連載コラム「Amazonプライムおすすめ映画館」第8回
今回ご紹介する映画『社会から虐げられた女たち』は、ヴィクトリア・マスの小説『狂女たちの舞踏会』が原作の社会派スリラー映画です。
監督は女優としても活躍するメラニー・ロランが務めます。監督として『TOMORROW パーマネントライフを探して』(2015)で、セザール賞のベストドキュメンタリー賞を受賞しました。
舞台は19世紀末のパリ。上流社会の娘ウジェニーには死者の声が聞ける能力がありました。ある日、弟や祖母にその秘密を知られてしまった彼女は、父によってサルペトリエール病院に入院させられてしまいます。
サルペトルエール病院は精神疾患の病人が収容され、入院したら2度と出ることのできないといわれる病院です。ウジェニーはそこでジュヌヴィエーヴ看護師長と運命の出会いをします。
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CONTENTS
映画『社会から虐げられた女たち』の作品情報
【公開】
2021年(フランス映画)
【監督・脚本】
メラニー・ロラン
【原題】
Le Bal des Folles
【原作】
ビクトリア・マス
【キャスト】
ルー・ドゥ・ラージュ、メラニー・ロラン、エマニュエル・ベルコ、バンジャマン・ヴォワザン、セドリック・カーン、クリストフ・モンテネーズ、アンドレ・マルコン、バレリー・ストロー
【作品概要】
主人公のウジュニー役には『白雪姫 あなたが知らないグリム童話』(2020)、『ブラックボックス 音声分析捜査』(2021)に出演した、ルー・ドゥ・ラージュが務めます。
監督のメラニー・ロランはタランティーノ監督作『イングロリアス・バスターズ』(2009)で、主人公に抜てきされ国際的な女優となり、本作では看護師長のジュヌヴィエーヴを演じます。
冷酷な看護師ジャンヌ役に『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』(2015)で、カンヌ国際映画祭の女優賞を受賞したエマニュエル・ベルコ、『Summer of 85』のバンジャマン・ボワザンが弟のテオフィルを演じます。
映画『社会から虐げられた女たち』のあらすじとネタバレ
ヴィクトル・ユーゴーの国葬に参列していた、クレリー家のウジェニーはその晩、何かの気配を感じ身体が震えます。
クレリー家の頭首で父のセドリックは厳格で、ウジェニーの天真爛漫な性格に理解がなく、常に劣等生とみなしています。
弟のテオフィルがサロンの討論会に行くというので、ウジェニーが同行させてほしいと願い出ても、「言語道断」と却下します。
就寝の支度をするため、バスルームに向かったウジェニーは、薄明かりの中何かの気配に襲われ、身体が震えだし意識の中に入り込まれます。ウジェニーには姿の見えない、何かを感じる能力がありました。
翌朝、ウジェニーはサロンに出かけるテオフィルの馬車に先回りして乗り込みます。テオフィルは父に知られたら大変だと騒ぎますが、ウジェニーの目的はモンマルトルのカフェで読書することです。
ウジェニーはヴィクトル・ユゴーの「静観詩集」を愛読しています。カフェでタバコをたしなみ読書に没頭しますが、斜向かいの青年が読んでいる本が気になり一瞥します。
青年はその視線に気がつき、ウジェニーに同席していいか声をかけてきます。ウジェニーは1人で読書に集中したいと断りますが、青年は自分をみつめていたのに?と食い下がります。
ウジェニーは青年のことではなく、持っていた本を見ていただけと言うと、彼はアラン・カーレックの「霊の書」だと教えてくれます。
その本には“人間を成す3つ”の1つ目が肉体、生命を吹き込む。2つ目が魂、肉体に宿った霊。3つ目が魂と肉体の繋がり。このことについて書かれています。
ウジェニーが「霊の書」に感銘を受けると、青年はぜひ読んでほしいと本を差し出します。
ある日、父の知人と娘のオルタンスが来訪した時、オルタンスは嬉しそうに“社交界デビュー”をすると、テオフィルに話します。ところがそれを聞いたウジェニーは「品評会に出る雌馬みたいね」と言ってしまいます。
ウジェニーは彼女を傷つける意図はなかったと言いますが、父のセドリックは日頃から、彼女の言動に不快感をもっていました。そして、仕事や家の名を汚し恥をかかせる「でき損ない」と言います。
クリスマスが近づき、ツリーの飾りを出すため、ウジェニーとテオフィルは納戸へ行きます。そこでウジェニーは再び身体が硬直し発作がおきます。
難度の片隅をみつめ動けないでいるウジェニーに、テオフィルが必死に声をかけると、発作は収まり「同じ人」か訊ねるテオフィル、ウジェニーは「別の人」だったと言います。
テオフィルはウジェニーにだけ見える能力を知っていましたが、彼女は今までは1人だったのが、別の人が見えるようになっていました。
ここ数日は若い女性が話しかけ助けを求めてきますが、何もできないことに無力さを感じると、テオフィルに訴え「霊の書」を読んで、自分に起きていることの意味をつかみかけていると話します。
テオフィルはそんなウジェニーを哀れむような眼でみつめ「怖い」と言います。それはウジェニーのことでもあり、霊の存在のことでもありました。
そして、見える人はどうなるのかウジェニーに聞きますが、それは彼女にもわかりませんでしたが、霊は存在すると興奮気味に語りました。
ある晩、ウジェニーがいつもの通り祖母の髪を解いていると、発作が起きてそばにあったチェストの引き出しを片っ端からあけ、中をまさぐり始めます。
狂気じみた行動をするウジェニーの姿に、祖母は動揺し慌てますが、ウジェニーはチェストの奥の方に手を突っ込むと、古いネックレスをみつけ取り出します。
それを見た祖母は奇跡だと驚きます。40年前に失くした夫からの贈り物で、当時の使用人が盗んだものだと思っていたからです。
ウジェニーは一点をみつめ放心状態でいると、祖母はどうしてそこにあることがわかったのか聞きます。ウジェニーは亡くなった祖父が教えてくれたと答えます。
翌朝、ウジェニーを起こしに母が来て、父がオルタンスと仲直りする機会を作ってくれたと話します。彼女に会ったら舞踏会のドレスを褒めてあげるよう言います。
母は娘を不憫に思い泣きますが、ウジェニーは母をがっかりさせないと誓います。
ウジェニーは父とテオフィルと共に家を出ます。馬車の中でウジェニーは、浮かない顔で外を眺めます。姿勢を正すよう父に注意されると、ウジェニーは父の足下に旅行用のカバンをみつけます。
ウジェニーが外を見るとそこは見知らぬ場所でしたが、虚ろな表情をした女性が立ちすくんでいたり、遠くで看護師が動き回るのを見た彼女は「サルペトリエール病院は嫌!」とテオフィルに訴えます。
サルペトリエール病院は精神疾患専門の病院です。ウジェニーは自分は病気ではないと、父とテオフィルに何度も訴え、入院を激しく拒みます。
泣きじゃくるウジェニーの腕を男の職員2人が持ち、引きずり出すと病院へと連れて行きました。
映画『社会から虐げられた女たち』の感想と評価
映画『社会から虐げられた女たち』は実在した、病院と医師、患者による実際に行われていた治療や臨床試験を取り上げた作品でした。
“人は死んだあとどうなるのか?” 一度は考えたことがあることかもしれません。
特に不慮の事故や自らが関わって、大切な家族を亡くしたとしたら、無念の思いや後悔で心残りのある者にとっては辛いことです。
せめて死後の家族はどうしているのかと、考えてしまうジュヌヴィエーヴと、霊の声や姿が見えてしまうウジェニーの運命的な出会いと、精神の自由、本当の狂気とは何か?
この映画ではヨーロッパフランスでの家父長制や偏見、排除がまだ色濃く、弱者の生き難さが垣間見れます。
“サルペトリエール病院”とシャルコー医師
シャルコー医師(ジャン=マルタン・シャルコー)とは実在した、病理解剖学の神経科医でした。サルペトリエール病院(ピティエ=サルペトリエール病院)も実在します。
36歳の時にサルペトリエール病院の医長となりその後、医師を育成するための学術機関として、作中のようなデモンストレーション的な講義も行いました。
シャルコー医師が成し遂げた医学界の偉業は、多大なものでありましたが、サルペトリエール病院に入院していた、数千人の患者がそのデータ収集のため、被験者となっていたことをこの作品では描いています。
ウジェニーが入院することに激しく抵抗した理由には、サルペトリエール病院の古い歴史もあります。19世紀後期のサルペトリエール病院はこれでも改善され、患者たちも保護されている方でした。
監獄としての役割もあったサルペトリエール病院では、女性の犯罪者もこの病院に入れられました。殺人を犯したテレーズ、泥棒のマルグリットがいたのはそういう理由です。
1792年の「九月虐殺」の時、サルペトリエール病院は群衆に襲撃されましたが、精神病患者は鎖で繋がれていたため、逃げ出すこともできず虐殺されました。
このように19世紀初頭までサルペトリエール病院では、精神疾患の患者に対し非人道的な処置がされていました。
精神科医のフィリップ・ピネルによって人道的改革がされ、後にシャルコーに引き継がれますが、臨床試験の場へと形を変え、人権問題と科学の発展の狭間で、解釈が複雑になっていきました。
アラン・カルデック「霊の書」とヴィクトル・ユゴーの「静観詩集」
キリスト教では人は死後、魂は神の元に召されるか地獄に行くという概念があります。1857年に発刊されたアラン・カルデックの「霊の書」は、霊魂の行方や在り方について、詳細に書かれています。
アラン・カルデックもまた、この本を編集するにあたって交霊術を使って、霊との交信を行いました。つまり、カルデックが勝手に分析し解釈した本というよりは、霊の声をまとめた本といえるようです。
そして、交霊術はヨーロッパ各地のサロンで、密かにブームとなっていましたが、文豪ヴィクトル・ユゴーにも影響を与えていました。
ウジェニーの愛読書「静観詩集」は、ナポレオンの制圧により、亡命を余儀なくされたユゴーが、1856年にガーンジー島にいた時に発刊されています。ユゴーはこの島で交霊術に熱中していたといわれています。
この詩集は愛娘のレオポルディーヌが、溺死してしまったことがきっかけで書かれました。
娘と過ごした多幸感に満ちていた「昔」と、亡き娘を思い悲嘆と瞑想、哲学によって悲しみを昇華させる「今」を現した詩集です。
交霊術により森羅万象を体感したユゴーは、“人間と宇宙との対話”という哲学体系を確立し、詩集に落とし込んでいます。
非科学的と見られていた“心霊(オカルト)”は、「霊の書」と「静観詩集」によって、心霊科学の分野に昇華します。
後に精神医学の分野で解明できない事を、心霊科学が解明する時代へと移行していきます。ウジェニーがジュヌヴィエーヴに宛てた手紙は、心霊科学の黎明を表わしていたのです。
まとめ
映画『社会から虐げられた女たち』は、シャルコー医師によって、発展途上にあった神経学及び心理学の分野を大きく進歩させた影に、多くの女性患者の存在があったことを示し、家父長制、男尊女卑によって虐げられた女性たちをフォーカスした作品でした。
また、超常現象に否定的な科学の分野に心霊科学が参入し、偏見の目を向けられた霊的能力を持った人の人権が、回復していく社会を予感させ終わります。
現代は空前のオカルトブームでもあり、SNSの動画サイトにも多くの超常現象が紹介されていますが、多くは解明に至っておらず、トリックを使った現象も多く、本物の心霊術や心霊科学は存在しません。
エンターテイメント化した心霊の世界ですが、その本質は森羅万象に繋がり、人間哲学に通じていることをこの映画では教えてくれます。
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