上原実矩、若杉凩ら新鋭女優がみずみずしい高校生の葛藤と揺らぎを演じる
『私をくいとめて』(2020)、『勝手にふるえてろ』(2017)などの大九明子監督などのもとで助監督を務め、中・短編を手がけてきた淺雄望監督の初長編作。
第22回TAMA NEW WAVEと第15回田辺・弁慶映画祭、2つの映画祭でグランプリを受賞するほか、第22回TAMA NEW WAVEでは、若杉凩が俳優賞を受賞し、第15回田辺・弁慶映画祭でも上原実矩がベスト女優賞を受賞しました。
美術部員の朔子は、美術部員らと船のスケッチをしている際誤って海に落ちてしまいます。
その様子を同じ美術部員の西原が絵にし、その絵がコンクールで賞を受賞し、次の絵のモデルになってほしいと言われます。
親の再婚、引っ越し、そして進学といった環境の変化を前に決断がうまくできず、うまく書けない悔しさから絵を諦めようとしていた朔子は、西原の絵を見て悔しさ、惨めさを感じていました。
しかし、西原のモデルになることを朔子は承諾し、少しずつ西原と交流していくことで朔子は葛藤しながらも前に進んでいく……高校生の一夏の葛藤と揺らぎを描くみずみずしい青春映画。
映画『ミューズは溺れない』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【監督・脚本・編集】
淺雄望
【キャスト】
上原実矩、若杉凩、森田想、川瀬陽太、広澤草、新海ひろ子、那須愛美、桐島コルグ、佐久間祥朗、奥田智美、菊池正和、河野孝則
【作品概要】
朔子役を演じたのは子役からキャリアをスタートし、『この街と私』(2022)、『青葉家のテーブル』(2021)などに出演する上原実矩。
西原役には、『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020)、『スウィートビターキャンディ』(2022)の若杉凩、大谷役は、『アイスと雨音』(2018)、『タイトル、拒絶』(2020)の森田想と新鋭の女優陣が顔をそろえます。
監督は、本作が初長編監督作となる淺雄望。様々な登場人物に自分の要素をどこか投影し、かつての十代の悩みや、今同じように悩んでいる子達に向けて作ったと言います。
映画『ミューズは溺れない』のあらすじとネタバレ
高校で美術部に所属する木崎朔子(上原実矩)は、漁港でスケッチをしていますが、なかなかうまく線が描けません。
顧問の先生がやってきて、まずは書いてみて進めなきゃ先に進めない、力が入りすぎだと言われます。
アドバイスを聞きつつもうまく描けない朔子は、離れたところにいる西原(若杉凩)にチラリと視線を向けますが、西原と視線が合いそうになり慌ててそらします。
そんな時一緒に漁港に来ていたSF研の部員2人がふざけていたところに巻き込まれてしまい、朔子は海に落ちてしまいます。
溺れた朔子の姿を西原は絵にし、その絵がコンクールで入賞し、飾られています。飾られた絵を大谷(森田想)と並んでみていた朔子は「ムカつく」と言います。
大谷と美術室に向かう朔子。大谷は、グラウンドの方を見て野球部の遠藤の話を始め、朔子に遠藤のことどう思っているのか?と聞きます。
遠藤から朔子のこと色々聞かれるんだよね、遠藤朔子のこと好きなんだよ、という大谷に朔子は言葉を濁します。
大谷は遠藤のこと好きだけれど遠藤は自分ではなく、朔子のことが好きだから…と、朔子とうまくいくようにしようとしているのです。
そんな大谷気持ちがわからない朔子に大谷は朔子の考えていることわかんない、馬鹿にしているんでしょうと言います。
しかし、朔子は違う言いつつも大谷に自分の気持ちがうまく話せないでいました。更に、父親が再婚し、再開発のため家を引っ越すことになり、環境の変化にもついていけずにいました。
それだけでなく、進路先を決めなくてはいけない時期に差し掛かっていました。
「美術部やめようと思って…受験とかあるし」と朔子が顧問に伝えると、「木崎さんはてっきり美大に行くのかと思ってた」と言い、何事もトライアンドエラーよ、文化祭に向け作品を作ってみて考えればいいと言います。
「部活やめるの?」朔子と顧問の会話を聞いていた西原が朔子に訪ねます。そして朔子にモデルになってよ、と言います。
これ以上惨めな思いしたくないと朔子は言い逃げようとします。西原は朔子を追いかけ、そんなにこの絵だめだった?と聞きます。だめじゃない、良かったから悔しいと朔子は言います。
西原の絵がコンクールで賞を受賞したことにより、メディアが取材にやってきます。大谷やSF研の部員は人と距離をとる西原を、皆を見下しているんだと陰口を言っています。最初は朔子もそう思っていましたが、そうではないのかもしれないと思い始めます。
終始無愛想なままインタビューを受けていた西原は、他の展示をみて上には上がいることを知って悔しかった、だから今度はこれを越える作品を作ります、と宣言し、再び朔子にモデルになってほしいと言います。
西原の誘いを了承した朔子に大谷は私だったら何考えているのかわからない西原のモデルなんて嫌だと言います。すると朔子は私も馬鹿にしていると思っていたけれどただ絵が好きなだけなのかもしれないと言います。
すると大谷は、「絵が好きなんじゃなくって朔子が好きなのかも。朔子も遠藤のこと全然興味持たないのはもしかして、そうなの?全然いいと思う誰が誰を好きでも」と言います。
朔子は思わず「やめてよ」と言います。その言葉に大谷も何がと強めの口調で言うと、朔子は笑ってごめん、何でもないとやり過ごそうとすると「そうやって笑って誤魔化されると拒絶されている気がするんだけど」と責めます。
そこに西原がやってきて誰だって踏み込まれたくないことくらいあると言います。大谷は気が合いそうで良かったねと言います。
モデルをすることになり西原と向き合った朔子は「なぜ私なの?つまらない絵になるよ」と言います。すると西原は「それは私が決めることだよ」と返します。
うまく書こうと思ったり、自分らしさを出そうと思うと怖くなって描けなくなることとかないのと朔子が聞くとそんなのしょっちゅうだよ。最初の線が間違っていると思っても書き続けるしかないと言います。
更に、朔子が美大に行くのかと聞くと親にこれ以上迷惑をかけられないし、美大に行って好きを職業にできるのは一握りだけ、これで終わりにすると西原は言います。
諦められないから描いているんじゃないの、私は西原さんの絵が好きだから続けてほしいと言います。そして西原が授業中描いているスケッチブックを手に取ります。
するとそこに描かれていたのどれも朔子でした。大谷が言ったように西原は自分のことが好きなのかもしれないと思った朔子は混乱し、飛び出してしまいます。
映画『ミューズは溺れない』の感想と評価
アイデンティティの揺らぎ
上原実矩、若杉凩ら新鋭女優がみずみずしい高校生の葛藤を演じた映画『ミューズは溺れない』。
上原実矩演じる朔子は好きだったはずの絵が上手く描けなくなり、自分がしたいことも分からなくなってしまっています。
周りと自分は違うけれど、そのことを言ったら嫌われてしまうのではないかと不安に思い、言葉を濁し、笑って誤魔化す八方美人なところもあります。
そんな朔子に対し、大谷は何を考えているのか分からないと言います。他人を詮索するような発言をし、自分の物差しで測ろうとしているようにも思える大谷ですが、それは彼女なりの理解したいという気持ちの表れでもあるのです。
話してくれないと拒絶されている気がして悲しいとも言います。人によっては踏み込まれることを好まない人も当然います。
しかし、大谷のように怖がらずに踏み込んできてくれたことで、分かり合えることもあります。
お互い未熟だからこそ、怖がったり、ぶつかったりする、そんなみずみずしさが本作には詰まっています。
また、他人の目を気にしてしまう朔子は、一人で堂々としている西原に興味を持っている様子が伺えます。しかし、絵が上手くいかず悩んでいる朔子は、溺れる朔子を描いてコンクールで賞を取った西原に悔しいと感じています。
更に西原と自分を比較し、引け目を感じ自分を惨めだと思っています。自信のなさなどから引け目を感じ、モデルをしていても朔子は西原と目を合わせられません。
絵を描くの怖くなったりしないの?と朔子が聞くと、そんなのしょっちゅうだけど描くしかないと言います。堂々としていて悩みなんてないと思っていた西原も自分と同じように悩みながら絵を描いていることを知り西原に対する印象が変わっていきます。
そして西原は朔子に、他人にどう思われるかより、自分がどう思うかが大事だと思うと告げます。その前にも魅力的なモチーフだから描こうと思ったと言っており、西原は朔子に魅力を感じ描きたいと思ったというのです。
だからこそ、朔子に自信を持ってほしい、つまらない人間ではないと伝えたかったのかもしれません。そんな西原ですが、自身の思いが朔子に気づかれてしまったことにより、朔子と向き合うことに怖いと感じ始めます。
多くは語りませんでしたが、過去の出来事により自分は親の期待に答えられない、人から怖がられてしまう、だから最初から一人の方がいいと西原は言います。
怖くないの?と聞く西原を朔子は抱きしめ、夜怖くて眠れなかった時、お母さんにこうしてもらったと言います。一方、朔子は今まで誰も好きになったことない自分に悩み、その気持ちを大谷に打ち明けられないでいました。
それぞれが抱えていた悩みを打ち明けることで皆が同じではないけれど、同じように悩んでいるということを知る姿は、かつて同じような悩みを抱えていた人や、今なお悩んでいる人にとっては希望のように映るでしょう。
更に本作は、アイデンティティなど様々な揺らぎを揺らぎのまま描き、答えを出そうとはしない姿勢が伺えます。
朔子は人を好きになったことがないと言い、アセクシャル(エイセクシャル)のような印象も受けますが、明確にカテゴライズすることはありません。
そのように揺らぎを揺らぎのままで描き、明確な答えを出そうとしない姿勢はセリーヌ・シアマ監督の『トム・ボーイ』(2021)に通ずるものがあるように感じます。
まとめ
淺雄望監督の初長編作となった映画『ミューズは溺れない』は、揺らぎを揺らぎのままみずみずしく描き、上原実矩、若杉凩ら新鋭女優がそれぞれの役柄に息を吹き込んでいきます。
タイトルは、『ミューズは溺れない』とありますが、冒頭上原実矩演じる朔子が、ふざけ合っている部員に巻き込まれ誤って海に落ちてしまうところから始まります。
そして進路や、親の再婚、引っ越し…と自分だけ置いてけぼりかのような気持ちを抱え、大好きだったはずの絵も上手く描けないでいる朔子は、まさに溺れかけている中必死で足掻いているかのような印象を受けます。
そんな朔子が船を作り、船について語る朔子と西原の姿とともに波打ち際が映し出されることで朔子が西原や仲間とともに新たな未来へと漕ぎ出していこうとするかのような希望も感じられます。