愛していた父が犯罪者だった……
“実の父娘”が父娘の物語を演じる!
ジャーナリストのジェニファー・ヴォーゲルが2005年に発表した回顧録を元に、ショーン・ペンが映画化した『フラッグ・デイ 父を想う日』。なおタイトルの“フラッグ・デイ”は、6月14日のアメリカ国旗制定記念日のことです。
一筋縄ではいかない父娘の関係を浮き彫りにした、切なくも温かい物語です。
『ミスティック・リバー』(2003)、『ミルク』(2008)でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、『インディアン・ランナー』(1991)で監督デビューしたショーン・ペン。愛する父が実は犯罪者だと知った娘役を、ショーン・ペンの実の娘であるディラン・ペンが演じ、二人は親子共演を果たしました。
さらに息子役として、ショーン・ペンの実の息子であるホッパー・ジャック・ペンも出演しています。
CONTENTS
映画『フラッグ・デイ 父を想う日』の作品情報
【日本公開】
2022年(アメリカ映画)
【原題】
Flag Day
【原作】
ジェニファー・ボーゲル
【監督】
ショーン・ペン
【脚本】
ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース
【キャスト】
ディラン・ペン、ショーン・ペン、レジーナ・キング、ジョシュ・ブローリン、デイル・ディッキー、エディ・マーサン、ベイリー・ノーブル、ホッパー・ジャック・ペン、キャサリン・ウィニック
【作品概要】
アメリカのジャーナリスト、ジェニファー・ヴォーゲルが2005年に発表した回顧録を、俳優としてアカデミー賞を受賞し、監督を務めた『イントゥ・ザ・ワイルド』(2008)がアカデミー賞にノミネートされたショーン・ペンが15年の構想を経て映画化しました。
ショーン・ペン演じるジョン・ヴォーゲルのの娘ジェニファー役をショーンの実娘ディラン・ペンが、息子ニック役を同じく実息子ホッパー・ジャック・ペンが演じました。
共演には『デッドプール2』(2018)のジョシュ・ブローリン、『ビール・ストリートの恋人たち』(2019)のレジーナ・キングなど。
映画『フラッグ・デイ 父を想う日』のあらすじとネタバレ
1992年。アメリカ最大級の偽札事件の犯人とされる男ジョン・ヴォーゲルが、裁判の目前で逃亡しました。
警察署で事件について聞かされた娘のジェニファーは、「日々を見違えるほど驚きの瞬間に変えた父を王子様のような存在だと思っていた……」と父について語り出しました。
無茶な計画で始めた事業が失敗しては引越しを繰り返していたジョンは、妻のパティ、娘のジェニファー、息子のニックを連れて購入した農場に向かっていました。
途中、カウボーイの看板を見てジョンが書いたイラストのメモ紙を、ジェニファーは嬉しそうに受け取ります。
農場に引っ越した当初は何事もうまくいき、幸せな時間が続いていました。
しかし、それは束の間の幸せでした。無茶な事業計画は次第に綻び始め、返せない債務ばかり積み重なり、両親の喧嘩が増え始めます。そして、とうとう父はある日、家を出て行ってしまいます。
残された借金に母は怯え、酒浸りになっていきます。
夏休みに入ったジェニファーとニックは、母にこの家を出ていくと言います。
「あの人のところに行ったって一緒に住んでくれない。あの人には裏の顔がある」という母の言葉にジェニファーは耳を貸さず、叔父のベックに車を出してもらい父の元に行きます。
父は、恋人と一緒に住んでいました。父と恋人は姉弟を歓迎します。
毎日遊びに連れて行ってくれる父を、当時のジェニファーは「私とニックのために毎日楽しいことをしてくれるのだと思った」と言います。
ある日、湖岸の家でいつものように遊んでいると、強面の男たちが数人訪ねてきます。様子がおかしいと不安がるジェニファーに、父は「友人だ」とだけ紹介すると「1人で遊んでいなさい」と言います。
不安に思いつつも父の言う通り1人で遊んでいると、父が現れます。しかしその顔は怪我をし、血を流していました。
突然のことに驚くジェニファーに、「ちょっと転んだだけだ」と父は言いますが、そんなはずはないことは幼いジェニファーにも分かることでした。
楽しい日々は突如終わりを告げ、父は学校も始まると言い姉弟を農業に帰します。
その後、母と姉弟はベックの助けを借り、農場から引越します。母は「ここで新たにやり直そう」と決意するのでした。
映画『フラッグ・デイ 父を想う日』の感想と評価
“父”としての無責任さ、“母”としての弱さ
大好きな父が犯罪者であったことを知り、葛藤する娘の心情を描いた映画『フラッグ・デイ 父を想う日』。
幼少期を回想し、娘ジェニファーは父について「日々を見違えるほど驚きの瞬間に変えた父を王子様のような存在であった」と言います。「私のために毎日楽しいことをしてくれるんだと思っていた」とも。
確かに父は娘を愛し、娘のためのヒーローであろうとしましたが、父親としての責任感はあまりなかったのではないでしょうか。本当に娘を思っているなら、家を出たりはしないはず。また酒浸りの母の元から逃げ出してきた子供たちを、何もせずただ母の元へ帰したりはしないでしょう。
母が言う通り、裏の顔があり、どうしようもない人だった父。しかし、娘はそんな母の言葉を聞き入れようとはしませんでした。それは、母親も決して良い母親ではなかったためです。
「裏の顔があり、どうしようもない人」と評しながらも父についていき続け、父が家を出ていった後も、彼が残した多額の借金を前にただ酒浸りとなった母。母一人に全てを押し付けた父が酷さは大前提にあるものの、それが母として子どもと向き合うことから逃げる理由にはならないはずです。
また再婚後、眠っていた娘ジェニファーが義父に襲われた際にも、母は「部屋を間違えているわよ」と怒鳴るだけでした。部屋を間違えたのではなく、明らかにレイプしようとしていたことは、母が見てもわかったはずなのに、母は娘を庇おうとはしませんでした。
その場面は、男性に依存し生き続けてきた母の弱さが垣間見える瞬間でもあるのです。
“現在”の娘、“過去”の父は噛み合わず
義父の事件、そして娘である自身を守ってくれなかった母にショックを受けたジェニファーは家を出ていき、久しぶりに父を訪問。何かから身を潜めているような姿は明らかでしたが、娘は仕事について深くは追求しませんでした。
家を出た理由についても本当のことは言わず、薬に手を出し、断ち切って新たにやり直したいと伝えるジェニファー。その嘘には様々な理由があったとは思いますが、「母だけでなく父も自分を助けてくれない」とショックを受けたくない、現実を知りたくないという思い、そして家を出た原因である母が父について言っていたことが、本当だと認めたくなかったという思いがあったのかもしれません。
父とともに暮らし始めた娘は、いつか本当のことを言ってくれる、変わって真っ当に生きてくれると信じ続けました。そう願うあまり、娘は様々なことに対し、見なかったフリ・気づかなかったフリをし続けます。仕事が見つかったことも、道具が売れたことも、嘘であることは分かっていたはずです。
そんな娘の願いも虚しく、父はどこまでも変わりませんでした。娘の前でヒーローであろうとし、自分の嘘をいつしか本当のことのように思う癖がついたかのように、嘘を重ねていきます。逮捕されてもなお真実を話そうとしない父に、娘は傷つき、裏切られた気持ちになります。
ヒーローでなくてもいい、無様でもそんな父を支えて生きていきたいと娘は思い、父が真実を話してくれる日を待ち続けていました。娘は、虚像を生き続ける父の自分勝手さを何より気づきたくなかったのでしょう。
信じていた父という存在が崩れた娘は道標を失い、何かを見つけるために流浪の旅に出ます。やがて自分のやりたいことを見つけ、夢に向かって新たな道を歩み始めた娘の元に、出所した父が姿を現します。
父の中には楽しかった“過去”の思い出しかなく、“現在”がまるで見えていませんでした。娘を喜ばせようと高級車を買おうとするなど、何も変わっていない父に娘は絶望し、怒ります。そして父は、もはや取り返しのつかない“嘘”をついてしまうのです。
どこまでも変われない父と、父を信じたい娘。お互いを愛していても、どこまでもうまく噛み合わない苦しさが観る者に突き刺さります。
まとめ
また本作は、父と娘の物語であると同時に、アメリカ社会を体現しているともいえるのではないでしょうか。
ベトナム戦争の帰還兵のPTSDを描いた監督デビュー作『インディアン・ランナー』(1991)、恵まれた環境で育ちながらも不満を抱え、アラスカの荒野を目指す青年を描いた『イントゥ・ザ・ワイルド』(2008)など、ショーン・ペンはこれまで現代のアメリカ社会を映した映画を撮り続けています。
本作にてショーン・ペンが演じたジェニファーの父ジョンは、6月14日のアメリカ国旗制定記念日である“フラッグ・デイ”に生まれています。祝福されてきたジョンは、自分は特別な存在だと信じ込んでいました。
しかし、彼は事業を計画しては失敗し、借金ばかり重ねてきました。しまいには求職活動でも相手にされなくなっていくその姿は、時代に取り残されていく男の悲哀ともとれます。
古き良きアメリカを愛する世代と、現代社会を生きる若者世代間のギャップはどんどん広がりつつあります。それだけでなく、ジョンはアメリカン・ドリームを掴めなかった人間、一方で娘ジェニファーはアメリカン・ドリームをまさに掴もうとしている人間と捉えることも可能です。
映画に登場するフラッグ・デイの描写は花火やパレードとアメリカらしさがつまっていますが、それはかつての姿であり、現代社会とは少し違っているのではないでしょうか。
本作は、アメリカ社会の光と闇、時代が移り変わるにつれ世代の差が浮き彫りになったきた現代社会を、今一度見つめ直すきっかけにもなる映画でありました。