正体不明の存在“それ”との戦いを描いた「エンタメ・ホラー」の魅力とは?
東京から田舎に引っ越してきた親子が、近くの森に潜む、正体不明の存在に遭遇する、恐怖を描いたホラー映画『“それ”がいる森』。
『リング』(1998)で「Jホラーブーム」を巻き起こし、近年では『事故物件 恐い間取り』(2020)も話題になった中田秀夫。
中田監督が「新たな挑戦」と語った映画『“それ”がいる森』は、これまでの「Jホラー」とは対照的な内容から、賛否両論が起きており話題になっています。
本記事では『リング』とは明確に異なる、『“それ”がいる森』が描く「これまでのJホラー」と一線を画す恐怖の特徴を考察します。
CONTENTS
映画『“それ”がいる森』の作品情報
(C)2022「“それ”がいる森」製作委員会
【公開】
2022年公開(日本映画)
【監督】
中田秀夫
【脚本】
ブラジリィー・アン・山田、大石哲也
【キャスト】
相葉雅紀、松本穂香、上原剣心、江口のりこ、尾形貴弘、中村里帆、綾乃彩、松嶋亮太、吉本菜穂子、山下穂大、嶺岸煌桜、潤浩、眞島秀和、宇野祥平、松浦祐也、酒向芳、野間口徹、小日向文世
【作品概要】
東京から田舎に引っ越し農業を始めた主人公・淳一が、近くの森で起きた子どもの失踪事件をキッカケに正体不明の存在“それ”に遭遇するホラー映画。
謎の存在に立ち向かう淳一役を相葉雅紀が演じ、『デビクロくんの恋と魔法』(2014)以来の単独主演作となります。
共演にはNHK連続テレビ小説『ひよっこ』(2017)で注目を浴びた松本穂香、ジャニーズJr.の上原剣心のほか、江口のりこ、宇野祥平、野間口徹、小日向文世など実力派俳優が出演しています。
映画『“それ”がいる森』のあらすじ
(C)2022「“それ”がいる森」製作委員会
福島市の天源森に、東京でホストクラブを襲撃し、大金を持って逃亡したカップルが逃げ込んで来ます。森の中に強奪した金を埋めようとした二人ですが、謎の存在に襲われます。
一方、3年前に天源森の近くへ引っ越してきた淳一。以前は妻の爽子、息子の一也と東京で暮らしていましたが、厳格な経営者である爽子の父と考え方が合わず、追い出される形で福島市に単身引っ越してきました。
3年かけてビニールハウスでオレンジを栽培を進めていた淳一でしたが、オレンジの中に細菌に感染してダメになった作物があると知り、落ち込んでしまいます。
そんな淳一の前に、息子の一也が突然現れます。
一也は中学受験を控えていましたが、成績が上がらないため、大好きだったサッカーを爽子に無理やり辞めさせられました。そのせいでストレスが溜まった一也は、逃げるように父を訪ねてきたのです。
爽子にも頼まれ、しばらく一也を預かることにした淳一は、近くの学校に一也を転入させます。
転校先の学校で仲良くなったクラスメイトに誘われ、一也は天源森へ行きます。クラスメイトの作った秘密基地で遊び、天源森から出ようとした際に、二人は謎の物体を発見します。
次の日、学校で謎の物体について話した一也ですが、全く信じてもらえなかったため、証拠の写真を撮影すべく再び天源森へ向かいます。
ところが、謎の物体は消えており、仕方なく天源森を出ようとした一也たちの前に、素早い速さで動く、人間のような謎の存在が現れます。
謎の存在をスマホで撮影したクラスメイトが、目の前で襲われたのを目撃した一也は、そのまま気を失ってしまい……。
Jホラーの名手・中田秀夫の新境地《3つの比較》
(C)2022「“それ”がいる森」製作委員会
天源森に潜む謎の“それ”との遭遇と、襲いかかってくる恐怖を描いた映画『“それ”がいる森』。本作の監督は、1998年の『リング』で日本映画界に「Jホラー」ブームを起こした中田秀夫です。
そして『“それ”がいる森』は、中田監督が『リング』以降の、いわゆる「Jホラー」のイメージの変革を意識した挑戦的な作品となっています。
これまでのJホラーが「静かな恐怖」としたら、それとは異なる「動きのある恐怖」を描いているといえる『“それ”がいる森』は。その二つを比較していきましょう。
【検証1】「出てくるまで」の怨霊、「出てきてから」の“それ”
(C)2022「“それ”がいる森」製作委員会
Jホラーを象徴する存在の一角といえば、やはり『リング』の貞子でしょう。
「呪いのビデオ」を通じ、次々に人を呪っていくウィルス的な恐怖はハリウッドでもリメイクされるほどに評価され、その存在自体が「発明」といえます。
『リング』の恐怖は「呪いのビデオを観ると謎の電話がかかってくる」「呪いにかかった人を撮影すると、心霊写真が写る」という「よく分からないけれど、ゆっくりと着実に訪れる不気味な恐怖」が主流となっています。
不気味な何かが迫ってきていることだけは、否が応でも理解できるという「感じる恐怖」。だからこそ、実際に貞子が姿を現した際の、絶望感は半端ではなかったのです。
逆に『“それ”がいる森』の“それ”は、姿を見た人間に容赦なく襲いかかってきます。“それ”を目撃した時点では戦う術も分からないため、逃げるしかありません。
そのため『リング』が「出てくるまで、感じる恐怖」だとしたら、『“それ”がいる森』が描くのは「出てきてから、明確に命を狙われる恐怖」といえます。
【検証2】戦う術のない“呪い”、戦うしかない“それ”
(C)2022「“それ”がいる森」製作委員会
「リング」シリーズの貞子、「呪怨」シリーズの伽椰子など、これまでの「Jホラー」は恐怖の対象と「直接戦う術」がありませんでした。
両シリーズともに“基本的”には「姿を見たらそこで終わり」であり、そのためにも呪いからの「回避」、あるいは「逃亡」しか生還の道がなかったわけです。
ですが、『“それ”がいる森』の“それ”は、状況を打破するには「戦う」しか道がなく、逃げたとしても延々と追いかけてきます。
もし海外が舞台の作品なら「銃を撃ちまくって“それ”と戦う」という展開になりそうですが、『“それ”がいる森』の舞台は日本。明確に武器となる物は身近になく、大人は容赦なく殺害し、子どもは捕食する“それ”に対抗する方法も非常に限られています。
その恐怖が際立つのが、学校に避難した子どもたちが“それ”に追い詰められ、教師の北見絵里と籠城するしかなくなるクライマックスの展開です。
“それ”は『リング』の貞子と違い「姿を見たら、その時点で“終わり”」という存在ではなく、逃げる余地もあるのですが、逆に逃げ場が少しずつ塞がれる恐怖が存在し得ます。
作品中盤では“それ”の弱点も判明しますが、弱点を知っているのは淳一だけで、確実に“それ”を全滅させる方法は不明のままです。
逃げる余地もあるし抵抗も可能だが、状況を打破する決定打がないという、絶望的な状況での戦い。これが『“それ”がいる森』が描く恐怖の特徴です。
【検証3】「身の凍る恐怖」と「心揺さぶられる恐怖」
(C)2022「“それ”がいる森」製作委員会
これまでの「Jホラー」で描かれてきた恐怖の存在の多くは、「幽霊」や「怨霊」などの霊的なものに基づいているのも特徴といえます。
明確に姿を見せなくても、画面の端に一瞬だけ立っている。それが、前述の「感じる恐怖」を演出し、体が硬直したまま画面を見入るという「身の凍る恐怖」につながります。
一方で『“それ”がいる森』で描くのは「心揺さぶられる恐怖」であり、より明確に言えば「エンターテイメントに振り切った恐怖」です。
ネタバレになりますが、“それ”の正体は「宇宙人」です。それもエイリアンとかプレデターのような、スタイリッシュなビジュアルを持つ地球外生命体ではなく、いわゆる「グレイ」と呼ばれる、誰もが想像する分かりやすい宇宙人です。
その正体が作中で明かされた時、映画を観ていた多くの方は「え?宇宙人?」といろいろな意味で驚いたはずです。そしてこれまでの「Jホラー」を期待した方の中には、怒りを感じた方もいるかもしれません。
しかしながら、この「心揺さぶられる恐怖」こそが、中田監督の『“それ”がいる森』での挑戦でもあるのです。
正体が判明した後の宇宙人は「子どもを捕食し、分裂していく」という原理も仕組みも不明ながらも、ただただおぞましい生態を見せます。
貞子は「生前は人間であり、人を恨んで死んだ怨霊」という設定を通じて「人々に呪いと死を撒き散らすようになった“理由”」が描かれていますが、『“それ”がいる森』の“それ”はどこまでも「宇宙人」でしかなく、姿が判明しても謎が多すぎる存在です。
そもそも「宇宙人」と判断してはいるものの、「“それ”は本当に宇宙人なのか」という証拠はどこにもありません。しかし、何か行動をしなければすぐに殺されてしまう。ある意味では真に理不尽な恐怖といえます。
そんな理不尽な存在との、「銃火器が身近にない日本」という絶望的な環境下での生存をかけた戦い。この内容に、予算と時間をかけて真面目に挑んだというだけでも『“それ”がいる森』がどれだけ実験的で挑戦的な作品かが分かります。
まとめ
(C)2022「“それ”がいる森」製作委員会
これまでの「Jホラー」とは明確に違う『“それ”がいる森』。エンターテイメント性の強い作品であるため、正直「身の凍る恐怖」を期待した方は戸惑いを感じたかもしれません。
中田監督は、日本のホラー映画の今後を考えた上で『事故物件 恐い間取り』から「10代をターゲットにした、エンターテインメント性のあるホラーに舵を切った」と語っています。
とはいえ、本作は決して「子ども向け映画」ではなく、「大人でもワクワクできる映画」を目指しています。
『“それ”がいる森』はフレディやジェイソンのような、殺戮を繰り返す怪物の恐怖を描いた、ひと昔前のホラーのような作風ですが、「静かなホラー」が主流になっていた日本のホラーの中では、逆に新鮮に感じました。
考えてみれば、『リング』でお馴染みの「テレビから出て来る貞子」の場面も、一つ間違えれば「コメディテイスト」として捉えられたかもしれません。また映画のヒット後にさんざんパロディが繰り返されてきたのも、同場面に少なからず「笑い」の要素があったからでしょう。
「“恐怖”とは“笑い”や“怒り”など、あらゆる感情と紙一重なのかもしれない」と気づかされる、エンタメ性を持ったホラー映画。身も凍る「静かなホラー」を確立した中田監督の「心揺さぶられる恐怖」への挑戦が、今後どのような作品を生み出すかに期待したいです。