アドリア海の自由な飛行艇乗りの浪漫をつまった映画『紅の豚』
宮崎駿監督の空への憧憬、飛行艇乗りへの浪漫がつまった本作は、宮崎駿がスタジオジブリで監督を務めた第5作目となります。
『風の谷のナウシカ』(1984)、『天空の城ラピュタ』(1986)、『となりのトトロ』(1988)、『魔女の宅急便』(1989)と子供向けのアニメーションを手がけてきた宮崎駿監督でしたが、本作で子供向けではなく、豚の姿となった主人公と飛行機という大人向けのアニメーションを手がけました。
それでも前作の興行収入を上回る大ヒットとなりました。
原作は宮崎駿監督が月刊誌『モデルグラフィックス』で連載した『飛行艇時代』です。この連載は『飛行艇時代』(1992年・大日本絵画)で再録されました。
ジーナの声を務める加藤登紀子が主題歌『さくらんぼの実る頃』とエンディングテーマ『時には昔の話を』を歌っています。
映画『紅の豚』の作品情報
【公開】
1992年(日本映画)
【監督・脚本・原作】
宮崎駿
【音楽】
久石譲
【主題歌】
加藤登紀子
【声のキャスト】
ポルコ・ロッソ(森山周一郎)、マダム・ジーナ(加藤登紀子)、ピッコロおやじ(桂三枝)、マンユート・ボス(上條恒彦)、フィオ・ピッコロ(岡村明美)ミスター・カーチス(大塚明夫)
【作品概要】
主人公ポルコ・ロッソの声を務めたのは俳優として活動しつつ、渋みのある声で声優としても活躍した森山周一郎。
ジャン・ギャバンの声優を務め、『刑事コジャック』(1973〜1978)の主人公を演じたテリー・サザラスの吹き替えを担当して一躍有名になりました。『刑事コジャック』を見て宮崎監督は森山周一郎にオファーしたといいます。
また、本作は当初短編で製作する予定だったものが次第に長くなり、果長編作になったといいます。
映画『紅の豚』あらすじとネタバレ
第1次大戦後のイタリア、アドレア海。かつてイタリア空軍のエースだったポルコ・ロッソは自分に呪いをかけ、豚の姿になり空賊相手に賞金稼ぎをしています。
ポルコが目障りな空賊はアメリカ人のパイロット、ドナルド・カーチスを雇います。
ある日、ポルコは幼馴染のジーナの店を訪れ、空賊の用心棒となったカーチスと会います。
空賊は連合軍を組み大きな客船に狙いをかけますが、どの空賊もお金がなく、修理代を嫌がって誰も先陣を切ろうとしません。それどころか用心棒まで連れていたのです。
しかし、カーチスの活躍もあり賞金を略奪できた空賊らはラジオに向かって「次はお前だ豚野郎!」と宣言します。
飛行艇の調子が悪いポルコは、修理をしにミラノに向かいますが、途中でカーチスに見つかり一対一を申し込まれます。
飛行艇が故障しているポルコは逃げようとしますが逃げきれずカーチスに撃ち落とされてしまいます。
撃ち落とされたと聞き心配して探しにいこうとするジーナの元にポルコから電話があります。心配をよそに勝手なことをいうポルコにジーナは怒りますが、「飛べない豚はただの豚だ」と相手にしません。
ミラノにたどり着いたポルコは馴染みのピッコロ社に修理を頼みます。
息子らは出稼ぎに出かけ設計をするのはアメリカに留学していた孫娘のフィオだと言います。若くて女性であるフィオを見てポルコは降りようとしますがフィオの情熱に負け設計を頼みます。
そして翌日工場に集まったのは、ピッコロのおやじの親戚の女性一同。世界恐慌の影響で男性は出稼ぎに出かけ働き手は、女性しかいないのです。
そして街中にはファシスト党の秘密警察が潜んでおり、秘密警察に目をつけられているポルコは、先々で監視されています。
かつて空軍時代に同僚であったフェラーリンはポルコに空軍に戻らないかと言いますがポルコは断ります。
監視の目から逃れるためテスト飛行なしで飛び立つというポルコの話を聞いたフィオは、強引にポルコについていくと言って聞かず、乗り込みます。
その頃アドリア海では、カーチスがジーナに求婚しますが、ジーナは「私今賭けをしているの。その人が昼間この庭に会いに来たら今度こそ愛そうと。でもあのバカ夜お店にしか会いにこないの」と断ります。
アジトに戻ったポルコとフィオを待ち構えていたのは空賊の連中でした。
映画『紅の豚』感想と評価
美しいアドリア海に集う空賊らに賞金稼ぎのポルコ…と、自由で気ままな印象もありつつも、随所に散りばめられているのか世界恐慌の影響、次第に戦争へと向かっていく情勢です。
修理のためミラノに訪れたポルコは、秘密警察に目をつけられ監視されています。
監視の目を掻い潜って映画館でかつての旧友フェラーリンと話す場面が描かれています。フェラーリンは今も空軍におり、戦争へと向かっていく情勢、止められないファシストの台頭も身を持って感じているはずです。
それでも、捕まってしまうよりかはましだと、ポルコに空軍に戻らないかと声をかけますが、ポルコは全く耳を貸そうとしません。
第二次世界大戦が近づくイタリア
また、戦争ではないからと、空中戦においても人を殺すことはせず、エンジンに弾を撃ち勝負をつけようとするポルコ。かつてイタリア空軍のエースパイロットして活躍したポルコはその戦争で何を見たのでしょうか。
劇中、フィオに戦争中に体験した不思議な出来事を話している場面があります。「神様がまだくるなと言ったのね」と呟いたフィオに対し、ポルコは「一人で飛んでいろと言われた気がした」と言っています。
「いい奴は死んだ奴らさ」とも言っていたポルコは、仲間の死を見続け、自分が生き残ってしまったことに対し、自分自身に対する憤りや悲しみなど複雑な思いを抱えていると考えられます。
また、少年の頃から飛行機に乗ることが好きであったポルコが、その好きな飛行機で殺し合いをしなければならなかった戦争に対する強い憎しみの感情などさまざまな感情によりポルコは自分で自分自身に豚の姿になる魔法をかけたのではないでしょうか。
人間の顔で仲間の死を乗り越え生きていくことが出来なかった、かつての自分と向き合いたくない、そのような気持ちもあるのかもしれません。
人間を辞めたポルコとは
劇中でフィオとカーチスがポルコの人間の時の顔を見ます。それはポルコの意志によるものなのか、ポルコは人間の姿に戻ることができるのか……。
劇中でもそのことは明らかにされず、宮崎駿監督自身も明確に話してはいません。
だからこそさまざまな考察ができますが、私はかつての人間の姿であった時の心持ちなどを思い出し、その頃のポルコ・ロッソに戻った時に人間の姿になるのではないかと感じます。
フィオが見た時、ポルコは明日の空中戦に向け弾の整備をしていました。一対一の空中戦にかつての血が騒ぐと同時に失った友のこと、さまざまなことを回想していたのではないでしょうか。
カーチスが見たのは空中戦後、ジーナから空軍が来るとの連絡を受け、わらわらと撤退していた頃でした。
やってきた空軍を前にいっちょやるかと、カーチスに持ちかけたポルコの顔を見たカーチスが驚き、人間の姿のポルコを見たと考えられます。
その時のポルコの顔は映されていませんが、自分が所属していた空軍を前にかつても心持ちを思い出し、人間の姿になったのではないでしょうか。
まとめ
第二次世界大戦が近づくイタリアを舞台に、飛行機乗りへの憧憬と浪漫がつまった映画『紅の豚』。
宮崎駿監督は、『風立ちぬ』(2013)でも実在したゼロ戦の開発者堀越二郎と主人公を重ね、第二次世界大戦下の日本を描いていますが、臨場感のある戦闘シーンではなく、登場人物の心情と回想を用いて戦争というものを描こうとしている印象を受けます。
『ハウルの動く城』(2004)の戦争の場面においてもそうでした。そこには戦争に対する宮崎駿監督の思いがあらわれているのかもしません。
一方で、『火垂るの墓』(1988)を監督した高畑勲は、生々しい戦火、市民の様子で戦争というものの恐ろしさを描き出しています。