映画に魅せられた少年が、アンデスの小さな村に起こす奇跡とは?
『今日からぼくが村の映画館』は、アンデスの小さな村の少年・シストゥが、街で映画を見てその魔法にかかってしまった物語。
そんなシストゥの映画への愛が小さな村に奇跡を起こす、アンデス版『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)の誕生です。
主人公シストゥを演じたビクトル・アクリオは、演技未経験でシストゥ同様、本作が公開されるまで映画館に行ったことがなかったといいます。
ビクトル・アクリオをはじめ、多くの登場人物は、非職業俳優を起用し、ペルーの公用語のひとつであるケチュア語が使われました。
ペルー国内では、8万人以上の観客を動員し、ケチュア語映画としてペルー映画史上最高の興行収入を記録しました。
映画『今日からぼくが村の映画館』の作品情報

(C)Casablanca Cine 2019
【日本公開】
2026年(ペルー・ボリビア合作映画)
【原題】
Willaq Pirqa, el cine de mi pueblo
【監督】
セサル・ガリンド
【脚本】
セサル・ガリンド、アウグスト・カバ、ガストン・ビスカラ
【キャスト】
ビクトル・アクリオ、エルメリンダ・ルハン、メリーサ・アルバレス、アルデル・ヤウリカサ、ベルナルド・ロサード、フアン・ウバルド・ウアマン
【作品概要】
監督を務めたセサル・ガリンドはドキュメンタリーを手がけ、フィクション映画の道へと進みました。本作が長編2作目となります。
作品の世界のテーマには常にアンデスの世界があり、ペルー国内の教育制度や高山に住む人々に対する軽視など温かい物語の中にペルー、そしてアンデスの社会を切り取っています。
主人公シストゥを演じたビクトル・アクリオは演技経験がなく、シストゥ同様に映画を観たことがなかったという少年でした。
またママ・シモナ役のエルメリンダ・ルハン、映写技師役のベルナルド・ロサードと友人役のフアン・ウバルド・ウアマン以外の出演者にも、非職業俳優を起用しています。
映画『今日からぼくが村の映画館』のあらすじとネタバレ

(C)Casablanca Cine 2019
アンデスの小さな村に住むシストゥ。新学期の初日、シストゥの元に風が運んできたのは、一枚の広告でした。そこには、街で毎週土曜に上映される映画の広告が載っていました。
村の皆は、映画が何か知りません。学校の先生いわく「壁に写真が映され、動く」「知らない世界を見せてくれる」という映画のことで、頭がいっぱいになってしまうシストゥ。
土曜日に街に出向き、作物を売る父の後をこっそりつけたシストゥ。許してくれた父と共に、街に向かいます。
父は、出稼ぎに行ったものの行方が分からなくなっているシストゥの姉の情報を、知人に聞きに行きます。その間、作物とロバの見張りを頼まれたシストゥでしたが、作物を売った後にロバをつなぐと、広告に載っていた移動型映画館を探しに行きます。
その日の上映は、ブルース・リーの映画。シストゥが目にしたのは、目の前に飛び込んでくるかのような映画の迫力、知らない世界……あっという間に映画の魔法にかかってしまいました。
映画を観終えた後、ブルース・リーの真似をしていたシストゥでしたが、彼を見つけた父は作物とロバの行方を怒りながら尋ねます。シストゥは父に謝りましたが、帰りが遅くなった父とシストゥのことを母がまた怒りました。
すっかり映画に魅了されたシストゥは、彼の話で映画に興味を持った学校の友だちを連れて、次の土曜にも街の映画館に行くことにします。親に内緒で街に向かおうとしていたシストゥたちの前に、ママ・シモナが現れます。
村に帰れと言われるかもしれないと怯えるシストゥでしたが、ママ・シモナは「私だって映画を観たい」と皆を映画館に連れて行ってくれます。
その日の上映は吸血鬼ドラキュラのホラー映画。子供たちは皆怖がって、途中で映画館を飛び出してしまいます。夜遅くに村に帰る子供たちとママ・シモナでしたが、夜の森は怖く「ドラキュラが来る」と子供たちは怯えます。
一方、村では子どもたちがいなくなったと村の大人たちが総動員で山の中を探していました。無事に村に帰ってきた子供たちも、その夜は「ドラキュラが来る!」と夢でうなされ、村は大変な事態になってしまいます。
映画『今日からぼくが村の映画館』の感想と評価

(C)Casablanca Cine 2019
映画館で初めて映画を観た日のこと、覚えているでしょうか。その時の感動は、今でも胸に残っているでしょうか。
大きなスクリーンに包まれているかのような迫力、グッと引き込まれる物語。映画は誕生してから百年余り、人々の心を惹きつけ多くの夢を与えてきました。
誰もが、シストゥのように映画に初めて出会って大きな感動に包まれた経験があるのではないでしょうか。
アンデス版『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)ともいうべき映画『今日からぼくが村の映画館』は、アンデスの小さな村に暮らす少年シストゥの映画への愛とアンデスの村の暮らしを映し出したヒューマンドラマです。
シストゥを演じたビクトル・アクリオは、シストゥ同様映画館に行ったことがない、映画に触れてこなかったと言います。映画の中での村での生活が、今もなお続いていることを伺わせます。
一方で、村の生活と都市部の生活にはギャップがあるということでもあります。シストゥをはじめ、学校に通う子どもたちは、村で使われるケチュア語を話しながら、学校ではスペイン語を学び、話しています。
しかし、子どもたちの親世代は、まだ子どもを学校に行かせるべきという認識は今ほどなく、村の大人たちの大多数はスペイン語を話せません。
だからこそ、シストゥの母は、シストゥを学校に通わせたいと思っています。スペイン語がわかれば不当に搾取されなくなると言います。
母の考えとは反対に、父は、学校で学ぶと農場をしなくなったり、村から出て都市部に行き働くようになるのではという不安から、学校に行かせることに賛同はしていませんでした。
映画を愛する少年シストゥが“語り部”となり、物語を伝えることは、スペイン語を話せる世代や街の人たちから取り残され軽視されている村の大人たちへ手を差し伸べる架け橋になっているとも言えます。
本作は映画との出会いを通して、村に奇跡を起こした少年の心温まるヒューマンドラマが描かれる一方で、格差が広がるアンデスの高地地域の人々やペルーの社会問題を映し出しています。ハートウォーミングでありながら、そこに鋭い視点も感じられるのです。
見たこともない世界に連れて行ってくれる、夢を与えてくれる映画。しかし、映画の持つ力はそれだけではありません。映画は、“私”を語る手段でもあります。
「母語であるケチュア語が話される映画」=「私たちの物語」は存在しないと取り残されていた村の大人たちに、「私たちの物語」と思ってもらえる映画を成長したシストゥが作ったことに、大きな意味があります。
言葉がわからず、映画のマジックを感じられなかった寂しさ、自分たちのアイデンティティーが尊重されていない寂しさ……様々なペルーの社会問題も交え少年の純粋な映画への愛をハートウォーミングに描き出しています。
本作を見て「これは私の物語だ」と思う観客が、また新たな物語を紡ぎ出すのかもしれません。
まとめ

(C)Casablanca Cine 2019
映画に魅せられた少年が、アンデスの小さな村に起こす奇跡を描いた映画『今日からぼくが村の映画館』。
本作の魅力はなんと言ってもシストゥ役のビクトル・アクリオでしょう。映画を夢中になって見る姿から、映画の登場人物になりきって皆に語る姿まで純粋で真っ直ぐなシストゥが頑張る姿はいじらしく応援したくなります。
また、シストゥが見る映画はブルース・リーや、チャップリンなど映画ファンには馴染みのあるクラッシックな映画ばかり。ブルース・リーの映画をみて真似して回し蹴りをするシストゥにかつての自分を重ねた人もいるのではないでしょうか。
ビクトル・アクリオをはじめ、非職業俳優を多く起用した本作では、村人の素直な反応や皆で歌いながら街に向かう姿など、のびのびとした姿が印象的でした。
ペルーの社会問題を映し出しながらも、高地に住む人々が自然や山と共に地に根ざした生き方や、守り続けたている伝統など、彼らの美しい文化も映し出されています。



































