涙なくして見られないイタリアの名作
イタリアの映画監督ジュゼッペ・トルナトーレが弱冠29歳にして、映画を愛する全ての人に贈った感動編『ニュー・シネマ・パラダイス』。
公開された1989年にカンヌ国際映画祭審査員グランプリアカデミー外国語映画賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞し、日本でも異例の興行成績を収めた本作は、一人の少年の成長とともにあった映画館の栄枯盛衰を描き、時の流れを感じさせる郷愁に心揺さぶられる感動作です。
数あるバージョンの中から、今回はインターナショナル版(124分)の内容あらすじと解説をご紹介いたします。
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の作品情報
【公開】
1988年(イタリア・フランス合作映画)
【原題】
Nuovo Cinema Paradiso
【監督】
ジュゼッペ・トルナトーレ
【出演】
フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、サルヴァトーレ・カシオ、マルコ・レオナルディ、アニェーゼ・ナーノ、プペラ・マッジオ、レオポルド・トリエステ、アントネラ・アッティーリ、エンツォ・カナヴァレ、レオ・グロッタ、タノ・チマローサ、ニコラ・ディ・ピント
【作品概要】
ジュゼッペ・トルナトーレが監督、脚本を務めた1988年公開のイタリア映画。インターナショナル版の編集も監督本人が行いました。
劇中の映像と相まって印象的な本作の音楽を手掛けたのは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』(1968)や『エクソシスト2』(1977)で知られるエンニオ・モリコーネ。
本作には、オリジナル版(155分)、インターナショナル版(124分)、ディレクターズ・カット版(173分)と3つのバージョンが存在しています。現在、テレビ放送や配信などサービスで見やすいのはインターナショナル版。
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のあらすじとネタバレ
シチリアに住むサルヴァトーレの母親は息子に電話をかけるも、いつも繋がらす、かけ直すたびに別の女が電話に応えていました。
母親は30年帰ってこない息子を心配するも、サルヴァトーレの妹は彼が帰ってこないことを悟っていました。
映画監督として名をあげ、ローマに住むサルヴァトーレはある日の深夜、いつも通り母親から連絡があったことを電話をとった愛人から知らされます。
聞き流そうとするサルヴァトーレでしたが、母親の用件がアルフレードの訃報であったことを知り、愕然とします。
その夜は雷雨がけたたましく鳴り響いていました。眠れぬサルヴァトーレの顔を青白い稲光が照らし出します。
サルヴァトーレは、青春時代を過ごした地元シチリアの小さな町での日々を回想していました。
カトリック教会の神父を手伝っていた子供時代のサルヴァトーレ(トト)は疲れのあまり寝落ちしていました。
神父の言いつけを守れず注意されるトト。そんなトトの唯一の楽しみは映画館で映画を観ることでした。
アルフレードは地元の映画館「パラダイス座」の映写技師。
アルフレードは今度上映されるジャン・ルノワールの『どん底』(1936)をかけ、それを神父が確認します。
幕の間からその様子を盗み見るトト。
教会の経営する映画館では、神父による厳しい検閲があり、キスシーンが流れるたびに神父が鈴を鳴らし、その合図に合わせアルフレードがフィルムに印をつけ当該シーンをカットしていきました。
翌朝、アルフレードは映写室の作業を覗きに来たトトを注意します。映写室はフィルムに火が付く危険性のある危ない場所だからです。
アルフレードは神父に言われた通り、キスシーンのフィルムをカットしている最中でした。トトは、カットされたフィルムを持って帰っていいかとアルフレードに懇願します。
しかし上映後、フィルムは配給された状態戻す必要があるため、アルフレードはそれを拒否します。
そこでトトは戻す位置が分からなくなったまま映写室に置きっぱなしになっていたフィルム一部を持って帰ることにしました。
妹と母親の3人暮らしのトトは、ベッドの下に集めたフィルムをしまっていました。母親は戻ってこない父親のことを語ろうとしませんでした。
戦争に行ったままの父親がいつ帰ってくるのか母親に尋ねるも、その答えはいつも「もうすぐ帰ってくる」でした。
学校が終わり、トトはいつものように映画館を訪れていました。その日の上映は『駅馬車』(1939)の予告編から始まりました。
ニュース映像に続いて二本立て上映の一本目ヴィスコンティの『揺れる大地』(1948)が上映されるも、キスシーンがカットされていることに観客は大ブーイング。
「もう20年もキスシーンを見ていない」と口々に文句を言います。
二本目のチャップリン『街の灯』(1931)では客席が笑いで溢れかえっていました。上映が終わり、観客はみな思い思いの感想を、口にしながら劇場を後にします。
トトが劇場を出ると、外で母親が待ち構えていました。実は牛乳を買いに行くお遣いをすっぽかして映画館に来ていたトト。
「お金は?」と訊かれ「盗まれた」と答えます。
お遣いの金で映画を観に行ったのだと悟った母親は、トトを叩きます。
その様子を見て彼を気の毒に思ったアルフレードは、トトの落としたと言う50リラを渡し、母親とともに家に帰しました。
教会の手伝いで行った葬式を終え、神父と2人歩いて村へ戻るトト。トトは自転車で通りすがったアルフレードに乗せてもらい、町へ戻ります。
トトが家の前まで戻ると、大泣きしている妹を母親がなだめているところでした。
ベッドの下にしまっていたフィルムから煙があがり、危うく妹が火傷するところだったのです。
母親は映画のせいでトトが怠けていると言い、アルフレードにトトを二度と映画館に入れないよう注意しました。
「パパにしつけ直してもらいなさい」と怒鳴る母親に対し、トトは「パパは死んだよ」と泣きながら返します。
トトはアルフレードに弁当を届ける口実で映写室へ入り、勝手にフィルムを持ち出していたことを謝罪します。
そんなトトに対し、アルフレードは10歳の頃からしているという映写技師の仕事について語ります。
しかし仕事を教えてほしいと懇願するトトに教えたくないと言います。
アルフレードは「映写技師はいつも独りぼっちで同じ映画を100回も観ることになる辛い仕事だ」と説明しました。村で技師になれるのが、自分ひとりだけだったからなるしかなかったのだと。
しかし嫌いだった仕事も、客の喜ぶ姿を見てだんだん好きになったのだとアルフレードはトトに対し、しみじみと語りました。
熱心に語るアルフレードをよそに、トトは映写技師の仕事を見て覚えてしまいます。
広場では、サッカーの試合を対象とした賭博、トトカルチョで大金を当てたナポリ出身のスパッカフィコが大騒ぎしていました。
得た大金で広場を新しくした彼はそれ以来「オレの広場だ」と主張するようになります。
10歳の頃から映写技師の仕事をしていたアルフレードは、小学校の卒業資格を取るためにトトと同じ試験会場へやってきます。
解答に苦戦しているアルフレードは試験監督に気付かれぬよう、テストの答案見せて欲しいとトトに頼みます。
トトは映写室で仕事を教えてくれる条件で答案をアルフレードに見せました。
それからトトは映写技師の仕事を学び、フィルムのセッティングを任されるようになります。
ある日、トトは映画上映前のニュース映像にて、ロシア駐屯のイタリア軍戦死者の名簿公開が行われることを知ります。
母親と2人、父親がどこかの墓地に埋葬されたことを知るトト。遺族年金の支給証をもらい、家への帰路にて涙を流す母親に言葉をかけることは出来ませんでした。
その日の上映が終わり、映画館を閉館しようとすると、前の回から並んで待っていた客が外に押しかけていました。
アルフレードは気を利かせて外の壁に映像を投射し、広場で待っていた人々に映画を見せてあげました。外へ出たトトもその様子を見に行きます。
しかし次の瞬間、火が付いたフィルムはリールにまで引火し、映写室は大火事になってしまいました。
爆炎に目をやられたアルフレードは失明し、意識を失ってしまいます。トトは何とか階段下までアルフレードを連れ出すも、幼いトトの力ではアルフレードを外まで運べませんでした。
「誰か助けて」と叫んだあの日のことをサルヴァトーレが回想しています。
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の感想と評価
回想シーンがメインの本作は少年トトの目線から物語が描かれるため、子どもの彼が興味を示さないニュース映像(抵抗運動記念集会)や、共産主義の未来を信じ村を出ていったペッピーノ家の様子にピントが合うことはありません。
それらは、どれも時代を描写するために画面の端で起きていた出来事です。
同様に映画館を舞台にした本作には30作以上もの映画がスクリーンに映し出されていますが、これも全て「それらを鑑賞する人々のリアクション」に焦点を当てるための背景となっています。
今回取り上げているインターナショナル版は、オリジナル版や成長したサルヴァトーレが描かれる完全版に比べ、最も短いバージョンとなっていますが、決して宣伝の都合などではなく、本作のテーマを真摯に伝える上で、このバージョンが最適であると言えます。
郷愁と再生の物語
インターナショナル版では、大人になったサルヴァトーレのエピソードはほとんど描かれておらず、彼が具体的にどのような成功を収めたのかも分からぬまま、以前と変わらない村に30年ぶりに帰って来る様子だけが描かれます。
それでいいのです。アルフレードの言いつけ通り島に戻らなかったサルヴァトーレが成功したその後は答え合わせとしてあった方が親切かもしれませんが、本作において重要なのはその手前。
村を旅立つ決断をするまで悩むトトと、遠い過去の記憶を思い出すように当時の姿とオーバーラップするサルヴァトーレのシーンです。
何故悩みどうして旅立ったのか、その答えは信仰心を拠所にする教会の検閲によって失われていたフィルムが示していました。
そしてそれはトトが映写技師から”作り手”である映画監督になったことに起因します。手掛かりは映画館を経営していた神父とアルフレードの関係性です。
アルフレードは神父の検閲によって、すでに完成した映画の中から神父が不適切とするシーンをカットさせられていました。
村で上映される作品は、映画監督が象った形から姿を変え、神父の手が加わったものだったのです。
カットされる前のキスシーンを盗み見ていたトトは、上映中キスシーンがカットされたことに落胆する観客の反応を楽しんでいました。
このとき彼は観客に見せたいものだけを見せることが出来る映写技師の力に魅了されたと同時に、映画制作において常に創造神でいられる作り手の存在に気付かされたのでしょう。
教会が規定する範囲の外に自由な表現があり、それが観客を喜ばせたり、感動させたりすることが出来ることに、教会の経営から独立したニュー・シネマ・パラダイスでの自由な上映にて、トトは気付いたのです。
神父の言う通りフィルムをカットしていたアルフレードも映画を冒涜している罪悪感を抱えていました。
トトがエレナに告白できるよう、神父を足止めする際にアルフレードが吐露した言葉は本心からのものであり、カトリック信仰が根付く村を「邪悪な地」と評するところからも、彼が教義に対し盲目的な信者でないことは明らかです。
何よりもラストのキスシーンを繋げたフィルムのリールが彼が心から信奉する映画への忠誠と、トトに託したい新しい映画の可能性を物語っています。
本作が魅力的なのは、モリコーネによる流麗な音楽と美しい村の情景が、観客の心に直感的な郷愁を感じさせるも、「過去から託された思いを捨てることで良い人生を送れる」という真逆のメッセージを掲げているところ。
懐かしい楽園のような過去を愛でるだけでは大人になれない。
「ノスタルジー」の捨てがたい魅力を認めつつ、それらを断捨離することで1人前の人間として大成出来るということ。
村を離れるトトにアルフレードが言った「お前の話は聞きたくない。お前の噂が聞きたい」という言葉が、ノスタルジーに浸り続けると閉じた世界で飼殺されることを警告していました。
トトの妹はアルフレードの本意を理解しておらず、帰ってくることを許されていなかったトトを薄情者呼ばわりしますが、彼はトトとして過ごした日々を忘れたことで新しい人間、サルヴァトーレとして良い人生を送れたのです。
アルフレードとトトとの友情、父親のいないトトへの父性愛に一度感動した人も、全く別の観点から本作を鑑賞することで、新鮮な感動を覚えることが出来ます。
まとめ
本作は観る人の人生のタームによって見え方が変わってくる映画だと言えます。
普段映画をあまり観ない人にとって、本作は映画好きの素晴らしさを伝えるように見え、異なるバージョンを見比べるファンにとっては押し付けられる価値観の傲慢さと自由になるために苦悩する物語に見えるでしょう。
決して一言では何が感動するのか言い表せない映画で、本作を絶賛する人同士でも共感できるポイントがずれていたりと、非常に語りしろがありますが、だからこそどんな人にも見てもらいたいと思える間口の広い映画です。
本作が描いたのは、自身の体験を通し語られた純粋な映画愛なのか、映画において監督と言う創造神であり続ける万能感を説いたエゴイズムなのか、考察の可能性は広く、ある意味本作は人を映画好きになる第一歩の作品なのかもしれません。