自身の漫画作品を原作とした宮崎駿監督の『風立ちぬ』。
本作は2013年7月20日に公開され、およそ2ヶ月で国内興行収入100億円、観客動員数800万人を突破するほどの大ヒットを記録したアニメ作品です。
堀越二郎と堀辰雄の半生をベースにしたノンフィクション作品である本作は、アニメ制作からの引退を表明した宮崎駿の最後の自伝ともいえる作品です。(引退表明は後に撤回)
爆発的なヒットとは反対に本作の評価は賛否両論で、主人公のロマンスや心情描写など、テーマやストーリーに関する大衆性、娯楽性の低さが指摘されました。
今回はスタジオジブリ制作のアニメ映画『風立ちぬ』をご紹介します。
映画『風立ちぬ』の作品情報
【公開】
2013年公開(日本映画)
【原作】
宮崎駿
【監督・脚本】
宮崎駿
【キャスト】
庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、風間社夫、竹下景子、志田未来、國村隼、大竹しのぶ、野村薦斎、久石譲
【作品概要】
タイトル『風立ちぬ』は堀辰雄の同名の小説に由来します。
ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は“風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳しました。キャッチコピーでは後者の訳を“生きねば”としています。
本作の主人公、二郎は、実在したゼロ戦の開発者、堀越二郎と同時代に生きた文学者、堀辰雄を混合させています。声をあてたのは、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)の監督として知られる庵野秀明。
映画『風立ちぬ』のあらすじとネタバレ
物語は大正時代。幼い頃から二郎は飛行機に憧れていたものの、極度の近眼のため、パイロットになることは出来ませんでした。
そんなある日、夢の中に現れた飛行機設計家、ジャンニ・カプローニ伯爵に「飛行機は夢だ、設計家は夢に形を与えるのだ」と励まされた二郎は、自身も設計家を志すようになります。
青年になった二郎は東京帝国大学で飛行機の設計学を専攻していました。
東京へ戻る汽車の中で、二郎の帽子を拾った少女、里見菜穂子と彼女の女中であるお絹とであったその瞬間、関東大震災が発生し、町中の家屋という家屋が倒壊。汽車も停止してしまいました。
怪我を負ったお絹を助けた二郎は大学へ戻ります。友人の本庄が、火事の起きた図書館から書物を外へ出している最中でした。
二郎は風に吹かれて手もとへと飛んできたカプローニの絵葉書に目をやり、彼に思いを馳せます。
「まだ風は吹いているか、ニッポンの少年よ」
夢に現れたカプローニの問いかけに対し、「はい。大風が吹いております」と答える二郎。
「では生きねばならん」カプローニは決まってそう返しました。
それから数年が経ち、世の中は世界恐慌による大不景気へと突入していました。東京帝国大学を卒業した二郎は、本庄と共に飛行機開発会社「三菱」へ就職します。
“英才”と会社から評価される二郎は、上司の黒川からも一目置かれ、頭の中にある理想の飛行機のイメージを具現化することに情熱を注いでいました。
企業の命運を左右する一大プロジェクトの「はやぶさ」の飛行試験に大失敗した二郎は、ドィツのユンカース社へ企業留学に行きました。
西回りルートで日本へと帰る途中、夢の中のカプローニと再会します。
「まだ風は吹いているか、ニッポンの少年よ」と二郎に問いかけるカプローニは、自身の最後の試験飛行に二郎を招待しました。
殺戮と破壊の道具となる宿命を背負っている飛行機を開発する意義について、カプローニは二郎に対し「ピラミッドのある世界とない世界のどちらが良いか」と尋ねます。
「僕は美しいものを作りたい」と返答した二郎は、頭の中にあるゼロ戦のイメージをカプローニに見せました。
二郎の創造を美しいと絶賛したカプローニは二郎へ「創造的人生の持ち時間は10年だ」と告げました。
「キミの10年も力を尽くしていきなさい」
日本へ戻った二郎は、入社から5年経って大日本帝国海軍の戦闘機開発を任されたものの、完成した飛行機は空中分解する事故を起こしてしまい、思うようになりませんでした。
飛行機開発において一時的なスランプに陥った二郎は、軽井沢のホテルで休養を取っていました。
偶然同じホテルに滞在していた菜穂子が二郎の姿を目撃しました。
森の中の泉にまた会えることを祈願した菜穂子は、二郎と再会し、震災のときの礼をしました。2人はこの時はじめてお互いの名前を知ることになります。
その夜、ホテルのテラスで一服していた二郎の席へドイツ人の男が相席するユンカース博士がナチス政権と対立し、追われる身になること、ドイツと日本は破裂寸前だと吐露しました。
数日間のホテル療養で元気を取り戻した二郎は、菜穂子との仲を急速に深め、結婚を申し込みます。
菜穂子は結核であることを告白し、二郎は病気が治るまで待つことを約束し、2人は婚約をしました。
映画『風立ちぬ』の感想と評価
映画の見どころ
本作の原案の一つである堀辰雄の小説『風立ちぬ』は、第一次世界大戦後の結核やスペイン風邪のパンデミックに悩まされる1930年代に刊行されました。
厳しい情勢が落ち着かないうちに作品が発表されたのは、本作にも共通するところで、本作が公開された2013年は東日本大震災からたったの2年しか経過していませんでした。
本作の見どころの一つである序盤の関東大震災の描写は、公開当時とてもセンシティブに見えました。
当該シーンのそれは大災害の脅威を迫力満点に描いた素晴らしいアニメーションであると同時に、緊急事態であるにも関わらず、飛行機の妄想を始めてしまう二郎のイノセンスさを表現しています。
もう一つの見どころは、二郎と本庄による開発の試行錯誤と試験飛行を地上から見守るシーン。
二郎と本庄の物語は、技術職の苦難と挫折を描いており、今改めて観ると『フォードvsフェラーリ』(2020)のような骨太なドラマ性が感じられます。
パイロットが操縦する様を見守る二郎の目線は、パイロットへの憧れへ向いているわけではなく、飛行機自体への純粋な興味に向いています。
これまでのジブリアニメでも描かれてきた飛行機の操縦シーンは、本作において見どころではありません。
操縦することにヒロイックさが微塵もなく、駆動するエンジンや骨組みなどの緻密な重機描写といったフェティッシュのみが存在していました。
元の漫画からして宮崎駿が趣味で書いたものなので、自己満足に過ぎないといったらそれまでです。しかし、こういった描写からは作家の個人的なこだわりが感じられ、そこには並々ならぬ愛着を感じます。
本作は公開当時、一部から難解な作品と言われていました。それは分かり易い起承転結がないからです。
大衆娯楽作品のような、お誂え向きのカタルシスがないのは意図的であり、本作は主人公を通して「倫理的正しくなさ」を描いていました。
またアニメーション映画である本作と今年TBSラジオで放送されたラジオドラマ『風立ちぬ』とを比較してみると、本作の(特に視覚的演出に顕著な)特徴がより明確になります。
聴覚で人物、情景、心情描写のすべてを捉えるラジオドラマは、鯖の背骨を捉えた描写が細かく、登場人物たちの動作が映画よりエモーショナルになっていました。
TBSアナウンサー、山本匠晃演じる二郎は「○○は好きだ」という口癖により感情が込もっており、庵野秀明が演じた本作の二郎よりも内面が伺える、はっきりとした人間らしさがありました。(映画版の朴とつな二郎に違和感を覚えた人にとっては非常に納得の出来るラジオドラマでした。)
対してラジオドラマの原作となった本作は、視覚での演出に優れており、説明セリフなしに二郎を見つめる菜穂子の様子、明確に死を感じる二郎などを描いており、何も言わないからこそより感情に訴えかけてくるものがある、ラジオドラマという聴覚だけでは表現できない映画的な深みがありました。
主人公二郎の人間性
公開当初から波紋を呼んでいた本作の喫煙描写は、二郎の倫理的な正しくなさを端的に表したシーンの1つです。
結核患者の隣で喫煙するのは非常識ですが、仕事と菜穂子の両方を選択した二郎のわがままであり、完治を待たずに今この瞬間を二郎と一緒にいたいという菜穂子のわがまま、その両方を描いたのが、当該シーンです。
本作は反戦をテーマとした教育アニメではありません。
そのため予告編であった時代背景の説明、直接的な言及は勿論のこと、ゼロ戦の開発者、堀越二郎の戦争責任、開発の努力が殺戮に利用されることへの葛藤は描かれませんでした。
しかしながら劇中の二郎の言動から、彼の政治思想の一端を垣間見ることが出来ます。
日本を近代国家であると思っていることを黒川たちにあざ笑われるシーンからは、当時の社会情勢と照らし合わせることで見える二郎の独特のスタンスが見て取れますし、妹、加代との会話からは、創造的でない者に対して二郎は徹底して不理解であることも分かります。
それは二郎がリアリストだからであり、ある意味浮世離れした存在でもあるからでしょう。
二郎は日本が戦争へ突入することについて何か意見表明をすることはないものの、君主国日本において当時の一般人とは別の行動軸を保っていました。
ひもじい思いをしている通りの子どもにシベリアを恵んでやろうとしたシーンがそのことを象徴していますが、二郎は特権階級の立場から世の中を達観して観ています。
限られた階級の立場から時代に寄り添おうとしない主人公を描いた本作は、市井の物語である『この世界の片隅に』(2016)とは対照的な作品であると言えます。
ただ、天才であり、仕事(=生きがい)に没頭する権利を持った二郎が仕事について思い悩むのは、非常に裕福な悩みのように感じます。
二郎はピラミッドのある格差社会を容認した上で、「創造的10年間の人生」を費やし、見事ゼロ戦を生み出しました。
これは二郎が成し遂げた素晴らしい成果であると同時に人殺しの道具を生み出したという呪われた十字架でもあります。
終盤のあの世を思わせる夢のシーンにて、菜穂子が二郎に「生きて」と声をかけるのは、二郎は死ぬことすら許されない業を背負っていることを意味しています。
最後の菜穂子のセリフは、絵コンテ上では「来て」だったものが変更され現在のセリフに変わった、ということは非常に有名な裏話です。
「創造的10年」を終えた段階で二郎には死が訪れており、菜穂子が彼を迎えに来たと考えれば元のシーンの方が納得出来るのではないでしょうか。
二郎の一生がひたすら自分勝手に見えるとはいえ、それはそれで感動的なように感じます。
しかし菜穂子のセリフの変更により、二郎はその後、空虚な余生を意味なく過ごすことを余儀なくされました。
それは人を殺す芸術を生み出したことへの贖罪を意味すると同時に、本作が堀辰雄が訳したポール・ヴァレリーの詩の一節「風が立った 生きることを試みなければならない」の本意へと立ち返ったことを意味していました。
二郎は創造的人生を終えた後も生き続けることで、他者の人生を踏みにじっていることへの罪悪感と戦争責任から解放されたのです。
本作は二郎の戦争責任を追及したかったのではなく、責任があるということを自覚するに留まっています。
これは開き直りとも言えますが、純粋に飛行機を愛することと戦争に加担することとの自己矛盾に向き合った誠実な姿勢そのものです。
リアリストである二郎は現実逃避をし続けたのではなく、あまりにも現実を直視しすぎたことによる諦観を既に有していたのです。
本作の主人公、二郎の人物像の掴みづらさとは、こういった彼の内面の複雑なうねりによるものでした。
まとめ
本作は、主題歌『ひこうき雲』の歌詞にあるように、‟他の人には分からない”ような映画です。
突き詰めていくと、二郎と菜穂子の2人がどれだけ周りから反対されようとも、2人の人生を誠実に生きた物語であると分かりますが、表層的に見れば、多く指摘された喫煙シーンしかり、菜穂子が治療を一時中断する展開しかり、できるだけ2人で過ごす時間を伸ばそうとする努力が不十分なように見えます。
しかし、長寿と繁栄が誰の人生にとっても絶対的に良きことではありません。結婚した時から2人はそのことを覚悟していたのです。
本作は多方面から「宮崎駿が自分のために作った引退作」と評されてきました。
本作の娯楽性大衆性の低さとは、人に何かを伝える表現の常識から逸脱し、宮崎駿が自分の為に作った自伝的な作風によるものです。
宮崎駿が創造的人生に自ら引導を渡した作品作りに対して、本作『風立ちぬ』は最も誠実なジブリ映画であると言えるのではないでしょうか。