鏡に向かってその名を5回唱えると、殺人鬼キャンディマンが現れる
公営住宅地「カブリーニ・グリーン」で言い伝えられている、殺人鬼キャンディマンの都市伝説を追いかけるアンソニーが、次第にその恐怖に取り込まれていくホラー映画『キャンディマン』。
1992年にバーナード・ローズ脚本・監督によって映画化され、カルト的な人気となった『キャンディマン』を『ゲット・アウト』(2017)『アス』(2019)のジョーダン・ピールが、製作と脚本に参加し、新たなキャンディマンの伝説を作り出しました。
1992年版と繋がりながらも、現代的な解釈が込められた、新たな『キャンディマン』の魅力をご紹介します。
映画『キャンディマン』の作品情報
【公開】
2021年公開(アメリカ映画)
【原題】
Candyman
【製作】
イアン・クーパー、ウィン・ローゼンフェルド、ジョーダン・ピール
【監督・脚本】
ニア・ダコスタ
【共同脚本】
ジョーダン・ピール、ウィン・ローゼンフェルド、ニア・ダコスタ
【キャスト】
ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、テヨナ・パリス、ネイサン・スチュアート=ジャレット、コールマン・ドミンゴ、カイル・カミンスキー、バネッサ・ウィリアムズ、ブライアン・キング、ミリアム・モス、レベッカ・スペンス、カール・クレモンズ=ホプキンス、クリスティアナ・クラーク、マイケル・ハーグローブ、ロドニー・L・ジョーンズ3世、ハイジ・グレース・エンガーマン、アイリオン・ローチ、ブリアナ・リンド、マリック・ホワイト、サラ・ウィスターマン、サラ・ロー、バージニア・マドセン、トニー・トッド
【作品概要】
クライヴ・バーカーの小説『禁じられた場所』を原案に、1992年に1作目が公開されて以降、全3作品が製作された「キャンディマン」シリーズ。
本作はシリーズの4作目となり、主に1作目からの流れを引き継いだ作品となってます。
キャンディマンの都市伝説に魅了される、主人公の新人芸術家アンソニーを演じる、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世は、『アクアマン』(2019)でヴィランであるブラックマンタを演じ注目され、2021年12月公開の『マトリックス レザレクションズ』にも、新たなモーフィアスで出演が決まっている、今後注目の俳優です。
アンソニーの恋人プリアンナを、MCUのドラマシリーズ『ワンダヴィジョン』に登場し、今後のMCUシリーズの重要キャラとされるモニカ・ランボー役で注目を集めている、テヨナ・パリスが演じています。
監督のニア・ダコスタは『キャプテン・マーベル』(2019)の続編を監督することが決まっており、MCUシリーズ初の黒人女性監督として話題になっています。
映画『キャンディマン』のあらすじとネタバレ
1977年、公営住宅地「カブリーニ・グリーン」。
少年のウィリアムは、近くのコインランドリーに洗濯へ行きます。
誰もいないコインランドリー、そこに現れたのは、かぎ爪の片手の浮浪者シャーマン・フィッシャーズでした。
シャーマンは、近所では危険人物として噂されていた男で、ウィリアムはシャーマンに飴を差し出されますが、恐怖から叫び声を出します。
その叫び声を聞いた警察官が、大挙してコインランドリーに押し寄せてきました。
2019年「カブリーニ・グリーン」は、シャーマンの事件がキッカケで取り壊されてしまいました。
新進気鋭の芸術家アンソニーは、美術館の敏腕キュレーターとして働いている、恋人のプリアンナと共に、新居に引っ越して来ます。
新居に遊びに来たプリアンナの弟トロイは、プリアンナの怖がる姿を見る為、突然都市伝説を語り出します。
現在は取り壊されてしまった「カブリーニ・グリーン」を舞台にした都市伝説。
それは、大学教授だったヘレンと言う女性が「カブリーニ・グリーン」に伝わる都市伝説を探っていく内に、突然おかしくなり、連続殺人を起こしたという内容でした。
ヘレンは、赤ん坊も誘拐した為、最後は「カブリーニ・グリーン」の住人により火あぶりにされ亡くなりました。
プリアンナは、その都市伝説を受け流しますが、アンソニーは気になり、ヘレンに関する記事を検索するようになります。
実は、アンソニーは作品制作に行き詰っており、新作のヒントを欲しがっていました。
アンソニーは、今は廃墟になった「カブリーニ・グリーン」に忍び込み、写真撮影を行いますが、その際に右手を蜂に刺されます。
アンソニーが廃墟で写真撮影を続けていると、成長したウィリアムに声をかけられます。
今はコインランドリー店を営んでいる、ウィリアムの自宅に招かれたアンソニーは、1977年のシャーマン・フィッシャーズ事件の真相を聞かされます。
子供達が食べた飴にカミソリが入っていた事件が多発し、容疑をかけられたのがシャーマンでした。
ウィリアムがシャーマンに遭遇した後、押し寄せた警察にシャーマンは射殺されてしまいましたが、その後も飴にカミソリが入る事件が発生しました。
つまり、シャーマンは無実だったのです。
「カブリーニ・グリーン」は、その事実を隠蔽するように、白人たちにより取り壊されました。
そして、アンソニーは「カブリーニ・グリーン」に伝っていた都市伝説「キャンディマン」についても聞かされます。
鏡に向かって「キャンディマン」と5回呼ぶと、かぎ爪の片手を持つ、恐ろしい殺人鬼が現れ、呼び出した者は命を奪われるということでした。
帰宅したアンソニーは、ウィリアムの話をもとに新たな作品を創作します。
アンソニーは、新作に手ごたえを感じましたが、プリアンナからは「暴力的すぎる」と酷評されます。
それでも、上機嫌のアンソニーは「面白い話を聞いた」と、鏡に向かいキャンディマンの名前を5回唱えます。
その時は何も起きませんでしたが、プリアンナが部屋の電気を消すと、鏡にはかぎ爪の片手を持つ、黒人の大男の姿が映ります。
映画『キャンディマン』感想と評価
鏡の前で名前を5回唱えると、殺人鬼が現れ殺されてしまう、そんな都市伝説を巡る恐怖を描いた『キャンディマン』。
2021年版の『キャンディマン』は、1992年版の続編的な立ち位置ながら、持っているメッセージ性や作品の視点は、1992年版と正反対という、なかなか珍しい作品になっています。
まず1992年版の『キャンディマン』の主役は、ヘレンという白人女性でした。
大学教授で都市伝説を研究しているヘレンは、治安の悪い公営住宅地「カブリーニ・グリーン」の住人たちが信じている都市伝説、キャンディマンについて調査を始めます。
そして調査を進める中で、現実とも悪夢とも判別できない、狂気の世界に入って行きます。
1992年版では、部外者であるヘレンの視点から「カブリーニ・グリーン」を描く事で、閉ざされたコミュニティと、そのコミュニティに広がる、キャンディマンという都市伝説の異質さを描いた作品でした。
ですが、2021年版では黒人の男性アンソニーを主役に、1992年版とは打って変わり「カブリーニ・グリーン」の住人だった、当事者の視点で描かれています。
主人公のアンソニーは、1992年版でキャンディマンと呼ばれていた殺人鬼に誘拐され、ラストでヘレンに救われた赤ん坊の成長した姿です。
アンソニーはその際に、キャンディマンとしての洗礼を受けており、2021年版では正式な儀式を通して、アンソニーが新たなキャンディマンになるまでが描かれています。
アンソニーは自身の作品を通して、キャンディマンの都市伝説を広めており、ここも1992年版の「閉ざされていた恐怖」とは真逆の「拡散されていく恐怖」となっています。
これらの展開を通して、2021年版『キャンディマン』に込められているのは「人種差別問題」です。
奴隷だった黒人のロバターユが、白人の貴族に酷い殺され方をしたのが、キャンディマン伝説の始まりです。
ロバターユは、貴族の娘と恋に落ち、妊娠させただけでした。
その後もキャンディマンは、白人に酷い殺され方をした、無実の黒人の象徴として生き続けているのですが、そこに込められているのは、白人への怒りです。
本作のラストでも、無抵抗のアンソニーを白人警官が撃ち殺し、正当防衛に仕立てようとする展開があるのですが、この展開は、近年の黒人に対する暴力と組織的人種差別に反対するキャンペーン運動「ブラック・ライブズ・マター」を連想させます。
時代が変化しても、何も変わらない人種差別への怒りと悲しみが込められた『キャンディマン』は、製作と脚本に携わったジョーダン・ピール が「アメリカにおける人種差別の寓話」と語るように、根深い社会問題を扱った作品です。
ただ、2021年版は「人種差別問題」を強く押し出すあまり、少し一方的な視点に偏ってしまった気がします。
『キャンディマン』は対極の視点で描かれた、1992年版と2021年版、両方を観賞すると更に深みが増すという、なかなか興味深い作品でした。
まとめ
2021年版『キャンディマン』では、キャンディマンは鏡にしか映らないのですが、窓やドアなどのガラスに一瞬だけ姿が映ったり、現実では姿が見えない状態で、犠牲者がキャンディマンの餌食になっていくなど、恐怖を煽る演出が秀逸で、監督のニア・ダコスタの手腕が光っています。
また、影絵を多用した演出は何とも言えない不安な気持ちにさせますし、キャンディマンの象徴でもある蜂も、羽根の音が聞こえる度に不快になります。
さらに、本作のオープニングで出てくる、配給会社の「ユニバーサル・ピクチャーズ」の文字が鏡写しになっているなど、細かい部分も徹底しています。
「人種差別問題」など、社会的なメッセージ性が強いので「都市伝説の殺人鬼が、人を襲いまくるホラー」を期待すると、ちょっと拍子抜けするかもしれません。
本作はホラー作品としては異色作です。
ですが、2021年版が製作されたことにより、1992年版も作品としての奥深さが増したのは間違いないでしょう。
ジョーダン・ピールやニア・ダコスタの『キャンディマン』に対する思い入れの深さが、凄まじい作品でもありました。