人間の友情、別離、孤独、悲哀をコミカルかつシニカルに描く
今回ご紹介する映画『イニシェリン島の精霊』は、映画『スリー・ビルボード』で2017年ベネチア国際映画祭で脚本賞、トロント国際映画祭で観客賞を受賞した、マーティン・マクドナー監督の5年ぶりの作品です。
本作も第79回ベネチア国際映画祭で最優秀脚本賞、第80回ゴールデングローブ賞では最優秀作品賞、最優秀脚本賞を受賞しました。
舞台は1923年、アイルランドで内戦に揺れ動く中、紛争などどこ吹く風といった一見のどかで平和なアイルランド諸島の“イニシェリン島”。
この平和な小さい島では島民全員が顔見知り、純朴で陽気な男パードリックは、毎日14時にパブで親友のコルムと他愛のない、楽しい時間をすごすのが日課でした。
しかし、友情を育んできたはずのコルムから、突然の絶交を言い渡され、パードリックは困惑し理解できず、どうして急にそんなことをいうのか“理由”を追究するのですが・・・。
CONTENTS
映画『イニシェリン島の精霊』の作品情報
【公開】
2023年(イギリス映画、アメリカ映画、アイルランド映画)
【原題】
The Banshees of Inisherin
【監督・脚本】
マーティン・マクドナー
【キャスト】
コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン
【作品概要】
パードリック役には『ヒットマンズ・レクイエム』(2008)でゴールデングローブ賞の最優秀主演男優賞を受賞したコリン・ファレルが務め、本作でもベネチア国際映画祭とゴールデングローブ賞で、最優秀主演男優賞を受賞しました。
パードリックの親友だったコルム役には、「ハリーポッター」シリーズでマッドアイ・ムーディー役を怪演したブレンダン・グリーソンが務めます。
ファレルとグリーソンはマーティン・マクドナー監督の『ヒットマンズ・レクイエム』でも共演をしています。
その他の共演は、マクドナー監督作品『スリー・ビルボード』にも出演しているケリー・コンドン、『エターナルズ』(2021)のバリー・コーガンです。
映画『イニシェリン島の精霊』のあらすじとネタバレ
1923年、アイルランド諸島の孤島“イニシェリン島”は、対岸の本土では同じ民族同士の内戦が繰り広げられていますが、完全に蚊帳の外状態で平穏そのものです。
島民のパードリックには無二の親友コルムと、午後2時にパブでビールを飲みながら、他愛もない話をする日課がありました。
パードリックはいつものようにコルムの家に行き、ドアをノックしますが返事がなく、窓から中をのぞき込みコルムに声をかけますが、コルムは煙草を吸って無視しました。
仕方なく家に帰ると洗濯物を干している妹のシボーンが、帰りの早い理由を聞き、とりあえずもう一度、店に行ってみるよう促します。
パブに1人で来たパードリックに、バーテンダーは「コルムは一緒じゃないのか?」と聞きます。もう一度、誘ってみようとパードリックはコルムの家に行きますが、コルムの愛犬しかおらず、窓から1人でどこかへ向かうコルムの姿が見えました。
パードリックがパブに戻るとコルムが来ていました。パードリックが彼の隣に立つと「他へ行け」と冷たくあしらいますが、先にいたのは自分だと反論すると、コルムは外にある座席に移りました。
納得できないパードリックはコルムの前に座り、「僕が何かしたなら教えてくれ」と言葉をかけると、コルムは彼に「何もしてない。ただ、嫌いになった」とそう告げて立ち去ります。
昨日まで仲のよかった友人から絶交を言い渡され、落ち込んだパードリックは家に帰ります。道すがら島の警察官ビーダーに挨拶しますが無視され、その息子ドミニクとも会います。
変った性格の彼は“鉤のついた棒”をみつけたと、パードリックに見せますが、構う気にもなれなれず家に帰ります。
しかし、いつもより帰りの早い兄を怪訝そうに見るシボーンは、めったに訪ねて来ない“マコーミック夫人”が来ていると、不機嫌になります。
マコーミック夫人は2人の両親が亡くなって9年になることに、感慨深げになります。そして、パードリックとコルムが仲たがいしたことに触れました。
夫人は「親友だったんじゃ?」と聞くと「今でも親友だ」と答えますが、夫人は「違うね」と否定します。パードリックは居心地が悪くなり外に出ると、対岸から砲撃音が聞こえてきます。
本土での独立戦争が激しさを増していました。「せいぜい戦え、何の戦いか知らんが」そうつぶやきながら、パブに戻っていきました。
パブに入ると陽気な音楽が流れています。コルムがバイオリン(フィドル)を弾き、客たちと一緒に音楽を楽しんでいました。
ドミニクも店に入ってきますが、彼は4月までパブの出入りが禁止されています。「もう4月になる」と言って気ままに楽しみます。
パードリックは楽しそうな客の輪に入れず、仕方なくドミニクの隣に座り、その様子を眺めていました。
するとコルムがパードリックとの友人関係をやめるとを知ったドミニクは、「12歳の子供かよ」とコルムに絡み和んだ空気を壊してしまいます。
いたたまれなくなったパードリックはドミニクを連れて店を出ます。ドミニクの家に寄り、裸のまま椅子で寝入るビーダーの酒を取って、外で飲み明かすことになります。
シボーンに興味のあるドミニクはパードリックに彼女のことをあれこれ聞きますが、パードリックはコルムからの絶交を受け止められず、それどころではありません。
パブに行かないパードリックはペットのようにしている、ミニロバのジェニーを家に入れて可愛がりますが、シボーンはそのことが許せず苛立ちます。
そしてその苛立ちは理由もなく兄と友人関係を解消したコルムに向き、理由を聞くためパブに行きます。
コルムはパードリックを「やつは退屈な存在」と言います。シボーンはそんなのは以前からわかってるはずで、島の男全員同じだと言い返します。
するとコルムはシボーンに「あんたなら理解できると思うが」と前置きし、余生は音楽や作曲に費やすため、パードリックとのバカ話の時間が無駄なのだと答えました。
映画『イニシェリン島の精霊』の感想と評価
映画『イニシェリン島の精霊』は1923年4月頃が舞台です。作中で聞こえる砲弾の音は1922年6月から1923年5月に勃発した、アイルランド内戦を暗喩しています。
アイルランド共和国は独立を求め、統治国家イギリスに敵対していました。1921年アイルランド自由国を建国しますが、北アイルランドはイギリスの統治下になりました。
アイルランド内戦はこのことへの反発で始まりました。つまり、去年までは同一の敵と闘っていた仲間が、敵国に寝返ったような形になったことへの反発です。
ある日、昨日まで友好的だったコルムから突然、絶交を言い渡され戸惑うパードリックの関係をこのアイルランド内戦と重ね合わせて演出しました。
マーティン・マクドナー監督は自らのルーツである、アイルランドの精神を映画にしたいと脚本を手掛けたと語ります。
アイリッシュ・パブ、フィドル(バイオリン)、ケルン十字などと共にアイルランドに古くから言い伝えられている、死の預言者“バンシー”を登場させ、架空の島“イニシェリン”に神秘的な世界観を創り上げました。
パードリックが言い渡された二つの“絶縁”
劇中パードリックの妹シボーンは「この島の人間は全員“退屈”よ!」と、コルムに突っかかる場面があります。
この物語の発端ともいえるコルムのパードリックに対する絶交の発端です。日常生活が単調で、刺激的な出来事が少ない孤島の特性が影響していました。
島民は島以外での生活は考えられないが、外部で起きているゴシップネタには貪欲で、時々入ってくる情報が唯一の娯楽と言っても過言ではありません。
コルムはことあるごとにシボーンに「おまえさんなら理解できる」と言います。シボーンはこの退屈な島で唯一、読書だけを楽しみにしていました。
恐らく島で一番の秀才で本土で学び、本土で職に就き暮らしていましたが、両親の死をきっかけに島へ戻り、兄の世話をするようになったのでは?と推測できました。
本土への憧れは消えず、一生をうだつの上がらない兄の世話で終わるのかと考えた時、本土へ戻る準備と決心に繋がったのだと考えることができるでしょう。
コムルもまたフィドル奏者として、世界を旅していたのでは?と彼の家にあった郷土品から推察できます。
パードリックと年齢差があることは見て取れ、コムルが人生の総仕上げに入っていたとわかります。
世界を見てきたコムルが晩年に入り、故郷のイニシェリン島に戻り、素朴な青年パードリックと仲良くなったのだろうと推測できます。
しかし対岸での内戦を鑑みながら、いつ終えるともわからない命と向き合い、自分の生業であったフィドル演奏に再び目を向けたのでしょう。
何かを成し遂げたくなったのだと考えると、生産性のないパードリックとの会話は無駄でしかないと感じたのだと察します。
パードリックはコルムの言い分を“自分勝手”だと言いました。しかし、本当に自分勝手なのはパードリックであり、自分の中の小さな世界ではコルムの気持ちは一切理解できません。
妹を生活の便宜上必要としているだけですし、コルムの才能や知性の深さもわからず親友だと思い込み、ただの暇つぶしの相手としか見ていません。
向上心もなく“いい男”という取柄しかないパードリックはこうして、唯一無二の友人と妹から見放されていきました。
シボーンは因習深い孤島は人を卑屈にするとわかっていて、兄を本土に来るよう誘いました。しかし、その予感通りパードリックは“卑屈”になり、コルムとの関わりを“敵対関係”にすることで繋ぎ止めます。
死の預言者“バンシー”の存在について
原題になっている「Banshees」はアイルランド語で、Banは“女性”、sheesは“妖精”という意味です。“バンシー”は死の預言者として、アイルランドやヨーロッパの一部で言い伝えられています。
死が近い人がいる家にそれを伝えると言わせる妖精で、死神のように死を与えるものではありません。
アイルランドには旧家に固有のバンシーがいて、故郷を離れて暮らしている者にも、一族の死を伝えたといわれています。シボーンは本土に暮らしていたころ、このバンシーから両親の死を伝えられたのかもしれません。
シボーンは湖畔で裸足になり泣いていました。マコーミック夫人が彼女を訪ねた晩、何か予言を残したのでしょうか?それはパードリックが聞いた予言と同じでしょうか?
「島に二つの死がおとずれる」という予言を“パードリックの死”と解釈し、絶望して自死しようとしていたとすれば“二つの死”は成立しますが、実際はミニロバのジェニーとドミニクの死でした。
生活する上で頼りにしていたコルムとシボーンが去り、ある意味、素朴な者同士だったドミニクとジェニーの死は、パードリックの心身にとって大きな痛手となります。
コルムが指を落としていく理由も、彼にとって命ともいえる指を失うことも、死に値すると思います。彼はその指をかけてやり遂げたいことがあると、パードリックに伝えたかったのでしょう。
浜辺のコルムとパードリックをみつめる、バンシーのマコーミック夫人の姿が、2人の人生に暗い影を落としているように見えました。
まとめ
映画『イニシェリン島の精霊』は現代社会のコミュニティーでも見られる、人間関係の縮図がありました。
SNSというインターネット上の孤島ともいえるその場で、繰り広げられる人間関係にも似ていないでしょうか?
楽しくコミュニケーションをとっていた相手が突然消えてしまったり、拒否(ブロック)したりする現象です。確たる理由があることもありますが、実はある程度時間をかけたコミュニケーションの果てに、「もう限界」という瞬間が突然起こるのです。
この映画は単に人間関係の突然の変化を、アイルランド内戦に重ね合わせただけでなく、ふと自分にとって、有意義な時間を与えてくれているのか?そんな取捨選択の意識が働き、友好関係を切ってしまうことがあるという、人間の摩訶不思議さを伝えていました。
映画『イニシェリン島の精霊』は「昨日の友は、今日の敵」のような極端さは、実は珍しくなく誰にでも、コルムやパードリックのような一面があるのだと、気づかせてくれる作品でした。