連載コラム『終わりとシンの狭間で』第10回
1995~96年に放送され社会現象を巻き起こしたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』をリビルド(再構築)し、全4部作に渡って新たな物語と結末を描こうとした新劇場版シリーズ。
そのシリーズ最終作にしてエヴァの物語の完結編となる作品が、映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(以下、『シン・エヴァンゲリオン』)です。
本記事では『シン・エヴァンゲリオン』作中にてシンジが再会を果たしたかつての同級生のトウジ・ケンスケ・ヒカリと「第三村」をピックアップ。
「第三村」にて、シンジに成長をきっかけをもたらしたトウジとケンスケの“大人”としての姿、「空白の14年間」で生まれたケンスケのアスカとの絆、ヒカリがアヤナミに教えた“4つで1つのおまじない”の意味を深く探っていきます。
CONTENTS
映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の作品情報
【日本公開】
2021年3月8日(日本映画)
【原作・企画・脚本・総監督】
庵野秀明
【監督】
鶴巻和哉、中山勝一、前田真宏
【総作画監督】
錦織敦史
【音楽】
鷺巣詩郎
【主題歌】
宇多田ヒカル「One Last Kiss」
【作品概要】
2007年に公開された第1作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』、2009年の第2作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年の第3作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』に続く新劇場版シリーズの最終作。
庵野秀明が総監督が務め、鶴巻和哉・中山勝一・前田真宏が監督を担当。なおタイトル表記は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の文末に、楽譜で使用される反復(リピート)記号が付くのが正式。
映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』考察・解説
アスカがケンスケに絆を求めた本当の理由は?
第6回記事(アスカ考察)でも触れた通り、『シン・エヴァンゲリオン』作中にて明かされたアスカとケンスケの間に生じた絆。まさかの「ケンケン」呼びを含め、映画を観た多くのファンがその展開に驚きを隠せなかったはずです。
しかしながら、「シキナミ」シリーズの複製体の一人である“式波”のアスカ、そしてその「シキナミ」シリーズの“オリジナル”である可能性が高い、『新世紀エヴァンゲリオン』及び旧劇場版に登場した“惣流”のアスカが抱えていた孤独を振り返れば、その展開もある意味では必然だったのかもしれません。
『新世紀エヴァンゲリオン』作中、“惣流”のアスカは幼少期に母親を亡くしています。それは、「エヴァの接触実験失敗の影響で精神崩壊に陥り、自身を愛さなくなった母親を振り向かせるために目指していたエヴァパイロットにようやく選ばれたその日、母親が“自分の娘”と思い込んでいた人形と共に“心中”してしまった」という無慈悲極まりないものでした。
母親の愛を“致命的”に失った体験。それは、“惣流”のアスカに「母親とその存在が与えるであろう愛は、絶対に得られないし、得ようとしても絶対に失うことになる」という呪縛を彼女の魂に刻み、結果として「母親の愛を何よりも欲しながらも、それを欲することは意味も価値もないと断じる」という矛盾した人間像を生み出すことになりました。
“惣流”のアスカが『新世紀エヴァンゲリオン』作中にて「年上の男性」である加持に惹かれたのも、欲することすら自らに禁じた母親の愛とはでない“母ではない親”の愛=“父親”の愛を得られる対象者、或いは親の愛を必要としない「大人の恋愛」の相手役を彼に求めていたためでもあり、あくまでも母親の愛を得られないことへの反動だと捉えることができます。
しかしその加持すらも亡くし、親の愛の致命的な喪失を再び体験したことで、“惣流”のアスカは母親と同じ「精神の崩壊」という末路をたどることになったのです。
“惣流”でも“式波”でもない「アスカ」という魂を肯定する
『新世紀エヴァンゲリオン』では母性と父性、それぞれの愛の致命的な喪失を体験。そして旧劇場版でも、母親の魂が存在していたエヴァ弐号機(新劇では「2号機」)をエヴァ量産機に喰らい尽くされるという形で、母親の愛の喪失を再体験させられた“惣流”のアスカ。
より深く深く“惣流”の魂に刻まれた「親の愛の致命的な喪失」の記憶は、彼女の複製体であり、そもそも親の存在を知らずに育った“式波”のアスカにも少なからず引き継がれていました。その証こそが、彼女が幼少期から大切にしてきた人形だったのです。
“式波”のアスカがケンスケと親しくなったのも、実年齢は28歳ながらも“エヴァの呪縛”により肉体は14歳のままの自身に対し、心身ともに28歳の「大人の男性」であるケンスケに、かつて“惣流”が惹かれた加持という「大人の男性」の姿を重ねたことが一つのきっかけだったのかもしれません。
しかしながら、それはあくまでもきっかけに過ぎないということも、『シン・エヴァンゲリオン』終盤での描写から読み取ることができます。
マイナス宇宙の中で、幼少期に体験した両親の不在の実感、その先に感じとった「居場所」がないという孤独に苛まれる“式波”のアスカ。少女の姿に泣きじゃくる彼女の前に、アスカが大切にしていた人形のキグルミを着たケンスケが現れ、「アスカはアスカだよ」と語りかけるのです。
“式波”のアスカにとって、人形とは「いつもそばにいてくれる存在」ではありますが、「人形」であるが故にそこに魂の存在はありません。しかし、「人間」という魂持つ存在であるケンスケがキグルミとして中に入ることで、人形には魂が吹き込まれ、たちまち「いつもそばにいてくれる存在」から「いつもそばにいてくれる人間」へとその存在は変化。それは同時に、“式波”のアスカが求めていた人形の“魂”こそが、ケンスケその人であったことを意味しています。
父親でも母親でもない「いつもそばにいてくれる人間」として、一人の“魂”として自身の在るがままの姿を肯定してくれる。それは“惣流”であり“式波”である、そして“惣流”でも“式波”でもない「アスカ」という存在の肯定であり、「エヴァパイロットとして強く在り続ける」という自己に課した呪縛によって、常に「在るがまま」を許されなかったアスカの魂が求めていた一番の願いでした。
空白の14年間、アスカの親交との中でケンスケは彼女が在るがままで居られる「居場所」となり、彼女の願いを自ずと叶えていた。だからこそアスカは、ケンスケに「アスカ」という魂としての他者とのつながり方……愛や恋とは異なる「絆」を見出し、自身の呪いから解放されるに至ったのです。
「救う」ということの責任と覚悟
ケンスケやヒカリと共にニアサードインパクトを生き残り、同じくインパクトを生き残った者たちの集落「第三村」で無免許の医師として働いているトウジ。かつての同級生ながらも「14歳の少年」のままであるシンジを“心の距離”に配慮しながらも優しく接する様子には、彼が「大人」となって多くの月日を過ごしてきたことを思い知らされます。
また、ようやくひとりで落ち込み続けることから抜け出したシンジに、トウジは現在の状況に至るまでにあった出来事……「ヘタレなガキのままでは生きておれん世界」で否が応でも「大人」にならざるを得なかったという当時を触れます。そして無免許の医師として第三村で働くトウジは、「人が人を救う」という行為における責任と覚悟、自身のした行為への“落とし前”の重要性を口にします。
家族のためには「お天道様」に顔向けできないこともしたとも語るトウジの言葉には、「お天道様」=「神」に背いてでも生き抜き、家族を守り続けるという「人間」の生の在り方が読み取れます。そして彼が語る「人が人を救う」という行為の“現実”と“落とし前”の重要性こそが、のちに「他者の幸せ」=「エヴァの存在しない世界」を願い、自身の犯した罪の“落とし前”として第13号機と初号機と一体化した自身をヴィレの槍で貫こうとしたシンジの行為に大きな影響を与えたのです。
自分より先に「大人」になったトウジから教えられたことが、自らも「大人」へと成長するきっかけとなったシンジ。またそのきっかけには、トウジと同じく先に「大人」になったケンスケとの対話も含まれており、ニアサード後に事故で父親を亡くしてしまったケンスケが告げた「父親と話せ」という言葉が、シンジに父ゲンドウとの対決、その果てにようやくたどり着いた妻/母を喪失した父子の心の対話に向かわせた一因となったのです。
“4つで1つ”のおまじないに込められた「他者との生と幸せ」
ニアサード後にトウジと結婚し、彼との間に生まれた一人娘ツバメを育てるヒカリ。彼女は『シン・エヴァンゲリオン』作中、あまりにも多くを知らないアヤナミに、母が幼い娘に対しそうするかのように、生活の中で様々なことを教えていきます。その中で最も重要だったものが、人と人が挨拶や感謝の言葉として用いている“おまじない(お呪い)”の数々でした。
人が自らの願いを他者、或いは世界に伝えるためのおまじない。願いの実現のため多くのものを犠牲にする“呪い”とは異なるそれを、アヤナミはヒカリをはじめ、第三村で出会った多種多様な人々から学んでいきます。
また、自らの死期を悟ったことでヒカリたちのもとを去ったアヤナミが、置き手紙にヒカリたちから教わった4つのおまじない……「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」「さようなら」という挨拶と感謝の言葉を書き残したのも、第三村のある少女から学んだ“お返し”をヒカリたちにしたかったからでしょう。
「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」「さようなら」……4つのおまじないは、どれもごくありふれた挨拶や感謝の言葉に過ぎません。
しかし、その心が“赤ん坊”のツバメと同じ状態=“生まれたばかり”の状態から、第三村での生活を通じて「生きる」ということの意味や幸せを知り、シンジからその名前を改めて名付けられた結果、「アヤナミレイ」としての自身が人生を短いながらも生きたアヤナミにとって、4つのおまじないは「他者と共にある人生」そのものを意味していたといえます。
この世界に生まれてきてくれた=目覚めてくれた者との、出会いを祝う言葉「おはよう」。この世界で目覚めた後も懸命に生き続けてくれた者の、安らかな眠りを願う言葉「おやすみ」。
出会いの祝福、安らかな眠りへの願いなど、自分という他者の幸せを願ってくれた有り難き者への“お返し”として、その者自身の幸せを願う言葉「ありがとう」。そして、お互いの幸せを願うことができた者との、再会を願う言葉「さようなら」。
アヤナミが教わった4つのおまじないには、「自己という他者の幸せを願ってくれる他者の想い」と「そのような他者の幸せを願うことで“お返し”をしようとする自己の想い」……他者とのつながりがあってこその生と幸せの在り方が込められていたのです。
そして4つのおまじないを置き手紙の文面に書き残し、“1つ”のおまじないにしようとしたアヤナミの心の中には、ヒカリや村人たちはもちろんのこと、第三村という「居場所」そのものへの“お返し”を少しでもしたかったという願いがあったのかもしれません。
まとめ
『Q』での展開を経て驚きの再登場を果たしたシンジのかつての同級生たち。しかしトウジ・ケンスケ・ヒカリの3人や第三村の人々との心の交流は、シンジとアスカ、そして同級生だったという記憶すら存在しないアヤナミのそれぞれの“願い”にも大きな影響を及ぼしました。
他者との生と幸せとは何か、「居場所」とは何かを描く舞台となった第三村は、同時に「他者との共生を目指す社会」そのものであり、それまで「エヴァ」シリーズ作品が描いてきた「他者とのつながりの断絶による孤独」とは異なるものでした。
また『シン・エヴァンゲリオン』作中、改築された駅周辺の建物と共に描かれた多くの仮設住宅がたち並ぶ風景には、2012年の『Q』公開の前年に起こった東日本大震災の後、被災地に生まれた風景を誰もが思い出したはずです。
そもそも第三村のモデル兼モチーフである天竜浜名湖鉄道「天竜二俣駅」は、蒸気機関車の時代にて用いられていた転車台があるように、かつては汽車の「進路変更」=「再出発」を担う駅でもありました。
「居場所」という留まれる地=「駅」にたどり着くことなく、ただ線路という道を電車に乗りながら彷徨い続ける……それは度々「エヴァ」シリーズ作品にて描かれてきた、シンジの心象風景でした。それに対し、「駅」を中心に育まれてきた第三村は、シンジが今まで実感できなかった「居場所」の象徴であり、『Q』にて心を打ちのめされたシンジの現実逃避という道からの「進路変更」=「再出発」の地となったのです。
次回の『終わりとシンの狭間で』は……
次回記事では、『シン・エヴァンゲリオン』のネタバレあり考察・解説第七弾として、作中にて多くの心の成長を体験したアヤナミレイをピックアップ。
第三村での日々がもたらした「アヤナミレイ」としての魂の変化、それに伴う彼女の髪のロングヘアー化の理由・原因などを探っていきます。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。
2021年にはポッドキャスト番組「こんじゅりのシネマストリーマー」にサブMCとして出演(@youzo_kawai)。