかんだ笑顔・・・です。
そもそも、マスクをして革ジャンを着てウォーキングしたり、地方の食堂で小さな女の子にも認知されているという時点で、ギルスに女優としての自意識を感じていました。
ありのままの自分の姿を見たギルスは、再び“女優”として奮起する予感をさせます。
そのラストで流れる完成した作品映像は、ホン・サンス監督の撮った“プライベート映像”です。公私ともにパートナーのキム・ミニと、彼女の母を映した映像をいつか映画のアイデアとして取り入れたかったとインタビューで話しています。
つまり、『小説家の映画』はホン・サンス監督が小説家ジュニの姿を借り、自分の思いを作品に落とし込んだのではないでしょうか?
“映画監督”としてできあがった固定観念や孤独、またギルスからはイメージで見られる女優の苦悩などです。そして、物語というのは、観る者によって何通りも生まれるのだということを証明させた映画でした。
まとめ
『小説家の映画』はホン・サンス監督作品の愛好者、キム・ミニの魅力に魅入られたファンには、とても魅力的な映画で最後にはお得感を感じます。
しかし、どこにでもある人間関係のもつれやしがらみ、新しい人との出会い・・・本作は普遍的な場面を集約していて、最初に「何を見せられているのか」という感覚はそこからきました。
そして、ホン・サンス監督作品が初見という人には、セリフがあってしっかりとした物語、演出がないと映画は成立しないという概念を少し変えさせるでしょう。
モノクロにしたり映し出す場面を狭くすることで、情報量を制限し、できるだけ鑑賞者の頭の中で、物語を構築させようとする狙いを感じます。
『小説家の映画』はホン・サンス監督の作品に込めた狙いがわかると、物語の意味が紐解かれるような感覚になることでしょう。