平穏に見えた夫婦関係は静かに揺らぎ、彼女の何かがほつれはじめる。
今回ご紹介する映画『ほつれる』の監督は、劇団「た組」の主宰兼演出家として、読売演劇大賞優秀演出家賞、岸田國士戯曲賞などを受賞した加藤拓也が自らのオリジナル脚本で務めました。
物語は主人公の綿子と夫・文則との夫婦関係が、ギクシャクし冷え切っている中、友人の紹介で知りあった男性の木村と、頻繁に会うようになっているところから始まります。
綿子は木村との恋人関係を心の支えにし、夫婦関係も続けていました。そんなある日、絹子の生活を揺るがす決定的な出来事が起き、それまでの日常の歯車が狂い出します。
映画『ほつれる』の作品情報
【公開】
2023年(日本映画)
【監督・脚本】
加藤拓也
【キャスト】
門脇麦、田村健太郎、染谷将太、黒木華、古舘寛治、安藤聖、佐藤ケイ、金子岳憲、秋元龍太朗、安川まり
【作品概要】
綿子を演じたのは『愛の渦』(2014)、『渇水』(2023)など多くのジャンルでさまざまなタイプの女性を演じ、挑戦し続けている門脇麦が務めます。
綿子の夫・文則を『犬も食わねどチャーリーは笑う』(2022)、『手』(2022)などの話題作でキャリアを重ねている田村健太郎が務め、綿子の恋人・木村役を『ヒミズ』(2011)で日本人初のベネチア国際映画祭・最優秀賞新人賞を受賞した染谷将太が演じます。
共演に『せかいのおきく』の黒木華、舞台を中心に活動し多くの映像作品で名バイブレーヤーとして活躍中の古舘寛治が出演しています。
映画『ほつれる』のあらすじとネタバレ
早朝、身支度を整えた綿子がキッチンで水を飲み終えると、リビングのソファで寝ていた夫の文則が目を覚まします。
綿子が「おはよう」と声をかけると、布団を冬用に変えていいか聞きます。彼女は了解し“こっちに”持ってきておくと答え、1人で出かけていきます。
綿子が向かったのは駅で、特急列車に乗って自分の席を探していると、誰かの姿を見つけると彼女の表情がほころびます。
彼女の目線の先にいたのは木村という男性です。2人は並んで座り互いに手をつなぎますが、木村の左手薬指にも指輪があります。
2人が来たのはグランピング場です。コーヒーキットをレンタルした綿子がテントに運ぶと、仲睦まじく自然豊かな風景を眺めながら、豆を挽きコーヒーを淹れます。
夜、テントのベッドに腰掛ける綿子に、木村はプレゼントを差し出します。それはペアリングでした。互いの右手薬指に指輪をはめると、右手を寄せ合い写真を撮りました。
綿子が誕生日のお返しのハードルが上がったと言い、夫なんか先妻に贈ったプレゼントの使い回しだと言うと、木村は自分のプレゼントも旦那の使い回しでいいと答え笑います。
翌日、帰りの特急列車の中で木村は着いたらどこかで、昼食でも食べて帰ろうと言います。綿子は誰かに会わないかと心配すると、木村は「大丈夫っしょ」と気楽でした。
列車が駅に着く頃、綿子は右手薬指の指輪を外し、財布の中にそっとしまいます。
レストランで昼食を食べながら、木村は夫から連絡はないのか聞きます。綿子は先妻との子を預かっているから、忙しいのだろうと言いました。
2人は次に会う日を約束し、食事を済ませ外に出ると、ちょうど綿子の携帯に文則から電話が入ります。木村はタクシー拾って帰ると言い、別れます。
文則は帰ったら話したいことがあると言い、綿子はその会話に応対しながら、反対方面に歩き始めてしばらくすると、自動車の急ブレーキと共に激しい衝撃音がします。
綿子が振り向くと人混みに見え隠れしながら、木村が着ていた服装とよく似た男性が倒れているのが見えます。
綿子は文則の電話を早々に切って、救急に通報しますが状況と現場を聞かれるうちに、動揺が強まり他に通報が入ってないかと聞きながら、呆然と電話を切りその場を立ち去ってしまいます。
夜、綿子が帰宅すると、文則が食事をして待っていました。そして、電話で伝えた話したいことをきり出しますが、耳に入ってこない綿子は「後でいい?」と言って、寝室に行きそのまま眠ってしまいます。
映画『ほつれる』の感想と評価
“因果応報”の摂理を描いたような映画『ほつれる』は、ラストシーンから主人公・綿子の運命について、鑑賞者の考察に委ねられる形で終わります。
本作は一見、平穏に見えた日常の生活も何かのきっかけで、親子の絆や夫婦の絆がほころび、すぐに補修しなければそこからどんどんほつれ、絡み合って収拾つかなくなるありさまを描いていました。
綿子と文則が結婚したのは、2人の不倫がきっかけでした。しかし、文則の不倫癖は綿子との結婚後も続き、綿子の嫌悪感から文則は家庭内別居を余儀なくされます。
文則は先妻との間にもうけた息子の面倒を見ると言いながら、母親に預けて浮気をしたのでしょう。合鍵を持っている義母が孫を連れて、家に来たことでそのことがバレたのだと推測します。
綿子は義母が勝手に家に入ることを嫌うのではなく、その行為で文則の浮気を知ったことで、猜疑心が生まれフラッシュバックしていたのだと察します。
しかし、文則はそのことに全く気づかず、一生懸命に綿子の機嫌を取る行動をしていました。綿子はそんな文則との夫婦関係に悩み、木村に話すうちに深い関係になったのでしょう。
しかし、木村にも長年寄り添った妻がいて、その妻に非があるようには感じません。綿子との関係は妻との生活に不満はないものの、木村がステイタスのように関係を楽しんでいたと思えます。
綿子もまた木村の存在ができたことで、夫への悩みが薄れこのまま両立できればそれなりに、乗り切れると短絡的に考えたのではないでしょうか。しかし、人の絆や営みは些細な“ほつれ”を見て見ぬし、放っておいたら完全に破城へ向かうことを物語っています。
木村が“犬”は嫌いと言ったのは、可愛がっていた犬の死をきっかけに、親を許すタイミングを逃して、親子関係が悪くなってしまったからともいえます。
その木村も自動車事故に遭い、綿子の通報が完全に伝われば、助かったかもしれない命を落とします。「綿子に見て見ぬふりをされたがために死んだ」としか思えてなりません。
倒れていたのが木村であってもそうでなくても、通報できなかった綿子の行動は保身しか感じず、木村が亡くなったと知っても、支えを失って不安しかないという身勝手さが際立ちます。
それは綿子が略奪愛の末に結婚したにも関わらず、自分も浮気され夫婦関係が危うくなり、許すタイミングを逃し、木村との出会いで軽率な行動に移したからです。
綿子へのイメージは、自分がいかに可哀そうなのかを装い、同情を得ながら生きてきた女性なのではないかと、感じざるを得ません。
それゆえに略奪愛の経験のある綿子に、既婚者の木村との関係に背徳心があったとは思えず、「何が彼女をそうさせているのか?」という疑問が残ります。
この因果応報的な綿子の運命は、自業自得ともとれます。自分の行いを見なかったことにして、過ちから信頼を取り戻そうとする、夫の努力にも見てみぬふりをした結果、綿子の未来には何があるのでしょうか?
文則に対しては嫌悪感があり綿子に共感できる反面、終盤は文則に同情し綿子に対して同情できない自分に気がつきます。
木村の死、文則との離婚は綿子にとって、人生のリセットになったのではないでしょうか?全てを壊して一からやり直す……それができる強かさが、綿子の表情に見受けられたからです。
綿子が見せる憂いは一過性のもので、ある種の処世術のように、何かに依存しながら生きる、天性の才能が具わっているのだと感じました。
まとめ
映画『ほつれる』は何気ない平穏な生活も、軽はずみな言動や行動、思いやりに欠く自己中心的な感情によって、完成を見ない編み物の糸がほつれていくような、儚い絆を感じさせます。
平穏な人生など稀であり、人は過ちを犯したり、裏切りをうけながらも反省し修復を試みたり、許したりしながら編み上げていくものです。
しかし、我を通すあまり同じ過ちを繰り返しながら、安住を得られない人生もありうるのだと、この映画から感じました。
もしも、出会った人を心から愛し大切な存在だと思うなら、絆を守ろうと努力をしたり、努力を認め許すでしょう。
つまり大切な絆にほつれが生じたなら、放置せず互いに歩み寄る努力が必要で、それができるか否かで運命も変わるのだと、本作では訴えかけています。
本作は誰にでも心当たりのある心情や経験を描き、共感を呼ぶ作品です。しかし、物語の途中で主人公(ある意味自分)の、選択肢によって人生は何通りもあり、正解はないことを描いていました。