連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」第22回
最新作だけでなく歴史的怪作映画も紹介する「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」。第22回は『続・世界残酷物語』。
世界各地の奇習・風習を記録、ヤラセや強引な主張も交えて作った、”ショックメンタリー”映画こと『世界残酷物語』(1962)は、酷評も浴びながらも興行的大成功を収めます。
自信を深めたヤコペッティたち製作陣は、前作の未使用フィルムを中心に続編映画を作ります。その作品が『続・世界残酷物語』。
“Mondo cane”と”Mondo cane2″の成功で、”モンド映画”は地位を確立し、トンデモドキュメンタリー娯楽作品が続々誕生する時代が到来します。
前作よりキワモノ度、いかがわしさがアップした本作。その内容にご注目下さい。
【連載コラム】『未体験ゾーンの映画たち2021見破録』記事一覧はこちら
CONTENTS
映画『続・世界残酷物語』の作品情報
【製作】
1963年(イタリア映画)
【原題】
Mondo Cane 2
【監督】
グァルティエロ・ヤコペッティ、フランコ・プロスペリ
【撮影】
ベニート・フラッタリ
【作品概要】
全世界に衝撃を与えた”残酷シリーズ”の続編で、”モンド映画”らしさが全編にみなぎるドキュメンタリー映画。
『世界残酷物語』の成功を受け、急ぎ製作された本作。グァルティエロ・ヤコペッティは交通事故で入院中で、実質的監督はフランコ・プロスペリとの説もあります。
本作には、ノンクレジットながら特殊効果スタッフとして、後に『エイリアン』(1979)や『E.T.』で活躍するカルロ・ランバルディが参加しています。
伝説の特殊効果マンがなぜ参加しているのか。その意味をお考え下さい。
映画『続・世界残酷物語』のあらすじとネタバレ
1963年9月4日、ロンドン。檻の中に吠えることのできない犬がいます。
本作の製作者はイギリス国民は女王陛下と動物、とりわけ犬を愛し法律でも手厚く保護していると紹介します。
『世界残酷物語』がイギリスで上映禁止になったのも、犬に対する残虐シーンがあるとの理由でした。
我々はイギリスの検閲に深い敬意を表し、2作目をお届けします。本作はあまり残酷ではありません。
ただしこのシーンだけは別です。ロンドンのクリニックでは何匹もの犬の声帯が切除されています、と手術シーンを映し出します。
犬の鳴き声に邪魔されず、生体実験に利用するためです。このシーンを冒頭にした理由は、イギリスの検閲官のお気に召さない場合、ここだけカットして頂こうと判断した次第です。
そうすれば犬の方でも本作の製作者の悲鳴を、聞かずに済むというものです…。
(注・本作はイタリアで1963年11月30日の公開です。当初イギリスで上映出来なかった『世界残酷物語』は、後に14分間カットして公開されました)
イタリアでは犬はファッションの一部として、モデルと共にファッションショーに登場。
ただしモデルの歩く”キャットウォーク”(ランウェイ)を、思うように歩かない犬がいるのも当然です。
イタリアのサンタンティモ村で、髪を切らずに済む女性は幸運です。ここは世界一のカツラの産地で、製品はアメリカで大人気。
女性たちの髪が加工し易く一大産業になりましたが、それは持ち主のビタミン不足が原因です。
この村の女性は羊1匹より価値があり、カツラ産業のおかげで好景気となりました。
誕生したカツラは、アメリカではエステサロンに保管され管理されます。
美容師にカツラを預け、オフィスで忙しく働くアメリカの女性。
あるオフィスの午後5時、終業時間の光景です。この瞬間アメリカ全土で2400万人の女性が、同時にカツラを被ります。
アメリカが輸入する年間800万ドルのカツラの内、金持ちの未亡人が使うのはごく僅か。魅力的なカツラは一般女性が使用します。
ナイトクラブでは、男性芸人が女装のために使用しているカツラ。
ここで働いていた女性が結婚て人手不足、そこで失業者の男性に声をかけています。
女装の男がこの店で働いているのを知っているのは、彼らの妻だけでした。
男らしいとみなされる女装もあります。異常性愛犯罪が多発するアメリカの警察署では、警官が囮捜査目的で女装するのです。
女装捜査官は毎晩、30人ほどの男から声をかけられます。これには彼らもウンザリしていました。
メキシコの警官は失敗すれば人が死ぬ、過酷な射撃訓練に悩まされます。
頭に付けた風船や電球、咥えたり耳に挿したチョークを的に、鏡越しの射撃など実戦向けとは思えぬ曲撃ちを披露する警官たち。
死について独特の考え方を持つメキシコ人。11月2日死者の日は、ホイップクリームを詰めた頭蓋骨のお菓子を作り祝います。
メキシコの子供は”ユダおじさんの死体”が大好き。裏切者ユダをかたどったお菓子を、検死よろしくバラバラに解体して食べる子供たち。
同じメキシコには一石二鳥の害虫退治の方法があります。生きた虫をトルティ-ヤに包んで食べるのです。
昆虫が活躍するのは食用だけではありません。メキシコの宝石商は、生きたコガネムシを宝石で装飾します。生きたブローチとして女性の胸を飾るコガネムシ。
NYには犬用アクセサリー専門店があります。宝石付きの首飾りをつけ散歩するペットの犬たち。逃げ出した日には大騒ぎです。
ホノルルでは花の首飾り、レイがだったの5000ドル。この値を払えば10日間、楽園のハワイツアーに参加できました。
費用65ドルを払いハワイの火山灰の泥パックで、散々な目に遭いながら美容に励む白人老婦人。
アフリカのマサイ族の女性がこねているのは泥ではなく動物のフン。
フンは燃料や家の壁など様々な形で利用され、家の屋根に塗っておくと、夫の夜の務めを応援する媚薬効果もあるのです。
白い小さな石を見つけると、水と共に飲み込むアフリカの女性たち。
新月が登るとき、この石を飲めば1ヶ月は妊娠しないと信じています。
夫が狩りに出かければ、村に人妻と若い独身の男が残されるので、食べる小石の量が増える訳です。
結婚するには子供が産めると証明する必要がある、パプアニューギニアの女性たち。
そのため婚前交渉期間が9ヶ月もあります。私生児として生まれた子供は、その後に初めて父親を知ります。
カリフォルニアの放浪癖のある老夫婦は家ごと移動し、娼婦たちは身の危険を感じると場所を変えます。
不法滞在がビジネスになるアメリカ。そんな移動する娼婦の世話になる、小都市の若者たち。
アメリカでは夫婦間の主導権は妻のもの。種の保存には性的エネルギーが不可欠、これを勝手に消費させぬよう国が管理しています。
この種のエネルギーは大規模行事が無いと働きません。パリの最新モードで帽子が禁止されましたが、帽子産業を救おうとデモ行進するアメリカのご婦人方。
妙なデザインの帽子を被った女性たちが、大挙して集まりました。
失業した帽子職人家族を救うため、キスを売る若い女性たち。値段は1回で5ドル、3回で9ドル95セント。
年配の男たちはキスの前に口を念入りに消毒され、相手の女性は終えると自分の口をさらに念入りに消毒します。
ここは自動レストラン。妻たちが帽子産業を救っている間、働く夫たちの通う場所です。
男性にはまるで「嘆きの壁」です。金を払いロッカーのような小さな箱に入った料理を受け取る男性たち。
自動車料金所でロサンゼルス行きの料金を入れると、ランプがありがとうと伝えてくれます。
地獄の様に混雑した道を一日運転した後、どれくらいの人がヒステリーを起こすのでしょう。
運転手のヒステリー解消に、映写室のある郊外のモーテルが一役買っています。
1ドル50セント払い3㎏購入したトマトを、画面に映る警官に投げる男性。精神科医は充分リフレッシュできる量と判断しています。
南イタリアの山村・チレントの教会内で、集団ヒステリーを起こす女性たち。
ヒステリーは誰の中にも潜む狂気の芽が原因で、古来より様々な名で呼ばれ科学や黒魔術を使い、原因を追究されてきました。
科学的にはトレモロ(震え)と呼ばれ、タンパク質不足が原因とも言われます。しかし人々は悪魔が好んで化ける、タランチュラに噛まれたと訴えます。
何が原因であれ患者は怒って苦しみ、わめきちらします。何が原因か、狂気にそれ以上の意味など無いのかもしれません。
狂気に陥った人が、ポルトガルのヴィッラシーラ・デ・フランカでは恥じ入っています。
膝をついて歩み、聖女の像が登る階段を血に染めながら舌で舐め、洗い清める人々。
地元の司教は何年もこの行為を禁止していますが、誰も止めようとしません。
イタリアのイースター前の聖土曜日の朝、コックロの教会に集まった村人は、鐘の鎖を口で咥えて引き鳴らします。
司祭が止めさせようとしますが、ならば教会に行かないと反発する村人たち。
スペインのプエプロ・ド・カロミナルでは、人々は死ぬ前に棺桶を買う習慣を持っています。
棺の中に入り、自分の葬式の予行演習を行います。教会に着くとまだ命があることを、神に感謝する棺の中の人々。
イタリア・プーリア州サンシネの奇祭、”アッフルンタータ”でマリア像の神輿を人々が追います。
キリストの死を悼むマリアに、復活を告げる信者。それ信じたマリア像は喪服を脱ぎ捨てました。
インドでは”タイフサン”の日に、僧侶が苦行を行います。体に無数の針を刺し、痛みに耐え肉欲に打ち勝とうとします。
ニルヴァーナ(涅槃)に続く道は火の道。炎で焼いた道を素足で走る苦行を行う人々。
ベトナムのサイゴン。ゴ・ディン・ジエム大統領の支配下で、軍隊が寺院を焼き仏教徒は怒ります。
軍は鉄条網で囲った収容施設を用意し、反抗する者を待ち構えます。撮影禁止の看板に構わず、車の中から撮影を続けるスタッフたち。
アメリカ大使館前を包囲する兵士たち。中には著名な2名の僧侶が逃げ込んでいると言われています。
車は兵士に制止されます。仏教徒への弾圧は大統領顧問を務める、大統領実弟の妻マダム・ヌー女史が命じました。
不満分子の仏教徒が逮捕されます。抗議する人々と兵士が争い、軍のジープがひっくり返される光景を撮影するカメラ。
カメラは軍とデモ隊の衝突を撮影します。遺体の撮影を妨害する兵士や、壁に手をつく人々を身体検査する兵士が登場します。
弾圧の中で仏教徒は信仰を取り戻しました。僧侶たちとの団結の意志を示そうと、頭を丸坊主にする市民たち。
仏教徒の反乱は、6月11日の僧の焼身自殺に始まります。弾圧と闘うには、仏教徒に殉教者が必要なのでしょうか。
カメラはガソリンを被り火を放った、炎に包まれた僧侶の体が崩れ落ち倒れる、その一部始終を捉えました。
(注・当時のベトナムの混迷を象徴する、1963年6月11日発生の僧侶ティック・クアン・ドック焼身自殺事件。その映像は世界に衝撃を与えましたが、本作の映像とは明らかにそれと異なります)
映画『続・世界残酷物語』の感想と評価
『世界残酷物語』で非難を浴びながらも、世界的成功を収めたグァルティエロ・ヤコペッティ。
その自信が本作冒頭の、イギリスの映画検閲制度を皮肉ったシーンとなり登場します。しかし相当批判も浴びているはず、あまり敵を作らない方が良い気がしますが。
その懸念が後に、彼を大変な状況に追い込みます。それはさておき、本作は前作のヒットを受け、未使用のストックフィルムを中心に編集された作品です。
交通事故で入院中のヤコペッティは関与せず、実際はフランコ・プロスペリたちが編集・監督したとも言われています。
そういった事情から日本のみなず海外でも高く評価されていない本作。しかし撮影済みフィルムだけで完成した訳ではありません。
『世界残酷物語』の記事で紹介しましたが、1961年にヤコペッティが婚約者と共に遭遇した自動車事故からは、時間が経過しています。
精神的にはともかく、肉体的に回復していれば本作へのヤコペッティの関与は充分可能です。
ベトナムの僧侶焼身自殺のシーン。有名なティック・クアン・ドック焼身自殺事件は1963年6月11日。本作のイタリア公開は同年11月30日。
ヤコペッティ自身は自作のどのシーンが捏造したものか、余り多くを語っていません。後に裁判に発展した経験からか、晩年まで口は重いままでした。
しかしこのシーンに関しては、実際の事件の有名なAP通信の写真に触発され、再現映像を作った事実を認めています。
元芸能記者・ヤコペッティの嗅覚が、このシーンの映像化を望んだのでしょう。
こういった再現(捏造)シーンに、ノンクレジットの視覚効果アーティスト、カルロ・ランバルディが活躍しているようです。
もう1人の監督フランコ・プロスペリの役割
参考映像:『猛獣大脱走』(1983)
もう1人の監督フランコ・プロスペリは、どのような人物でしょうか。
ローマ大学動物学研究所で動物行動学の研究者となった彼は、後に魚類学を専門し、イタリアの水中研究のパイオニアに1人になります。
インド洋でサメの研究に従事していた彼は、サメに襲われる経験に遭遇しました。
だから『世界残酷物語』にサメに復讐するシーンがあった、という訳ではないでしょうが、彼は研究生活を経て自然ドキュメンタリーの撮影を手掛けるようになります。
彼はヤコペッティとの出会いで、大きく人生が変わります。『世界残酷物語』以降も協力関係は続き、脚本・編集など映画製作全般に関わるようになります。
ヤコペッティは自作に関して、あまり彼と共同で監督したという印象を持っていないようです。プロスペリらに映像を撮ってもらい、それに関しては全権を任せる。
そろった様々な映像を最終的に編集するのが自分の役割、という認識でいたようです。
『続・世界残酷物語』は大規模な海外ロケ、いわゆるネイチャー系シーンの追加撮影を行っていません。プロスペリの活躍する領域は限られていました。
雄大な自然を描いた映像が少ないことも、本作の評価を下げているようです。
ヤコペッティと別れた後に『猛獣大脱走』という動物たちが大暴れする、自分の経歴の集大成のようなパニック映画を手掛けるフランコ・プロスペリ。
彼はその後映画の世界を離れ、何度も撮影に訪れたアフリカで民族学と自然を研究する生活に戻りました。
再現(捏造)ドキュメンタリーだと明らかにした映画
改めて本作を振り返るとジャッロの表紙カバー撮影シーンや、最後のビンタ演奏のシーンは明らかに演出して撮影されたシーンです。
コマ落としや演者の静止、ビンタされる顔のクローズアップなど、加工した映像だとアピールしています。ドキュメンタリーに程遠い、劇映画的展開です。
これらのシーンは演出したもので、本作は正統なドキュメンタリーではない、と宣言しているようなものです。
本作には隠し撮りドキュメント調に徹した、ベトナムのシーンも存在します。しかし全体はいかがわしいモンド映画の魅力に欠けるものになりました。
本作の編集は前作と異なりマリオ・モッラ。後に『アルジェの戦い』(1966)や『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)を編集する人物です。
彼の創意工夫は映画的に面白いが、今回はモンド映画として適切ではなかった、ということでしょうか。
もっとも最終的責任は監督にあります。また彼は後に『グレートハンティング』(1975)、『カランバ』(1983)といったモンド映画の代表格の名作(迷作)に参加しています。
本作を見た多くの人が、”モンド映画”とはフェイクドキュメントで作る娯楽だと気付きました。多くの類似作が登場しますが、それを最も学んだのは日本人でした。
”夜モノ映画”にも刺激さていた日本映画界は、”和製夜モノ映画”に”和製モンド映画”を製作し始めます。
TVでも1970年から東京12チャンネル(テレビ東京)で、モンド系ドキュメンタリー番組「金曜スペシャル」が放送開始。
NET(テレビ朝日)の「水曜スペシャル」では、モンド系番組のやらせをエンタメに昇華した、「探検シリーズ(後の川口浩探検隊シリーズ)」の放送が1977年開始されます。
「金曜スペシャル」製作の流れをくむ日本製作会社が、アメリカの会社が製作した体で発表した『ジャンク 死と惨劇』(1979)シリーズも誕生。
世界で最も”モンド映画”やフェイクドキュメンタリーを愛したのは、日本人だったのかもしれません。
今やヤコペッティの影響は、我々にはDNAレベルで刻まれているのでしょう。
まとめ
第1作に比べ即席で作られたと信じられ、軽く扱われている感のある『続・世界残酷物語』。
タイムリーな題材からリアルなフェイクシーンを製作した、”モンド映画”の魅力を世界に知らしめた作品と言えるでしょう。
1991年1月、意外な形で本作は世界にクローズアップされます。湾岸戦争でのイラクの悪行を示すものとして、世界に油まみれの水鳥の写真と映像が流れます。
これはイラク側が原油を流出させた結果だ、とアメリカは訴え世界に大きな反響を与えましたが、後に実際は…という話が明るみになりました。
このプロパガンダに利用された水鳥を見て、多くの人が本作のマガディー湖の、泥まみれのフラミンゴのシーンを思い出しました。
まさかプロパガンダの参考に、ヤコペッティの本作を参考にしたとは思いませんが、あの衝撃的なシーンの持つ力が再確認された瞬間でした。
本作で映像が人間の感情に訴える力、再現映像の持つ力を再確認したヤコペッティは、後に恐るべき映画を作るのですが…その話は次回にさせて頂きます。
次回の「未体験ゾーンの映画たち2021見破録」は…
次回第23回は、ヤコペッティ監督のモンド映画最高傑作にして最大の問題作、『さらばアフリカ』を紹介します。お楽しみに。
【連載コラム】『未体験ゾーンの映画たち2021見破録』記事一覧はこちら