連載コラム『終わりとシンの狭間で』第11回
1995~96年に放送され社会現象を巻き起こしたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』をリビルド(再構築)し、全4部作に渡って新たな物語と結末を描こうとした新劇場版シリーズ。
そのシリーズ最終作にしてエヴァの物語の完結編となる作品が、映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(以下、『シン・エヴァンゲリオン』)です。
本記事では『シン・エヴァンゲリオン』作中にて多くの心の成長を体験したアヤナミレイをピックアップ。
第三村での日々がもたらした「アヤナミレイ」としての魂の変化、アドバンスドアヤナミシリーズの正体、それに伴う彼女の髪のロングヘアー化の理由・原因などを探っていきます。
CONTENTS
映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の作品情報
【日本公開】
2021年3月8日(日本映画)
【原作・企画・脚本・総監督】
庵野秀明
【監督】
鶴巻和哉、中山勝一、前田真宏
【総作画監督】
錦織敦史
【音楽】
鷺巣詩郎
【主題歌】
宇多田ヒカル「One Last Kiss」
【作品概要】
2007年に公開された第1作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』、2009年の第2作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年の第3作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』に続く新劇場版シリーズの最終作。
庵野秀明が総監督が務め、鶴巻和哉・中山勝一・前田真宏が監督を担当。なおタイトル表記は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の文末に、楽譜で使用される反復(リピート)記号が付くのが正式。
映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』アヤナミレイ考察・解説
「魂」は芽生え、育まれるもの
アヤナミシリーズの「初期ロット」にして「ナンバー6」にあたる複製体であったアヤナミレイ。彼女は『Q』の時点から、『序』『破』に登場し、シンジが救おうとした“綾波レイ”に関心を抱き、「こんな時、“綾波レイ”ならどうする?」と度々他者に尋ねていました。
それはクローンという出生に加えて、“人間”としての生活も他者との関わりをほとんど経験することなくエヴァに乗り続けてきた彼女が、自身と同じ“アヤナミレイ”ながらも、シンジから“一人の人間”として認識されている綾波レイから、いつまでもおぼろげな自己の魂の輪郭を見出そうとしたための行動といえます。
やがてアヤナミレイは、『シン・エヴァンゲリオン』にてニアサードインパクトを生き残った人々による集落「第三村」で生活を送ることに。そこで彼女は、村に住む人々との仕事と生活を通じて、他者との関わり方を学んでいきます。そして綾波レイの「そっくりさん」として扱われる中で、彼女はのちに「自分に“名前”をつけてほしい」とシンジに頼むことになるのです。
まだ赤ん坊の娘ツバメの“母親”であるヒカリをはじめ、大人になったかつての同級生たちや村の人々から、何気ない言葉や行為の一つ一つを不思議がりながらも教わる彼女の姿。それは、「アヤナミタイプ ナンバー6」の肉体をもってこの世界に生まれながらも、その魂は他者との関わりを通じて育つことなく“赤ん坊”のままであったことを意味しています。
またそれをふまえると、アヤナミレイが“綾波レイ”に関心を抱いたのも、赤ん坊が両親など自身の側にいる他者から自己を学んでいくのと同じように、まず親という概念自体を持ち得ないクローンである彼女が、「自身の最も“側”にいる人間」として「“一人の人間”と認識されていたアヤナミレイ=綾波レイ」をモデルに自己を学ぼうとしたためという別の側面が見えてきます。
そして村の人々との交流によって他者との関わり方を知り、シンジに“命名”されたことで、アヤナミレイは自身の内にあった“一人の人間”としての魂、その魂が存在したいと願う“居場所”を見つけることができたのです。それは決して、アヤナミシリーズにおける「調整」……「必ず《第三の少年》に好意を持つようになる」という枷だけでは説明し切れない、アヤナミレイが“人間”だからこそたどり着けた答えでもあります。
アドバンスド・アヤナミシリーズとエヴァ・オップファータイプ
その一方で、『シン・エヴァンゲリオン』作中にてその存在が明らかにされたアドバンスド・アヤナミシリーズ。冬月の「アダムスの器の贄となる、雌雄もなく純粋な魂だけでつくられた、汚れなき生命体」という言葉通り、それは「アダムスの器」=「アダムスを素体に建造されたエヴァシリーズ機体」を稼働させるための魂として造り出された複製体たちでした。
性別を持たず、“意思/意志”を持っているとも到底思えない様子が作中では描かれているアドバンスド・アヤナミシリーズ。その姿からは、「純粋な魂」が「“個”を喪失した魂」と同義であることが理解できます。
また同じく、『シン・エヴァンゲリオン』にてその呼称が言及されたエヴァ・オップファータイプ。作中での描写から、エヴァMark.9〜12という4体のMark機体を指しており、4体はいずれも“同型機”であること……そして、それらが「アダムスの器」であることが判明していますが、その用途には謎が多く残されています。
しかし、「オップファー」という言葉がドイツ語で「犠牲(Opfer)」を意味することから、Mark.9〜12はインパクト発動の儀式自体の「贄」……ではなく、その儀式遂行の補助をさせられる「贄」として運用されていた可能性が浮上してきます。
「“個”すら奪われた魂」が贄という「バツ」を強いられる
「アダムスの器」にして「エヴァ・オップファータイプ」にあたるMark.9〜12の貌は、いずれもX字型のスリットが刻まれており、眼や口といった生物的なモチーフは一切排除された“貌”というよりも“仮面”を思わせるデザインとなっています。むしろ、エヴァMark.7の貌のデザインが「貌の肉を剥がされた髑髏」を連想させる点、一度は頭部を損傷し貌を失ったMark.9にも“代替品”のごとく取り付けられている点からも、やはりそれらは“貌”でなく“仮面”であることは明らかでしょう。
そのデザインについて、ネット上では「X字型のスリットは《ローマ数字の10(Ⅹ)》であり、仮面のデザインは、各機体のナンバリングに対応したローマ数字を表している」という考察が話題となっている他、象徴学にて「斜め十字/斜め十字架(X)」は「月」を意味し、“黒いスリットで刻まれた斜め十字”からは“黒い月”を連想することも可能です。しかしながら、やはり「バツ/バッテン(×)」としての解釈を無視することはできないでしょう。
日本における「×」の歴史は古く、古墳時代に作られた土偶・埴輪にはすでに「×」の印が刻まれており、「封印」の意味として用いられていたとされています。 また平安時代以降は「阿也都古(アヤツコ)」と呼称され、異界とこの世の行き来を禁止するとして、呪符または魔除けの記号として用いられていたそうです。そして重要なのは、「アヤツコ」から次第に置き換えられていった「バツ/バッテン」という呼称は、「罰/罰点」から由来しているという点です。
「アダムスの生き残り」であり、ゲンドウが望むアディショナルインパクト発動の儀式遂行のために建造された「最後のエヴァ」ことエヴァ第13号機。『Q』作中にてその機体が完成した時点で、ゲンドウにとって他のエヴァシリーズ機体は、エヴァ初号機と「第9の使徒」の力を持つアスカが搭乗するエヴァ改2号機を除いて、全てが“空中戦艦の主機への流用を含め、ただ儀式遂行の補助をさせるだけの贄”と化したといえます。
だからこそ、暴走などの不確定要素を排し“儀式遂行の補助”に特化させるために、Mark.10〜12を『Q』にて損傷して補修が必要となったMark.9とあわせて“封印”する必要が生じた。その証こそが、上記の意味を持つ「バツ/バッテン(×)」だったのではないでしょうか。
そして“儀式遂行の補助”に特化させた形でのMark.9〜12の運用に向けて、同じく“不確定要素”を排するために、不確定要素の原因となり得る“個”を形作る全てが“封印”された魂=「純粋な魂」を持つアドバンスド・アヤナミシリーズは造り出された……“犠牲”を冠するエヴァたちの運用に向けての贄という唯一つの用途のためだけに、彼女たちは“個の封印”という「罰(バツ/×)」をMark.9〜12と共に課せられたのです。
“神”ではなく、ゲンドウたち“人間”の勝手な都合によって「罰(バツ/×)」を背負わされた生命体であったアドバンスド・アヤナミシリーズ。『シン・エヴァンゲリオン』作中での「“傲慢”の行き着く先がこれとはな」という冬月の言葉の真意は、そこにあるのかもしれません。
シンジを介し「一人の人間」の魂たちは結ばれる
やがて映画終盤、シンジは『破』にて初号機のコアに取り込まれたままだった“綾波レイ”と再会。そのあまりにも長く伸びた髪は、彼女が「空白の14年間」を初号機の中で過ごしてきたことを意味していました。そして同時に、髪を「人の心の象徴」「人間である証」と語ったマリの言葉通り、彼女の魂がアドバンスド・アヤナミシリーズとは異なる“一人の人間”の魂であることも証明したのです。
しかしながら、どこかの撮影スタジオでの場面に登場した綾波レイが大切そうに抱きかかえていたのは、“赤ん坊”を模した奇妙な人形。そしてその人形には、『シン・エヴァンゲリオン』中盤にて亡くなった“アヤナミレイ”が第三村で出会い、その一挙一動に心を震わせていた、ヒカリとトウジの娘ツバメの名が刻まれていました。
同じく撮影スタジオでの場面での「もう一人の“君”は、ここじゃない居場所を見つけた」というシンジのセリフをふまえると、ロングヘアー姿のレイはやはり『序』『破』にてシンジが出会った“綾波レイ”であるのは明白です。ではなぜ、14年間も初号機に取り残されていた彼女が、アヤナミシリーズの別個体である“アヤナミレイ”の記憶を知っていたのでしょうか。
その理由は、『シン・エヴァンゲリオン』作中、アヤナミレイがLCL化し亡くなってしまう直前に描かれた“命名”の場面から読み取ることができます。
その出生と生い立ちによって“赤ん坊”同然の魂だったアヤナミレイ。彼女はアヤナミシリーズとしての「調整」によって徐々にシンジへと惹かれ、彼がかつて心を通わせた「綾波レイ」に関心を抱く中で、「シンジの求める“アヤナミレイ”」となることで自己を見出そうと考え始めます。それは「調整」がもたらすシンジへの恋愛感情以前に、“赤ん坊”としての自己を学ぼうとした結果の行動でもありました。
しかし他者からの言葉、何よりも第三村での綾波レイの「そっくりさん」=「“綾波レイ”ではない人間」としての日々を通じて、彼女は自身の持つ魂が“綾波レイ”とは異なる個の魂であり、自身は“綾波レイ”そのものになることはできないと次第に感じ始めます。だからこそ、のちに「“綾波レイ”をよく知る人間」=「“綾波レイ”と自身が“異なる存在”だと最も理解している人間」であるシンジに、“綾波レイ”とは異なる個の魂を持つ証明となる“名前”を求めたのです。
それに対して、シンジが出した答えは「綾波は綾波だ」。その言葉には、『序』『破』で心通わせた“綾波レイ”も、『Q』で出会った“アヤナミレイ”も「自身が知る綾波」であるという彼の想い……ある意味では“願い”が込められていました。
自身は決して、初号機に取り込まれた“綾波レイ”ではない。けれどもその魂は、シンジという他者の魂を介して確かにつながっている……異なる存在であるはずの“綾波レイ”と“アヤナミレイ”の狭間に、シンジが立つことで浮かび上がった“一人”の魂の輪郭は、文字通り“人間”の魂の在り方そのものでした。アヤナミレイはその真実……自らの魂の行方を悟ったからこそ、その瞬間“綾波レイ”と“アヤナミレイ”が“人間”の魂としてつながったからこそ、“綾波レイ”は亡くなった“アヤナミレイ”の記憶を知ることができたのです。
まとめ
『シン・エヴァンゲリオン』のラスト、新世界の創造(ネオン・ジェネシス)によって「エヴァがなくてもいい世界」へとたどり着いたシンジ。そして“大人”となった姿で駅のホームにいた彼は、向かい側のホームでカヲルらしき人物と会話をするレイの姿を目にします。
「エヴァがなくてもいい世界」へたどり着いたことからも、そこにいるレイが果たして『序』『破』に登場した“綾波レイ”なのか、それとも『Q』以降に
登場した“アヤナミレイ”なのかは定かではありません。いずれにせよ彼女はクローンでも、シンジの母である碇ユイでも、ましてや第2使徒/第2の使徒リリスでもない、いわゆる“誰でもない、かけがえのない”魂を持つ人間として平穏に生きているのは確かでしょう。
アヤナミシリーズとしての「調整」、肉体の“オリジナル”にあたる碇ユイがもたらす「シンジの母」という記憶、その身に宿されたリリスの魂……いくつもの呪縛を課せられながらも、それでも“一人の人間”としての自己の魂に気づくことができたレイ。
そしてエヴァの物語が完結を迎えた今、レイというキャラクター……否、“人間”の幸せを長きに渡って祈り続けてきた多くのファンがまず願うのは、その出会いと交流の記憶が深く刻み込まれる程に“アヤナミレイ”の魂を育んでくれたものの、最後は哀しい別れとなってしまったツバメをはじめ、第三村で出会った人々と彼女が再会することなのではないでしょうか。
次回の『終わりとシンの狭間で』は……
次回記事では、『シン・エヴァンゲリオン』のネタバレあり考察・解説第八弾として、2021年3月23日(月)にて放送されたNHK特集番組「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル」の内容から作品について探ります。
総監督・庵野秀明の“創作者”としての情熱や恐ろしさはもちろんのこと、“完結作”である『シン・エヴァンゲリオン』を鑑賞したからこそ抱いてしまう、「エヴァは本当に終わるのか?」という疑問を再考していきます。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、2020年6月に映画情報Webサイト「Cinemarche」編集長へ就任。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける。
2021年にはポッドキャスト番組「こんじゅりのシネマストリーマー」にサブMCとして出演(@youzo_kawai)。