「原爆の父」オッペンハイマーを描く歴史巨編
ピューリッツァー賞受賞作『オッペンハイマー』を原作に、世界大戦下に世界の運命を握った天才科学者オッペンハイマーの生涯を、『ダークナイト』(2008)『TENET テネット』(2020)の巨匠クリストファー・ノーラン監督が映し出した歴史大作。
第96回アカデミー賞では監督初の作品賞・監督賞ほか最多7部門を受賞する快挙を成し遂げました。
主演男優賞を受賞したキリアン・マーフィをはじめ、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.ら実力派が顔をそろえます。
原爆を生み出し、アメリカ中から英雄として称えられたオッペンハイマーが、自身の作り出した爆弾への恐怖と後悔に苛まれるさまが映し出されます。戦争の悲劇、愚かさ、恐ろしさが描かれる傑作についてご紹介します。
CONTENTS
映画『オッペンハイマー』の作品情報
【日本公開】
2024年(アメリカ映画)
【原作】
カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン
【監督・脚本】
クリストファー・ノーラン
【編集】
ジェニファー・レイム
【キャスト】
キリアン・マーフィ、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー、ディラン・アーノルド、デヴィッド・クラムホルツ、マシュー・モディーン、ジェファーソン・ホール、デベニー・サフディ、デビッド・ダストマルチャン、トム・コンティ、グスタフ・スカルスガルド
【作品概要】
『ダークナイト』(2008)『TENET テネット』(2020)の巨匠クリストファー・ノーラン監督が、「原爆の父」と呼ばれた天才物理学者オッペンハイマーの光と影を描いたヒューマンドラマ。
科学者として成功した喜びと、その後襲ってきた恐怖と後悔を描き出し、第96回アカデミー賞では監督初の作品賞・監督賞ほか、編集賞、撮影賞、作曲賞など最多7部門を受賞しました。
ノーラン監督常連俳優で主演のキリアン・マーフィ、ロバート・ダウニー・Jr.がそれぞれ主演男優賞、助演男優賞を受賞。そのほか、エミリー・ブラント、マット・デイモンら実力派が出演しています。
映画『オッペンハイマー』のあらすじとネタバレ
第2次世界大戦が終わり、「原爆の父」と呼ばれ賞賛されていた天才物理学者ロバート・オッペンハイマーは、公聴会に呼び出され追求を受けていました。妻や弟が元共産党員だったことから、オッペンハイマー自身も共産主義者、つまりはソ連とのつながりを疑われたからです。
若き頃から優れた頭脳を持っていたオッペンハイマーは、ヨーロッパの大学で学び、ボーアやハイゼンベルクら有能な物理学者らと出会い、量子力学研究を進めていきました。
アメリカに戻ったオッペンハイマーは多くの支持を得るようになっていきます。そんな中ドイツのヒトラーが台頭し、ドイツが核開発を進めたことから、ユダヤ人であるオッペンハイマーは、核爆弾開発を進める必要に迫られました。
その一方で、弟や恋人のジーン、友人のシュバリエ、妻・キティらが共産党員だったことにより、党員ではないオッペンハイマーにも疑いがかけられるようになります。
第2次世界大戦が起こり、オッペンハイマーは核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、グローヴス大佐から原爆開発プロジェクトの委員長に任命されました。
オッペンハイマーは自身のよく知る砂漠地帯ロス・アラモスに街を作り、素晴らしい研究者らを招聘して研究を進めました。
テラーが発見した核の連鎖反応理論を知ったオッペンハイマーは、一回の核爆発で連鎖反応が起きて世界中が炎に包まれる恐怖にとらわれながらも、研究を続けます。
ドイツの降伏を受け、科学者たちは原爆開発に反対するようになりますが、オッペンハイマーは日本がまだ降伏していないことなどを理由に彼らを説得しました。トリニティ実験が成功し、原爆の威力を目の当たりにしたオッペンハイマーは恐怖を感じます。
原爆は米軍に移管され、やがて広島と長崎に投下されました。オッペンハイマーは国中から賞賛されたものの、原爆で焼け死んでいく人々の幻覚に苦しむようになります。
映画『オッペンハイマー』の感想と評価
原爆を世に送り出した男の重すぎる罪
「原爆の父」と呼ばれた物理博士・オッペンハイマーの栄光と苦悩を描ききった3時間に及ぶ大作です。
天才と呼ばれ続けたオッペンハイマーですが、学生時代に気に入らない教諭を毒殺しかけたり、人妻だったキティと略奪婚したり、結婚後も数々の女性と関係を持つ女好きだったりと、危うい部分をいくつも持ち合わせた人間として描かれます。
弟や恋人、妻らがいずれも共産党と関係を持っていたことから、オッペンハイマー自身もソ連のスパイとしての容疑をかけられ、後年まで暗い影を落とすこととなりました。
映画は、オッペンハイマーが聴聞会でソ連と関係を持っているのではないかと厳しい審問を受けるシーンから始まります。戦時中の過去の場面と何度も行き来して描くことで、彼の真の姿が浮き彫りとなっていきます。
戦時中、核開発リーダーに選ばれたオッペンハイマーは、砂漠のロス・アラモスに街を作り、有能な科学者を大勢招いて原爆開発に突き進みます。
その街に君臨した彼は、やがてほかの科学者同様、作り出した爆弾への恐怖と罪の意識を持つようになりますが、もはや引き返すことはできないところまで来ていました。
トリニティ実験に挑んだオッペンハイマーは、あまりの威力におののき、本当の恐怖を抱くようになります。しかし、実験の成功により原爆は彼の手を離れ、大統領命令により広島と長崎に投下されます。
原爆により戦争は終結し、立役者としてオッペンハイマーは国の英雄となりました。しかし、喝采に答えるその時にはすでに彼の苦悩は頂点に達しており、苦しみながら焼け死んでいった人々の幻影に苦しめられるようになります。
彼の幻影に現れる、被爆した女性をクリストファー・ノーラン監督の実の娘が演じています。原爆投下について、アメリカ側の視点で、原爆は戦争を止めるための必要悪だったと信じている人々が描かれますが、そんな中で、実娘を被爆者として描くことで、ノーラン監督は我が身の苦しみとして原爆の悪を表現したように思えてなりません。
オッペンハイマーもまた、国の英雄となったその瞬間でさえ、自身を罪人として意識していました。科学の勝利などはすぐに吹き飛び、人として許されない重い罪を自覚した彼は水爆開発に強く反対するようになり、尚更国から疎まれるようになっていきます。
トルーマン大統領をはじめ、多くの人々は広島・長崎の惨状を実際に見たのでしょうか。その上で勝利を喝采できたとしたなら、なんと恐ろしいことでしょう。
オッペンハイマーは確かに世界中に火をつけてしまいました。今も尚、「抑止力」という建前のもと、数多くの国で原爆・水爆研究が進められています。いつ滅亡してもおかしくない地球にしてしまった彼の途方もなく重い罪は、今なお私たちの上に重くのしかかり続けています。
ふたつの視点から描き出す見事な構成
オッペンハイマーを演じるキリアン・マーフィーのヒリヒリとした緊張感が常に漂う演技と、腹黒い小心者のストローズを演じる、一目で彼とはわからないほど姿を変えたロバート・ダウニーJr.の怪演のぶつかり合いが、本作の大きな見どころです。
本編はカラーとモノクロに大きく分けられています。初見では気づきにくいのですが、カラーのシーンはオッペンハイマーの視点、モノクロのシーンはストローズらの視点から描かれた物語です。
映画のシーンは、オッペンハイマーの聴聞会、戦時中の過去、そしてストローズの商務長官任命に際する公聴会を行き来します。
ストローズは原子力委員長で、戦後にオッペンハイマーを委員会顧問に招聘した人物です。商務長官への野心を抱く彼は、実はとても小者で、何年も前に自分を笑い者にしたオッペンハイマーへの憎しみを募らせていました。聴聞会を開いたのも、オッペンハイマーを陥れるためのストローズの謀略であることが後に明かされます。
オッペンハイマーと水爆をめぐっても対立するようになったストローズは、もう一人の主人公のような存在として、オッペンハイマーと敵対し続けます。
何に対しても疑心暗鬼になるストローズは、アインシュタインに無視された際にも、オッペンハイマーが良からぬことを吹き込んだからではないかと疑います。その話を聞いた上院補佐官があきれ返るほど、それはくだらない考えです。ストローズの愚かさと小心さがくっきり浮き彫りとなります。
やがて、物語はオッペンハイマーとアインシュタインの再会シーンにとび、ラストを迎えます。彼らが話していたのは、もちろんストローズのことなどではなく、核爆発の連鎖反応という物理学者が背負うには重すぎる事実についてでした。
過去の人にされた天才アインシュタインと、栄光から転落したオッペンハイマーが共有する、科学者としての性と罪。
それは、人ひとりが償えるような代物ではありませんでした。純粋に科学を追うために必要なのは、決して悪に利用させまいという強い意志なのであることを教えられるラストシーンです。
まとめ
歴史に名を残した天才の生涯としてだけ描くのではなく、大きすぎる罪を負った「ひとりの人間」が苦悩に揺れ動く様を丁寧にみつめた傑作です。
優れた頭脳を持っていたこと、生まれた時代が戦時中だったこと、憎きヒトラーが台頭した時代にユダヤ人として生まれ合わせたことなど、さまざまな要因がオッペンハイマーを悲劇へと導きました。
原爆の恐ろしさは、その爆発の威力や深刻な後遺症だけにとどまりません。世界中に核開発の波を引き起こしたことは、大きな罪のひとつと言えるでしょう。地球を滅亡させることが可能なほどの威力を持つようになっても、愚かな人類は核開発を止めていません。
人間が武器があれば使ってしまうことに気づいて水爆に反対するようになったと話すオッペンハイマー。しかし本当は、原爆開発時にすでに気づいていたはずです。
未知の存在を完成させずにいられなかった科学者としての性は、武器を使うことに歯止めをかけられない人間の愚かさと変わりません。
後にどんなに後悔と悪夢に苛まれようとも、自分ひとりで償えるような罪ではないことに、オッペンハイマーはいつ気づいたのでしょうか。