Cinemarche

映画感想レビュー&考察サイト

サスペンス映画

Entry 2020/07/04
Update

『アングスト/不安』考察まとめ。映画結末までヤバイほど“シリアルキラーの狂気に密着”した作品の魅力

  • Writer :
  • 20231113

映画『アングスト/不安』は2020年7月3日(金)より、シネマート新宿ほか全国にて順次公開

1980年、オーストラリアで刑務所から仮釈放中の殺人犯、ヴェルナー・クニーセクが一家を惨殺するという、衝撃的な事件が起きました。

事件から3年後、これを映画化した作品が公開されます。しかしオーストリアでは公開1週間で打ち切り。その後ヨーロッパ全土で上映禁止、イギリスとドイツではビデオの販売すら禁止されます。

日本では1988年、レンタル用のビデオとしてリリースされ、熱心な一部のファンの間で話題となりましたが、直後に起きた連続誘拐殺人事件の影響もあって、世間からスプラッター映画が糾弾される風潮と共に、闇の中へと消えていきました。

その映画が今封印を破り、ついに日本初の劇場公開が実現しました。恐るべき作品に時代が追いついたのか、それとも時代が狂気に染まったのでしょうか。

そんな恐るべき映画『アングスト/不安』が、なぜ見る者を打ちのめすのか、そして今なぜ認められたのかを、改めて分析しましょう

映画『アングスト/不安』特集記事はこちら

映画『アングスト/不安』の作品情報


(C)1983 Gerald Kargl Ges.m.b.H. Filmproduktion

【日本公開】
2020年(オーストリア映画)

【原題】
ANGST(不安)
英題:FEAR(恐怖)/仏題:SCHIZOPHERENIA(統合失調症)

【日本VHS発売時題】
鮮血と絶叫のメロディー/引き裂かれた夜

【監督】
ジェラルド・カーグル

【出演】
アーウィン・レダー、シルヴィア・ラベンレイター、エディット・ロゼット、ルドルフ・ゲッツ

【作品概要】
1980年にオーストリアで発生した、仮釈放中の殺人犯による一家惨殺事件を元に製作された、恐るべき実録犯罪映画。ドキュメンタリー映画監督のジェラルド・カーグルが、私財を投じて製作した作品ですが、衝撃の内容ゆえに封印され、監督は大きな負債を抱えることになりました。

殺人犯K.を演じたアーウィン・レダーは、本作の撮影前に『U・ボート』(1981)に出演、戦友に”幽霊”のあだ名で呼ばれ、敵の爆雷攻撃を受け錯乱する機関兵ヨハンを演じています。『U・ボート』を見た人は、その姿を記憶しているのではないでしょうか。

印象に残る音楽を手がけたのは、シンセサイザーを駆使したテクノ音楽のパイオニアとして、世界に名高いクラウス・シュルツ。日本ではかつて「バラクーダ」のタイトルでTV放送された映画、『呪われた毒々魚 人類滅亡の危機』(1978)の音楽も担当しています。

映画『アングスト/不安』のあらすじ


(C)1983 Gerald Kargl Ges.m.b.H. Filmproduktion

かつて衝動的に老婦人を殺害し、刑務所に服役する男K.(アーウィン・レダー)。しかし彼は今だに、殺人の衝動を抱えたまま生きていました。

ある日出所が近づいたK.は、3日間の仮出所を許されます。彼にとってそれは、自らの欲望を満たす機会に過ぎなかったのです。

殺人を計画し、妄想しながら街をさまようK.。彼は一軒の民家に忍び込むと、自らの邪悪な欲望を満たそうと凶行に走ります。

そして観客は狂気に満ちた彼の行動の、一部始終を目撃させられるのです……。

映画『アングスト/不安』の考察まとめ

参考映像『ヘンリー』(1986)

殺人の狂気と凶行を再現し、封印された映画

殺人を描いた映画は星の数ほどあります。中には殺人者の視点で描かれた作品も存在します。「13日の金曜日」「ハロウィン」シリーズなど、殺人鬼の視点で被害者を追い詰めるのは、スラッシャー映画お約束の展開です。

しかし全編を通して殺人者側の視点を持つ、その内面まで語る一人称の映画があったでしょうか。たとえ殺人者を主人公に描いたとしても、劇映画であれば被害者や、第三者の視点を交えて作られるのが通常のスタイルです。

機材の進歩した現在なら、殺人者視点のPOV映像の作品や、身近にいた者や監視カメラが撮影したかのように見せる、モキュメンタリー形式の映画製作も可能でしょう。

実際にネット上には、そんな動画も溢れています。しかしそれらの映像では、殺人者の内面を描くことは出来ません。

そう考えると殺人者の行動に密着し、凶行に至るまでと実行の瞬間や、全てが終了した後の姿を、その心情まで理解させる映画は殆どありません。

それを徹底して描いてみせた作品が『アングスト/不安』です。見る者を殺人者と同じ心境に誘い、凶行を見せつけ、終えた後の行動まで一部始終を追体験させるのです。

『テッド・バンディ』(2019)や『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』(2019)など、実在の殺人鬼を主人公にした映画は今も続々作られています。しかし『アングスト/不安』ほど、殺人者の行動とその内面に密着した映画はありません

これに似た映画といえば、ジョン・マクノートン監督の『ヘンリー』(1986)位しか思いつきません。しかし『ヘンリー』は殺人者の日常も描いているのに対し、『アングスト/不安』は凶行の前後に絞って描写し、その様を濃厚な密度で描いているのです。

ちなみに『ヘンリー』は、「ホラー映画のつもりで作らせたら、トンデモない映画が完成した」と判断した映画会社によってお蔵入りとなり、4年後にやっと公開されました。

その後シリアルキラー映画の名作と扱われた『ヘンリー』と比べると、『アングスト/不安』がいかに危険視され、封印されてきたかと良く判ります。

殺人者の行為と思考を追体験させる手法とは


(C)1983 Gerald Kargl Ges.m.b.H. Filmproduktion

殺人者を描いた、究極の一人称映画こそ『アングスト/不安』です。では映画はどの様にして、その姿を描いたのでしょうか。

最初に思いつくのがPOV、主人公の視点の映像で描く手法です。たしかに臨場感は生まれますが、これでは殺人者の姿は鏡でも無い限り映し出されません。

POV映像に荒々しい息づかいと恐ろし気なセリフ、これではスラッシャー映画にありがちな、マスクを付けた殺人鬼にしか見えないでしょう。

殺人者の姿を臨場感を持って理解させるには、その狂気や焦燥に満ちた表情が必要です。やはり手法としては第3者視点で、登場人物をオーソドックスに捉えた映像が相応しいといえます。

それでは実に平凡な映画になります。そこでドキュメンタリー出身のジェラルド・カーグル監督は、異様な程主人公に密着した、しかも不安定なカメラワークでそれを表現しました

そこに主人公K.の、自分の心境を語るモノローグが重なります。観客は彼の行動と思考を理解し、いつの間にか感情移入し、共に獲物を求める心境に達するのです。

そして異様に密着したカメラワークは、凶行が始まると被害者の視点にも移ります。そして加害者と被害者を捉えた第3者視点の挿入。

観客は自分が感情移入した殺人者が、被害者から見れば理不尽な暴力を振るう者に過ぎず、その姿は客観的に見ると、醜悪な光景に過ぎないと確認させられるのです

このカメラワークが、観客の心を蝕みます。最初の公開時に嘔吐した人がいたとか、金を返せと激怒した人がいたとか、確かに嘘ではないと理解させられる、将に映像による暴力です。

カメラワークで切り替わる観客の視点


(C)1983 Gerald Kargl Ges.m.b.H. Filmproduktion

『アングスト/不安』がいかに危険な作品か、お判り頂けたと思います。しかし安心して下さい、この作品は映画です。それも実に優れた映画的手法を持つ作品でした。

K.が凶行を終えると主人公に感情移入していた観客も、今やドン引きといった心境でしょう。ここでK.は犯行後の行動に移るのですが、ここからは常人に理解しかねる、実に狂気と狂騒に満ちた行動が続くことになります。

するとカメラの映像は、上空から主人公を捉える”鳥の目”、つまり”神の視点”が増えていくのです。おかげで観客は、K.の行動をより客観的に捉えられるようになります。

主人公の常人には理解できない振る舞いを、距離を置いて見ることで、観客は改めてK.が狂気に支配された人物だと確認します。この結果観客はK.という存在と、彼の犯した犯罪がいかに理不尽であったかを、改めて気付かされるでしょう。

映画が終わる時、観客は殺人者に共感し一体化した自分と、凶行のもたらした結果の恐ろしさと、空しさを味わった自分に気付かされます。将に恐るべき映画体験です

安心して下さい、これは映画です


(C)1983 Gerald Kargl Ges.m.b.H. Filmproduktion

実際の事件を基に描かれた映画『アングスト/不安』。この事件はオーストリアの司法と、刑務所制度を揺るがす事態に発展します。

ドキュメンタリー畑出身の監督は、これを自作のテーマにしようと考えます。また事件の後、制度の不備を問題視する者は多くとも、犯人の動機を追及する者はいませんでした。

そこで監督は犯人の動機にも焦点を当てた、劇映画の製作を決断します。しかし警察の資料や裁判所の記録も読ませてもらえず、犯人との面会も許されません。

そこで彼の言動をスタッフと共に検討し、映画の脚本を書き上げます。その結果、映画が描いた事件の姿は、実際の出来事と異なる内容に改変されています

映画を見て胸が悪くなった方には、申し訳ない事実ですが、犯人のヴェルナー・クニーセクが現実に起こした事件は、より長い時間をかけて被害者を苦しめた、実に凄惨なものでした。

この男、仮釈放以前の服役態度も、決して模範囚ではありません。また事件の後収監されると、計画的な脱走を試みてもいます。

映画は犯罪の衝動性に焦点を当ており、犯人は間違いなく精神を病んだ人物です。しかし同時に計画性をもって悪事を企てることも、間違いなく可能な人物でした。

本作には被害者の飼い犬が登場しており、それがある種の救いになっています。しかし実際の事件では飼い猫が係わり、全く救いの無い形で事件に巻き込まれていました。

余りにも酷い内容の犯罪であり、詳細は記しませんので…興味を持った方はお調べ下さい。これでも映画の方が、実は色々と救いがあるのです。

本作は冒頭で紹介した映画、『ヘンリー』の欧州版と言われています。『ヘンリー』の主人公、連続殺人犯のヘンリー・リー・ルーカスは、300人以上を殺害した人物です。

逮捕後収監された彼は、やがて改心すると自分の経験を生かして、犯罪捜査の協力するようになります。これが『羊たちの沈黙』(1991)に登場する、ハンニバル・レクター博士のモデルになったと言われています。

『ヘンリー』はこの彼の証言を基に映画化された作品です。しかし実は、本物のヘンリーには虚言癖がありました。何と彼は3000件もの殺人を告白、捜査する側もこれ幸いと、未解決事件を彼に押し付けたとも言われています。

彼の犯した殺人で、実際に罪が確定したのは11名のみ(充分多いですが)。真相は闇の中で、映画で描かれた、マイケル・ルーカー演じるヘンリーとは、どうやら異なる実像があるようです。

封印される程に凄惨な内容であろうが、実は映画の方が現実の事件より救いがあるものです。そして創作である映画だからこそ、観客に伝えられるメッセージがあるのです。

まとめ

観る者を不安に陥れ、その心を蝕む映画が『アングスト/不安』です。しかし映画として見た場合、優れた手法で殺人者の凶行とそのてん末を観客に体感させる、完成度の高い作品であるとお判り頂けたでしょうか。

殺人者を産む幼少時のトラウマや、彼を殺人に突き動かす衝動についての研究や理解が進んだ現在。本作が描いた殺人鬼の姿は、公開時に非難された暴力ポルノではなく、その内側に潜む狂気をリアルに描いたものである、と理解されるようになりました。

時代を先取りし過ぎて封印された本作。ようやく時代が追い付いた結果、映画のメッセージが観客に理解できる世の中がやってきたのです

それでもなお、現代の観客すら戦慄させる映画的技法。K.を演じたアーウィン・レダーの演技と共に、これを目撃した人々の、新たな狂気の姿の基準になるでしょう。

こんな作品を見逃す手はありません。映画はこれでも実際の事件よりソフトな描写、みんなが大好きなワンちゃんも無事です。さあ、安心してこの恐るべき映画をご覧下さい。

映画『アングスト/不安』は2020年7月3日(金)より、シネマート新宿ほか全国にて順次公開です。

映画『アングスト/不安』特集記事はこちら





関連記事

サスペンス映画

映画『鳩の撃退法』事件の犯人と真相はどこに?土屋太鳳扮する編集者の鳥飼なほみが真実の追求にのりだす

映画『鳩の撃退法』は、2021年8月27日(金)全国公開予定 映画『鳩の撃退法』は、藤原竜也、土屋太鳳、風間俊介、西野七瀬、豊川悦司らの豪華キャスト陣を、『原宿デニール』(2015)のタカハタ秀太監督 …

サスペンス映画

デスノートLight up the NEW worldあらすじネタバレと感想!ラスト結末も

11月17日に地上波「金曜ロードSHOW!」にて放送される、前作から10年のときを経て製作された、正統な映画『デスノート』続編。 一見無謀のようにも思える、この続編の制作。果たして原作ファンの期待に答 …

サスペンス映画

韓国映画『インディアン・ピンク』ネタバレ結末あらすじと感想評価。キム・ヒョンジュン演じる魔性の魅力に翻弄される

キム・ヒョンジュンが初主演を務めた映画『インディアン・ピンク』。 2020年に韓国で制作された映画『インディアン・ピンク』は、人間の本性を描く壮絶な愛のサスペンス映画。 社会的な地位と愛する彼女を得て …

サスペンス映画

韓国映画『KCIA南山の部長たち』あらすじ感想と考察解説。イ・ビョンホンが実話の大統領暗殺事件を基に“実録サスペンス”に挑む!

『KCIA 南山の部長たち』は2021年1月22日(金)、シネマート新宿ほか全国ロードショー 1979年に発生した、真相は今も謎に包まれたままである”パク・チョンヒ(朴正煕)大統領暗殺事件 …

サスペンス映画

『探偵はBARにいる』フル動画を無料視聴!PandoraやDailymotion紹介も

大泉洋と松田龍平の実力派コンビが贈る極上コメディサスペンス! 悪戦苦闘しながら正義を貫こうとする主人公たちの姿に感動します。 映画「探偵はBARにいる」シリーズの第1作目のあらすじや作品解説、またパン …

U-NEXT
【坂井真紀インタビュー】ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』女優という役の“描かれない部分”を想像し“元気”を届ける仕事
【川添野愛インタビュー】映画『忌怪島/きかいじま』
【光石研インタビュー】映画『逃げきれた夢』
映画『ベイビーわるきゅーれ2ベイビー』伊澤彩織インタビュー
映画『Sin Clock』窪塚洋介×牧賢治監督インタビュー
映画『レッドシューズ』朝比奈彩インタビュー
映画『あつい胸さわぎ』吉田美月喜インタビュー
映画『ONE PIECE FILM RED』谷口悟朗監督インタビュー
『シン・仮面ライダー』コラム / 仮面の男の名はシン
【連載コラム】光の国からシンは来る?
【連載コラム】NETFLIXおすすめ作品特集
【連載コラム】U-NEXT B級映画 ザ・虎の穴
星野しげみ『映画という星空を知るひとよ』
編集長、河合のび。
映画『ベイビーわるきゅーれ』髙石あかりインタビュー
【草彅剛×水川あさみインタビュー】映画『ミッドナイトスワン』服部樹咲演じる一果を巡るふたりの“母”の対決
永瀬正敏×水原希子インタビュー|映画『Malu夢路』現在と過去日本とマレーシアなど境界が曖昧な世界へ身を委ねる
【イッセー尾形インタビュー】映画『漫画誕生』役者として“言葉にはできないモノ”を見せる
【広末涼子インタビュー】映画『太陽の家』母親役を通して得た“理想の家族”とは
【柄本明インタビュー】映画『ある船頭の話』百戦錬磨の役者が語る“宿命”と撮影現場の魅力
日本映画大学