映画ラストの出産は「脱皮」?
夫婦の関係破綻の真の理由にも迫る!
夫を亡くした傷心の女性が、美しい風景の田舎で遭遇した“同じ顔の男たち”による不条理な恐怖を描いたSFスリラー映画『MEN 同じ顔の男たち』。
『ミッドサマー』(2019)『ヘレディタリー/継承』(2018)など知られる配給会社「A24」と、『エクス・マキナ』(2015)のアレックス・ガーランド監督がタッグを組んだ作品です。
本記事では、衝撃的な映像表現を観る者に焼きつけた、映画『MEN 同じ顔の男たち』の結末・ラストについてクローズアップ。
廃トンネルでの遊びの意味、そこに出現した全裸の男の正体に言及しつつ、本作で描かれた「出産」は同時に「脱皮」でもあった理由、その理由から見えてくる主人公ハーパーと夫ジェームズの夫婦関係が破綻した“真の原因”を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『MEN 同じ顔の男たち』の作品情報
【日本公開】
2022年(イギリス映画)
【原題】
MEN
【脚本・監督】
アレックス・ガーランド
【音楽】
ジェフ・バーロウ、ベン・ソールズベリー
【キャスト】
ジェシー・バックリー、ロリー・キニア、パーパ・エッシードゥ、ゲイル・ランキン、サラ・トゥーミィ
【概要】
『ミッドサマー』(2019)、『ヘレディタリー/継承』(2018)などで知られる映画製作・配給会社「A24」のもと、『エクス・マキナ』(2015)のアレックス・ガーランドが監督を務めた。
“同じ顔の男たち”の恐怖に対峙する主人公ハーパーを演じたのは、『ワイルド・ローズ』(2022)、『ロスト・ドーター』(2021)のジェシー・バックリー。
また『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2021)などダニエル・クレイグ版「007」シリーズの出演で知られるロリー・キニアは、主人公が訪れた田舎の村で遭遇する“同じ顔の男たち”を一人多役で怪演しています。
映画『MEN 同じ顔の男たち』のあらすじ
夫の死を目の前で目撃してしまったハーパー(ジェシー・バックリー)は、心の傷を癒すためにイギリスの田舎街を訪れる。
そこで待っていたのは、豪華なカントリーハウスの管理人ジェフリー(ロリー・キニア)。
ハーパーが街へ出かけると、少年、牧師、そして警察官など、出会う男たちが管理人のジェフリーと全く同じ顔であることに気づく。
街に住む同じ顔の男たち、廃トンネルからついてくる謎の影、木から大量に落ちるりんご、そしてフラッシュバックする夫の死。
不穏な出来事が連鎖し、“得体の知れない恐怖”が徐々に正体を現し始める……。
映画『MEN 同じ顔の男たち』衝撃のラストを考察・解説!
廃トンネルの場面は「超音波検査」?
田舎の村コットソンで「同じ顔の男」たちによって理不尽な恐怖に晒され、ついには車での逃走を図ったものの、道中で轢いてしまったカントリーハウスの管理人ジェフリーに車を奪われ、追い回される羽目になった主人公ハーパー。
そして、村の廃トンネルでの遭遇以来、彼女につきまとっていた全裸の男が現れたかと思うと、腹部が膨らんだ男の陰部から村の少年サミュエルが生まれ、同じく腹部が膨らんだサミュエルの陰部から村の牧師が生まれ……。
映画の結末で描かれた、衝撃的な“出産”の場面には誰もが驚かされたと思いますが、そもそも本作は、女性である主人公ハーパーが「肉体」ではなく「精神」を通じて、現象であり儀式でもある“出産”を体験する映画といえます。
なお、映画の結末で出産の“始まり”を担った全裸の男とハーパーが最初に出会った廃トンネルの場面では、ハーパーが自身の声をトンネル内で反響させる遊びに興じた後に、全裸の男が姿を現したかのように描写されています。
その演出もまた、廃トンネルが本作の描く“出産”と結びついて「産道」をイメージさせることからも、超音波の反響を利用して子宮や卵巣内の状況を調べる「超音波検査」を象徴的に描いているのかもしれません。
ハーパーが呼んだ「“男性”を知る前のアダム」
そもそも、全裸の男の正体は何なのでしょうか。
旧約聖書『創世記』で描かれた最初の人類アダムとその妻イヴの、「善悪の知識の木の実」……いわゆる「知恵の実」をヘビに唆されて食べたことでエデンの楽園を追放された「失楽園」の物語のモチーフを多く取り扱っている映画『MEN 同じ顔の男たち』。
その人類誕生の物語における「実を食べ、自分たちが裸であると気づいたアダムとイヴがその体をイチジクの葉で隠した」という描写の意味について、善悪の知識の木の実がもたらしたのはいわゆる「男女」の概念であり、善悪の知識の木の実とは「二人の間に宿った子ども」を指しているのではとも言われています。
映画作中、廃トンネルを抜けてハーパーについていった全裸の男は、彼女が泊まっているカントリーハウスの庭に生えた木からリンゴを盗んでいたことが、のちに彼を逮捕した警察官の口から語られます。そして釈放後、全裸の男はその全身に木の芽を、額にイチジクの葉を埋め込む姿も描かれていました。
それらの描写からも、全裸の男は確かに「最初の人類アダム」を象徴する存在ではあるものの、元々は楽園追放に至る前の……のちに自身が“女性”と知ったイヴが生み出される以前の「自身が“男性”と知る前のアダム」であったこと。
そして全裸の男は、“女性”であるハーパーがトンネル内で反響させた声に呼応するかのように出現したことからも、ハーパーという“女性”との遭遇とリンゴによって、最初の人類アダムを象徴する彼は自らに“男性”を見出し、男女の概念を知ったとも捉えられます。
本作にて「自身が“男性”と気づいたアダム」を象徴する、全裸の男。そして映画作中、彼がタンポポの種子を“女性”のハーパーに吹きかけ、その種子の一つだけがハーパーの口に入るという「受精」をイメージさせる描写を経て、ハーパーは「肉体」ではなく「精神」を通じて“出産”を体験することになるのです。
「“男性”の負の特徴」を“脱皮”した夫ジェームズ
前述の通り、全裸の男はハーパーの目の前で、その肉体の陰部から村の少年サミュエルを出産。
やがて、全裸の男同様に腹部が膨らんだサミュエルの陰部からは村の牧師が生み落とされ、牧師もまた「背中」からジェフリーを出産。そしてついに、ジェフリーの「口」からハーパーの亡き夫ジェームズが生まれる……。
「背中」や「口」からの出産も同時に描いた同場面は、“出産”というよりも、むしろ昆虫やヘビの“脱皮”を強くイメージさせられます。
幼児的な暴力性を持ったまま、肉体ばかり「大人」へ成長する少年サミュエル。ギリシア神話に登場する「王の中の王」だが、傲慢で所有欲が激しい男でもあるアガメムノンに自身をなぞらえ、性欲による自身の暴力の責任を“女性”に転嫁する牧師。そして、暴力を振るわずに“女性”を敬っているようで、実際は多くの偏見を向けてくるジェフリー……。
「自らが“男性”だと気づいたアダム」を象徴する全裸の男から、交代で生まれ落ちていった村の男たち。そのいずれもが、“男性”という性質が持つ負の特徴を抱えています。
そうした男たちにより“脱皮”のごとく繰り返されていった映画ラストの“出産”は、「“男性”という性質が持つ負の特徴からの脱却を通じて、精神的に成長しようとする人間」の姿を描いているのではないでしょうか。
だからこそ、“脱皮”を経て“男性”が持つ負の特徴から脱却できたジェームズは、死ぬ直前には暴力でしか接することができなくなっていたハーパーに対し、「自分は“愛”を求め続けていた」という真意をようやく伝えられたのかもしれません。
まとめ/夫婦関係破綻の原因は「流産」?
多くの謎が秘められている映画『MEN 同じ顔の男たち』ですが、中でも特に明確な描写が作中ではなされていない謎が一つあります。
それは、「なぜハーパーとジェームズの夫婦の関係は、破綻に至るまでに悪化したのか」という謎です。
無論、「ジェームズのハーパーに対する暴力」を夫婦関係の破綻の原因と捉えることも可能です。しかし、映画ラストでの“脱皮”の場面をふまえると、彼の暴力はむしろ「ある原因により夫婦関係が悪化する過程の中で、ジェームズの内面にあった“男性”の負の特徴が表面化した結果」と捉えた方が的確かもしれません。
なぜハーパーとジェームズの夫婦の関係は、破綻に至るまでに悪化したのか……その答えは、「なぜハーパーは『肉体』ではなく『精神』で出産を体験したのか」という別の問いと重なった時、「ハーパーの流産」という形で姿を現します。
ロンドン・テムズ川のそばに建ち、赤い光に満ちていた、夫婦の住む家。「赤い光」に満ちた家の室内からは、村のカントリーハウスの壁が赤く塗られていた意味と同様に「胎内」を連想させられます。
それだけでなく、「胎内」を連想させる家のそばをテムズ川の水が延々と流れ続け、雨までも降っていたこと。のちにその家でジェームズが「落ちる」という現象で亡くなったことからも、「流産」という言葉が観る者の脳裏には思い浮かぶはずです。
「互いが互いを恐れるようになっていた」というハーパーとジェームズ。実は最初に相手を恐れるようになったのはジェームズであり、その恐れは、流産によって子どもを失って以降のハーパーにどう接すれば分からなくなったからではないか。
そして彼が“愛”を妻ハーパーに求め続けていたのも、子どもを失った悲しみに囚われ続ける彼女が、ジェームズのことを真に見つめてくれなくなったからではないか……。
夫婦関係の破綻の原因を「流産」と仮定した時、ジェームズが“愛”を求め続けていた理由、ハーパーが「精神」を通じて“出産”を体験した理由、その“出産”を経て朝を迎えた彼女の顔がどこか晴れやかであった理由が見えてくるのです。
「コットソン(COTSON:英語でCOTは「ベビーベッド」、SONは「息子」を意味する)」という名の村を舞台に、“出産”をめぐる物語を象徴的に描いた映画『MEN 同じ顔の男たち』。
本作のエンドロールでは、子どもたちが楽しげに遊ぶ声とともに、宙を舞うタンポポの種子が球形……「受精卵」のような形を成す様が描かれます。それは、関係が致命的に破綻してしまったハーパーとジェームズの夫婦の“あり得たかもしれない未来”なのかもしれません。
ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。