連載コラム「SFホラーの伝説『エイリアン』を探る」第2回
人間が倒すことがてきなかった完全生物“エイリアン”が、今度は集団でやってくる!?悪夢のモンスターホラーをスケールアップして描き、シリーズの存在を絶対的なものとした映画『エイリアン2』。
『エイリアン2』は前作『エイリアン』で生き残った女性リプリーが再び登場、数を増して襲い掛かってくるエイリアンたちと人間との闘いを描きます。作品は名匠ジェームズ・キャメロン監督がリドリー・スコット監督から引き継いて制作を手掛けました。
一方で主演のリプリーは前作から引き続き女優のシガニー・ウィーバーが担当、本作で「強い女性」像を揺るがないものとし、多くの人に親しまれるようになりました。
コラム第二回となる今回は『エイリアン2』を深く考察、名匠ジェームズ・キャメロン監督が伝説的な映画『エイリアン』から、いかに新たな物語を作り上げたのかを探っていきます。
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CONTENTS
映画『エイリアン2』の作品情報
【日本公開】
1986年(アメリカ映画)
【原題】
ALIENS
【監督・脚本】
ジェームズ・キャメロン
【音楽】
ジェームズ・ホーナー
【キャスト】
シガニー・ウィーバー、マイケル・ビーン、ポール・ライザー、ランス・ヘンリクセン、シンシア・デイル・スコット、ビル・パクストン、ウィリアム・ホープ、アル・マシューズ、リッコ・ロス、キャリー・ヘン、ジャネット・ゴールドスタイン
【作品概要】
エイリアンと戦った宇宙船ノストロモ号6人のうちの、唯一の生存者リプリーとエイリアンの再戦を描くSFアクション。
監督・脚本は「ターミネーター」のジェームズ・キャメロンに引き継がれ、前作で脚本を担当したダン・オバノンがロナルド・シュセットとともにキャラクター創作を担当しました。
そして前作に引き続き主演を務めたのがシガニー・ウィーバー、ほかに『ターミネーター』のマイケル・ビーンらが出演。またアンドロイドのビショップ役として、テレビドラマ『ミレニアム』で主演を務めたランス・ヘンリクセンが出演。ヘリクセンは以後『エイリアン3』『エイリアンVSプレデター』にも出演しました。
当初は136分の作品でしたが、後に未公開シーンを加えた155分の[完全版]が発表されました。
映画『エイリアン2』のあらすじとネタバレ
(注:あらすじ、ネタバレは『完全版』を踏襲した内容で記載しています)
エイリアンから逃れ、避難船の中で冷凍睡眠をしながら救援を待っていたリプリーは、偶然通りがかったサルベージ船に助けられ地球の衛星軌道上を漂う中継ステーションに収容され一命をとりとめました。
脱出からは57年の年月が過ぎていました。あまりにも大きな時が過ぎたことに困惑しながら、いまだあのモンスターが体を貫く悪夢にさいなまれているリプリー。そんな彼女に面会を申し込む者がいました。
彼の名はバーク。リプリーは自分と同じ会社に勤めているというその男性に、ノストロモ号出発の際に地球に残していた娘の捜索を依頼します。しかし娘はすでに年老い2年ほど前に他界していたことを知らされ、大きく落胆します。
一方、リプリーは会社よりノストロモ号の爆破についての責任を問われ、審査委員会に呼ばれます。彼女は何度も会社側にことの顛末を伝えますが、エイリアンの存在や彼女らが巻き込まれたミッションを裏付ける証拠は何も残っておらず、会社側は荒唐無稽なたわごとして信用しません。
結果リプリーは航海士としての資格を停止され、精神科への通院を命じられます。その審査の終わり、リプリーは捨て台詞のように代表者に対して現場を見るよう進言します。
ところが代表者からの返答は意外なもので、あの恐怖の事件が発生した惑星LV-426では現在、20年の歳月を掛けた植民地化計画が進められており、すでに多くの家族が惑星に送られているというのです。
そのころLV-426では多くの居住者が住む移住拠点から離れた僻地で、ある家族を載せた探検隊が車を走らせていました。家族はそこであのリプリーたちが見つけた、奇妙な形の構造物を発見します。
探査で移住に貢献する発見をした者には、移住計画を推進するウェイランド社から報酬がもらえることになっていたため、家族の両親は車に子供を残してその構造物の中に入ります。それを不安そうに見つめる子供たち。
突然、母親が慌てて助けを呼びに戻りました。父親がフェイスハガー(エイリアンを寄生させる幼体)に取りつかれてしまったのです。
ほどなく平穏な生活を送っていたリプリーのもとに海兵隊のゴーマン中尉とバークが訪ねてきます。それはLV-426との交信が途絶えたことで、リプリーに捜索を手伝って欲しいという依頼の目的のためでした。
リプリーは自分の話を信用しない会社の依頼など引き受けられないと断ります。しかし地球に戻ってきてからそれまでリプリーは、あの時のことを毎晩悪夢に見てうなされていました。
そしてこの悪夢を消すにはあの問題に対峙するしかないと思い直し、バークに連絡を取り「怪物を“殺し”に行く」という念押しのもと調査支援を引き受けることにします。
強気である一方、ミッションに対して呑気に構える海兵隊員たちとともに、LV-426に近づいていくリプリー。その中に一人気になる人物がいました。彼の名はビショップ。
海兵隊員から渡されたナイフで人間離れした技を見せますが、誤って少し指を切ってしまい、そこから血が流れなかったのを見てリプリーは、彼がアンドロイドであることを知ります。
裏のありそうなバークにアンドロイドのビショップ、そして自分の語る体験談を真に受けない海兵隊員に深い不信感を抱くリプリーでしたが、彼女らを乗せた宇宙船は心配をよそに惑星にたどり着きます。
リプリーの頭には「あの時」以上の恐怖の気配がよぎっていました。
映画『エイリアン2』の感想と評価
前作を踏襲しつつ大胆に作られた新ストーリー
『エイリアン2 完全版』のDVDに収録されているジェームズ・キャメロン監督のインタビューでは、作品作りに対して“2作目”を担当するということに触れており、コメントではその利点をさまざまに挙げていますが、そこにはキャメロン監督が自身の方針作りに対してそれなりに自信をもっていたこともうかがえます。
この時代の映画は、続編を製作する際にはスケールアップすることが得策と考えられる傾向があったようにも思われます。実際『13日の金曜日』などは、2作目を作る際に「(1作目は6人殺したから)2作目は12人殺そう」などといった配給の要求があった、という冗談っぽい話が、さも本当に通ったかのように2作目が出来上がって公開されています。
その意味では、本作のコンセプトではすでにもとの映画とポリシーが全く変わってくるわけで、本作は前作『エイリアン』と比較すると英題の通り“エイリアン”の数が増加するというスケールアップがされており、キャメロン監督も前作のポリシー云々を難しく模索せず割り切って新たな方向を目指している印象が、この作品には感じられます。
例えばグロテスクな惨殺シーンなど、リドリー・スコット監督が手掛けた前作のようにあまり深く映さない撮り方をしているのですが、それは“スコット監督の手法を意識した”というよりは大衆向け、家族で見に行けるような作品にするために、ショッキング度を減らすように演出を考慮したようにも見え、先述の「スケールアップ」、そして大衆化という課題にある意味迎合した形ともいえます。
また前作に比べるとエイリアン自体の全身が確認できるシーンもあり、作品全体としては割と光を多くしている傾向もうかがえ、その点だけでも前作からは大きく異なった印象となっています。
一方、スコット監督の意向をうまく利用した点もあります。前回のコラム記事にも記載しましたが、クライマックスに登場するクイーン・エイリアンはキャメロン監督自身のデザインで、H.R.ギーガーがデザインしたクリーチャーのイメージを大きく踏襲したと語っています。
しかしデザイン的には共通点が認められる一方で、ギーガーのデザインは卵生の生物ながら人間の生態を意識した形状、動きを感じられる一方で、キャメロン監督監督のデザインでは、完全に“虫”を意識しています。
この発想の根源にはスコット監督の使われなかったアイデアなども起因しているようです。というのも、本作でエイリアンの餌食になった人が巣に固定され、幼生体がふ化するための餌食になってしまうというアイデアは、実は『エイリアン』の未発表シーンで作られています。
前作では実際にエイリアンが人を捕食し、卵から寄生生物が出てくるようなシーンはありませんが、実はDVDなどに収録されている未発表シーンの一部では、ノストロモ号の船長ダラスがエイリアンに囚われ、巣に固定されてしまい、対面したリプリーに「(俺を)殺してくれ」と懇願するシーンがあります。スコット監督は編集の段階でこの要素を削除したわけですが、キャメロン監督は「スケールアップ」にうまく利用したという格好になったわけです。
このクイーン・エイリアンは特撮ではなく実物大のモデルを実際に動かして撮影しているものでかなり大掛かりなものですが、その動き一つ一つにはかなりのこだわりも見られます。本作ではエイリアンの成虫体の動きに関しても「人間のような動きでも、人間らしさを感じさせない」というこだわりで何度も試行錯誤したという演出も行われており、そこで生み出された動きはこのクイーン・エイリアンの動きにも反映されていることもうかがえ、大きな見どころの一つとなっています。
「強い女性」ではなく「強くなる女性」を描く
『エイリアン』の未公開シーンとして、実は同乗していた女性隊員のランバートが、リプリーの態度に腹を立てて殴り掛かるというシーンがあります。前作では物語を通して、どちらかというと自分が主導では動かない、誰かについていく消極的な印象を描かれており、唯一強さ、覚悟を見せたのはほかの乗組員が全員死亡し一人になってからです。その意味ではスコット監督には特にリプリーを「強い女性」として描く思いはなかったと推測され、この印象をガラっと変えたのは、まさにキャメロン監督の手腕といえます。
後に公開された『エイリアン 完全版』では、『エイリアン2』には冒頭で地球に置いてきた娘のことを探るというシーンがあります。
当初の公開では削られたシーンで、確かに前作からのつながりを考えると本当に入れるべきかどうかは悩ましい要素にも見えます。しかし後のリプリーという人間の『強い女性』と思わせるキャラクターを作る上では重要な要素でもあり、かつ前作からのつながりも成立できるものでもあります。
何故なら、前作では誰もいない宇宙空間で仲間をすべて殺されたった一人残されるわけで、普通に考えると生き残るのをあきらめてしまうという方向に進む可能性もあったかもしれません。
しかしリプリーが地球に娘を残しているのであれば、生きようとする意味が明確となり最後にエイリアンに真っ向勝負するという流れが作られるわけです。この点からすると、シリーズを通してリプリーの人間像を「強い女性」の方向に向けていった功績は、ある意味キャメロン監督によるものともいえるでしょう。
一方、キャメロン監督は、『ターミネーター』シリーズのヒロイン、サラ・コナーや『アバター』のグレース博士、『タイタニック』のローズなど、自身の作品にはこういった「強い女性」を描くことが多いといわれることがあります。但し、そこには何らか「強くなる要素」を生み出す要素を極力描いていることもある意味注目すべきところでしょう。
本作は、いえば前作でエイリアンに最後の最後まで追い詰められ、吹っ切れたようなところでリプリーが「強い女性」になったという印象があります。これはのちに代表作となった「ターミネーター」シリーズでも同様です。
主人公のサラ・コナーは普通に暮らしている独身OL女性でしたが、ある一晩の出会いで恋に落ちた未来人カイル・リースと結ばれ、息子のジョンを授かったことで『ターミネーター2』では「強い女性像」で登場しました。
この役を演じたリンダ・ハミルトンも、その出演でウィーバー同様に「強い女性」のアイコン的な存在となりました。その意味でキャメロン監督には「強い女性」を描くのではなく、女性が「強くなっていく」姿を描くところに深い興味をもっているとも考えられます。
ちなみにキャメロン監督が本作を作るにあたって大きな課題として挙げたのが「いかにしてリプリーをエイリアンの現場に戻すか」という点にあったと明かしています。
命からがら逃げ出した惨劇の現場に再び戻りたいという人間はいないわけで、物語を成立させるためにリプリーをエイリアンのいる星に戻す理由を考えるのは、非常に重要な課題であります。
この課題を考えていく上で、物語はLV-426に出向いた海兵隊員とリプリー、そしてLV-426でのただ一人の生き残りである少女ニュートの視点に重点を置いた物語となっており、惨劇の現場自体が視点となった前作とは大きな違いともいえます。
まとめ
映像美、世界観という点で徹底して自身のポリシーを反映していた前作に比べ、本作はもっと雑多な印象を受けます。それが最も感じられるのは、登場する人物の性格によるところが大きくあります。前作でノストロモ号の乗組員は総じてエイリアンの存在を恐れていました。
対して本作では怖いもの知らずやおどけ眼など個性派が集まった海兵隊員、それに前作では“顔”が見られなかったウェイランド社の代表として、本作はバークというずる賢さをもつ人物と、意外にもバラエティーに富んだ人間性が垣間見えるメンツで登場人物が構成されており、緊張を最初から最後まで途切れさせることができなかった前作と比較するとどこかほっとできるような雰囲気が、作品には感じられます。
またキャメロン監督監督は、あるインタビューにおいてインタビュアーが物語の質問を行った際に、リプリーの復帰のモデルに関して本作のコンセプト・デザイナーが「ある意味宇宙版ベトナム戦争を作っている」という話を聞いたと話すと、当たっている部分もあると認めています。
1979年には『地獄の黙示録』、1986年には『プラトーン』、1987年には『フルメタル・ジャケット』とベトナム戦争にまつわるエピソードをモチーフとした作品もあり、こういった時代性の影響も強く感じられるところです。
その意味ではSFホラーを代表する作品シリーズの一作として80年代の大衆性、時代性を大きく反映し、ファンとの距離をぐっと縮めて親しまれるコンセプトとした、という点においてもこの作品が長く評価されることに大きく貢献したという要素を感じることができるでしょう。