連載コラム『仮面の男の名はシン』第14回
『シン・ゴジラ』『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『シン・ウルトラマン』に続く新たな“シン”映画『シン・仮面ライダー』。
原作・石ノ森章太郎の特撮テレビドラマ『仮面ライダー』(1971〜1973)及び関連作品群を基に、庵野秀明が監督・脚本を手がけた作品です。
本記事では、『シン・仮面ライダー』の撮影に密着したメイキング・ドキュメンタリー番組であり、2023年3月31日にNHK・BSプレミアムにて放映されて以降物議を醸し続けている『ドキュメント「シン・仮面ライダー」~ヒーローアクション 挑戦の舞台裏~』にクローズアップ。
同番組において特にネット上で騒然となった「“ダブルライダー”と大量発生型相変異バッタオーグ(ショッカーライダー)の肉弾戦」と、その映像がなぜ“没カット”となってしまったかの要因を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『シン・仮面ライダー』の作品情報
【公開】
2023年(日本映画)
【原作】
石ノ森章太郎
【脚本・監督】
庵野秀明
【キャスト】
池松壮亮、浜辺美波、柄本佑、西野七瀬、本郷奏多、塚本晋也、手塚とおる、松尾スズキ、仲村トオル、安田顕、市川実日子、松坂桃李、大森南朋、竹野内豊、斎藤工、森山未來
【作品概要】
1971年4月に第1作目『仮面ライダー』の放送が開始され、今年2021年で50周年を迎える「仮面ライダー」シリーズの生誕50周年作品として企画された映画作品。
脚本・監督は『シン・ゴジラ』(2016)と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)にて総監督を、『シン・ウルトラマン』(2022)にて脚本・総監修を務めた庵野秀明。
主人公の本郷猛/仮面ライダーを池松壮亮、ヒロイン・緑川ルリ子を浜辺美波、一文字隼人/仮面ライダー第2号を柄本佑が演じる。
「ショッカーライダー肉弾戦」カット理由を考察・解説!
映画『シン・仮面ライダー』追告
明かされた「変異バッタオーグとの“実写”肉弾戦」
2023年3月31日にNHK・BSプレミアムにて放映された、映画『シン・仮面ライダー』の撮影を追ったメイキング・ドキュメンタリー番組『ドキュメント「シン・仮面ライダー」~ヒーローアクション 挑戦の舞台裏~』。
監督・庵野秀明が「テレビドラマ『仮面ライダー』へのリスペクトを前提とした上での、『アクション映画のアクション』という枠組みから脱却し得るアクション」を求める中での、アクション監督・田渕景也をはじめとするアクション部との軋轢。そして、時には庵野英明が声を荒らげる場面もあったアクションシーンの撮影現場。
アクション練習中に負った重度の捻挫を抱えながらも肉体を酷使し続けた本郷猛/仮面ライダー役の主演・池松壮亮の姿、そして庵野秀明が納得できなかったが故に本編ではカットされたのであろうアクションシーンの多さも相まって、「過酷」の一言では決して表し切れない撮影現場の光景には、番組放映後に多くの物議を醸し出しました。
そしてカットされたアクションシーンの中でも、番組を観た方の感想内で最も言及されていたのは、やはり「“ダブルライダー”こと本郷/仮面ライダー&一文字隼人/仮面ライダー第2号と、大量発生相型変異バッタオーグ(ショッカーライダー)の“実写”での肉弾戦」ではないでしょうか。
日没が近いという限られた時間内で撮影されたことで、実写撮影だからこその魅力といえる戦闘の“生々しさ”や“荒々しさ”が映し出された同アクションシーン。番組内でも「庵野監督もあの画を気に入っていた」と言及されていたにも関わらず、映画本編では使用されず「CGを用いた、トンネルの闇中でのバイクチェイスと死闘」が代わって描写されました。
なぜ「トンネルの闇中」を選んだのか
「大量発生相型変異バッタオーグ戦後に描かれる緑川イチロー/チョウオーグ戦は『技も特殊能力もない“人間”同士の殴り合い』となるため、イチロー戦の生々しさや荒々しさ、そして“泥臭さ”を強調するためにも、あえて直前の変異バッタオーグ戦を『非人間的な殺し合い』として描くことにしたから」
「テレビドラマ『仮面ライダー』のアクションのかっこよさは『画の全然つながっていないアクション』とはいえ、変異バッタオーグ戦のみを、各場面のロケーション間の物語としての“つなぎ”から断たせて映し出したら、かえって変異バッタオーグ戦の映像が悪目立ちしてしまうため」
あるいは、「番組内の実写アクションシーン撮影を終えた後に“より良いロケーション”のアイディアを思いついたものの、その時点で実写アクションとして再撮影をする時間も予算も十分でなく、苦肉の策としてCGを用いた映像に差し替えたため」……。
「『変異バッタオーグとの肉弾戦』の実写アクションシーンははなぜ本編からカットされたのか?」という疑問に対し、ネット上では様々な考察・回答がされ続けています。
そもそも、なぜ庵野秀明は、気に入っていた画をカットしてまで「トンネルの闇中」というロケーションを選んだのか。「CG映像の粗さをカバーするため」と言えばそれまでなのですが、その意図を想像する手がかりとなるのは、やはり“原作”にあたるテレビドラマ『仮面ライダー』と、石ノ森章太郎による漫画『仮面ライダー』なのでしょう。
「もしも」「殺し合い」だけの“精神的荒野の産道”
テレビドラマ『仮面ライダー』第94話「ゲルショッカー首領の正体!!」作中にて、本郷・一文字が勢揃いした6人のショッカーライダーと死闘を繰り広げる舞台のロケ地となったのは、特撮ファンなら多くの方がご存知であろう、茨城県・笠間市の石切山脈。
特に過去の石切作業により人工的に“切り立てられた”崖の、簡易的な鉄柵以外に落下防止策がない当時の通路で撮影されたショッカーライダーとの格闘場面には、観ているだけでハラハラさせられるだけでなく、死と隣り合わせなその通路が「ただ戦闘を、それも殺し合いをするためだけの場所」なのだと多くの方が実感できたはずです。
一方、石ノ森漫画版『仮面ライダー』作中にて本郷が多勢に無勢の状況に追い込まれ、仮面ライダーへと変身する余地も与えられることなくショッカーライダーに殺された舞台は、サイクロン号の乗り撤退を図るも、同じサイクロン号を駆るショッカーライダーたちに追い込まれた果てに辿り着いた山中。
周囲には木々しかなく、為す術ももなく、ショッカーライダーたちが乗るサイクロン号に取り囲まれ一斉射撃を受けたことで命を落とす本郷……石ノ森漫画版での本郷の殺害場面の描写は「複数台のサイクロン号で周囲を取り囲みながらも、所有する銃で本郷にトドメを刺そうとする変異バッタオーグたち」という形でオマージュされています。
「ただ“殺し合い”をするためだけの場所」……「同族殺し」というテーマをテレビドラマシリーズ第1作から描き続けてきた『仮面ライダー』において、姿形までも“仮面ライダー”であるショッカーライダーとの死闘は「同族殺し」のテーマが最も剥き出しに表れる戦いであり、そのテーマを強調するためにも、結果的に石ノ森漫画版・テレビドラマ版は共通して「ただ“殺し合い”をするためだけの場所」を描いたといえます。
その上で、庵野秀明は石ノ森漫画版/テレビドラマ版『仮面ライダー』が表現した「ただ“殺し合い”をするためだけの場所」を、『シン・仮面ライダー』ではいかに効果的に描くべきなのかと最後まで悩み続けていたのではないでしょうか。
また何より注目したいのは、「トンネルの闇中」というロケーションは「人間の胎児が出産時に通り抜ける“産道”」を連想させ得るという点です。
直前に戦った、SHOCKERの洗脳を受けながらも個としての人間性を残し続けていた“第2バッタオーグ”こと一文字/仮面ライダー第2号とは異なり、「映画作中では一切言葉を発さない」「もはや人間業ではない機械的な編隊走行」などの描写からも「人間性を完全に失った、暴力のためだけに存在する生物」であることは明白な変異バッタオーグたち。
しかし「同族殺し」というテーマをふまえると、そんな変異バッタオーグたちの姿は本郷・一文字にとっては「あり得たかもしれない自分自身」の姿そのものでもあります。
そして「産道」を連想させ得る「トンネルの闇中」とは、かつてはSHOCKERに属するオーグメント“バッタオーグ”であった本郷・一文字が“仮面ライダー”と名乗る以前の空間……“仮面ライダー”の自分も“バッタオーグ”の自分も同時に存在する空間でもあるのです。
その道を通り過ぎ、この世に“仮面ライダー”として生まれ落ちる前の「人殺しの化け物」となり得たかもしれない自分の姿……“仮面ライダー”として生まれることができなかった弟たち(あるいは妹たち)と遭遇した「トンネルの闇中」という空間は、本郷・一文字にとっては「産道」そのものであり、二つの同族殺し……「共喰い」、そして「自分殺し」同時に強いられるという残酷と対峙した舞台でもありました。
そして、「マスクの眼光でしか仮面ライダーか変異バッタオーグかを判別できない、むしろ判別できるかも怪しいほどのトンネルの闇中=本郷・一文字にとっては『共喰い』と『自分殺し』の殺し合いを強いられる舞台」を、庵野秀明はどうしても切り捨てることができなかったのではないでしょうか。
まとめ/魅力的な画か、テーマという“筋”か
イチロー/チョウオーグの拠点……SHOCKERという胎内と外世界の狭間をつなぐ産道を「トンネルの闇中」という舞台を通じて表現することで、“原作”へのオマージュはもちろん、本郷・一文字が「共喰い」と「自分殺し」という残酷な、しかし同時に“通過儀礼”ともいえる殺し合いを最終決戦前に突きつけた庵野秀明。
他者との絆を作品全体で描いていた『シン・仮面ライダー』の中での、“仮面ライダー”本郷猛・一文字隼人の孤独な、しかしそれ故に“ダブルライダー”という他者との絆を確かめられた“あり得たかもしれない自己”との対峙こそが、「トンネルの闇中」での変異バッタオーグ戦だったといえます。
しかしながら、NHKのメイキング・ドキュメンタリー番組内で映し出された「“ダブルライダー”と変異バッタオーグの“実写”での肉弾戦」も「映画本編で観たかった」と思えるほど魅力的だったことも、ネット上での多くの方の感想、そして「画を気に入っていた」という監督・庵野秀明自身の感想で理解することができます。
魅力的な映像をとるべきか。それとも、“原作”にあたる『仮面ライダー』という物語とそのテーマを、作品全体を通して描くための“筋”をとるべきか。そうした庵野秀明の苦渋の決断の結果が、「トンネルの闇中」という舞台となったのではないでしょうか。
ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。