名匠宮崎駿監督が『ハウルの動く城』以来4年ぶりに手掛けた長編アニメーション『崖の上のポニョ』。
“生まれてきてよかった”や“子どもの頃の約束は、永遠に忘れない”などのキャッチコピーで、2008年に公開された宮崎駿監督の劇場アニメ『崖の上のポニョ』。
宮崎駿監督は、アンデルセン童話「人魚姫」を基に、人間になりたい魚と少年の交流を描いたファンタジー作品で、日本版人魚姫ともいえる設定を、海辺の町で暮らす5歳の少年宗介とクラゲに乗って家出した魚のポニョとします。
さて、人間になりたいことを願った魚の子ポニョと、5歳の少年宗介はどのような“恋”に落ちるのでしょう。
1.映画『崖の上のポニョ』の作品情報
【公開】
2008年(日本映画)
【原作・脚本・監督】
宮崎駿
【キャスト】
奈良柚莉愛、土井洋輝、山口智子、長嶋一茂、天海祐希、所ジョージ、柊瑠美、矢野顕子、吉行和子、奈良岡朋子、左時枝、竹口安芸子、山本与志恵、片岡富枝、田畑ゆり、佐々木睦、平岡映美、大橋のぞみ、羽鳥慎一、山本道子、金沢映子、斎藤志郎、石住昭彦、田中明生、脇田茂、つかもと景子、山本郁子、沢田冬樹、渋谷はるか、川辺邦弘、手塚祐介、柳橋朋典、塚本あい
【作品概要】
2013年公開の『風立ちぬ』長編作品引退宣言から、2017年に再度引退宣言を撤回した宮崎駿監督。
2004年の公開作品『ハウルの動く城』から4年後に公開した長編アニメーションで、人間になりたい魚と少年の交流を描いたファンタジー作品。
2.映画『崖の上のポニョ』のあらすじとネタバレ
好奇心の旺盛な5歳の少年宗介は、海辺の町の崖の上の一軒家に住んでいます。
宗介の父耕一の職業は貨物船の船長、家を留守にすることが多いことから、母リサとの2人で暮らしでした。
ある日、海の女神グランマーレを母にもち、魔法使いの父フジモトに育てられている魚の女の子ポニョは、クラゲに乗って家出をします。
ポニョは人間の住む港に近づいた際に、海に捨てられゴミであるジャムの瓶に頭が挟まって溺れかけてしまいます。
その後、宗介は海岸に打ち上げられていたポニョを見つけて、瓶を割ってポニョを救い出すと、そのままポニョは宗介に飼うことにします。
やがて、宗介は魚のポニョが好きになり、ポニョも人間の宗介が好きになっていきます。
ところが、娘のポニョがいなくなったことに気付いた父フジモトはポニョは海底に連れ戻します。
ポニョの父フジモトは海底にある家の井戸に、”命の水”を蓄え持っていました。
この井戸が満杯となると、忌まわしき人間の時代に終わりを告げ、再び海の時代が始まるというものでした。
ポニョはもう一度宗介に会いたいと思いから逃げ出すことを決めますが、家を逃げ出そうとした際に、偶然、その井戸へ海水を注ぎ込んでしまいます。
すると“命の水”はポニョの周りに溢れ出し、ポニョは人間の姿へと変身します。
しかもそれだけではなく、強い魔力を得たために彼女は激しい嵐を起こしてしまいます。
一方、その嵐のなか宗介の母リサは、宗介を乗せた車を必死に走らせ、命かながら崖の上の自宅へと向かいます。
押し寄せる大きな津波と魚である妹たちに乗って、ふたたび宗介たちの前に現れたポニョ。すると宗介は人間の姿をしていたポニョですが、彼女が魚のポニョであることに気づき喜びます。
津波は押し寄せない崖の上の自宅のあたりで、宗介の前に姿を見せたポニョは宗介に飛びついて抱きしめます。
3.映画『崖の上のポニョ』の感想と評価
この作品を初めて見た際に感じた感想は、宮崎駿監督が自身が作家として、アニメ映画の作家の立ち位置を描いた作品だと初見の印象を感じたことを覚えています。
ポニョという半魚人が宮崎駿監督のようで、人間でも、魚でもない奇妙な存在だなとしみじみ作家という苦悩を感じました。
その母親なるグランマーレがまるでディズニーの生み出したキャラクターのお姫様を想起させ、一方の父親のフジモトは手塚治虫のアニメキャラクターの登場人物そのものにしか見えてなりませんでした。
それは単なる思い込みで偶然なのでしょうか。
グランマーレとフジモトとの間の子どもの半魚人ポニョ。このようにしか見えなかった時に少し見ていて奇妙な作品だと思いました。
(奇妙な作品のとは言葉を選ばず言えば気味の悪い作品、あるいは作家としての念を感じずに入られませんでした)
何かヒソヒソとグランマーレ(ディズニーのメタファー)とリサ(鈴木プロデューサーのメタファー)の話し合いの場面は、どう見てもディズニーとスタジオジブリが、作品提携する契約交渉しか見えなかったように記憶しています。
ましてや多くの宮崎駿作品に見られるどこか“明るい未来”など存在しないという特徴は、この作品も持ち合わせていたか。
今回は再視聴しながら、再度『崖の上のポニョ』を再検証してみたいと拝見しました。
しかし、意外なことに当時自分が感じていた印象や、あるいは多くのネットで書かれているような暗いイメージは一切感じませんでした。
一種の都市伝説にあるようなあの世だとか、死後の世界を描いたという要素も一切感じず、そのように見たいような人たちのコジツケに感じました。
私自身もそうであったことなのですが、当時の宮崎駿監督に何かをいいたげなことがそのように見せたのかも知れません。
やはり、映画は何度も見直して観ることや、その年齢で見えるものが違ってくるのかも知れませんね。
以前に観た際と同じように感じたのは、母親リサの強さとその魅力。
そして『崖の上のポニョ』が見事に浮世絵を参考にしながら、“現代の浮世絵師 宮崎駿”と呼べる圧倒的な世界観でした。
『東海道五十三対 桑名 船のり徳蔵の伝』‐海坊主‐歌川国芳
『北斎漫画』葛飾北斎
『富嶽三十六景-神奈川沖浪裏-』葛飾北斎
例にあげた浮世絵などを参考資料にしながら、宮崎駿監督は“アニメーションという動く浮世絵”を描き、その躍動感の「ぷにょぷにょ感」や「むにゅむにゅ感」といった生命力を絵に与えました。
子どもの頃に誰もが見たことあるだろう、『トムとジェリー』のネコやネズミ以上に、軟らかさはポニョや波など仁万られました。
今作『崖の上のポニョ』はアニメーション作家として宮崎駿の代表作なのだと再認識をさせる圧巻の作品ですね。
まとめ
映画『崖の上のポニョ』は、なぜ宮崎駿監督アニメ作品の中でも、あれだけ避けてきたラブシーンを描いたのでしょうか。
宗介とポニョが5歳という幼な子であることからキスを成立させたのかと思い込んでいましたが、再度見直してると、キスよりもむしろポニョが宗介の指の血を舐める場面の方がはるかにエロティシズムを感じました。
また、何か宮崎駿アニメにある都市伝説のように、あの世だとか死後の世界を描いたよりも、逆に『崖の上のポニョ』はその軟らかな動きである「ぷにょぷにょ感」「むにゅむにゅ感」により生命力溢れていました。
宮崎駿監督が魂をすり減らすように手書きの描写に終始していた、監督としての才能でなく、アニメーターとしての才能を思う存分に発揮させていたように思います。
それを見ると極めて宮崎駿作品の中では、“極めてアニメらしいアニメ”として完成度の高い作品なのだなと感じることができます。
しかし、他にも感じたことなのは、津波災害後の様子が描かれた場面を見直すと、劇中の被災者である人々の様子は東日本大震災以前の作品であることから、あまりの能天気さにとても驚かされました。
きっとこのことに関しては作家である監督本人が思うことあるのでしょうから、それについて書くことやめておきたいと思います。
明らかに311震災以後の日本映画は、危機意識として大きく描く内容を変えた作品が多くなったことは言うまでもありません。
また、今作が地上波テレビで流されるようになったことは、ある意味において“震災自体”がひとつ昔のことになったのだということは、良し悪しではなく感じずに入られませんでした。
今回はそのように読み解きました。映画は見た年齢や時代によって観た印象は大きく変わるのです。
宮崎作品もそうですが、見直してみると新たに見えてくるものがきっとあるように思います。
ぜひ、あなたの中でも変わったもの、変わらないものを映画の中で見つけてくださいね。