連載コラム『タキザワレオの映画ぶった切り評伝「2000年の狂人」』第6回
チェコ・スロバキアの領土をめぐる1938年のミュンヘン会談をイギリス政府官僚とドイツ外交官の視点から描く政治サスペンス『ミュンヘン 戦火燃ゆる前に』。
ロバート・ハリスの世界的なベストセラー小説を映画化した本作は、2022年1月21日(金)よりNetflixにて配信されました。
英国首相、ネヴィル・チェンバレンの宥和政策の裏で活躍し、イギリス・ドイツの懸け橋となった2人の外交官は、世界大戦回避のために何を犠牲にしたのか。
現実の歴史にスリリングなドラマを脚色した本作は、ミュンヘン会談の舞台裏を知らない人でも楽しめるエンターテインメント作品に仕上がっていました。
今回は、第二次世界大戦を目前にしたイギリスとドイツとの政治的策略がスリリングな映画『ミュンヘン 戦火燃ゆる前に』をご紹介します。
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CONTENTS
映画『ミュンヘン 戦火燃ゆる前に』の作品情報
【日本公開】
2021年(イギリス映画)
【原題】
MINICH THE EDGE OF WAR
【監督】
クリスティアン・シュヴォホー
【脚本】
ベン・パワー
【出演】
ジョージ・マッケイ、ヤニス・ニーヴーナー、ジェレミー・アイアンズ、ロバート・パサースト、ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ、アウグスト・ディール、ザンドラ・ヒュラー、アレックス・ジェニングス、ウルリッヒ・マテス、リヴ・リサ・フリース
【作品概要】
2022年1月21日(金)よりNetflixにて配信されたイギリスの政治ドラマで、ロバート・ハリスの小説を実写化したサスペンス。
監督は映画『西という希望の地』(2013)、テレビシリーズ「ザ・クラウン」(2019)のエピソード監督で知られるクリスティアン・シュヴォホー。
主演は『1917 命をかけた伝令』(2019)のジョージ・マッケイ。『タイムトラベラーの系譜』(2013)のヤニス・ニーヴーナー、『ハウス・オブ・グッチ』(2021)などのジェレミー・アイアンズらが共演。
映画『ミュンヘン 戦火燃ゆる前に』のあらすじとネタバレ
1932年のイギリス、オックスフォード大学。同級生のヒューとポール、レナは大学のパーティで飲み明かしていました。
イギリス人のヒューとドイツ人であるポールは自国同士の国交問題、政治イデオロギーについてしばしば対立することもありました。
夜中じゅう騒ぐ周囲の学生を目に、「これから常軌を逸した時代が始まる」と呟くポール。それは何かを予言しているようでした。
6年後のロンドン。イギリスで首相私設秘書となったヒュー・レガトは町中で巨大な飛行船、ガスマスクを目にします。
人々はドイツとの戦争に備えていたのです。
首相官邸から呼び出しがかかり、ドイツに派遣されていたイギリス大使から、ヒトラーがズデーデン地方の割譲を要求していること、ベルリンでの会談が決裂し、戦争の準備が始まりそうであることを知らされます。
同じ頃のベルリン。ドイツで外交官になったポール・フォン・ハートマンは、外務省の内通者、コーツからイギリス大使の動向を聞かされ、ドイツ軍の出征を知ります。
戦争を止めるための猶予は残りわずかとなり、コーツは反ナチス派の仲間、オスターとともに企てたヒトラー逮捕の計画にポールを勧誘しました。
やがてイギリスの首相、ネヴィル・チェンバレンがラジオ演説を始めました。
放送で彼はヒトラー率いるドイツとチェコがズデーデン地方の割譲を要求していることを明かし、イギリス国民に対し戦争に発展しないよう努力するとだけ伝えました。
放送を聞いていたポールは、演説の書き起こしを翻訳し、それがヒトラーのもとへ届けられます。
今度はイギリス大使館に対してヒトラーの返答を届けに行くポール。道中、旧友であり、今は総統警護隊員となったフランツと再会しました。
そして大使館からヒトラーの返答を貰ったヒューは、急いでチェンバレンのもとへ届けました。
「ヨーロッパ大国の中でドイツ国民の苦悩を十二分に理解してくれる指導者は我が偉大なる友人ムッソリーニだけだ」
タイム誌に載ったヒトラーの言葉の真意には、ムッソリーニ以外の首脳の話は聞くつもりは無いという意味だと理解するチェンバレン。
ヒトラーの侵略を止めるためにはムッソリーニの協力が必要だと認識しました。
翌日のヒトラー逮捕決行について悩んでいたポールは、同じく外交官であるヘレンから「国防軍の謀反を頼りに計画するのは無謀だ」と諭されます。
そして彼女からヒトラーによる侵略計画の証拠を渡されます。それは欧州におけるヒトラーの真の計画が記された、1937年11月5日の総統官邸会議議事録でした。
一方、演説を翌日に控えたチェンバレンは原稿のチェックをオックスフォードで英作文とドイツ語を専攻していたヒューに頼みました。
翌朝、演説の準備を行うチェンバレンのもとへヒューが合流します。
戦争の回避に尽力してないと思われたくないチェンバレンは、戦争が始まれば前の大戦より酷いことになると予言していました。
首相の原稿を最速のタイピストと呼ばれるジョアンが任されます。
ムッソリーニが介入したかを演説の前に知りたいチェンバレンでしたが、結局ベルリンからの連絡がないまま議会に向かうこととなりました。
しばらくして演説中のチェンバレンのもとへ、ベルリンから連絡を受けたヒューからの手紙が渡されます。
ヒトラーが軍の動員を延期したことが明らかになり、ムッソリーニと仏首相ダラディエを交えたチェコスロバキア問題についての会談をミュンヘンにて行うことが決まりました。
ミュンヘンでの会談を知ったポールは、逮捕作戦が無効になったことを悟ります。
会談ではスロバキアが犠牲になることが予想され、侵略戦争を避けるためにポールはチェンバレンと密会して、イギリス側を説得したいと申し出ました。
イギリスで首相秘書をしている旧友のヒュー・レガトが協力してくれると踏んでいたからです。
しばらくしてヒューはMI6経由でポールのことを知ります。
ポールが今や反ナチ勢力の一員となっており、外務省から入手した情報をイギリスに流そうとしていることを聞かされます。
ヒューはイギリス大使からチェンバレンには内緒でその情報受け取って欲しいとの依頼を受けました。
しかしヒューとポールの関係は、政治的対立が原因で6年前に絶縁したままでした。
6年前のポールは、労働者党に心酔しており、次の選挙でヒトラーに投票すると宣言していました。
そんな彼を落ち着かせようと、ヒューは「狂信者のヒトラーを擁護している」と言葉をかけるものの、逆にポールはヒートアップし、冷静な忠告を聞こうとしませんでした。
チェンバレンとの密会を目論むポールはドイツ側の通訳として会談に参加することになりました。
ミュンヘンへと向かう列車で総統警護のフランツと再会するポール。フランツにバレないよう、持参していた書類を列車のトイレに隠します。
案の定、ポールがいない隙を見たフランツは、彼の手荷物を検査していました。その後、ポールは頼まれていた外国紙の社説の要約を見せに、初めてヒトラーに謁見します。
同じ頃、チェンバレンもロンドンの空港にて取材陣に対して「1度目で成功しなかったら、何度も何度も挑戦する。今、それを実践しているのだ。」とだけ言い、ミュンヘンへ向かいました。
映画『ミュンヘン 戦火燃ゆる前に』の感想と評価
2人の主人公であるヒューとポールはどちらも架空の外交官。
イギリスとドイツを行き来する物語として分かりやすくデフォルメされたキャラクターで、両国首脳の間に立って世界情勢を左右する立場にあるという設定は、さしずめサラリーマンの願望が反映された憧れの役人といった造形がなされています。
情報の伝達が現在ほど発達していない30年代において彼らの主な活躍は、両国間の情報伝達のスピードを物語上で縮めるというメタ的な役割、英語とドイツ語の通訳、そして自国の帝国主義に無自覚なイギリス人と、愛国心ゆえに反ナチ派となったドイツ人との距離感を描くことでした。
本作はイギリスとドイツが1938年に結んだミュンヘン会談という第二次世界大戦勃発に繋がるその兆候を静かに描き出すため、この国家中枢に身を置きながらも各国の出方を慎重に伺う外交官の目線から物語を語ったのです。
同年の3月、既にオーストリアをドイツと併合していたヒトラーは次なる領土的野望として、ズデーデン地方(現在のチェコ北部、ドイツ、ポーランドとの国境に位置する)との統合を目指し、チェコスロバキアの分割に目をつけました。
映画前半では、ヒトラーと間接的な文通をしている状態のチェンバレンが、彼の動向を推察する様子が中心的に描かれます。
チェンバレンの背後には危機に備えつつも戦争は望まないイギリス国民が、目前にはドイツ国民の感情を煽動し、自らの支配欲と侵略計画とを擦り合わせていくヒトラーがいました。
そして後半に描かれるミュンヘン会談にて、両国の架け橋であるヒューとポールが再会。
戦争回避とヒトラーを止めるために奔走しました。
映画では描かれませんでしたが、会談にてヒトラーは、ズデーデン地方の割譲について「これが最後の領土要求である」と演説しました。
それが嘘であることを証明する過去の議事録を手にしながらも、ヒトラーに裁きを下すことが出来なかったポールの悔しさは本作において最もドラマチックに描かれていた、映画らしい一幕でした。
結果、ミュンヘン会談は先進的なチェコに対して従属的な立場を取らざるを得なかったスロバキアを戦争危機回避の犠牲にする形で決着がつくも、その後2度目の世界大戦が始まり、戦争を延期することしか出来なかったチェンバレンは失脚した後に亡くなりました。
悪の記号を持つヒトラー
本作はイギリス映画であるものの、監督がドイツ人であることが重要なポイントになってきます。
何故ならドイツは第二次世界大戦の敗戦国としての歴史を受け継ぎ、先の戦争責任について訴追される立場にあるからです。
ゆえに本作においても、イギリス側から描く構造とは言え、ドイツ側を徹底した悪として描いているのは、ドイツ人監督ゆえの内省的な態度なのではないでしょうか。
本作においてヒトラーが画面に登場する時間は短いものの、確かにその存在感を発揮しています。
ヒトラーが登場するシーンは地味なチェンバレンに比べ強烈で、そのどれもが彼自身の惨めなほど陳腐で見下げ果てた人物像、悪の凡庸さを描いていました。
例えば列車でポールが初めてヒトラーを目にするシーンでは、彼の支配欲の根底にある知識階級へのコンプレックスが垣間見えます。
ミュンヘン会談後、ヒトラーを囲んだ晩餐シーンでは、ポールをからかう下品な笑いで場を賑やかし、部下たちがこぞって太鼓持ちをするような居心地の悪い空間を作り出し、権力構造が生む貧乏くさい上下関係を見事に描いていました。
日和見主義や事なかれ主義が権力者を付け上がらせる構造は普遍的であり、本作のナチス描写は現代的な社会構造に対する問題提起を行うものであったとも言えます。
一度はヒトラーを急進派と見込み、彼に心酔していたポールも、レナに起こった悲劇によってその本性を遂に認めます。
それは反ナチス派との会話でその人物像を一言を言い表していた通り。世紀の大悪党のその正体とは”ケチで低俗な悪党”だったのです。
本作のヒトラーは小さく、周囲が大人物として大げさに敬うことで、その滑稽さが際立って見えていました。
チェンバレンという敗戦者
イギリス第60代首相、ネヴィル・チェンバレンといえば、戦争回避のため、消極的に侵略行為を止める宥和政策のイメージが強く、本作においてもヒトラーに対して慎重派の態度を貫いていました。
そのため、”大戦を招いた世紀の失策の政治家”チェンバレンが率いるイギリス側からミュンヘン会談を描いた本作は、全体を通してこれから負ける話としての印象が強いのも事実。
もちろんこの後に起きる第二次世界大戦においてイギリスは勝利しますが、戦争を回避するという最大の目的を失敗してしまったこと、ミュンヘン会談でのズデーデン地方割譲を承認し、ドイツとの慎重な外交に妥協してしまったことは、チェンバレンにとっては敗北を意味していました。
またチェンバレンが招いたとされる第二次世界大戦の勃発と、失脚してまもなく亡くなった彼のその後が最後に明かされる結末も、鑑賞後に敗北の余韻を残しました。
本作においてチェンバレンを演じたジェレミー・アイアンズは、交渉に失敗した政治家の姿を体現しており、ヒトラーに言い含められるという損な役割を見事に全うしています。
イギリスの平和構築を目指し演説前の原稿をチェックするシーンは、まさにそんな彼の自己を犠牲にする様が垣間見えました。
まとめ
今回は、第二次世界大戦勃発の一因ともなったとされる1938年のミュンヘン会談の模様をイギリス、ドイツ両国の外交官の立場から描いた政治サスペンス『ミュンヘン 戦火燃ゆる前に』をご紹介しました。
ドイツ側として一度はヒトラーに心酔したものの、ナチスの侵略行為を止めるために奔走するポールのドラマとイギリス首相チェンバレンの側近として一歩引いた立場から外交に干渉しようとするヒューのドラマとが交錯し、止められたはずの戦争を後悔として描いていました。
戦争回避という目的を果たせなかったという意味では、本作は如何にしてチェンバレンが失脚したかを描いたドラマでもあり、彼が負け犬の汚名を被るまでが描かれる稀有な作品でもあります。
現実に何が起きたかその後を知っていても、あと一歩のところまでヒトラーを追い詰めていくポールの奮闘と彼の贖罪に報いるヒューの尽力は非常にスリリングでした。
議事録すら読めない環境に置かれているいまの我々にとっては、本作で描かれる世界大戦目前の状況ですら、恵まれているようにも感じてしまい、本作に現実の絶望感を強化される思いを抱いてしまいます。
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タキザワレオのプロフィール
2000年生まれ、東京都出身。大学にてスペイン文学を専攻中。中学時代に新文芸坐・岩波ホールへ足を運んだのを機に、古今東西の映画に興味を抱き始め、鑑賞記録を日記へ綴るように。
好きなジャンルはホラー・サスペンス・犯罪映画など。過去から現在に至るまで、映画とそこで描かれる様々な価値観への再考をライフワークとして活動している。