自閉症の息子を愛しぬく老いた母の幸せな奮闘記
老いた母と自閉症の息子が地域コミュニティとの交流を通して自立の道を模索する姿を描いた感動のヒューマンドラマ。
加賀まりこが『濡れた逢びき』(1967)以来54年ぶりの映画主演を務め、『間宮兄弟』(2006)などに出演するお笑い芸人・塚地武雅が自閉症の息子を演じます。
監督・脚本は若手監督の和島香太郎。
自分が亡き後の息子の人生を思う母の深い愛情を、周囲との不和や偏見という問題を織り交ぜながらあたたかく描き出す一作です。
『梅切らぬバカ』というタイトルにはどんな意味が込められているかに注目しながら、本作の魅力についてご紹介していきます。
映画『梅切らぬバカ』の作品情報
【公開】
2021年(日本映画)
【監督・脚本】
和島香太郎
【編集】
杉本博史
【出演】
加賀まりこ、塚地武雅、渡辺いっけい、森口瑤子、斎藤汰鷹、林家正蔵、高島礼子
【作品概要】
『禁忌』で初監督作を務めた和島香太郎が監督・脚本を担当したハートフルヒューマンドラマ。数年前、自閉症男性の姿を追ったドキュメンタリーの編集を務めたのをきっかけに本作を生み出しました。
主演は『濡れた逢びき』(1967)以来54年ぶりの映画主演となる加賀まりこ。自身が連れ添うパートナーの自閉症の子と生きてきた彼女が、当事者への尊敬の念をにじませながら息子を愛する老齢の母を好演しています。
『間宮兄弟』(2006)、『屍人荘の殺人』(2019)などで演技派俳優として知られる「ドランクドラゴン」の塚地武雅が、繊細な感受性を活かして自閉症の息子・忠男役を見事に演じています。
共演は渡辺いっけい、森口瑤子、高島礼子、林家正蔵。
映画『梅切らぬバカ』のあらすじとネタバレ
山田珠子は自閉症の息子・忠男とふたり暮らし。庭で息子の髪を切っていると、隣に里村茂一家が越してきました。茂と妻の英子は、珠子の家から私道にまで伸びて通行の邪魔になっている梅の木を疎ましく感じます。
時間に正確に生活している忠男は、時間を口に出して呟きながら分刻みで生活していました。ご近所から偏見の目で見られながらも、彼は毎日ひとりで作業所に通っています。
お隣に挨拶に行った英子は、家の前に行列ができていることに驚きます。何も知らずに列の後ろに並んだ彼女は、珠子が占い師であることを知ります。
珠子は英子が離婚相談に来た客だと勘違いしますが、すぐに誤解が解けて挨拶を交わしました。英子から梅の木のことを言われた珠子は、切ろうと思っていたと話して溜息をつきます。
作業所で珠子はグループホームの案内をもらいますが、息子を入所させることをまだ決めかねていました。
帰宅後、ふたりで忠男の誕生日を祝います。しかし、中腰でろうそくを吹き消した忠男はぎっくり腰になってしまいました。
巨体の息子を支えきれずに倒れた珠子は、「このまま共倒れになっちゃうのかね」と思わず呟きます。
どうしたいか聞くと、忠男は真顔で「お嫁さんをもらいます」と答えます。それなら母ちゃんは邪魔だねと笑う珠子。
律儀に「はい」とこたえるのを聞いて珠子はまたふき出し、息子の背中をたたきました。
映画『梅切らぬバカ』の感想と評価
珠子と忠男にとっての梅の木の存在とは
本作の主人公・珠子は高齢の女性で、50歳となる自閉症の息子・忠男の世話をしながら暮らしています。時間ぴったりに行動する彼との生活には難しさもありましたが、心やさしい息子を彼女は心から愛していました。
ふたりの住む古い家の庭には大きな梅の木がありました。その枝は長く伸びて私道にまで広がっており、隣家に越してきた里村夫婦から切るように言われてしまいます。
この梅が作品タイトルとなっているわけですが、もともとは「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」ということわざに由来しています。人間を育てることに例え、桜のように枝を自由に伸ばす場合と、梅のように手をかける場合があることを指すものです。
珠子は里村家の少年・草太に、このことわざを教えます。そう、珠子には梅を切るべきだということはわかっていました。ではなぜ、枝を伸び放題にしてきたのでしょうか。
梅を植えたのは忠男の父でした。死んだことになっていると珠子が言っているので、別れたのでしょう。気の強い珠子とソリが合わなかったのでしょうか。それとも忠男が生まれたことが原因だったのでしょうか。
いずれにせよ、忠男の父が出て行った後、梅は彼の分身となりました。珠子は忠男に、「父がいつも庭から見ているから、悪いことはできないよ」と言って育て、そのおかげで忠男がいい子に育ってくれたのだと目を細めます。
珠子は忠男に「父」を与えたかったのでしょう。また、障害のある息子をひとりで育てる苦労を分け合ってくれる存在が欲しかったのかもしれません。
梅は忠男にとっては父そのものでした。枝を切る行為に恐怖して興奮する忠男を前に、珠子は剪定を諦めます。
珠子は、忠男がグループホームに入る前に梅を切りたかったと呟きます。母離れしなければならない息子を父からも独り立ちさせたかったに違いありません。
結局、問題を起こしホームから自宅に帰ってきた忠男を、珠子は喜びの内に迎え入れます。
珠子が「忠さんがいてくれて母ちゃんは幸せだよ」と涙で抱きしめても、当の忠男は「かまいません」とこたえて珠子を笑わせます。終始からっとした描写で、湿っぽくないのがこの作品の素晴らしいところです。
忠男の爪をかむくせはなくなり、馬を驚かせないように乗馬クラブの前を静かに通ることを学んでいました。
梅の木を切らないことを決めて、もとの生活に戻ったかのようにみえる母子ですが、いっとき離れて暮らしたことでふたりは確かに階段をひとつ上ったようです。彼らの明るい未来を感じさせるエンディングとなっています。
珠子を演じる加賀まりこは、18年連れ添うパートナーの息子が自閉症であることを明かしています。加賀がみせるのは、障害の有無などまったく関係ない、息子を愛するごく平凡なひとりの母親のやわらかな表情です。
「一緒に生きるのは自然なこと」だと伝わってきて、明るい光に心が満たされる一作です。
隣家の里村一家の再生
珠子たちの隣家に越してきたのは渡辺いっけい演じる里村茂と、森口瑤子演じるその妻・英子、息子の草太の三人家族です。
家は衝動買いし、近所付き合いは妻に押し付け、わんぱく盛りの息子には家で静かにするように言い渡すどこか身勝手な茂は、家庭で孤立していました。それに対して、人当たりの良い英子と素直な草太は、珠子親子と親しくなっていきます。
しかし、ホームを抜け出したとは知らずに、草太が好意から忠男を夜の乗馬クラブに連れて行ってポニーを小屋から出してしまったことから大騒ぎになってしまいます。
忠男だけが捕まってしまい、グループホーム反対運動が大きくなったことに胸を痛めた草太は、両親に本当のことを告白します。
これまで家のことは妻任せだった茂の心が変わり始めます。自分の息子が原因で、ホームが住民から攻撃される姿に責任を感じたからかもしれません。
しかし本当の理由は、どんな時でも身を挺して障害ある息子を守り続ける珠子の姿を目のあたりにしたことにあったのではないでしょうか。
茂というのはいばりん坊という困った短所はあるものの、実はとても気の良い人物です。忠男がホームを退所した晩、謝るために珠子宅に立ち寄り、同じ思いで訪問中だった妻と子とばったり会います。
おかえりパーティーに参加し、「忠さん」と呼びながらビールを勧める茂。珠子から「名前で呼んでくれてありがとう」と本当に嬉しそうに礼を言われた彼は、素直に忠男に向かい改めて自己紹介し、それからは忠男にゴミ分別の仕方を教わるなど友人のような関係に変わっていきます。
酔って覚えていないとはいえ、「ここにホームを建てればいい」とまで言うのですから驚きです!
相手と向き合うことの大切さ。そして、相手を受け入れることの大切さ。そうすることで自分もまた周囲から受け入れてもらえるようになることを教えられます。
まとめ
母と子の深い絆を描いたこの作品を観て、ご自身の母親を思い出した方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
珠子は息子を無条件に愛するひとりの母親で、そこに障害の有無は関係ありませんでした。しかし、障害がある子を育てるためには、常に体を張って守らねばならないという厳しさがあります。
忠男は珠子にとってずっと幼い子どものままだったことでしょう。
幼い子どもがいる親は、転んでけがしてい泣いていないか、お友だちと仲良くできているかと常に心配し続けるものですが、彼女は同じ思いを50年間してきたのではないでしょうか。だからこそ、忠男をかわいく思う気持ちは人一倍大きかったのです。
息子と離れたくない思ってきた彼女が、自分の体が老いたことで忠男を守れる限界に気づき、自分亡き後にも息子の人生が続くことを痛感します。
「お嫁さんがほしい」という息子の言葉にふき出しながらも、本来なら彼が独り立ちすべき年だということも珠子は実感したのではないでしょうか。
忠男の結婚は非現実的かもしれません。珠子も無理だと思っていても、息子の結婚をうっすらと想像してみたことは何度もあったに違いありません。それはきっと幸福に彩られていることでしょう。できないことでも夢見るのは誰しもごく当たり前のことで、決して不幸なことではないのですから。
一大決心をして手放した息子は帰ってきてしまいましたが、これまでとは少しだけ違う関係になっています。
酔った茂がつい言ってしまった、「ここにホームを建てる」という夢を胸に、肝っ玉母さんはきっともうひとがんばりしてくれるに違いありません。