「別れたい」「別れたくない」
魂と魂は遠ざかり、それゆえにひかれ合う。
出会いと別れを繰り返す魂たちの、13年もの彷徨の旅路を“音楽”とともに紡ぎ上げた映画『キリエのうた』。
監督は『Love Letter』(1995)などで知られ“時代”を常に描き続けてきた岩井俊二。また『ラストレター』(2022)など岩井俊二作品に様々な形で携わってきた小林武史が、本作の音楽を手がけました。
謎多き路上ミュージシャン「キリエ」を本作が映画初主演のアイナ・ジ・エンドが演じた他、『ライアー×ライアー』(2021)の松村北斗、『イチケイのカラス』(2023)の黒木華、『流浪の月』(2022)の広瀬すずが出演した本作。
本記事では映画のネタバレあらすじ紹介とともに、作中に登場したキリスト教の要素や“遠ざかり合う力”の意味、映画冒頭・終盤に登場した“ある曲”に込められた“本心”を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『キリエのうた』の作品情報
【日本公開】
2023年(日本映画)
【監督・脚本・原作】
岩井俊二
【音楽】
小林武史
【主題歌】
Kyrie『キリエ・憐れみの讃歌』
【キャスト】
アイナ・ジ・エンド、松村北斗、黒木華、広瀬すず、村上虹郎、松浦祐也、笠原秀幸、粗品(霜降り明星)、矢山花、七尾旅人、ロバートキャンベル、大塚愛、安藤裕子、鈴木慶一、水越けいこ、江口洋介、吉瀬美智子、樋口真嗣、奥菜恵、浅田美代子、石井竜也、豊原功補、松本まりか、北村有起哉
【作品概要】
『love Letter』(1995)などで知られ“時代”を常に描き続けてきた岩井俊二監督が、宮城県石巻・大阪・北海道帯広・東京という自身と所縁ある地を舞台に、13年にわたる魂の彷徨と救済の行方を描いた長編映画。
「“歌”は歌えるが、“声”をうまく発せられない」という謎多き路上ミュージシャン「キリエ」こと路花役は、2023年6月に惜しまれながらも解散した“楽器を持たない”パンクバンド「BiSH」の元メンバーで、現在はソロで活動するアイナ・ジ・エンド。
さらに松村北斗、黒木華、広瀬すずをはじめ、様々な時代・世代を生きてきた豪華キャスト陣が出演した。
映画『キリエのうた』のあらすじとネタバレ
2023年・東京
「キリエ」という名で路上ミュージシャンを続け、“歌”は歌えるが“声”をうまく発せられない路花(るか)。
そんな彼女と路上で出会い、その歌に感動した派手な女性「イッコ」は食事へと誘い、住む家がないという路花を自身が現在暮らしている住まいへと泊めさせました。
泊まった翌朝、路花は自身を泊めてくれたイッコが、かつて北海道帯広にある高校へ通っていた時の先輩で友人だった真緒里だと気づきます。
大きな牧場の経営者であり、学費を払ってくれるはずだった母・楠美の恋人・横井が消えたことで、高校卒業後に進学した都内の大学にも通えなくなったと語る真緒里。現在は過去と本名を捨て「イッコ」という名で生活しているとのことでした。
また「事務所にも所属せずマネージャーもいない」と路花から聞くと、真緒里は「私、マネージャーをやったげようか」と提案しました。
2018年・北海道帯広
カラオケ屋でのバイトを始め、高校卒業後も4年間はそのバイトを続けた後には、祖母・明美の代から営んでおり現在は母・楠美がママを務めるスナックを手伝う予定だった真緒里。
楠美に「結婚する予定の横井が学費を払ってくれる」「本当は大学に行きたかったんでしょ」と言われても、今さら受験勉強をして大学に行く気にはなれず、横井の紹介で家に訪ねてきた家庭教師・夏彦も追い返してしまいました。
しかし、次第に「この街を出て、自身の運命を変えたい」と考えるようになった真緒里は、都内の大学への進学を目指し、夏彦の指導のもと受験勉強に取り組み始めました。
真緒里が受験勉強を続ける中、ある日夏彦は彼女の部屋でアコースティックギターを見つけます。別の女性とともに家を出た真緒里の父が残していった物だというギターを手に取ると、彼はギターでの演奏と歌を披露しました。
また夏彦は、真緒里の高校に“妹”である「小塚路花」が現在通っていることを明かし「声をうまく発せないが、人の話は聞けるいい子」である路花に話しかけてほしいと話しました。
後日、高校の図書室で路花を見つけた真緒里は、彼女に話しかけ「友だちになって」と告げました。
2023年・東京
「キリエ」のトレードマークとなる青色のライブ衣装や、決して安価ではない機材たちを路花に買い与えた真緒里。真緒里自身が路上ライブでの投げ銭の“サクラ”役を務めた甲斐もあり、「キリエ」の路上ライブは以前と比べると遥かに好反応を得られました。
しかしその後、真緒里の現在の住まいの家主である真緒里の元恋人が女性を家に連れ込んできたのを機に、真緒里と路花は別の住まいを探すことに。
真緒里の元恋人の家を出た日の夜、結局ラブホテルに泊まることになった二人。その際に「『キリエ』ってどういう意味?」と真緒里が尋ねると、路花は「お姉ちゃんの名前」と答えました。
やがて路花は真緒里の知人であり、IT会社の社長を務める「ナミダメ」こと波田目の家にしばらく真緒里とともに居候することに。
別の路上ミュージシャンとのコラボライブ、ライブでの物販品の発注などが続く中、路花はやはり真緒里の知人である音楽プロデューサー・根岸と対面。
とあるカフェで会った路花に対し「“ここ”で歌ってみてよ」と根岸は無茶振りしますが、路花は一瞬躊躇ったもの力強い歌声を披露。見事に歌い切った彼女には、客や店員、そして根岸から拍手が贈られました。
「キリエ」の音楽活動は順調そのものでしたが、ある時真緒里は「温泉に行ってくるから」と告げたかと思うと、連絡用のスマホだけを渡してどこかへと出かけました。
再び一人で、路上ライブをするようになった路花。しかし、そんな彼女の前にギタリストとして活動する「風琴」が現れました。
以前「キリエ」が会った路上ミュージシャン「松坂珈琲」を通じて、その存在と歌の魅力を知ったという「風琴」。彼は自身を“オーディション”してほしいと頼み込み、セッションを経た後も「キリエ」の路上ライブでの演奏を担うようになりました。
2011年・大阪
声を出すことのできないその少女には、帰る家がありませんでした。ゆえに彼女はとある古墳の近くで、夜になったら背の高い樹に登って一人過ごすという路上生活を送っていました。
ある日、少女は公園で弾き語りをしていた路上ミュージシャン「御手洗礼」と出会い、“歌”を教えてもらいます。声は出せないが歌は歌えた少女は御手洗の路上ライブにも加わり、その歌声は観衆にも喜ばれました。
しかし通報された御手洗が警察に捕まり、少女は再び孤独に。以前「子ども食堂」を開いていたために訪れたことがあった教会の礼拝堂で、少女は目に涙を浮かべながら天を見上げました。
一方、小学校の教師・風美(ふみ)は生徒から「古墳の近くで、一言も話さないが、帰る家がないらしい女の子が一人暮らしている」と聞き、夜に少女を探しに行きます。そして、樹の上で無言のまま自身を見つめる少女を発見すると、彼女をそのまま自宅へ保護しました。
少女が布団で眠りに就いた後、風美は少女が背負っていたランドセルの中身を確かめることに。液晶が割れ、破損してしまっている携帯電話などを見つける中、風美は少女の名が「小塚路花」であることを知りました。
さらにランドセルの中身の一つに電話番号が記されていることに気づき、その市外局番は「宮城県石巻」で使用されているものだと知った風美は、“ある可能性”を感じとりSNSで改めて検索をかけてみることに。
3月11日に発生した東日本大震災に関する投稿が膨大にある中で、風美は「ナツ」というアカウントの「小塚希(キリエ)を探しています」という投稿を見つけました。
映画『キリエのうた』の感想と評価
「ルカ」の名にみる「芸術で“母”を語り継ぐ者」
クリスチャンの家庭である小塚家、大阪で孤独な幼少期を過ごした路花が訪れた教会など、映画作中ではキリスト教にまつわる設定・描写が多数登場しています。
そもそも路花のミュージシャンとしての活動名であり、震災で亡くなった姉・希の名でもある「キリエ(Kyrie)」はギリシア語から由来する「主よ」を意味する語であり、日本では「憐れみの讃歌」とも呼称されるキリスト教礼拝での重要な祈りの文言でもあります。
そして姉妹の母・呼子(よぶこ)は旧約聖書『ヨブ記』の主人公・ヨブを連想させ、路花(ルカ)も新約聖書『ルカによる福音書』『使徒言行録』の著者とされる聖人・ルカと同じ名であることからも、小塚家の各人物設定とキリスト教は深い関わりを持っていることが窺えます。
また路花が「キリエ」として活動する際に着るようになった“青色”のライブ衣装を見て聖母マリアのアトリビュート/持物(宗教画において、聖人や聖書の登場人物を描く際の“約束事”として存在する、その人物と深く関係する持ち物)である“青色”のマント(ヴェール)を思い出した方は少なくないはずです。
被災直後、お腹に子を宿し“母”となった姉・希と幼い路花の間に何があったのかは、映画作中では明確には描かれていません。
しかし、希に瓜二つの顔へと成長した路花が映画終盤、青色のライブ衣装を身に纏ったまま後悔に苛まれる夏彦を抱擁する姿からは、路花が亡き姉・希の“母”としての祈り……「祝福」か「呪縛」か、あるいは「愛」「魂」と形容されるものを継承し、そのためにも彼女は吟遊詩人のごとく歌い続けていることを想像できるのです。
なお、路花と同じ名を持つ聖人・ルカは「絵画の才能があったことから、初めて聖母マリアの姿を描いた」という逸話でも知られています。路花が歌の才能を持ち、人々の前で歌うことで希の“母”としての祈りを語り続けているのは、その逸話を擬えているのかもしれません。
“遠ざかり合う力”と“引き合う力”の正体
夏彦が恋人・希との過去を回想する場面にて、彼がお盆の際に会った伯父・加寿彦は同棲しているパートナーであるマークと、原子と原子の間に働く“力”について談義していました。
原子と原子は、近づけば近づくほど“遠ざかり合う力”が働く。そして、この宇宙における森羅万象は全て原子で構成されている以上、人と人も、星と星も遠ざかり合っている……。
その“真理”とも受け取れる原子の原理は、つながりが深まれば深まるほどに希から心が遠ざかっていった震災直前の夏彦の姿、あるいは「助けたい」「ともに生きたい」と思えば思うほどに社会の制度から“接近”を妨げられた夏彦と路花の関係性と重なります。
また、原子と原子の間に働く“力”の原理には「離れれば離れるほどに“引き合う力”が働く」というものも存在しています。
震災により「あの世」という生きる者にとって最も遠い世界へ希が至ったことで、恋人・夏彦や妹・路花の希へ“ひかれる”心はかえって強固なものになりました。また「お盆」という仏教に由来する風習も、そんな夏彦・路花のような心理を同様に抱いた誰かが生み出したものなのかもしれません。
そもそも、“遠ざかり合う力”と“引き合う力”の正体とは何なのか……その答えは物理学の観点からも見出せるのかもしれませんが、映画『キリエのうた』はあくまでも“心”の観点から答えを見出そうとしているのです。
まとめ/『さよなら』だけの人生に抗い、生きる
映画冒頭と終盤、雪景色を友人・真緒里とともに楽しんでいた高校時代の路花が口ずさんでいた、小田和正作詞・作曲による「オフコース」の名曲『さよなら』。
じきに雪が降るであろう冬の頃、かつては“自由”であったはずの二人の関係性が終わりを迎え、「ひとりにして」と告げた相手を遠くに感じながら、それでも相手のことを抱きしめたくなるという“別れ”の光景を描いた『さよなら』。
その歌詞の一節「愛したのはたしかに君だけ そのままの君だけ」を口にした際に、路花は真緒里のことを見つめていました。また路花は『さよなら』を歌う直前、真緒里とともに祠で“お祈り”をしましたが、その内容が何なのかを真緒理に明かすことはありませんでした。
それらをふまえると、路花にとっての“別れ”が訪れた「そのままの君」とは真緒里であり、路花は祠の前で恐らく「真緒里とずっと一緒に生きていきたい」と祈ったものの、都内の大学への進学を願った真緒里にはそれを明かせなかったという彼女の“本心”が見えてきます。
「近づけば近づくほど“遠ざかり合う力”が働く」……そんな世界の真理に翻弄され続けてきた路花は、それでも“遠ざかり合う力”に抗うための手段として“歌”を歌っていたのかもしれません。
編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。