連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2020【延長戦】見破録」第20回
様々な事情で日本劇場公開が危ぶまれた、個性的な映画を紹介する、劇場発の映画祭「未体験ゾーンの映画たち2020【延長戦】見破録」。第20回で紹介するのは『ウルフ・アワー』。
1977年7月、「サムの息子」を名乗る連続殺人鬼が闊歩し、そして大停電が発生する、荒廃の極みにあった大都市ニューヨーク。
サウスブロンクスにあるアパートに、1人の女性が住んでいました。その彼女の部屋のブザーが、何者かによって鳴らされます。そして彼女の異様な体験が始まりました。
世界的な人気女優でありながら、個性的な作品にも数多く出演するナオミ・ワッツが、主演と製作総指揮を務めた、異色のサスペンス映画が登場します。
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CONTENTS
映画『ウルフ・アワー』の作品情報
【日本公開】
2020年(イギリス・アメリカ映画)
【原題】
The Wolf Hour
【監督・脚本】
アリステア・バンクス・グリフィン
【キャスト】
ナオミ・ワッツ、ジェニファー・イーリー、エモリー・コーエン、ケルビン・ハリソン・Jr
【作品概要】
猛暑の中、大都会で1人暮らす女性の心が蝕まれていく様を、当時の社会情勢やカルチャーを背景に描く、異色のマインドブレイク・スリラー映画。監督・脚本は第23回東京国際映画祭のnatural TIFF部門で上映された、『闇と光の門』(2010)のアリステア・バンクス・グリフィン。
主演は大作映画だけでなく、『ガラスの城の約束』(2017)や『ルース・エドガー』(2019)といった個性的な作品にも出演するナオミ・ワッツ。
『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』(2016)や『ポップスター』(2018)のジェニファー・イーリー、「未体験ゾーンの映画たち2020延長戦」上映作品『KILLERMAN キラーマン』(2019)のエモリー・コーエン、『イット・カムズ・アット・ナイト』(2017)や『ルース・エドガー』(2019)で注目を集めるケルビン・ハリソン・Jrが共演しています。
映画『ウルフ・アワー』のあらすじとネタバレ
酷暑のニューヨークのあるレンガ作りの古いアパートの一室。暑さをしのぐ物は1台の扇風機だけで、物が乱雑に散らばる部屋の灰皿には、吸い殻が山になっていました。
ベットで寝ていた部屋の住人、ジューン・E・リー(ナオミ・ワッツ)は、インターホンの呼び出しブザーで目を覚まします。応対しても相手は何も語りません。
窓から玄関を見下ろしても誰もいません。そのまま窓辺で煙草を吸い始めるジューン。
ラジオはこの夏、NYが記録的な猛暑に襲われたと告げ、そして”サムの息子”と名乗る連続殺人犯がまた事件を起こし、手紙を送りつけたと報じていました。
NYのサウスブロンクス地区、1977年。彼女が粗末な食事をしていると、またブザーが鳴り響きます。今回も相手は何も喋りません。
下に降りて顔を見てやる、と叫び彼女は部屋の扉を開けます。しかしジューンは部屋の外に踏み出すことが出来ません。彼女は出ることを諦めました。
扉の外の階段の下で言い争う声がします。管理人が現れたと気付いた彼女は金を用意します。玄関がノックされると、扉の下から紙幣を差し出し家賃を支払うジューン。
手持ちの金が残り少ないと気付いた彼女は、友人のマーゴことマーゴット(ジェニファー・イーリー)に電話します。ジューンは友人に金を都合してもらえないか頼みました。
マーゴは彼女の身を心配しているらしく、「会いに行って金を渡す」と言いますが、彼女に会いたくないジューンは、金だけ送ってもらえないかと告げます。
しかし半ば強引に、「そちらに行く」と言ったマーゴ。ジューンは彼女の訪問を、心底望んでいませんでした。
部屋のゴミ袋をロープで吊るすと、窓からゴミ置き場に降ろそうとするジューン。誤ってゴミを落し、手をロープで擦って怪我をします。
またもジューンの部屋のブザーが鳴ります。今度は配達の男でした。男は荷物を抱えて彼女の部屋の前に現れました。
いつもと異なる男が配達に現れたので警戒する彼女に、まだ若い黒人男はフレディ(ケルビン・ハリソン・Jr)と名乗ります。ジューンが定期的に商品を注文する店から、品物を届けに来たのです。
彼女はドア越しに金を支払い、商品を受け取ります。帰って行くフレディに、「部屋に残るゴミを出して欲しい」とジューンは頼みます。
彼女が支払うチップとは別に、「暑いので部屋の水道で体を流させて欲しい」と要求するフレディ。ゴミを処分したい彼女は、それをのみました。
警戒心を露わにする彼女の前で体を洗い、ゴミ袋を持って部屋を出るフレディ。頼まれた仕事を果たした彼が路上にたむろするチンピラに絡まれる姿を眺めるジューン。
商品を取り出していた彼女は、注文したタバコが無いと気付きます。ジューンは電話して店の主人に抗議しました。
主人は改めて煙草を配達すると告げます。灰皿の中の、吸いかけの煙草に火を付けたジューン。
食事中の彼女は、新聞のクロスワードパズルに向かい、”宅配デート”の広告に目を留めます。するとブザーが鳴りました。
フレディが配達に来たのかと思いましたが、またも応答はありません。堪りかねた彼女は警察に電話して、迷惑行為を受けている、と訴えます。
浴槽の水に浸かり、洗面台で自分の髪を切るジューン。そしてTVは”サムの息子”の新たな犯行と、犯行予告を報じています。こうして暑い一夜が過ぎて行きました。
翌日、彼女の部屋を友人のマーゴが訪ねます。ジューンは渋々扉を開け、マーゴを部屋に入れました。部屋の荒れように驚き、最後に外出したのはいつ、と訊ねるマーゴ。
散らかった彼女の部屋を、マーゴはジューンと共に片付けます。マーゴはゴミの山の中に無造作に置かれた、『THE PATRIARCH(父権社会)』と題された本を見つけます。
それはジューンの著作で、裏表紙には彼女の写真が使われていました。何冊もあるその本を、捨てるように言うジューン。
まとめたゴミを運ぶマーゴの前で、煙草を持ちベットに横たわるジューン。マーゴは彼女に外出しようと提案しますが、ジューンは返事をしません。
それでもマーゴが姿を消すと、彼女は裸足で部屋から廊下に出てみます。しかし降りる階段で足がすくみ、座り込むと身動きが取れなくなります。
部屋に戻って来たマーゴは電話で、家族にジューンは病気で助けがいると伝えていました。
その夜はジューンと過ごす事にしたマーゴ。2人は酒を酌み交わします。共に笑い盛り上がりますが、なぜいつまでもこの部屋にいるの、と訊ねたマーゴ。
ジューンは祖母が遺したこのアパートが、一番安全だと思ったと答えます。彼女は逃れるようにここに移り住み暮らしていたのです。
しかし時代は移り、サウスブロンクス地区は荒廃し、スラム化していました。マーゴは様々な意味で、こんな生活は続けられないと警告しました。
作家として立ち直るよう告げる友人に、あなたとは生き方が違うと反発するジューン。するといきなりブザーが鳴り出します。
出ようとしないジューンを見て、マーゴは事情を尋ねます。嫌がらせのように何者かに鳴らされていると聞き、カバンから護身用の拳銃を出すマーゴ。
危険な場所なので、この拳銃を持てと彼女は告げます。ジューンは拳銃を床板を外し、その下に隠して保管しました。
次の朝、マーゴはジューンが書いたまま放置した原稿を読んでいました。その内容に感銘を受け、これを放置しておく手はない、完成させ世に出すべきだと言います。
ところがその言葉に反発するように、ジューンは原稿にライターで火を付けます。親身になってくれた友人に、自分に指図するなら出て行けと告げるジューン。
彼女が去ると、ジューンは自分の著作『父権社会』を投げ捨てます。
ジューンは保管していたビデオテープを、デッキに入れ再生します。それは彼女がTV番組でインタビューを受ける姿を収めたものでした。
出版された『父権社会』が評判となり、彼女は時代の寵児になりました。質問者に対して鋭い調子で、自分の著作の意義を語り続けるジューン。
しかし質問者は、著作のモデルはあなたの父かと質問します。登場するのはあくまで架空の人物だと彼女は主張しますが、本の評判は父の事業に大きな影響を与えていました。
その話題を遮り、攻撃的に自分の主張を語ろうとする彼女に、質問者は父の急死は、彼女の著作が原因ではないかと尋ねます。
父の死を知らなかった彼女は、ショックを受け言葉に詰まります。そこでビデオを一時停止させたジューン。彼女の凍り付いた表情が、画面に大写しになりました。
しばらく考え込んでいたジューンは、書類の山の中を探り、メモ帳に張った名刺を見つけ出し、バートン出版社に電話します。
ジューンは出版社で彼女を担当してくれた、フランチェスカに連絡します。そして執筆作の前金の残りを送って欲しいと頼みます。
その言葉にフランチェスカは言葉を濁します。彼女は世間の注目を集めた作家、ジューンが完成させた新作を出版する契約で、前金を支払っていました。
しかしジューンはいっこうに本を書き上げません。それどころか長い間連絡を絶っていました。このままでは支払った前金を、返してもらう事になると告げるフランチェスカ。
今は新たな作品を順調に執筆中だと嘘をつくジューン。彼女の才能を信じるフランチェスカは、その話に喜び電話を切りました。
むせるような暑さの中、ジューンは自分が追い詰められたと実感しましす。
長らく仕舞っていたタイプライターを出して、紙をセットするジューン。しかし書くべきものは思い浮かばす、無為に時間が過ぎていきました。
タバコを切らし彼女が注文すると、フレディが届けにきました。以前配達の際、商品からタバコを盗っただろうと言うジューンに、俺はこずるい人間だが、泥棒ではないと答えるフレディ。
今日も体を流した彼の体に、火傷の痕があると気付いたジューン。尋ねると以前住んでいたアパートが、大家に保険目当てに放火され、その時の傷だと告げました。
外のチンピラと話していると指摘されると、フレディはここに住んでいて、連中と関わらずに生きる方法など無いと告げます。それがサウスブロンクスで暮らすフレディの世界でした。
夜を迎えると、またブザーが鳴ります。またしても相手は何も告げません。
窓辺で涼みながら、煙草を吸いワインを傾けるジューン。ラジオは”サムの息子”の8人目の犠牲者が出た、そしてNYの気温は35℃に達したと告げます。
ラジオから『ゴーストライダー』(ロックバンド”スーサイド”が1977年に発表した楽曲)が流れます。その曲に合わせ踊り出したジューン。
ラジオ番組「ウルフ・アワー」は、今日の放送はこれで終わりと告げ、明日また同じ時間で会いましょう、と語りかけました。
映画『ウルフ・アワー』の感想と評価
参考映像:『ルース・エドガー』(2019)
凄い力作です。良く判らないが力作だと、誰もが認めるでしょう。しかし本作は果たしてスリラー、あるいはサスペンスといえるのでしょうか? 実在の人物の自伝映画でもありません。
この映画を見て困惑した方、その感想間違いはありません。この映画の主役は、実は「時代」です。ではこの背景を簡単に説明しましょう。
映画の舞台はベトナム戦争後の1977年。アメリカは財政的に破たんし、製造業などの地場産業が衰退したニューヨークは、急速にスラム化しました。
スラム化したアパートの扱いに困り、住民が居るのに構わず、大家が保険目当てに放火する。そんな行為が日常化していたと伝えられています。
60年代に盛んだった学生運動、公民権運動も過激化と共に大衆の支持を失い、共産主義に変革の可能性を求めた人々も、この年の中国の文化大革命終了宣言に打ちのめされます。
より良い世界が生まれると、カウンターカルチャーにのめり込んだ人々も、多くは社会に溶け込み、ヒッピー文化は人々に消費される商品へと変貌していきました。
そんな未来が見えない、閉塞感漂う大都市NYに連続殺人鬼”サムの息子”が現れ、1976年7月29日に最初の殺人を行いました。人々は繰り返される犯行と、彼の残したメッセージに恐怖します。
1977年のNYは、記録的に暑い夏となりました。そして7月13日、変電所への落雷に端を発する送電トラブルで、21時27分頃にはNY市内全域で大停電が発生しました。
翌14日まで続いた停電の間、暴動や略奪、放火が発生して街は大混乱に陥ります。これが『ウルフ・アワー』が描いた時代です。
同じ時代を”サムの息子”に焦点を合わせて描く、スパイク・リー監督作『サマー・オブ・サム』(1999)という映画もあります。ちなみに”サムの息子”は1977年8月10日に逮捕されました。
というとんでもない時代に生きる女性をナオミ・ワッツが演じ、さらに自ら本作の製作総指揮まで務めています。
意欲的な映画の、複雑な役柄に挑むのが大好きな彼女は、本作に出演したケルビン・ハリソン・Jrとは、『ルース・エドガー』でも共演しています。この作品で2人は高い評価を得ました。
ナオミ・ワッツ演じる主人公の正体とは
ナオミ・ワッツが演じた人物は、まるで実在の人物の伝記映画のように描かれていますが、もちろん架空の人物です。
しかし彼女とアリステア・バンクス・グリフィン監督は、この人物を創造するに当たり、話し合いを繰り返し、当時の人物をリサーチしました。
モデルとなった人物は、作家や社会運動家として、様々な分野で活動したスーザン・ソンタグ、小説・エッセイ・映画脚本の分野で活躍したジョーン・ディディオン、フェミニストにして作家・ジャーナリストのジャーメイン・グリアだと2人は明かしています。
特にスーザン・ソンタグが1966年に出版した処女作『反解釈』は、内容と共にそのカバー写真が有名になり、彼女の名声を高める役割を果たします。
劇中で主人公が、時代の寵児に祭り上げるきっかけとなった本『父権社会』は、この『反解釈』をモデルにしたものといえるでしょう。
監督は当時の文化的なうねりと共に、西洋文明の衰退と理想主義の終焉を告げる存在であった、1977年当時のNYの夏を描きたかったと語っています。
この時代の不安感と、当時活躍した女性への歴史的観点を通して映像化した監督。
それを従来の社会制度や価値観を憎み、虚勢を張って攻撃した主人公の女性作家は、その結果として家族を失い、1人打ちのめされます。
その結果自分の狭い世界に閉じこもりました。その主人公が自らを見つめ直し、新たな境地に達するまでの姿を演じたナオミ・ワッツ。
本作が単なるスリラー、サスペンスでないとお判り頂けたでしょうか。
1977年のNYを身近に感じさせたもの
本作も厳しい環境で作られた映画の常として、18日間の撮影期間しか与えられませんでした。監督は当時を感じさせる場所を求め、NYのチャイナタウンに最適のロケ地を見つけます。
しかし本作が1977年当時を感じさせてくれる最大の要因は、サウンドデザインだと語る監督。
当時のストリート・ギャングたちを捉えたドキュメンタリーを数多く見た監督は、それを参考に背景となる群衆たちのセリフを書きました。
それを音響効果・デザインのスタッフが、優れた声優たちと共に映画の背景として作り上げ、画面に現れない様々な物語を作り上げ、観客に様々なイメージを与えたと監督は話しています。
リアルに当時のNYを描いた本作は、同時に葛藤の果てに新たな作品を生みだす、作家の産みの苦しみを表現した物語でもあります。
しかし映画のトーンがリアル過ぎたことが、スリラー・サスペンス映画として見た観客を、非常に困惑させる結果にもなりました。
同様に作家の生みの苦しみを、閉鎖的な空間を中心に描き、しかも暑い夏を舞台に、殺人犯を絡めて描いた映画といえば、コーエン兄弟監督作『バートン・フィンク』(1991)があります。
『バートン・フィンク』もリアルなタッチの映画ながら、パラノイア的な部分を誇張した描写、幻想的なシーンの挿入で、同時に作家の内面を描いていると強調しています。
本作の幾つかのシーンは、確かに『バートン・フィンク』同様、主人公の内面を表現しています。こういった描写がより多ければ、作品の発するテーマがより明確になったでしょう。
まとめ
1977年夏のニューヨーク、そして当時の文化を感じさせる映画『ウルフ・アワー』。この時代に関心のある方は必見です。
当時の荒廃したNYは、「バットマン」シリーズの諸作品、そして『ジョーカー』(2019)に登場する、ゴッサム・シティの姿に強い影響を与えています。
アメコミファンにとっては、そんな舞台背景の原点を確認させてくれる作品です。このような歴史的・文化的興味を抱く方には、実に興味深い作品です。
当時を伝える映画には、様々なものがあります。有名なのはウォルター・ヒル監督がストリートギャングの抗争劇を描く、ブロンクスを舞台にした映画『ウォリアーズ』(1979)でしょうか。
また当時のNYを舞台にした犯罪映画・ドラマも数多く誕生しています。
アベル・フェラーラ監督の『ドリラー・キラー』(1979)やジョー・スピネル主演・製作の『マニアック』(1980)などのスプラッター映画も、NYを舞台に作られました。
角川春樹事務所が『犬神家の一族』(1976)に続く、第2弾映画として発表した『人間の証明』(1977)も、当時の荒廃したNYでロケを敢行し、その姿を描いた作品でした。
ジョン・カーペンター監督が『ニューヨーク1997』(1981)で、近未来のマンハッタン島を巨大な監獄として描いたのも当然と言えるでしょう。
現実の歴史では80年代以降、奇跡的な復興を遂げ、今も世界の中心であるNYが存在します。しかし多くの人々の記憶には、あの荒廃した姿が記憶されているのです。
歴史は教科書などで、正しく学ぶべきでしょう。しかし当時の雰囲気や空気や、人々の営みは映画やドラマの中にこそ、感じられるものかもしれません。
次回の「未体験ゾーンの映画たち2020【延長戦】見破録」は…
次回の第21回は良き環境、良き住人に恵まれたアパートには、恐るべき秘密があった!サイコスリラー映画『マッド・ハウス』を紹介いたします。お楽しみに。
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